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<PCシナリオノベル(シングル)>


罪が支払う報酬

 深夜。
 女子中学生でなくとも、女性が一人で出歩く時間帯ではない。
 けれど湖影梦月はてくてくと夜道を歩いていた…両手に下げた大きなバスケットは重たげだが、今はもう中身が空の為、かさばるばかりで重量はない。
「お姉さま達、喜んでくだすって嬉しいですわ〜」
ほのぼのと微笑みを湛え、梦月は湖影四兄弟最強…基、最年長の長姉の元への差し入れが好評だったのに満足気だ。
 日中、仕事に追われて心からの休息を求める紳士淑女に心置きない安らぎを与える為、深夜に営業するクラブに勤める長姉とその同僚への差し入れは殊の外甘い物が喜ばれる。
「肉体労働の疲れには甘い物が一番って皆様喜んで下さいますけど……お姉さまは、サービス業ではなかったかしら〜?」
頬に手を当てて首を傾げると、絹糸の如き黒髪がさらと流れて愛らしさを引き立てる…が、いつも裏口から出入りしている彼女が、肉体労働なサービス業が会員制高級SMクラブ『pearly gates』の女王様である事を知る日は遠い…最も、表から出入りしてもどういうサービス業かを理解出来るかは危うい。
 何故なら。
「人の為に肉体を酷使しなければならない、そんな職が姉上の仕事なのだろう」
と、真実の斜め前、人の良心に近い解釈を与える存在が居る為である。
 寸前まで間違いなくその場になかった手が、ひょいとバスケットを持ち上げた。
 梦月の傍ら、唐突に現れたその人影は黒を基調にした衣服のシンプルさが却ってその長身を際立たせる、彼が彼女を知らなくていい真実に近付けようとしない。
「大変なお仕事なんですのね……」
青年を見上げて感心する梦月の瞳に浮かぶ誇らしさに、何処か…目を逸らし気味に青年は同意した。
「……そうだな、大変だ」
視線は遠い…女王様な長姉、女尊男卑甚だしい長兄、同性愛好者な次兄に愛しまれて、よくもまぁ世の灰汁を知らずに育った…のは生来の素質も強かろうが、嘘ではないけれど、真実より少しずれた場所に軌道を修正し続けたこの青年の功か。
 梦月は霊なる者、人、在らざる者にことさら好かれる。
 どれをとっても悪意あるモノではないが、それは決して彼女を害さない、という意味ではなくそれ等から、また好ましからぬ事態、情報からも護り抜くのが、彼が自らに課した役であった。
 その青年も人間ではない。彼女を守護する鬼、である。
「蘇芳〜」
少し垂れ目がちの目元を愛嬌に、純粋無垢な微笑みを湛えて見上げる大きな瞳に、名を呼び掛けられた鬼は答えようとして…その小柄な身体を抱え上げた。
「蘇芳〜?どうしたんですの〜?」
お姫様だっこではなく、荷物のように小脇に抱えられたのは、かさばるバスケットのせいだが、その淑女に対する無礼極まりない態度に対してそうと聞こえぬ抗議は、蘇芳の人間ばなれした跳躍に後ろに流れた景色、そして寸前まで自分達が立っていた位置にガードレールを突き破った黒い車、そのボンネットから弾かれるような炎を縁取りに人と判ぜる黒衣の男の出現とに忘れ去った。
「うぁちちちちッ!」
当然の感想に、腕を払う、それだけでまとわりつく赤を散じさせぐいと拭った頬に黒い煤をつけた青年は…こちらに気付くと、グー、パーと五指全てに鈍い銀のアクセサリーを着けた手を開閉させてニヤ、と笑った。
 黒革のロングコート、先の激しい動きにも頑固に顔に乗ったままの円いサングラスをちょいと指でずらせば、彩りの乏しい形の中で、奇妙に目を魅く不吉に赤く染まった月の色が現れる。
「よ、梦月に蘇芳じゃん。今幸せ?」
僅かな細さを鋭さ、とも感じさせる目元を笑いに和ませ、知己ではないが既知ではある…青年、ピュン・フーは挨拶代わりにそう問い掛け、笑みを深めた。


「今日和ですわぁ、ピュン・フー様」
「梦月!」
蘇芳が呼び掛けた名に込められた強い制止の響きは、ぴょこんと頭を下げた梦月の頭上を通り越してピュン・フーに直撃した。
「……元気そーで何より。梦月、様、は要らねぇから」
蘇芳の張った大音声に耳を押さえたピュン・フーは、それは丁寧なご挨拶に深々と頭を下げた梦月の前に、コートの裾も気にせずしゃがみ込む。
「しかし何でまだ東京に居んだ?」
お辞儀の下から顔を覗き込まれ、梦月はきょとんと大きな目を瞬かせた。
「お引っ越しはしてませんし〜、私、ずっと東京に居ますわよ〜?」
ピュン・フーの問いの意味が分からぬまま、生真面目に応える梦月に、ピュン・フーはピッと人差し指を向ける。
「まぁ、約束は約束だしな、折角逢えたんだからちゃんと殺……」
言葉の最後まで待たずに繰り出された踵落としを、交差させ頭上に掲げた腕で受け止め、ピュン・フーは足の主を見上げた。
「お前が勝手に現れたんだろうが……!」
どすの効いた蘇芳の低い声に、何故だか笑ってピュン・フーは立ち上がり、親しげに蘇芳の肩に手を置いた、瞬間。
「動くな裏切り者!」
ガードレールを破り、街路樹にぶつかって止まった車、すっかり忘れていた其処から声と銃口とが同時に向けられた…一つはピュン・フーに、もう一つは何故だか蘇芳に。
「お前も『虚無の境界』のメンバーか? その少女から離れろ!」
親しげな様子、一見、同じような黒服…仲間と判断した上、梦月を人質に取ったとしたか、車内、割れたガラスの間から扉を盾に威嚇する男達に、蘇芳は激高の声を上げた。
「こいつと一緒にするな!失敬な!」
「こないだ一緒に茶ァ飲んだだけー」
ちゃうちゃう、と顔の前で手を振ったピュン・フーと、ある意味感情の対比のタイミングもよく益々親しげだ。
 が、意外にあっさりピュン・フーの言を汲み、黒服の男達は、銃口をピュン・フーに集中させた。
「違うのならば早く行け。この場を無かった事にすれば、今後の生活に支障はない」
人の感情を逆撫でする物言いで、更に念入りに警告する。
「そいつは我々の組織に反してテロリストについた裏切り者だ。与するならばお前も処分する」
その緊迫した空気を意に介した風はなく、梦月はとことこと両者の間…銃口の前に立った。
「今日和ですわぁ」
知らない人にもきちんとご挨拶をし、梦月は頭を上げた。
「危ない物は人に向けてはいけませんと、私は教わっていますぅ。それはとても危ないですわよね〜?」
梦月に邪気無く諫められ、黒服達に困惑が生じるが、それを震い落とすように、一人が声を荒げた。
「そいつは人間じゃない。だから其処を退け!」
強い語調に、梦月はビクリと肩を震わせた…罪悪感に気まずげに視線を逸らして続ける。
「組織に反した時点で、ジーン・キャリアのお前の寿命は尽きたも同然だ。それを見苦しく長らえようとする位なら、素直に飼われていればよかったろうに、よりによって『虚無の境界』に与するなど……!」
「ちょっと待て俺かよ?」
さり気に会話の流れと感情の矛先が自分に向けられるのに、ピュン・フーが異論を唱えようとしたのを、振り返った梦月の眼差しが止める。
「ピュン・フー様……寿命とは、どういう事ですの〜…?」
「アイツ等が持ってる薬がねェと、死ぬんだよ、俺。だからくれっておねだりしてんの」
「言葉を選べ」
直積的すぎるピュン・フーの後頭部を、蘇芳がベシリと叩いた。
「お薬……おいくら位でしょう?私の持ち合わせで、足りますかしら〜?」
「何梦月、手伝ってくれんの?」
ポケットから華の刺繍の愛らしい財布を取り出す梦月を、ピュン・フーは面白そうに見る。
「ピュン・フー様はお知り合いですのよ?ですから、お助けするのは当たり前ですわぁ」
何故問われるのかが分からない、と面倒ごとに関わりたくないとか、知らぬフリをするとかが意識に上りさえしない梦月は彼女にとって当然の事として、助力を惜しまぬ気満々である。
「んー、でもなー、梦月のお小遣いで買える値段じゃねーし。基本、支給品だから、非売品なんだよ……そんな事したら俺の命がアブナイし」
別の意味で。
 蘇芳からの冷ややかな殺気が、ピュン・フーの背筋を炙る。
「いつも勝手に盗ってってるからいーんだよ、心配しなくて」
事も無げに言い放つピュン・フーに、梦月はきりっと表情を改めた。
「ピュン・フー様」
屋内であれば、其処にお座りなさい、と続く説教モードである。
「いかなる理由があっても、人様の物を盗むのは良くありませんわ」
ピュン・フーは素直に背を正し、いつもののんびりとした口調ではないだけ、窺い知れる梦月の本気を神妙に拝聴する。
「ですが、お薬がないと死んでしまう方が目の前にいらっしゃるのに無視なさるのはもっと良くない事ですわ」
今度は黒服に矛先が向く…のに、黒服の一人が答えた。
「……戻ってきさえすれば薬に困らなくてもいいのに、それを本人がしようとしない。だからわざわざ薬をやる必要はない、という事だよお嬢ちゃん。判ったら、お家にお帰り」
それ以上、話す必要はない…その意に、黒服は帰路を促し、梦月を避けてずらしていた銃口を再度、ピュン・フーに合わせた。
 梦月がピュン・フーを庇う位置に立っても、胸ほどまでしかない梦月の身長では盾になるも足りない。
 それでも梦月は退こうとせず、財布を両手で差し出すと頭を下げた。
「足りないのは分かっておりますけれど、無理を承知でお願い致します。ひとつだけでよろしいので、お薬、分けて下さい」
 梦月が頭を下げた瞬間、連続して二度届いた鈍い音に訝しく思う間もなく、ひょいと梦月は抱え上げられた。
「すお……ピュン・フー様?」
守護鬼に邪魔をせぬよう、申しつけるつもりが膝裏を掬い上げるように抱き上げたのが、思わぬ人物であったのに首を傾げる。
「一緒に蘇芳が説得してくれててなー、1ケース譲ってくれるってよ」
言うが様、ピュン・フーはその場を逃れるように駆け出す。
「まぁ、そうなんですの〜?待って下さい、御礼を申し上げないと〜」
「後で礼状でも出しとくから、成功を祝して茶でもしばこーぜ」
改めて礼を述べようとする梦月に有無を言わさず、ピュン・フーはそのまま駆けだした。


 気軽に茶をしばこうにも、この時間帯、24時間営業のファミリーレストランも近場にはなく、長姉の勤め先にお邪魔しようという梦月の提案は蘇芳に婉曲に却下され、公園のベンチで自動販売機、に落ち着いた。
 後続に追い付いた蘇芳が説得…という名の当て身、で入手した銀色のアタッシュケースを膝に抱え、安堵に微笑む梦月と、何やら重々しい口調で話す蘇芳の元、人数分の飲み物を手にしたピュン・フーが戻る。
「ピュン・フー様、お薬ですわ〜。これで大丈夫ですわね〜♪」
にっこり笑って差し出されるケースの持ち手を指にひっかけ、甘いミルクティーを差し出したピュン・フーは軽く眉を上げた。
「様はいいっつってんのに……ま、梦月のお陰で助かった。奢っただけじゃ足りねーな」
「よろしいですのよ、困った時はお互い様ですわ〜……あ、でも」
続けかけて言い淀む梦月の前に、ピュン・フーはしゃがみ込む。
「どした?何かおねだりがあるならおにーさんに言ってごらん?ぬいぐるみでもお洋服でも好きな物を買ってあげよー♪」
「……貴様」
蘇芳が動く前に、梦月がはにかむようにねだった。
「どうしても、お嫌でなかったら……やはり様をつけてお呼びしたいですわ〜」
欲など欠片もない…梦月の要求に、ピュン・フーはその場で身を折って笑い出した。
「ピュン・フー様、どうなさいましたの〜?」
突然の事におろおろとする梦月に、蘇芳は無糖コーヒーを口にしながら事も無げに言う。
「……きっと病気の発作だろう。しばらく置いておけば治る」
「笑い茸でも召し上がったのでしょうか〜……?」
ピュン・フーのしつこい笑いがようやく退いたのは、梦月が缶紅茶を半分ほど飲んだあたりだった。
「ホントに普通じゃねーよな、梦月……いいぜ、好きに呼んで。梦月だけ、特別な?」
蘇芳は様付けすんなよ誰がするかという遣り取りに、特別、という言葉に微笑み、梦月は早速ピュン・フーに呼び掛けた。
「ピュン・フー様」
「ん?」
嫌な顔をされず、自然に応じられるのが嬉しく、缶を手の中に包み込む。
「……呼んでみただけですぅ」
えへへと嬉しく笑う梦月の愛らしさ…を堪能する間はなく、ピュン・フーは油断した折に地面に置いたケースの角で脇を突かれた。
「……ッ、蘇芳、てめぇ!」
「突いてみただけだ」
「突くな!」
凶器を奪い取り、吠えるピュン・フーに梦月が思い出して慌てる。
「ピュン・フー様、お薬使わなくて大丈夫ですの〜?発作、収まりましたかしら〜?」
案じて眉を寄せる梦月に、ピュン・フーは少し笑ってケースを開き、並ぶ小さな筒状の注射器、赤く透明な薬剤の色に紅玉のようなそれの内、一本を梦月に差し出した。
「俺、『ジーン・キャリア』っつって、バケモンの遺伝子を後天的に組み込んで爪生えたり皮翼生えたりすんだけど、定期的にこの薬がねーと吸血鬼遺伝子が身体ん中でおいたを始めるんで命がヤバいワケ……笑い茸食った訳じゃねーから」
笑いながら、しっかりと聞いていたポイントを押さえつつ、薬を梦月の掌に落とし込む。
「綺麗な色ですわね〜」
「やるよ。ちなみにジーン・キャリアはこんなコトも出来る」
楽しげな表情を隠すように眼前に手を翳す…無形の何かを握る形に五指の関節を折り曲げた爪が、不意に伸びた。
 厚みを増して、白みに金属質の光を帯びた鉱質の感触は十分な殺傷力を感じさせる。
「……すごいんですのね〜」
梦月の感歎は意表をついた、ようでピュン・フーは固形化した爪を風に散らすように崩して平素の形に戻し、その手で顔を覆うように笑った。
「普通じゃねぇなぁ、ホント」
だが、その評に馴染めぬ梦月は反論しかけ…ふと、先に問う。
「ピュン・フー様って、『ろりこん』なんですの〜?」
ピュン・フーを待つ間、蘇芳に「あいつはロリコンだから近寄るな」と吹き込まれた、真否を直接本人に問う。
「……でも、『ろりこん』ってなんですの?」
主語の意味が分からずに頷く事も出来なかったので、そう称された当人にそのまま聞けば判ると思ったのだ。
「梦月…ッ!」
蘇芳が制止しようとするが、出た言葉は帰らない。
「……よし判った」
一瞬、唖然と表情を失ったピュン・フーは厳かに口調を改めた。
「『ろりこん』というのは『ロリータ・コンプレックス』の略でな。語源は『ロリータ』という映画から来ていて、中年の親父が年端も行かない幼女に惚れ……」
「説明するな貴様!」
真実を告げるにてらいない、ピュン・フーに向かって蘇芳の怒号が公園に響いた。