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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


side by side

 ししおどしの音が、涼味を感じさせ、松などの常緑樹が作り出す影が強い日差しに熱を帯びる空気を宥める。
 都心から少し距離を置くが、公家や大名が好んで避暑に訪れたという土地、江戸の時代に好んで作られたという廻遊式庭園もその時代から規模を狭める事はなく、歴史と格式を変える事なく連綿と続く料亭の一画で、善良な一般市民が知り得よう筈もない会談が今正に始められようとしていた。


「本日は真にお日柄も良く……」
上座と下座に別れて座る仲人夫妻、にこやかな表情でお約束の口上を述べる夫人から感じる圧力は『さぁ、どうあってもこの二人を上手く行かせてみせるわよ!』との使命感か。
 本日の主役の片方は、その様子に緩く微笑み、振り袖の袂を静かに捌いて居住まいを正した。
 色は真朱、帯から上に一見は無地にも見えるが、袂と裾に配された艶やかに真珠の花弁を持つ華の図案が上品な華やかさで印象を強める。
 結い上げた漆黒の髪に挿した簪も小さな真珠の粒を連ねて着物と同じ華を形作り、共に誂えた一品だという事を伺わせる。
 適齢期こそ超過しているが、昨今は晩婚も多い。それで言えば三十の大台に乗る前にケリをつけてしまいたいのは本人も両親も同じだろうとの胸算用に、夫人は彼女ににこやかな笑顔を向けた。
「蘭さん、こちら千菊苳一朗さん。未だお若くていらっしゃるんですけれど、お家は旧くから能のシテの流派で、次期当主を内約束に頂く程の実力を持っていらっしゃるのよ」
 簡単な紹介に草礼に頭を下げた青年に向き直る。
 和装で来てくれれば、能楽師であるという紹介にハクがついたろうが、上質のスーツに心証は悪くないだろう。
 過去、相手の眼鏡を理由に辞した者も居たが、コンタクトにでも変えればいいとねじ込めたし、縁のないそれは整った顔を更に理知的に見せ、そう悪くもない。
 何より男はその外観よりもバックボーンや職業だ…血筋、家柄に問題なく、将来を約束されたも同然の青年を彼女が断れる理由は特に思いつかない。
「苳一朗さん、こちら瀬水月蘭さん。彼女のお父様が病院を経営してらっしゃるのはご存知よね?彼女は医大をそれは優秀な成績で卒業なさって、お手伝いしてらっしゃるの」
さぁどうだ!とばかりに鼻から息を吐き出した。
 良家の縁談を取り纏めて、これが上手く行けば30組目だ。いや、なんとしても上手く行かせてみせると些か履き違えた目標達成に燃える夫人に、最早何を言う気力もないのか、その夫君は事務的に話を切り替えた。
「それじゃここからはお食事を頂きながらにしましょうか」
控えていたタイミングで、襖が開き、仲居が料理を手に室内に入って来た。


 蘭は元々、この話を承けるつもりは毛頭なかった。
 今までも似たような話が持ち込まれた事は何度もあったが、その度に某かの…公に出来ない素行を暴き出しては、話が本格化する前に相手から断りを入れるよう仕組んできた。
 蘭の父は立場のある者だ…その子である、という事は庇護下にある者と見なされ、蘭自身というよりも、父の権力や家同士の繋がりを求める縁談が多くなるのは自然だろう。
 蘭は、政略結婚を嫌悪する程に甘い精神構造をしてはいない…が、自分の医師としての立場を無視して家庭に収まり、子を為して家を守る、そんなモノを期待されても応える義理はなく、また自分の配偶者となるのならば、蘭自身にこそ益のある者でなければならない。
 蘭の条件はいっそシンプルだ。
 それだけに該当者がいない、という事実もあるのだが。
 その蘭が、会う気になったのはいつもの如く…一般の興信所の生半可な物でなく、裏から世界を見た、隠し立てようなく暴くような素行調査の結果からだった。
 医療関係の書類に紛れて届けられた身上書、その交友関係の欄に…自身の思わぬ知人の名を見つけたのが、興味の発端。
 その癖の強すぎる男と親しいというだけで、人と為りが知れような程に。
 静かに杯に口を付ける男を前に、蘭は共通の知人との会話を思いだしていた。


 苳一朗に結婚願望はない。
 血筋を護る為に、と周囲が幾ら口喧しく囀ろうと、必要を見出せない要素を人生に加える気はない。
 何れはとも考えているが、それは彼の予定ではまだ先の話だ。
 勧められる女性はどれも良家の子女、良き妻、良き母となるべく育てられたタイプが多く、先ず守るべきは一族という典型的な血統に家庭内の些事を担う存在は理想なのだろうが…見合う金額さえ支払えば、それは外部の者にも充分可能だ。
 確かに、家同士の繋がりに益が出る事もあろうが、旧い血筋の掛け合わせに果たしてどれだけの価値があろうか…この場合の価値、とは苳一朗にとっての利である。
 苳一朗の主義は徹底している。
 それだけに、該当する者が削られていくのに舞い込む話が当たるを幸いな感になって来ているのだが、苳一朗はどれも巧みに自らのネットワークを駆使し、入手した情報で先手を打ち、釣書を交わす以上に話が進まないようにしていたのだが…蘭の場合は、交遊関係に思わぬ知人の名を見つけたのが、発端だった。
 その知人は、親しめるような生半可な付き合いの出来る男では決してない。
 苳一朗は目の前で箸を進める彼女を自然な様子で観察しながら共通の知人との会話を思いだしていた。


『それはまた……』
相手の人柄を問うたこちらに、笑いを堪えるような、苦虫を噛み潰すような微妙な表情で、和装の男は言葉尻を濁した。
『こういう事に先入観を持つべきではないと思うので、あまり多くを語れませんが、そうですね……』
胸中に言葉を探しての沈黙が長い。
『強いて言えば、素人が迂闊に近付いてはいけない人、ですか』

『お前が言うな』

奇しくも与えられた言葉と返した台詞が全く同じである事を、二人は知らない。


「さ、ここからは若い二人に任せて……」
和やかに進んだ会食に手応えがあったのか、仲人夫妻の夫人が最上級の笑顔で同席していた蘭の父、苳一朗の母を喫茶室に誘い、残された二人は庭を散策する事となった。
 先までは間に人が入っていた為か、他愛なく趣味や音楽、仕事の話などを交わしていた蘭と苳一朗だが、今はただ沈黙に順路を巡る。
 程なく、前方を島に周囲を立木に囲まれて料亭の家屋から死角となる石橋の上で、申し合わせたように足を止めた。
 口火を切ったのは蘭だ。
「随分と品行方正なお顔を持っていらっしゃるのね。能楽師が被るのは能面だけではないと言う事?」
「それは貴方もでしょう?」
薄い…感情の籠もらない微笑みが言葉を滑らせる。
「凄腕の女医さんの話は調べなくても耳に入ってきますよ」
僅か顔を傾けるのに縁のない眼鏡が陽光を反射した。
「調べれば、裏で随分手広くやっていらっしゃる事も聞こえてきますが」
「話が早くて助かるわ」
蘭が手がける合法とはまかり間違っても称せないそれを押さえているのだという、苳一朗の牽制に蘭は動じずに真珠の櫛を引き抜いた。
 肩で揃えられた艶やかな黒髪が、艶やかな朱に落ちかかって映える。
「お互い、腹は探りきった後でしょ?……ビジネスの話をしましょ」
「結婚はビジネスですか?」
意外の面持ちで軽く眉を上げた苳一朗に、蘭は胸の前で腕を組み、斜に見上げた。
 蘭の妍姿で一番印象に強いのはやはり、その瞳だろう。
 常には伏し目がちにやや気怠げな…だが、いざ真っ直ぐに向けられれば青玉を思わせる強い光を宿してその実を伺わせるに充分な。
「お互いの利害の一致、それが契約の基本でしょ?」
「俺に利が提供出来ると?」
苳一朗も笑んだ表情はそのままに口調を変える。
「あなたが私の益に繋がる実績があるから持ちかけているのよ……随分と素敵なネットワークを構築なさっておいでね?若当主」
蘭は言い逃れを許さない強さで苳一朗の瞳を見据えた…傍目、見つめ合う男女に盛り上がりを期待する光景だが、実際は肉食獣同士が互いの喉元にいつ喰らいつくか、そのタイミングを図っているようなものである。
「お誉めに預かり、光栄至極……と言っておこうか」
「えぇ、とても素敵……常に正しい情報収集が可能な環境とそれが成し得る人材は貴重だわ。あなた、自分の価値を如何ほどに考えていて?」
「安くはない」
苳一朗の即答に蘭は微笑む。
「えぇ、そうね。あなたの情報はその速さと正確さに見合う金額だというのは知ってるわ……そしてわたしがそれをまるごと買い上げられる経済力を持っているのは当然、ご存知よね」
「金で俺を買おうというのか?」
探る言葉を向ける苳一朗に、蘭は手札を晒した。
「心外ね、何も専属になれと言っているワケじゃないわ。その度に見合った報酬は提供するし、設備資材への出資も惜しまない。ビジネスだって言ったでしょ?多くは望まないわ、こちらが指定する情報の優先権、わたしが望むのはそれだけよ」
蘭の艶やかな笑みに、苳一朗は肩を竦めた。
「それが利だというなら、結婚の意思を確約したと世間に公表し、それなりの体裁を整えなければならないのが害、というワケか」
「些少な事よ……互いの利益に比べれば。私は情報を、貴方はお金を、遣り取りする場が世間体の良さの中に収まるだけ。どう?立場的に悪くはないでしょ、私で決めてみない?」
「まあ、それも一理あるな」
そのつもりがなければ、苳一朗も巧みな話術で話を切り返す事も出来たろうが…蘭の言う通り、理を認めてしまった為だ。
 それにこれ以上…パートナーとして遜色のない人材と巡り会える可能性は最早ない。
 苳一朗はうっすらと笑んだ。
 それは感情によるものでなく、計算から出る冷笑を諾たる意に変え、腕を差し出す。
 応えて蘭も目元を綻ばせ…こちらも感情の籠もったものではなく、契約の成立に愛想めいたものだ。
 睦まじく、身を寄せ合い…腕を絡めた二人は、ゆっくりと順路をまた辿り出す。
「ひとつ条件をつけ足したい」
苳一朗がふと、重要事である声音の重さで指を立てた。
「何かしら?」
用心深い蘭の問いに、苳一朗は重々しく告げる。
「是非、猫が飼いたい。不可能なら、この話はなかった事に……」
蘭に否やあろう筈がなかった。


 二ヶ月後、良日を選び、親戚友人、各界関係者を集めての婚約発表は盛大なもので、誰もがこのカップルに、その幸せな未来と歴史と財力とを共に併せ持つ事となった両家に惜しみない祝福を贈った。
 ……が、笑顔を向ける両人の裏で交わされた契約と胸の内を知る者は当然なく、まぁ多分こんなトコロだろうと見当をつけた一人だけが、その表と裏の両サイドで交わされたであろう契約に杯を掲げた。