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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


【鬼の見た夢】

▲オープニング

「ったく、厭な事件ばっかり続くよな――例の産婦人科、今度は二人同時に攫われたらしい」
 縦四ツ折りにした新聞をばさりとテーブルに投げ捨て、草間武彦はうんざりと言った口調で言った。
「良い加減縦折りにして新聞読むの止めて下さい…‥・通勤中のサラリーマンみたい」
 草間が取りあえずは、一頁一頁、丁寧に目を通す男なので。
 その後、再び新聞の装丁に直すのが大変なのだ。
「細かい事ばかり気にするな。どうせ俺くらいしかここで新聞を読む奴なんていないんだから」
「私が読みます」
 放られた新聞を、一枚一枚きっちりと角を揃えながら零がぼそりと返す。全く頓着せぬ風に草間は煙草を一本取りだして、尖端に火を灯した。
「ところでな、それ――どう思う?どこかのゴシップ雑誌にな、"産院に巣くう女の悪霊!"なんて見出しで何度か取り沙汰されてる産婦人科があるんだ。流石に名前は伏せてあるんだが、写真を見る限りそこの事、らしいんだよな」
「悪霊が――子供を攫うんですか?」
 嬰児の行方不明事件が後を絶たない事で巷を騒がせているのは、土生▲ハブ産婦人科医院。今年に入ってから実に八件、一月に一人のペースで嬰児が攫われている。
 一方、ゴシップ誌で扱われている産院は「H」。入院中の妊婦が見た透ける女の話や、輸血パックを啜る女の話などをいかにも怪奇物らしい語り口調で取り扱っていた。ここ二ヶ月程は噂が噂を呼び、その悪霊が子供を攫っている、等と言い出す始末だ。
「もう八人も攫われてるんだろう?どっちにしろ、ウチみたいな所に調査を依頼した方が現実的なのになあ…‥・」
「現実的かどうかは判りませんが」
 いくら外部に警備網を巡らせても、新生児室そのものに警官を配置する事は出来ない。
 それが却って仇となり、厳重な警備の隙間を縫って"面白い様に"嬰児は攫われ続けるらしい。
「――ま、超リアリストなカタブツ共には、ウチみたいな所に頭を下げる事自体"出来ない相談"だよな?」
 紫煙を吐き出しながらの能天気な草間の笑いと、零の乾いた笑いが室内にこだまさせられた時。
 ジリリリリリリリリ…‥・
 けたたましい音で、電話のベルが鳴った。

「…はい。はい。・‥…ああ、心中お察し致します。はい、それでは…草間興信所にお任せ下さい。では。」
 神妙な面持ちで草間が受話器を降ろす。おそらく依頼のそれだろう。零が真剣な面持ちで草間を見上げると―――
 溜息交じりで、草間が言った。

「消える嬰児の謎を追え。――依頼人、土生一郎▲ハブイチロウ…‥・」
 ビンゴ。
 二人は向かい合って、深い溜息を吐いた――

▲土生一郎

 どちらかと言えば、決して感じの悪い男では無かった。
 人の良さそうな笑みで、目尻にはくしゃくしゃとした皴が無数に刻まれる。が、少し動くと首回りの無様に撓んだ肉が皮膚の下で移動し、彼が首を回す事を如何にも億劫そうに見せるのだった。
 調査書には五十五とあったが、汗でつやつやと光っている血色の良い肌を見遣れば四十後半と嘯いても通用する程の、良く言えば"健康そうな"男――土生一郎は、赴いた五人を交互に見遣りながら「いや、どうも」と頭を下げた。
「どうも、いや皆様こんな遠い所まで御足労願ってしまって…いや申し訳ない」
 病院のロビーまで彼らを出迎えた土生は、薄くけば立ち色褪せた水色のハンカチでしきりに汗を拭う。例年よりも遅れた梅雨明けで、都内は粘る灼熱の様な暑さだ。
「こちらこそ…心中お察し申し上げます。お役に立てるかどうかは判りませんが…全力で調査させて頂きたいと思います」
 夏服姿の少女――海原みなもが、沈痛の面持ちで深々と頭を下げる。深い紺碧の髪が肩の上からはらりと零れ、その面持ちを隠した。
「肉と肉の間もきちんと拭ってくれ」
 ロビーに通された時から俄に不機嫌そうに顔を顰めていた黒ずくめの青年、雨宮薫がぼそりと心の内を明かすや否や、シュライン・エマが靴の踵で雨宮の爪先をきつく踏み締めた。
「土生院長、調査に入る前に…‥・いくつか確認して置きたい事がありますので、宜しければ…」
「いやいや、全く以てその通りですな。ああ…と、三輪君。お客様方を私の部屋にお通しするから」
 ロビーはさほど広くは無く、さらに活気と言うものが全く無かった――当然だろう、あれだけの事件を起こし続けている病院なのだから。
 三輪、と呼ばれた看護婦らしき女性が、受付窓口の中から小さく頭を下げて土生に応え、五人の姿を不思議そうに見遣る。
「ええとね、いや、――アレを解決して下さる方々だ。きちんとご協力する様に」
 看護婦――三輪祥子▲ミワサチコは、相変わらずぼんやりとした眼差しで彼らの姿を捉え――そして、ゆっくりと首を傾ぐ様に会釈をした。
「やや、行きましょう。院長室は離れにあります」
 言うが早いか、くるりと踵を返して土生は歩き始める。一堂もそれに続いて、土生の後を歩み始めた。

 ――寒…
 エアコンの噴き出し口の前に差し掛かった時、即座には口にこそ出さなかったが…みなもが天井を見上げた。うっすらと埃のついたそこからは、その埃がひらひらと揺れる程の強風で冷たい風が吐き出されている。
「ちょっと冷えるよな」
 その傍らを歩んでいたのは、立派な体躯を持つ大男――武田隆之。同じく噴きだし口を見上げて、シャツの前をばたばた開閉させている。言葉と行動が全く一致していなかったが、それは一堂が直射日光の下を長時間歩いてここまでやってきた所為であろう。
 寒さ――と言うよりは冷たさ――に強く、真っ先に汗の吹き飛んでしまったみなもですら、噴き出し口の下を通る時にはその目を細めた。
「妊婦サンにゃ、これって良く無いんじゃ無ェかな…」
 ぼそりと言葉を継いだ武田の横で、みなもが躊躇いがちに、それでもはっきりと――頷いた。

▲土生産婦人科医院

 土生の言葉通り、ロビーのある棟と院長室は小さな庭を隔ててその隣に有った。
 庭と言っても、錆びた自転車やら物干し竿やらが隅に打ち捨てられたままの、所謂廃材置き場だ。
 夏の日差しを一身に受け逞しく育った雑草の茎は太く、生ぬるく吹き上げる風にさわさわと葉を鳴らす。
「こちらです、いや、生き返る…‥・」
 薄暗い廊下を渡り、通された院長室はやはり空調が強すぎて――みなもが武田をちらりと見遣った。
「こちらの棟には私の部屋と、当直の医師や看護婦の宿直室やらがあります――いや、どうぞお座り下さい」
 土生は再度噴き出した汗を丁寧に拭いながら客人用の柔らかなソファを四人に勧め、自分は奥の執務机にどかりと腰を下ろす。
 噴き出し口の真下に、院長の机はあった。
 一堂も院長に倣い、まちまちにソファへと腰を下ろす。
「――院長、早速ですが…‥・現在院内にいる全ての患者さんと看護婦さん、それに医師の方々をご説明願えますか?」
 傍らに置いたバッグの中から薄いストールを取りだし、その肩に羽織ってからエマが問う。ご尤もだ、等とそれに返しながら院長は引き出しの中から薄いカルテの束を取りだし、一番近い場所に腰を下ろしていた雨宮に手渡した。
「そこにもありますが、今朝方運ばれた女性とそのお子さん――流石にここの事は新聞やら雑誌やらで見聞があったらしくて、実際に出産するまでかなり暴れられちゃいましたが…まあ今はそこの親子と、それに私ら夫婦…あとは、さっきいた看護婦の三輪君だけ、ですな」
 土生が告げる名前を手早く手帳にメモ取りしつつ、みなもが小さく頷く。暑さ寒さを感じないのか、一人平然とした様子で室内を観察していた雨宮がぼそりと独り言の様に呟いた。
「最近攫われた二人の親は?」
「昨日のうちに、点滴をしながら隣町の病院に転院していきました。いや、双子の小さな女の子だったんですが…可哀想な事をしました」
 土生が大きな溜息を吐けば、院長室に重苦しい沈黙が流れる。
 それに耐えられずに、がりがりとこめかみを掻きながら武田が口を開いた。
「他に、看護婦サンやセンセイ達はいないんですかね?さっきの、ほら…三輪サンっての以外に」
「他の看護婦や医師は、事件の度に病院を離れていきました――失礼いたします。どうぞ」
 と、武田の問いに応えた声は一堂の背後から――その三輪祥子が、小さなトレイに五人分のグラスを携えながら紡いだ。
 薄いカーディガンを羽織り、厚手のストッキングの上から靴下を履いている。その姿を見たエマが、お気遣い無く、と言いながらストールの合わせを直した。
 各々の前に、細かい霧の様な水滴を付けた茶のグラスが置かれる。自らの前に祥子が手を伸ばした時に、みなもが小さく声を漏らす。
「あ、痛そう――」
 その言葉に一堂が、みなもの視線の向かう先を見遣る。それは祥子の右手の先で――それは痛々しい程の深づめに尖端がうっすらと桜色になっている様子であった。
「・‥…赤ちゃんに傷を付けてしまうといけないから、小まめに切ってるんです。些細な感触も伝わりやすくなるし――」
「成程…やっぱり大変なんですね、看護婦さんって…‥・」
 祥子の言葉に、最もらしくみなもが言葉を返す。やんわりと、緩やかな笑みをみなもに返してから、祥子は静かに院長室を後にして行った。
「・‥…今はやっと落ち着いてきた様ですが…昨日の朝方、例の双子がいない事を発見したのは三輪君だったんですよ。いや、新生児室の中でわんわん泣いとりましてな…他の子達がその声にびっくりして、泣くに泣けなかった位に」
 ふむ…‥・雨宮が、顎に手を当てながら扉を見遣った。だとしたら、先ほどロビーで見かけた時の放心の面持ちにも合点が行くだろう。
「彼女はもう、ここにお勤めを始めてから長いのですか?」
 その雨宮から受け取ったカルテに一通り目を通しながらエマが言った。院長はグラスの中身をずずず、と音を立てながら半分程まで飲み干してから、
「そうですなあ…‥・もう、三年程にもなりますか…こう言った病院には、長く入院される患者さんがおらん代わりに、短くとも半年は通わにゃならんですよ、妊婦さんは。初産の方なんかにもね、彼女はとても優しく出産を指導して差し上げるんで評判が良いです。去年、彼女も産休を取ったから…先輩、みたいな気分なんでしょうな」
 実際、最後に残ってくれた看護婦は彼女だけだと言う信頼もあるのだろう。土生はうんうんと頷きながらグラスの中の残りを煽り、そしてから、死産の時なんかもねぇ――と、一人ごちる。
「どう有っても、今の医学じゃ死産なんてのも――免れない訳です。いやその…いろいろ有ってね」
 煙草吸っても良いですかね、と、机の上の灰皿を引き寄せながら土生は言葉尻を切る。それに便乗して武田が背なを伸ばし、己も煙草の箱を胸ポケットから取りだそうとした、が。
 みなもとエマ、女性陣二人の目配せを視界の端に留めてしまい、再び両手の拳を膝の上に置く。
 当然だ。
 ここは、産婦人科病院なのだから。
「――いろいろ、と言われますと?」
 だが、そんな仕草の隙も見せずにエマが土生に向かって首を傾ぐ。どうぞ、と言った意味合いも込めて。
 ふん、と雨宮が鼻を鳴らすが、既に彼を窘める者はいなかった。
「いや、・‥…まあ、あれですな。有り体に言ってしまえば、"奇形児"とでも言うのでしょうか…」
 土生の話に寄れば。
 一般的に死産だと言われている嬰児の中で、「無脳症」と言う奇形がを持つ嬰児が占める割合はかなり高いのだと言う。
 無脳症とは、読んで字の如く「脳が無い」事を指し、本来頭骨の中に収まっているべき脳髄が欠乏・欠如している状態の症状の事だ。
「いざ取り上げてみるまで、それは判らんのですよ――まあ、こんな地域の小さな産院でなく、大きな大学病院なんかで妊検を受けていれば別でしょうが」
 無事に産道を通過しこの世に産まれ出でる事のできた無脳症の嬰児は、脳髄がそっくりそのまま無い事で柔らかな頭骨が陥没し、目だけがぎょろりと大きな――世にもけったいな顔をして、引攣った様な苦しげな産声を上げて産まれてくる。
 その容姿や声が転じて、別名カエル病などと言われる事もあるらしい。
「そんな・‥…非道い」
 ぐっと俯いてしまったみなもが、ぽつりと言う。エマでさえ、悲痛な面持ちで土生を見上げ――ただその話に耳を傾けていた。
「まあ、そんな姿で産まれて来る訳です。毎日少しずつ準備を重ねて、自分のお腹を痛めて産んだ子供がですよ、いざ対面したらカエルみたいな顔の奇形児だった――それが原因で、心を病んでしまうお母さんも多い。だからね」
 折るんですよ。
 首の骨を。
「――は?」
 武田が頓狂な声を挙げ、土生を見る。その言葉の意図を真っ先に汲んだ雨宮が、僅かに俯き口許を掌で覆った。
「――折るんですよ。産声を上げる前に、子供の首をね」
「どうして」
「いや何と言っても、脳がそっくりそのまま無い訳ですからな…長くは生きられんのですわ。せいぜい五、六時間――出産直前の、身も心も昂ぶって疲弊しているお母さんに、そんな"我が子"は見せられない」
「‥・‥…」
 今年は蝉の声が小さいな、と。脳裏に武田が思った。
 そんなすごい話を聞かされてる最中にでも、耳は外部の音を拾い集め、その距離を自分に教える。
 咽喉は渇くし、煙草を欲するし、普段なら腹も減れば眠たくもなるだろう。
 それらの感覚や思考を司っている脳髄が、まるっきり空っぽな状態で産まれてくる子供…‥・。
「……‥・」
 その瞬間武田は、到達してはいけない疑問まで辿着いてしまった事を悟り、戦慄した。
 非道く、煙草が吸いたいと思った。
「でも…、それでも、・‥…あたしだったら…赤ちゃんに会いたい…」
「わかりますよ、お嬢さん。でも、全ての妊婦さんがあなた程強い訳じゃないって事です」
 エマは考え深そうに黙り込む。室温の所為か否か、ストールでその首筋を丁寧に包みながら。
 と、その時、雨宮が口を開く。
 武田が辿着き、考える事すら厭うた疑問だった。
「それは――果たして、"生き物"なのか?」
「――ッ雨宮さん!」
 堪らず、みなもが叫んだ。
「だってそうだろう。動物はコミュニケーションを計る。ほ乳類以外の昆虫や軟体類だってそうだろう。それは触れ合いであったり、語りあいであったり、諍いからだって生き物は何らかのコミュニケーションを取り、自我を形成していく」
「・‥…」
「だが、その"自我"すら処理できないモノは――それは、生き物なのか?」
「――ひどい、です…」
 やれやれ、と言った風に武田が大仰な溜息を吐き――土生はどうした物かとしきりに紫煙を吐き出している。
 その中、ただ一人エマは動かず、なおも考え込む風な姿勢のままで俯いていた。
 ―――聴いて、いたのだ。
 扉の向こう、微々に感じた女の―――息遣いを。
 
▲草間興信所

 数刻ほど遡り、草間興信所である。
「ふぅん。・‥…ま、ボクを動かしたいなら、それ相応の対価は支払って貰わないとねェ…‥・」
 土生産婦人科医院からの依頼を目の前の子供(ガキ)――瀬川蓮に口走った事を、草間が後悔していた頃の事であった。
 なまじ…いや、かなりの戦力だと見込んで打ち明けた手前、少年の態度に草間がぐったりと机に突っ伏す。
「頼むよー…こうして偶然ココに来たんだって何かの縁だと思ってさー…」
「いつもみたいなチンケな支払いじゃ困るもん。ボクだって頑張って生きてるんだよォ、この広い東京でさ?身寄りも血縁も無いで」
「うわあ。言いやがるなこのガキ」
「まあまあ、草間さん…落ち着いて」
 あまりにレベルの低い言い合い(と言うか草間)に、零が堪らず助け船を出す。態とらしく蓮に煙草の煙を噴き掛ける草間から蓮を庇う風に身体を割り込ませて、その手に土生産婦人科医院までの道のりを書いた紙片を握らせた。
「今ごろ、もう皆は向こうに到着している頃だと思うの。あなたの気が向いたらで良いから、行ってあげて?」
 その紙片に、蓮は一通り目を通し――ピン、と爪先で弾く。
「――知ってるよ場所くらい。馬鹿にしないでくれる」
「じゃあ…‥・」
 その言葉に、零の顔がぱ、と明るくなる。蓮はのろのろと立ち上がり、その低い視点から草間をちら、と睨め付ける。
「そのオジサン、ボク嫌ァい。だからまだ行くなんて言って無いよ」
「オ、ジ、サ、ン…‥・?」
 ぎりり、と蓮を睨み挙げる草間の額に、零は手に捉えていたトレイをガツリと食らわせる。撃沈された草間は弛緩した上体を机の上に預け、今度は零の後頭部を恨めしげに睨み挙げていた。
 そして立ち去っていく華奢な背中を見送りながら、はふ、と零が溜息を漏らす。
「―――やっぱり、手伝ってくれないのかな…」
「何言ってんだお前」
 現場の誰かに連絡を取って置こうと自慢の黒電話に手を伸ばした草間が、零の言葉を継ぐ。そして思い出した――東京の離れ小島とも呼ばれる土生産婦人科医院の周辺には、携帯電話の電波など届く由が無い子とを。
「行かないとも言わなかっただろうあのガキ。・‥…あいつはそういう奴だ」

▲新生児室

「――駄目だな。何も映しゃしねぇ」
 咥え煙草の武田が――火の付いていないそれを咥えながら院内を闊歩する事を許されたらしい――が、安心した様な残念な様な複雑な面持ちでぼやく。
 四人が新生児室の中へ立ち入る事は、祥子が堅く拒否した――曰く、整えられた空調と殺菌設備の意味が無くなるから。授乳と検温の時以外は、看護婦ですらむやみに立ち入る事は無いらしい。
 映した五枚のポラロイド写真を一堂は順に目を通して行き――そして再び武田に返して行く。
「ポラとは思えない良い出来だ――と褒めたい所だが、何の役にも立たないな」
 素っ気無く雨宮が言う言葉に、はいはいスンマセン、と武田が苦笑した。
「役に立たないなんて、そんな事無いです。だって武田さんの写真に写らなかったって事は…」
「やっぱり霊障じゃ無い可能性の方が高い、って事よね―――」
 独り言の様に呟くエマが、しきりに"何か"を気にしている様な気がして、みなもが目を瞬かせる。が――そのみなもの様子に気がついたのだろう、何?と言う風にエマが首を傾げて見せた。
「攫われる子供に共通点は無いのか?」
「血液型だけは、ここに来る前にネットと雑誌で調べてみました。産まれたての赤ちゃんは血液型検査なんかもまだしてなくて、本当の所は判らないそうなのですが――父親と母親の血液型から察するに、A型が三人、O型が二人に、B型が二人。全然違う上に、今月の子達のは…まだ判りません」
「内訳は、男児が一人、女児が六人。一昨日の双子が女児だったから、女児は計八人か」
 新生児室の前で一堂は室内の様子を見遣る。中には、今日の明け方産まれたのだと言う小さな命が――プラスチックのケースの中で、すやすやと眠っているのだった。
「・‥…もう大丈夫だからね…」
 みなもがガラスに両手を突き、眠っている嬰児にそっと言葉を紡ぐ。
 その時、エマが後方――真白な廊下の角に視線を飛ばした。
「――ああ」
 柔らかに靴の軋む音が響き、そこから顔を覘かせたのは。
 両手にシーツやタオル、それに授乳瓶を抱えた祥子だった。
「そろそろ、授乳の時間なんです。・‥…御覧になりますか?」
 祥子はやわり、と笑んで四人に問う。
 新生児室に立ち入るが故か、カーディガンは羽織ってはいなかった。
「見ても、良いんですか?」
「勿論」
 病的なまでに白く、ナース服の袖と溶け入ってしまいそうな指先が扉を開き、祥子一人がその中へと入って行く。みなもが食い入るようにその様子を見守り、その後で武田と雨宮が僅か照れ臭そうに視線を彷徨わせていた。
「――彼女、………」
 エマが口を開く。ガラスの向こうで生まれたての嬰児をそっと抱きかかえ、起こしてしまった事でおそらく泣いているのだろう――その声はガラスが阻んで聞えなかった――それをあやしている。
「・‥…気付いた?ずっといたの」
「ずっと?」
「院長室で私達が土生さんと話をしている間も・‥…今も。扉や壁の影に隠れて、ずっと私達の話を聴いてたわ」
 一堂の間に、僅かな緊張が走る。が――表向き、その表情は変わらず和やかであり…照れた風な面持ちのままで。
「―――それで?」
「・‥…結論から言うと、…子供達の生存は絶望的、と考えて良いと思う」
 顔色一つ変えぬ微笑のままで、エマはその言葉を口にする――心が引き裂かれる様なその言葉を。
「雨宮君が言ったでしょう。"それは生き物なのか"…って」
 緩やかに頷いた雨宮の前、ガラスに手を付いていたみなもが振り返る。
 ガラスの向こうからは伺えぬ様、そのままで――切なげに眉を寄せ、きゅ…拳を握り締めた。
「―――笑ったのよ。彼女。自分でも気付いて無かったかもしれないけれど…表情の変化なんて、息遣いで判るわ」
 一堂は尚も、新生児室のガラスの向こうで繰り広げられる微笑ましい光景に穏やかな面持ちで見入り――そして、その小さな部屋から出てきた祥子にその視線を移行させた。
「三輪さん、今度はあなたの話を伺っても良いかしら?」

▲三輪祥子

 相変わらず凍える様な低さの室温、三輪は躊躇う事無く空調の設定温度を上げた。
 以外にあっさりと会話を承諾した祥子に、四人は些か面食らったまま――すぐ隣のナースステーションへと通される。
「こうして自衛しないと、体調を崩してしまいますから」
 極度の暑がりである土生院長夏の間は、自分の勤務時間ほぼ全ての場所の――新生児室のみは例外、だが――空調を最低温度にまで引き下げるのだと言う。
 入院する者も通院する者も、それにクレームを言う程の時間をここで過ごさない。寒がりの医師と看護婦だけが、それに影で文句を言っていたらしい。
「他人の事なんてお構いなしな人なんです――そう思われませんでしたか?」
 そう言われてみれば、と。
 一般人なら兎も角、産婦人科の医師が女性の前で憚る事なく喫煙するなど、冷静に考えれば有りえない事では無いか。
 相手の慣れ・不慣れの問題ではない。それは嗜みの問題である。
「そういう人なんです。本当はちっとも、いなくなった嬰児の事や親御さん達の事なんて気に掛けていない。我が侭で、横柄で、女性を商売の道具としか見てない――あの人は、そんな人です」
 透ける様に白く細い腕には、蒼い欠陥が浮かび上がっていた。
 視線は、新生児室の扉へ。祥子はぼんやりと、焦点の定まらない眼差しで告げる。
「――柔らかいんですよ、赤ちゃんって――ほっぺたも、二の腕も――腿も」
 唐突に告げられた言葉の意図が汲めずに、一堂は嬰児から祥子へと視線を移行させた。
 エマ、だけが。
 強く口唇を噛み締め、深く俯いていた。
「最初はね――?我慢してたんです…‥・だって頭なんて、食べる所が無いと思ってたから」
 あんな部分、飾りでしょう?
 ふふ。
 高い、鈴を転がす様な声音、女の。
 それを耳にした時、武田の背中に冷たいものが…走った。
 女は笑いながらガラスに手を伸ばして、桜色に染まっている深爪の指先で触れ――何かを鷲掴みにする様に、ゆっくりと…握り締める。
 その手指を間近に見遣れば、視界に留める事も出来ただろうか。
 深く切った爪の端、その溝で。
 今なお付着していた、うっすらとした血液の塊を。
「あ…あんた…‥・もしかして、」
 咽喉の奥から搾り出す様に、呟く。
「ああいうの…あそこで眠ってるみたいなのを、あんた、・‥…食ったのか?」
 肌が粟立つ。
 その後で襲った激しい悪寒に、みなもが堪らず口許を両手で押さえた。
「・‥…うそ」
 女――祥子の笑みは俄に高いものとなって、ナースステーションに響き渡る。
 さも可笑しくて堪らない、と言った風に祥子は尚も笑い続け、そして――四人を振り返る。
「何の事ですか…‥・?」
「バカな事聴くのやめなよオジサン――ボク恥ずかしいよ」
 と。
 ナースステーションの入り口から、まだ幼い少年の声が響かせられた。
「言葉はヒトとヒトとのコミュニケーションに使うモノだよ?もう"ソレ"は、ヒトじゃ無いんだからさァ」
 どんな感情もすら汲み取れぬ冴えた面持ちで、祥子は少年――瀬川蓮を見つめた。

▲ナースステーション

 手が焼ける、とばかりに仰々しい溜息を吐いた後で、蓮はずかずかとナースステーションの中へ歩を進めた。
「っしょ」
 小さな掛け声と共に、祥子の目の前――机の上そのものへと腰を下ろす。
「ゴメンね?ボク見下ろされるの嫌いなの」
 唖然とする四人の眼差しを一手に受けて、ぴっと額に手を当て敬礼のポーズ。
「草間のオジサンとこから来ました、瀬川蓮君です。オジサンとオバサン達が困ってるから助けてやって欲しいって言われましたァ」
「オジサン…‥・」
「オバサン…‥・」
 一堂が同時に、各々の心の内を吐露する。
 ただ一人、祥子だけが――冷静に蓮を見上げていた。

 机の上であぐらをかいて、蓮は祥子をちらと見下ろす。にこりともしないその面持ちは、年相応の子供の表情では無く――ここに至り始めて祥子が動揺の色を示す事となった。
「で、何だっけ…‥・祥子オバサンだっけ?とりあえず、オバサンが堕ろしちゃった子はもう戻って来ないから。そゆコトしても無駄ー…趣味と実益の、趣味の部分しか残らなくなっちゃうけど」
 名指しで、そう言われれば。ひくりとその頬が痙攣する。
「・‥…坊や、何が言いたいの?」
 が、精一杯の虚勢も虚しく――蓮は、新生児室の中で何も知らずに眠っている嬰児を見遣り、告げる。
「別に。アレ、確かに美味しそうだもんねェ」
「――お前までそんな事――ッ」
「まァまァ…‥・てかさ、もう帰ろうよ。ここ寒いし、お腹壊しそう」
 そして勢い良く机の上から飛び跳ねると、蓮はひらりとガラスの向こう、嬰児に向かって手を振った。そのまま祥子へ向き直り、にっこりと――拈華微笑を浮かべ、呟く。
「でも、気を付けた方が良いと思うよ?手当たり次第に落ちてるモノを食べたら食あたり起こすでしょ?例えば、んん――そうそう、三月にここで攫われちゃった赤ちゃん!」
 息を詰めて、女は二の句を待つ。
 三月に、と限定されて言葉を紡がれれば、本人にとってはまだ記憶に新しい嬰児の姿が脳裏に浮かぶのか。
 今は既に真白になった深爪の指先で、知らず祥子は自身の膝をゆっくりと掻いていた。
「あの子のお母さんね、すぐ後に自殺未遂事件を起こしたのは知ってるでしょう?その時に血液の適性を見たんだけど、何か病気が見つかったらしいんだー」
 蓮は四人をもう一度促す。
 行こう、と。
「どうして、あんたが…‥・そんな事知ってるの?」
 未だ現実味を持てない会話の流れを敢えて寸断してしまう様に、エマが震える声で蓮に問う。
「ん?それはァ…その検査をしたお医者さんが、ボクの知り合いだから…って事で、理解してくれる?」

 一堂は立ち上がっている。今一度と新生児室を振り返り、祥子に哀れみの眼差しを送って。
「・‥…嘘よ」
「嘘なもんか」
「きちんと妊検で調べるもの」
「そんなのボク知らないよ。それに、」
 "そういう"心配が無いんだったら、そこまで気にする事無いじゃないさ?
「・‥…―――」
 少年が笑う。
 俄な狂気を匂わせる程に。
 それは過ぎる程に純粋で、いかにも楽しそうで――残虐だった。
「待って」
 女が膝を握り締める、薄い爪先の皮膚が激痛を与えるが、それでも女は握り込める事をやめない。
「待ってよ」
 女の爪先から、うっすらと朱が滲んでナース服の裾を汚した。それでも女は、指先に込めた力を緩める事をしない。
 雨宮が最後に、うな垂れた祥子の細い肩を見遣り―――
 後には、ぐったりと上体を弛緩させた、見窄らしい女の背中だけが、夕日に晒されていた。

▲再び、草間興信所

「どうせあそこの下らない医者がやった検査でしょう?そんなの信用する方がバカなんだよ」
 あの時見せた無垢に過ぎる笑みを全く匂わせない、大人びた、大人びすぎてしまったかの様な眼差しで窓の外を見つめながら、蓮が呟いた。
 草間興信所、夜とは言え煌々と明かりが灯されている。
「あの深爪は――」
 その先を紡ぐ事の出来ぬみなもが、膝の上でぎゅっと両手を握りしめながら溜息を吐く。
 その言葉尻を継ぐ様に、雨宮が淡々とした口調で続けた。
「爪の間に入り込んだ血はなかなか落とせない。警察は誰も調べなかっただろうが、おそらく嬰児が攫われた後は必ずああだった筈だ」
「…‥…」
「最初は、・‥…"処理"された子供ばかりを狙っていたから…事件が表沙汰にならなかっただけらしいんだな。今年に入って生きた子供を狙う様になったのは――」
「自分の子供を、堕ろしたから?」
「そう」
 夏の間に身体を冷やしてしまった事こそが流産の原因であると、祥子はそう信じ込んでいた。その発端は土生一郎、冷えすぎる院内の空調の所為だと。
 それと同時に、些か貧血気味の自分の身体を呪う事となった。
 もっと栄養を取らなくては、もっと血肉を蓄えなくてはと。
 彼女は"食"に激しい執着を持ち始める様になるが、人には体質と言うモノがある。
「ちっとも太れないジレンマがエスカレートして、あんな事になったって――?」
 一堂はその心理状態に頭を悩ませ、暫しの沈黙が流れるが―――
「厭だなあ。どうしてそう大人って、物事にシリアスな理由ばっか付けたがるんだろう」
 あっけらかんと、蓮がぼやいた。
「あのヒトはヒトじゃ無いって言ったでしょー?鬼なのっ。何だかんだ理由を付けたって、後付けの想像したって、あのヒトは食べたくて赤ちゃんを食べてたのっ。・‥…それだけ」
「・‥…鬼、か」
 ぼそり、雨宮が口を開く。細く開けた窓の隙間から、武田と草間の吐く紫煙がゆっくりと吸い出されて行くのを見ていた。
「…結局俺ら、何しにあそこに行ったんだ?」
 ソファに深く身体を預けて、上に上に立昇る煙を武田は見上げている。
「――後味の良く無い事件だったわね」
「でも、・‥…解決は、しました」
 みなもが俯いたまま、きっぱりと――言い放つ。

 それぞれが、それぞれの思いを込めて。
 なかなか帰宅の口火を切る事が出来ずに、いつまでも草間興信所に留まっていた。


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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0086/シュライン・エマ/女/26/翻訳家&幽霊作家+時々草間興信所でバイト
1466/武田・隆之   /男/35/カメラマン
1790/瀬川・蓮/男  /13/ストリートキッド(デビルサモナー)
0112/雨宮・薫    /男/18/陰陽師。普段は学生(高校生)
1252/海原・みなも  /女/13/中学生


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■         ライター通信          ■
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こんにちは、森田桃子です。
「鬼の見た夢」をお届け致します。

未だ拙い描写ばかりでお恥ずかしい限りですが、
少しでもお気に召して頂ければ幸いです。

ご意見やご感想など、次回の作品への励みになりますので
どうかお気軽にお寄せ下さいませ。
不慣れな不束者ですが、皆様、どうぞこれからも宜しくお願い致します。
この度は本当に有り難うございました。

担当:森田桃子