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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


素晴らしき夜のために
 嫌々参加したパーティ会場で、知人に会った。
 ドレスを身に纏った女達は笑みを交し合い、言葉を交わし合い、優雅に夜を楽しむ。溜息も何度目になるのか数えるのも飽き飽きとしていた彼女――碇麗香にとってそれは『無駄』とすっぱり切り捨てられてしかるべき時間の過ごし方であることに代わりはない。いくら仕事の絡みとはいえやはり来るべきではなかったかと、そう考えていた時のことだった。ロビーから、会場へ颯爽と姿を現した不知火響の姿に、否応でも視線は引き付けられた。
 最も、それは麗香だけではなかったらしい。
 響が身に纏う黒のロングドレスは体にぴったりフィットする細身のデザインで、ごくごく自然に彼女のプロポーションを強調する。大きく開いた肩口から胸元までを飾るドレスと同色のマラボー。そして、太股までの深いスリットから見え隠れする白い足はドレスの黒に恐ろしく映えた。
 それは、まるで時が止まったかのようだった。
 そう――響が会場に足を踏み入れた途端、まるで時が止まったかのような錯覚を麗香は覚えていた。華やか――そう評するに相応しい。その存在そのものが、他者の視線をひきつけて離さない独特の雰囲気を放っている上にあの美しさ。正に生まれながらの『華』であろう。それもひときわ艶やかな。
 会場に入った途端、男達に周囲を取り囲まれた響は、やんわりと困ったような笑みでダンスの誘いを断っているようだった。だがやがて、差し出されたグラスの中の一つを手に取り、ひときわ背の高い金髪の男を見上げる。
 落胆に表情を曇らせた男達とは裏腹に、グラスを差し出した男は慣れた仕草で響の肩に手を置くと何やら囁きかけ、そして何処かに促すかのように歩き出した。
 目が合ったのは、その時だった。
「少し待ってくれる? お友達に会ったの――せっかく会えたんですもの、ご挨拶くらいはしないとね。人づきあいは大事にしたいの。分かるでしょう?」
 響の言葉に、男は鷹揚に頷いた。当然だ――今まさに彼女の人付き合いの良さが発揮されたがために、彼はこれから彼女と二人きりになれるという幸運を得たのだから。時間は――夜はまだ長い。ささやかな自由を彼女から取り上げて機嫌を損ねてしまえば苦労も水の泡だ。
 軽くウインクをしつつ、響は麗香の元へと歩み寄ってくる。全てを魅了せんばかりの笑みを浮かべたままで。
「偶然ね、こんなところで――」
「相変わらず――派手ね」
 苦笑を含んだ麗香の言葉に、響は笑みを返すばかりだった。
「そうかしらね。自覚はないんだけれど――でも、何事も楽しくないとね。ええ――仕事も遊びも楽しんでこそ、よ」
「人それぞれでしょう。彼――お待ちかねのようだけれど放っておいていいの?」
 少し離れた――会話が聞こえない程度の距離を取った場所で待っている金髪の男を、麗香は視線だけで指し示す。あらあら仕方ないわねぇ、と響は男に軽く手を振ると、内緒話でもするかのように麗香の口元に耳を寄せた。
「ねえ、悪いことは言わないから今日はもう帰ったほうがいいわ。後ろを振り返らないで、寄り道しないで、いい子に家に帰るのがオススメ。占い師としての忠告よ」
 何があるのか麗香にはさっぱり分からない。だが麗香は、その忠告に従う程度には響の占い師としての能力を評価していた。


 ロビーの中央を歩き出した麗香はふと苦笑を漏らした。偶然にしてはあまりに出来すぎている――一日に、こんな会場で知人に二度も出くわすような偶然はそうそうありはしないだろう。だが、会った。つまり偶然ではないということか。
 間宮伊織。
 煙草を灰皿の上でもみ消した伊織が、笑みを含んだからかうような声音ですれ違いざまに告げる。
「お帰りのようだね。夜はまだこれからだよ」
「占い師の忠告なのよ」
「成程――ならばその判断は正しいね。では、いい夜を」
「ええ、貴方もね。いい夜を」
 ぞんざいに言い放った麗香の後ろ姿を、何やら面白いものでも見るかのように無言で見守っていた伊織の視界の隅に、別のものが映った。
 壁に片手をついて辛そうに呼吸を整えている金髪の女。既に顔色は蒼白に近い。
 伊織は静かに――そう、相手に警戒心を抱かせぬようにと細心の注意を払いながら、ゆっくりと距離をつめる。ゆっくり、ゆっくりと。
「気分でも悪いのかい? ここは空気が悪いからね――良かったら庭までエスコートさせては貰えないか?」
 そう――穏やかに、笑みを浮かべて。


 最上階の部屋に案内された響は、音を立ててカーテンを開く。視界に広がる光と闇が織り成す光景は、溜息を誘うほどに素晴らしい。
 ふと外界と室内とを隔てるガラス窓に視線を移せば、そこには新たに手渡されたグラスを右手にした自分の姿と、その背後にぴたりと身を寄せている男が目に映る。
 ガラス窓を介して互いに笑みを交すと、男が響の肩に手を置き、右の首筋に唇を寄せた。グラスを傾けカクテルを飲みつつ響は、ガラス窓の中に映るその光景をじっと、不思議と透明な表情で見つめていた。
 だが、男の唇から鈍く光る牙が覗いたその時、初めて響の表情に変化が訪れた。透明なそれから妖しくも美しいそれへと。
 吸血鬼――それは人の血を吸い生きる糧とするモノたち。
 口を開き、響の首筋に牙を突きたてようとした男のすぐ目の前に、まるで間に割って入るかのように差し入れられたのは白いカード。響はカードの図柄が男にも見えるようにと、左手の人差し指と中指の間に挟んだそれをくるりと裏返す。
 大アルカナ15番目のカード。死神。
「終わりを示すカード……相応しいわね。人の生き血を糧とする代わりに時を止めた貴方たちには分からないでしょう。一つの終わりは、新たな始まりをも示唆するものだということを――もっとも、今理解してもそれは手遅れというものだけれど」
 カードの裏面には五芒星が描かれている。それは聖なる力を宿した彼女の武器であり、占いの道具でもある大切なもの。
 男は人ならざる動きでその場から飛び退った。広げた両手から炎の奔流が放たれる。
 ぱりん、と乾いた音がした。響が手にしていたグラスを床へと落としたのだ。
「この程度じゃ酔えやしないわよね――まったく」
 つい先程までグラスがあった手の中には、隠し持っていた鞭が握られている。
 右足を一歩引いて炎から身をかわす。だが流石にその熱までは避けきれず、響は顔をしかめた。炎は全てを飲み込むかの勢いでカーテンから天井、床下とあらゆるものを焼き尽くしてゆく。
 炎の向こう側にいた男が、再び跳躍した。その動きに合わせて毅然と顔を挙げた響の手がひらめいた。ぱしん、と鋭い音を響かせて鞭の先端が弧を描きながら男の首筋へと向けられた。それは狙いを寸分違うことなく、男の首筋を真横に薙ぐ。
「…………!」
 悲鳴を、痛みを声にすることすら出来ずに、男はぱっくりと開いた喉の傷口を確かめるようにして手で触れると、先程までの優雅な動作など微塵も感じられぬ野蛮さと殺気とが入り混じった眼差しを響へと向けて再び跳躍した――響を飛び越え、ガラスを割ってテラスへと。
 室内は男の放った炎で燃え盛っている。白い肌が熱に晒され、そしてこの日のためにとあつらえたドレスがあちこち焼け焦げていることに気づくと眉を潜めた。
 だが響の様子とは裏腹に、男は笑っていた。体をくの字に折り曲げて、テラスの白い手すりに寄りかかるようにして笑っている。それはまるで、この先自分に降りかかる運命を全て見透かしているかの笑い。それが、ひどく響の癇に障った。
「私を本気で口説きたいなら、この程度の炎じゃ足りないわよ? 坊や――残念だけれど、さよならね。それともう一つ――先を見通す『眼』で私に、占い師に勝とうというのは不遜というものよ」
 指に挟まれた聖なる力が込められたカード。それは吸血鬼たちにとっては最大の、とまではいえないがある程度の武器にはなるだろう。
 そう確信して、響はカードを放つ。聖性の込められたカードに男は一瞬躊躇したがそれ故に避けることができず、カードが男の肩を服の上から切り裂いた。肩の傷の痛みによろけた男は、再びがくりとテラスの手すりに体重を預け、そしてゆっくりと手すりの向こう側へと倒れてゆく。耳障りな断末魔の悲鳴を響かせながら。
「――まったく、とんだ夜だわ」
 黒髪をかきあげながら、響は苦々しく呟いた。


 伊織は金髪の美女を伴って中庭までやってきていた。ロビーは人でごった返しているため空気があまり良くない。気分が悪いというならばやはり涼しい風が吹く庭の方が良いだろうとの判断故だ。
 さわさわと、心地よい風に木々が小さな音を立てる。気分が悪い筈の女は、青い透明な瞳を妖しげに――爛々と輝かせ伊織の首に両腕を絡めていた。伊織は女の力には逆らわず、ゆっくりと引き寄せられていく。その間にも伊織の表情には変化はない。そう――女に初めて声をかけた時に見せた穏やかな笑みのままだ。
 女の唇がゆっくりと開く。月明かりにきらりと光ったのは、女が今まさに伊織の首筋に突き立てようとしていた牙だった。二本の牙があと少し――数センチといったところで不意に、そしてひどく不自然に停止する。
「悪いが、どちらかというと黒髪が好みでね――しかも気の強い方がいいときている。難儀だど自分でも思うが、こればかりは仕方がない」
 苦笑しつつそう漏らした伊織の右腕は女を支え、左手は――女の首筋へと伸びていた。伊織は女の牙が自分の首筋に突き立てられるよりも早く、女の首筋に針を打っていたのだ。それがただの針ならば吸血鬼である女にとってはさしたるダメージではなかっただろう。だが、その針は退魔師として名を馳せる彼の武器であり、決してただの針などでは在り得ない。
 苦しげにうめく女の表情を間近に覗き込んでいた伊織が、草を踏む足音にふと視線を転じた。そこにはどこか不機嫌そうな響の姿が見える――彼女の体を覆っていたであろうドレスはあちこちが焼け焦げているが、だがそれすら響の美しさを損なうことは出来はしないことを、伊織は知っていた。
「ご覧――次に機会があったら、ああいう美女でお願いしたいものだね。次があればの話だが」
 伊織は既に腕の中の女に興味を失ったのか、ぐったりと力を失った女をその場に横たえると響へと歩み寄った。
「随分と不機嫌のようだね――」
「夜はまだこれからだってのに、面白くないことばかりで腐ってるのよ、今」
「そう。夜はこれからだ――俺で退屈の穴埋めを出来るか定かではないが、とりあえず一曲どうだい?」
 手を差し伸べると、響は僅かな逡巡の末に結局その手を取った。
 そう――夜はこれから。
 二人は向き合い、体を寄せ合い、銀色の月明かりの下で華麗にステップを刻む。
 素晴らしき夜を、楽しむために。