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<東京怪談ウェブゲーム アトラス編集部>


女神の祈り【召喚】


■序■

 太陽が牡羊座の位置に入り、夜が訪れたとき、北風に顔を向け、然るべき詩を読み上げよ。
 そのとき、ひとつの村が消える。


 山梨県、黒岳の只中にある美原村からの連絡が途絶えていた。
 五年ぶりに生まれ故郷の美原村へ戻った親友が戻らない――とある女子大生からの投書がきっかけだった。その親友は深夜、無事に家に着いたことを電話で連絡してきたらしい。
 だが――
『やだ、何だか変な匂い……なんだろう、ガスでもなさそ……
 ざりっ、
 がりっ、
 ……んか聞こえる……
 ざりりっ、
 ……き……ああぁあ――』
 ぶつッ。
「でも、わたしも確かに聞いたんです」
 彼女は青褪めた顔で、震えながら話した。
「すごく低い声で……『しゅぶにが』『いあ』『うぐ』って何度も何度も……」


 そして未だ美原村とは連絡が取れないまま、現在に至る。
 リチャード・レイでなくとも事態の深刻さには気がつくだろう。彼が警察や地域住民や村人の親戚よりも頭を悩ませているのは、女子大生が口走ったわけのわからない呪文が原因だった。
「先日、『ゴートウッド』という危険な『木』がイギリスからニッポンに届いています――ひとつは片付けましたが――あの木は、簡単に量産できるものでしてね。ひとつだけ日本に流したとは考えにくい。もし、あの木がミハラ村にも届けられていたのだとしたら……」
 問題は、もうひとつ。
「ミハラ村には、環状列石があったと聞きます。ある神を呼び寄せるには格好の場所です」
 ストーンサークルというものは、何もイギリスだけにあるわけではない。狭い日本にすらいくつも存在するのだ。美原村のはずれにもあったという。
「お願いします。ミハラ村に向かい、問題が起きていたのなら――解決して下さい。『女神』がすでに降りているのだとしたら、一刻を争う事態です」
 レイは、集めた調査員に頭を下げた。
「わたしが行っても、おそらく足手まといでしょう。わたしはこれから、『木』の出所を調べに行きます。……よろしくお願いします」


■メルセデス・ベンツとホンダ■

 無骨な四駆と無骨なバイクを駆り、彼らは山梨県に入っていた。
 レイの呼びかけに、胸騒ぎと危機感を抱いて集まったのは7人。そのうちの1人は、誰とも行動を共にすることなく、さっさと先に出てしまっていた。誰も彼――来栖麻里のその行動を咎めることはなかった。彼が自分の力に絶対的な自信を持ち、またその自信は相当な力が現に有るからこそ持てるものであろうことを、暗に理解していたからだ。
 メルセデス・ベンツ車のウニモグを調達し、運転しているのは九尾桐伯。
 助手席で顎を撫でながら思案に暮れている和装の男は、武神一樹。
 後部座席の右端で眠っている海原みそのの装いは、黒色ながらいやに派手だ。
 その横では蒼月支倉と賈花霞の兄妹が、額を突き合わせて山梨の地図に見入っている。この二人がナビを務めていた。
 ウニモグの後を追うバイクは、ホンダのシャドウ400。レースにも出場できるほどチューンナップされているが、これに乗っている武田一馬はレーサーではなく、大学生だ。
 美原村への道中、あまり6人の間で会話は交わされなかった。アトラス編集部で、思うこと、必要なことはすべて話した。雑談をする気にもならず、誰もがこの静寂を有り難がっているほどだった。


「話し合いだの調査だのはおまえらに任せる。グダグダやってる暇はないんだろ? 女神だろうが動く樹だろうが、オレが片っ端から片付けてやる。おまえらが着く頃には片付いてるかもな」
「来栖――」
「……まったく、昼寝しとくんだったぜ」
「あー、行っちゃった……」
「うう、あいつとはホントやりにくいスよ」
「彼とはお知り合いですか?」
「いや、前に一回一緒に仕事したっていうか……あれ、『一緒に』したって言えんのかなあ」
「でも、どこまでも真っ直ぐなお方ですよ」
「真っ直ぐすぎないか?」
「まあ、ともかく、調査と話し合いは任されたわけですから……」
「でも、名のある神がこの地に……。御方様がお目覚めになるやもしれませんわ。危のうございます」
「ねえ哥々、ほんとに村とはれんらく取れないの?」
「さっきから携帯で役場にかけてるんだけど、誰も出ないんだ」
「電波届かないとかじゃなくて?」
「ううん、ちゃんと届いてるっぽいです。電波届かなかったらドコモの女の人が言ってくるじゃないですか」
「『けーたい』とはいつ見ても便利なものですわね」
「花霞、その村なくなっちゃってるんじゃないかと思ったんだけど……電話は生きてるんだね」
「そんな不吉なこと言っちゃダメだ!」
「……ごめんなさい」
「ところで、環状列石……って、何か関係あるんスか?」
「ええ。ある女神を呼び出すための儀式に適した場所だと言われています」
「俺は噂でチラッと聞いたことがあるが、美原村の列石は結構大きなものらしい。ここで場所を調べておくことも出来るだろう」
「しかし、村には普通に入れるんスかね……」
「村と僕らの世界が、何かの力で切り離されてる……ってことはないですか?」
「有り得ますね。彼女らは時間と空間を操る」
「警察は何やってんスか?」
「動いてないって話です」
「そんな!」
「警察が動いてないのは、IO2とかの組織の圧力だろう。行った人間が二度と戻らないなんていう古典的な噂が立つほど時間も経ってない」
「ミハラ村、とおい?」
「いえ、急げば日暮れ前には着くでしょう」
「じゃ、石の場所をしらべてはやく行こう!」
「そうだな、来栖の言った通り、ぐずぐずしている暇はない――」


■え う しゅぶ=にが あ■

 美原村へと続く唯一の道は、『立入禁止』の車両止めと黄と黒のコーンで塞がれていたが、彼らは一旦車を降りてそれらの障害物をよけ、堂々と道に入った。一馬が車両止めとコーンの位置を丁寧に元に戻した。ここから先は変わらず立入禁止であるべきだ。
 道は次第に狭まり、舗装も古びたものになっていった。周囲は鬱蒼とした森林だ。昼なお暗いとはここのことか。癒しや涼しさを求めるのは酷かもしれない。
 美原村は過疎化が進んでいる典型的な農村で、環状列石をわざわざ観に行くような人間も少なく、静かというよりは寂しい村であるようだった。進むうち、木々の間からブドウ畑が見えてくるようになってきた。
 環状列石は村の南のはずれにあるらしいが、ひとまず村の様子を探るために、一行は村の小さな『本通り』で車を降りることにした。
 車窓の隙間から、ヘルメットとシールドの隙間から入り込んでくるかすかな悪臭は、否が応にも焦燥感を駆り立てられるものだった。

「うわぁ、花霞このにおい知ってるよ。お棺の中のにおい」
 深呼吸をしてみて、花霞は顔をしかめて肩をすくめた。その言葉に、支倉も肩をすくめた。
「嫌なこと言うなよ……」
「だってほんとのことだもん……」
「しかし、見事に人っ子一人居ませんね」
 桐伯の言う通り、村はひっそりと静まりかえっていた。通りに出ている人間は彼らだけだ。役場の前の狭い駐車場には、一台の車も停まってはいなかった。桐伯は駐車場には車を置かず、役場の前に停めた。何かあってもすぐに出せるよう、エンジンもかけたままにした。
「少し調べたいことがある。俺は役場に行くが、皆はどうする?」
「あ、俺も行きます」
「私はこの辺りの様子を見ています」
「森には近づくなよ」
「ええ、心得ていますよ」
 一樹と一馬が役場に入り、兄妹と桐伯は本通りへと向かった。
 桐伯はそこで、ようやく気がついた――車を降りてから、みそのの姿を見ていない。彼はさっとウニモグの後部座席を覗きこんだ。みそのがそこで眠っていることを祈っていた。だが、淡い期待は儚く飛び散った。わかっていたはずではないか。みそのは村に着いてから目を覚ましていたし、車から降りている姿も見ていたはずだ。
「……みそのちゃん……いないよね」
 同じことを考えていた花霞が、桐伯の背に言葉を投げかける。
 だが桐伯たちはあの黒いお姫様から、どこか異質で――そう、あの日見た樹のような気を感じ取っていた。麻里と同じで、みそのにも自信と考えがあるのだろう。きっと彼女は、変わらぬ微笑を湛えて戻ってくる。
 彼らはみそのを信じて待つことにし、再び本通りへと歩き出した。


■彼女と彼と森の中■

「全く、『財団』も面倒な話を聞きつけてきたな……」
 麻里はその嘯きが自分の心理とは矛盾していることを自覚していた。彼は自分を養う某財団に忠実だったし、財団は決して今回の任務を強制しては来なかった。興味があるなら行け、その程度の口ぶりだったのだ。麻里はほとんど自主的にこの任務を負ったのである。面倒だと言えた義理ではなかった。
 自分の大いなる力を自分に示したいという無意識からか、敵が『樹』であることに興味を惹かれたからなのか――ともかく、麻里はこの話を『面白い』と感じたのだった。
 彼はこの次元にはない『森』を護る者。
 この日本や、人間たちを護る気はさらさらない。
 使命感に燃えている他の調査員たちを内心せせら笑っていたが、軽視はしていなかった。彼らはその辺の人間とは違う。
 特に麻里が気に留めていたのは、海原みそのという巫女だった。彼女からは、狂気と邪気に近しい力と臭いを感じ取ったからである。
「麻里様ですね」
「!」
 考えていた矢先にこれだ。
 麻里は獣のような素早さで身構え、金の瞳で黒い姫を睨みつけた。
 ここは、美原村の南に広がる森だ。少し進めば環状列石に辿り着く。麻里は数時間前からここにいた。今は、みそのもここにいる。電飾つきの黒いドレスという、麻里から見れば馬鹿げた格好をしていた。
「ご心配なく、わたくしは、深海に座するものです。海のものは森では生きられませんわ」
「わかってるなら、どうしてわざわざこの話に乗った?」
 警戒を解かずに、麻里は毒づいた。
「この地に呼ばれようとしている神は、とても力の強いお方です。その力の流れは、深淵にも届きましょう。きっと麻里様の『森』にも」
「……『森』を知ってるのか!」
 麻里は犬歯も露わにして吼えた。『森』の名を出されると彼は周囲が見えなくなる。だがみそのは、凄まれようが脅されようが、その微笑を崩さなかった。光を失いかけた瞳は、環状列石を見つめていた。
「いいえ、存じません。ただ、麻里様のお心には、『森』のことがたくさん――」
「やめろ! 吐き気がする。オレの心をそれ以上読んでみろ、ただじゃおかないからな」
「申し訳ございません。心というものは、ひとつの流れでございます。流れを読むのは、わたくしの呼吸。止めようと思って初めて止められるもの……以後、気をつけますわ」
 みそのは控えめに微笑むと、がさがさと危なっかしい足取りで麻里から離れ、静かに屈みこんだ。長い長い黒髪が、黒い河のように土の上を流れた。
 ――何をしてるんだ、あの女……。
 麻里は眉をひそめて、みそのの動向を見守った。彼にとっては、みそのもこの地に降りたとうしている女神も、等しく抹殺すべき存在に過ぎない。だが彼は、少しだけ様子をみることにした。きっと彼女は、この森の中で息を潜めている何かを呼び起こす。彼の勘がそう囁くのだ。

 美原村に流れる霊脈は、環状列石から湧き出て、黄金矩形の如き渦を描き、列石へと戻る。ここが始まりであり終わり。アルファであり、オメガである。
 みそのはそれを感じ取った。この大いなる流れこそが、彼らの願い。
 きっと村の中心で様子を探っている仲間たちは、この列石を見たときに嘆くだろう。慄き、怒るだろう。
 環状列石の中央には、骨と肉が積み上げられている。
 大いなる神への供物である。
 みそのは持てる力のすべてを以って、美原村の流れを堰き止めた。


 そして、麻里はその悪臭に顔を歪めた。


■す んが りら ねぶ■

「タケガミさん!」
 役場の窓が慌しく叩かれた。桐伯だ。彼がこれほど慌てるのも珍しい。
 しかし一樹と一馬は、桐伯に危機を知らされる前に気づいていた。悪臭――花霞曰く、棺の中の臭い――が、急に強くなったのだ。どこから入りこんできているのかわからないほどに、臭いは強烈なものになっていた。
「出るぞ!」
「はいッ!」
 一樹は気になる資料を失敬し、懐に入れた。どのみちこの役場に人が戻ることはない、そんな絶望的な考えが無意識のうちにそうさせたのだ。一馬は、一樹よりも先にバタバタと役場を出た。出るなり、彼は短い叫び声を上げた。

 一馬はあの日から、しつこい悪夢に悩まされている。
 彼は、九尾とともに動く木と戦ったことがある。あの臭いと姿と血を忘れられるものか。やつらは夢となった今でさえ、一馬の心を喰おうとしているのだから。
 ロープのような、角のような、枝のような触手。
 ねばねばとした緑色の唾液兼胃液を垂れ流すいくつもの口。

 それが花霞と支倉の前に居るものだ。
「くせッ! 気持ち悪ッ!」
 支倉は尤もな抗議とともに鼻を覆って、後ずさった。花霞は小さな身体で一歩も退かず、動く木を見上げて睨みつけていた。
「これが、黒い仔山羊だね……! ぜんぜんヤギじゃないよ、こんなの!」
 ヤギはもっとかわいいし、大人しいし、脚は四本だし、
 人を喰ったりしない!
「あいつ!」
 支倉の抗議は怒声に変わった。
 突然現れた――いや、駐車場の砂利から生えてきた樹は、いくつもある口のひとつから骨と髪を吐いたのだ。
 え う
 にちゃにちゃと口を開閉させつつ、木は無数の虫の翅音のような声を出した。
 しゅぶ=にが あ……

 一馬に遅れること約10秒、一樹は役場の駐車場に駆けつけて、どきりとさせられた。動く木に肝を潰されたのではない。ただ、自分がよく知っている女性、今はレイとともにイギリスにいるであろう女の姿を見た気がしたのだ。
 まさか、そんなはずは。
 彼は一度、自分の意志で瞬きをした。
 やはり、見間違いだった。だが、勘違いしたのも無理はない。
 木の前、花霞の横にいるのは、妖狐だったのだ。
 一樹が蒼月支倉という少年と会ったのは初めてではないが、その本性を見たのはこれが初めてだった。
 妖狐は四肢で砂利を踏みしめ、頭を下げた。ぎらりと青い双眸が紅蓮に輝いた。
 爆発音にも似た大音響とともに、のたうつ木に火がついた。
 狐火だ。
 まだ若いようだが、やはり彼女によく似ている――
「武神さん! 見て!!」
 一馬の張り詰めた声が、一樹を束の間の物思いから引き剥がす。
 一馬は、小さな本通りを前にしていた。本通りは、木で埋め尽くされているかのように見えた。
「『さすれば黒きものは汝の前に現れ出で
 吼え猛る千匹の角あるものが大地より蘇らん』」
 呪われたアラブ人の書にあるくだりを諳んじて、桐伯は思わず口元を緩めた。苦笑だった。
「『黒きもの』が降りてきているようには思えませんが……仔山羊は千匹居そうな雰囲気ですね」
 桐伯が『足』たるウニモグを守るようにして糸を繰り出した。仲間の次に失ってはならないものだ。以前の戦いで、清められた鋼糸が木に有効だということは証明されている――どうやら、邪魔も入りそうにない。桐伯は、一見ただ手を振っているだけのように見えた。だが、沈む夕日の光と、駐車場で上がっている焔が、細く強い糸をきらりきらりと照らし出す。
「イマス!」
 しゅりん、
「ウェガイムンコ!」
 しゅりん、
「クァヘルス!」
 しゅりん、
「クセウェファラム!!」
 しゅりぃん!
 うゴおぉおおッ!
 桐伯の赤い瞳が刹那強く輝いた。さきの妖狐の瞳さながらに。
 宙に糸で描かれた魔方陣が現れた。桐伯の焔の視線を浴びて、ぎらりと赤く輝く。桐伯の呪文とその輝きに、木が悲痛な叫び声を上げた。
 そして、その忌まわしい姿はかき消えた。3体ほど巻き込むことが出来たようだが――
「千匹は少し、多すぎますね……」
 しかし、はっきりしたことがある。
 この『イヘェの護符』と呪文は、召喚した黒い女神と仔山羊を送り返すときのみに効果を発揮するものだ。
 桐伯は振り返った。一樹と一馬が駆け寄ってきている。
「かれらは召喚されたものたちです!」
「何だって?! それじゃ、母親も一緒に来てるんじゃないのか?!」
「いいえ、まだ、豊饒の神はこの地に降りてはおりません」
 いつの間にやらみそのが戻ってきていた。彼女のドレスはあちこちが綻んで、電飾もいくつか取れていた。漆黒の髪には、葉や草がついていた。
 やはり、彼女は戻ってきた――だが、それを喜べる状況ではない。
「わたくしが、霊脈を堰きとめております。しばらくの間、神降ろしはかなわないでしょう。かれらはこの地の強い霊脈の流れに溶けて、身を隠していたのです」
「しばらくの間、か。大きな流れを堰きとめるのは危険なことだ。今のうちに神降ろしの媒体を破壊しよう」
 一樹と桐伯はみそのから一馬に目を移した。一馬の顔はすっかり青褪めていたが、ふたりは「大丈夫か」などとは尋ねなかった。きっと一馬は機嫌を損ねるだろう。彼は覚悟の上でここに来ているのだし、力も持っているのだから。
「花霞ちゃんと支倉くん、呼んできます!」
 一馬は駐車場に向かって走――ろうとして急停止し、ウニモグの横に停めてあったシャドウ400にまたがった。
 彼はこのバイクとともに来た。このバイクとともに帰るのだ。
 千本の木は、活きのいい食料を求めて、祈りを捧げながらゆらゆらと集まってきていた。とてもすべてを相手には出来ない。
 え うぅ しゅぶ=にぐ らあ いあ いあ よぐ=そとほ す う うぐ え

 花霞の髪と風が、伸びてきた枝(または触手)を薙ぎ払う。おおおと悲鳴を上げて不器用に木が後ずさる。ひとつとして同じ姿の個体はなく、またひとときたりともひとつの姿を留め置かない。花霞の刃で切り落とされた部位は、すぐに陰気な音を立てて再生した。だが、支倉が繰り出す焔――狐火は嫌っているようだ。燃え尽きはしなかったが、焔の中でやつらはのたうち、母親に助けを求めていた。
「花霞ちゃん、支倉くん! 乗って! モトを絶たないとダメだ!」
 グオッとバイクで乗り込んできた一馬を、妖孤と少女は見た。見るなり、走り出した。支倉の姿は、蒼髪蒼眼の長身な少年へと変化した。彼は一馬の後ろに乗って、手を伸ばす。
「花霞!」
「はなさないでね、哥々!」
 支倉の手を握った花霞の姿は、音もなく一振りの刃になった。手蘭と呼ばれる中華の刀だ。その奇妙で美しい形は、中華ならでは。ヒトの姿をとった彼女の瞳と同じ、青い房がついている。
 しゅりィん!
「OKです、武田さん、出して!」
「俺から手を離しちゃダメだぞ!」
 ふたりから『離すな』と命じられて、支倉は噴き出しそうになった。自分はそんなに頼りないのだろうか。だがきっと、悪い冗談だ。タイミングが悪いだけの、いい冗談だ――
「離さないよ! 離すもんかッ!」
 シャドウ400が咆哮を上げ、スタートした。仔山羊たちの祈祷を切り裂く雄叫びだった。桐伯が駆るウニモグはすでに南へと向かっている。
 じゃリん!
 逃がすものかとばかりに伸びてきた枝を、支倉が『賈花霞』で斬り飛ばした。


■ここより、オメガである■

「すべての仔山羊が召喚されて出て来たわけではないらしい」
 荒れた運転のために揺れに揺れる車内で、一樹は器用にも役場から持ち出してきた資料を読んでいた。桐伯に聞いている余裕があるかどうかはわからないが、一樹はあえて資料から読み取れる事実を話した。
「今月のはじめにゴートウッドを2本譲り受けている。イギリスの――ブリチェスターと――姉妹都市提携をした記念に、だそうだ。調印はこっちで行われた。ブリチェスター町長の代理人がゴートウッドと一緒にこの村に来ている」
「ブリチェスター……?!」
「そうだ、あのブリチェスターだ」
「……?」
 ガタゴトと揺れる車内で首を傾げるみそのに、一樹は気を利かせた。
「いろいろと悪い噂が絶えない町だ。近くのゴーツウッドという村では女神の仔が信仰されてるらしい。仔山羊はそこが原産さ。今頃レイたちが行っているかもな」
 こんな、ブドウ以外に何もない村と姉妹都市提携をした町。
 その町より送り届けられた木と使者。
 現在のこの――惨状。
「!」
 桐伯が急ブレーキをかけ、みそのが軽く声を上げた。彼女は、急ブレーキではなく、ウニモグの前に唐突に現れた仔山羊の集団の流れに驚いたようだ。一樹は資料を落として、「うお」と顔をしかめた。
 桐伯は素早くギアチェンジをし、ウニモグをバックさせた。仔山羊の枝は、フロントガラスの数センチ前を薙いだ。
「さすがに、この道は守りが堅いですね……」
「みその、まだいけるか?!」
「あと10分ほどです」
 みそのの顔色は、いつも以上に白くなっていた。

 グォン、

 カスタムエンジンの唸りがウニモグのすぐ傍で停まる。
「ストーンサークル、この道スか! そうスよね、この道にだけこんなに密集してんですもんね?!」
 一馬はヘルメットを支倉に貸していた。フルフェイスを被り、手には刃物の支倉の姿は、さながら映画に出てくるヤクザまがいの族である。
「そうだ! だが見ての通りだ。あれじゃ蟻も通れやしない!」
「何とかします!」
「お願いします!」
 一馬を信じ、桐伯がギアを1速に戻す。すぐに2速に入れられるよう、チェンジレバーには手をかけたまま。

 ――来い!
 一馬は全身の毛と気が逆立っていくのを感じた。
 これほど強く念じたことはない。地獄からこの霊を呼びつけた後、自分がどうなるかは想像に難くない。多分、昏倒するだろう。みじめに、はかなく、やすらかに。
 ――来るんだ! 『エイブラムス』!

 桐伯は無言で1速に入れていたギアを即座にバックに入れると、一気に10メートル近くウニモグを下げた。地面からまるでゾンビのように這い出てきたのは、装甲が剥がれ、機銃も外れたぼろぼろのM1A2戦車だったのだ。とても動くようには見えないが、もしあの主砲が火を吹いたら――
 ズどォん!
 ――吹いた。
 ズどォん! ズどォん! ズどォん! ズどォん!
 ああ、気が遠くなるほどの衝撃と咆哮だ。
 花霞はびりびりと身体が痺れるような感覚を覚えて、小さく悲鳴を上げた。支倉は、彼女が耳を塞いでいる姿を見たような気がした。

 およそ20の動く木が薙ぎ倒され、森もまたしゅうしゅうと白い煙を上げていたる世界最強と謳われる戦車の霊は、満足したらしい。或いは、呼び出した者が意識を失ったからなのか――戦車の姿は次第に薄れ、最後にはよく見るオーブとなり、消えた。地獄に戻ったわけではなさそうだ。ものに魂があるのなら、きっとあの戦車は『成仏』した。
「蒼月! 武田を!」
「はい!」
 一樹が後部ドアを開け放つ。昏倒した一馬を抱え、支倉はウニモグに乗り込んだ。
 桐伯はようやくギアを1速に入れることが出来た。ウニモグはシャドウ400をその場に残し、若干広くなった道を走り始めた。


■イア、千の仔を孕みし森の黒山羊■

 森の中を走る者がいた。
 動く木たちは彼には手を出さず、時には道を開けもした。
 ――まずい、まずい、
 彼は人間のものとはかけ離れた形の腕で、草木を薙ぎ払いながら走る。ひょっとすると逃げているのかもしれない。信じている神の元くらいしか、彼の逃げ場は残されてはいなかった。
 ――まずいぞ、力ある者がここに来るとは。
 もうじき、神を降ろすための時間がやってくる。やつらもやってくるに違いない。仔山羊を退けるほどの者たちなのだから。やつらの前に環状列石へ行き、北風に顔を向け、然るべき詩を読み上げるのだ。そうすれば自分は救われ、この星は王国の――いや、神のものになる。供物は充分に捧げたし、仔山羊もすくすくと成長し、今では何とか聞き取れるほどに祈祷を上げられるほどだ。霊脈の流れが途切れているのも一時的なものだろう。あの大いなる流れを永遠に堰きとめておけるのは、神をおいて他にない。あってはならないのである。
『随分急いでるな』
 まさか、呼び止められるとは思わなかった。
 今この森の中では、千の仔山羊が闊歩しているのだ。自分を呼び止められる者がいるはずはない――
 彼は振り返って、小さく悲鳴を上げた。
 今しも、仔山羊が一頭、ずたずたに引き裂かれて倒れたところだった。
『汚い木だ。しかも臭い。オレの鼻が曲がっちまった……どうしてくれるんだよ』
 はっきりとした嘲りを含む声は、闇の中。
『おまえが儀式の祭司か?』
 その問いには答えなかったが、彼はごくりと生唾を飲み込み、一歩後ろに下がった。
『ま、いい。どのみちおまえはオレに殺されるんだよ。そんな腐った腕の人間が、普通の人間であるはずないからな!』
 独断と偏見に満ちた死の宣告が成され、
 闇の中で金の双眸が閃き、
 喚き声とともに逃げようとした男の首を、
 サファイアの狼が食い千切った。


 環状列石を前にしてウニモグを飛び出した一行は、揃って歯噛みし、呻き声を上げた。みそのと一馬は車内だ。みそのはすでにその光景を見ていたし、今は見る余裕もない。
 半径10メートルほどの環状列石の中央には、ねばつく緑の液体に溶かされかけた死体の山が築かれていた。人間の死体だけではない。家畜や犬猫、果ては鳥までもが、どろりと溶けて腐敗を始めていた。
 列石のうち大きなものには、比較的綺麗なままの死体がくくりつけられている。
 準備はすでに整っていたのだ。
「ひどい、こんなの……花霞も、見たことないよ……」
「だが俺たちが来なければ、後々世界中がこんな有り様になっていた――今はそう考えようじゃないか」
 そう言う一樹の表情は、石のように固いものだった。
 がさり、
 え う しゅぶ=にが
 周囲から聞こえてくる足音と祈りに、一行の表情がさっと強張った。ありありと怒りの色を浮かべてもいた。
「九尾、関門を塞ごう!」
「ええ!」
「僕たちは車を守ります!」
 一樹と桐伯、兄妹は、別々の方向へと走った。
 走っている者は、彼らだけではなかった。桐伯が、その耳で聞きつけていた。四足の俊敏な獣が、この周辺を走り回っている。
 その音のする方角へと、桐伯は目を向けた。
 赤い瞳が、ただの一瞬、金の瞳を捉えた。
「九尾?」
「――いえ」
 これ以上敵が増えるのはご免だという切実な願いは、届くだろうか。
 桐伯はその考えを振り払い、鋼糸を繰り出した。


■ここより、アルファである■

 IO2が所持する衛星が、山梨県の山間に浮かぶ『イヘェの護符』を記録した。

 この森に鳥と人が戻ってくるのは、いつだろうか。
 森は静まりかえっていた。虫の鳴き声さえ聞こえない。
 一樹が、しずしずと舞うようにして神宝を振る――
「ひ」「ふ」「み」
 崩れた遺体から、音もなく燐の焔が立ち昇る。
「よ」「い」「む」「な」
 あたかも環状列石すべてがぼんやりと光り輝いているかのように見えるほど、光は増え、天へと向かって昇っていく――
「ここ」「たり」

「消えてゆきます……縛りつけられていた流れが……」
 みそのの声はひどく疲れていた。だが、安堵し、満ち足りてもいる。彼女は静かに、傍らで気を失っている一馬に目を落とした。彼女は微笑を浮かべると、一馬の枯れそうなほどに疲れ果てた流れを正した。疲れていたが、そうせずにはいれらなかった。
「ぅあ……?」
 消えゆく燐の焔が顔を照らす。
 一馬はその光で、悟ることが出来た。
 終わったのだ。
「あ、武田さん! 気がつきました?」
 助手席から支倉が心配そうに顔を突き出した。それから、彼は笑ってウニモグの外を指す。車窓の向こうには、シャドウ400。フロントを見れば、ボンネットに花霞が腰掛けて、空へと消える魂を見送っている。
「僕と花霞で運んできました。特別なバイク……なんですよね?」
「あの『ばいく』様、少し怒っておいでですわ。置き去りにされて、『らすとしーん』を見られなかったと」
 支倉とみそのの言葉に、一馬は思わず苦笑した。
「俺、まだ『捕まえ役』には早いのかな……」
「え?」
 訊き返されるも、一馬は答えなかった。淡い白の光が夜空に溶けていく様を、もっとずっと眺めていたかった。


 魂を見送る一樹の横で、さっと桐伯が森に目を向ける。
 一樹も桐伯のその動きに気づいて、彼の視線を追った。
 美しい毛並みの狼が、男の死体をくわえて佇んでいた。近づき難い気を放つ狼だ――無論、この地に生きている獣ではあるまい。日本の狼は死に絶えた。この狼は、別の森から来たものだ。それに、その双眸には見覚えがある。
「来栖――」
 狼は死体を投げ捨てた。
 首を失ったその死体の腕は、筋張って黒ずみ、まるで腐敗しているかのようだった。異様さはそれだけに留まらない。その指はまるで爬虫類か鳥のものであり、長い鈎爪がついていた。
「この方は……女神に祝福されているようですね……」
 シャツの間から見える肌は、白人のもの。桐伯がそう呟いた。
 狼は一樹と桐伯、そしてウニモグを睨みつけた。
 一歩でも誰かが近づけば、飛びかかってきてもおかしくはないほどの敵意を持っていた。
『森を汚しやがって。だから、人間は――』
 それ以上続けるのが馬鹿馬鹿しかったのだろう。
 荒ぶる狼は、森に消えた。

 それまで狼もまた天へと昇る光を見ていたことは、誰も知らない。


(了)

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   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)
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【0173/武神・一樹/男/30/骨董屋『櫻月堂』店長】
【0332/九尾・桐伯/男/27/バーテンダー】
【1388/海原・みその/女/13/深淵の巫女】
【1559/武田・一馬/男/20/大学生】
【1627/来栖・麻里/男/15/『森』の守護者】
【1651/賈・花霞/女/600/小学生】
【1653/蒼月・支倉/男/15/高校生兼プロバスケットボール選手】

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               ライター通信
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 モロクっちです。北海道もついに暑くなってきました。勘弁してほしいです。
 クトゥルフ大イベント第2弾、『女神の祈り【召喚】』をお届けします。
 テンションに任せて一気に書き上げたので分割できない流れになってしまい、かなりの長さになってしまいました。すみません……。【召喚】はこの一本です。皆様、今回はアツいプレイングを有難うございました。美原村は残念な結果となりましたが、広い目で見ると日本全体を救ったことになります。この結果を喜ぶ方はいないかもしれませんが、お疲れ様でした。ブリチェスターが気になる方は【王国】編も合わせてお読み下さいませ。
 それでは、長文になりましたが、この辺で。
 またこういった派手なお話を一緒に作りましょうね。