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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


東京大捜索

【オープニング】

「探して…欲しいんです」
 そう言って女性は、おずおずとテーブルの上に小さな包みを差し出した。
「我が家の家宝で、父が――とても大切にしていたものです」
 ぽつりぽつりと言いながら吉子は、その包みを丁寧に開いていく。
 中から現れたのは、おそらく刀の柄に当たる部分と――鍔。
 解され、刀身の無いままで。

 女性は、羽柴吉子【ハシバキッコ】と名乗った。
 両親には早々に先立たれ、遺された大きな邸に一人で暮らしていると言う。
 昨夜遅くに勤めを終え帰宅すると、邸の一番奥間の窓が大きく開け放たれていた。

 引き裂かれて、ひらひらと風に舞う障子の切れ端を追う様に。
 見遣った先には、家宝である兼光の、柄と鍔、それに鞘だけが――残されていたのだった。
 呆然と立ち竦む吉子の足下に、小さく畳まれた白い和紙。

『あの日の恨みと共に
 此と同化図らん
 次ぎの新月迄に
 我が在り処求められよ』

「晩年、父は全てを無くしました…残されたのはこの刀だけ。それを奪われてしまっては、もう――」
 吉子は言葉を詰まらせ、目尻にうっすらと涙を浮かべながら俯いてしまう。

「―――羽柴、って。…あの羽柴、だよなあ…」
 吉子は、何度も頭を下げながら帰っていった。
 刀身を除く"兼光"の全てをここ、草間興信所に置き去って。
「だとしたら、相当恨みを買ってそうですよね…」
 刀身の側、半径五キロ以内ならば共鳴を始めるからと。
「これを手掛かりに、―――この広い東京を大捜索――ってね…」

 依頼主、羽柴吉子。
 依頼内容――次の新月迄に、奪われた名刀・兼光の刀身、もしくはその持ち主を探し当てる事。

「下手な鉄砲も数打ちゃ当たるって言うだろう。明日以降動ける奴等に、片っ端から連絡を取るぞ」

【イヴ・ソマリア(達)の場合】

「任せて、何人くらい必要なの?」
 水気を含んだ紺碧の髪を柔らかく拭き上げながら、肩と顎で受話器を挟み。
 翠色の瞳を持つ少女が事も無げに、その誘いを快諾した。
「ん…‥・んん、そうね〜、そんなわざわざ"自分を見つけて!"みたいなメモを置いていく様なヤツだったら、心当たりって所を探してみるので充分だと思うわ」
 テレビのリモコンを手繰り寄せ、適当にチャンネルを回して行く。
 ブラウン管の中でにっこりと笑っているアイドルと、ふと目が合い。
「やっぱり可愛いわよねぇ…って、ウウンこっちの話。それでね、」
 ひらり、少女が手を振る。と、まるでそれを察したかの様に、ブラウン管の中のアイドルもこちらへ向かって手を振る。
 その面持ちは、どこを違える事も無く――ソファによいしょ、と腰を下ろし、冷蔵庫から取りだしてきたオレンジジュースをこくんと嚥下している少女と同一の顔、であった。
 当然だ。
 今、この番組の生放送で微笑みながら唄を唄っているのも。
 オレンジジュースの入ったグラスを指先に捉え、電話口に向かって思案げな声音を発しているのも。
 今や押しも押されぬ超人気を誇るアイドル、イヴ・ソマリア…本人、なのだから。
「大丈夫、百人くらいいれば何とかなるで…‥・ああ、そんなに要らない?あぁそう〜?」
 いかにも残念だと言う様にイヴは肩を竦め、ソファに深く凭れてから再び髪を拭く。
「羽柴って言えば秀吉よね?あまり江戸と縁のあった人じゃ無かったみたいだけど…‥・まあ良いわ。わたし、明日そっちに直接行くから。その時にでも詳しい話を聴かせて?」

【海原みなもの場合】

「それは・‥…盗難、ですよね?」
 パジャマに着替えそろそろ床に就こうかと思っていた矢先、携帯電話の液晶に照らし映されたのは"草間興信所"の文字。
 ここから電話が掛かって来る時は、当然の事ながら――明るい話題は無い。些か緊張の面持ちで受話器を耳に当てた。
「相手がどんな人であろうと、依頼人さんが困っていらっしゃるのですからお手伝いしたいと思います」
 とは、言ったものの。
 艶やかな碧い髪の先を指で弄くりながら呟く少女――海原みなもには、「羽柴」とやらも「兼光」とやらも、その言葉の響きに全く思い当たる節が無い。羽柴とは、歴史上の人物・豊臣秀吉の別姓でもあるのだと電話口で説明され、ああ!と非道く納得した様に大きな声を上げ。
「じゃあ、日光東照宮と関係がありますか?」
 自信有りげに問い返した時、電話口の向こうを束の間の沈黙が支配した。
 電話の主――草間武彦が、素晴らしく噛み砕いた口調で説明する事には。
 おそらく"羽柴吉子"は、豊臣秀吉に由緑ある血縁の女性であるのだろうと言う事。
 と言うのも兼光とは、秀吉がその昔、上杉景勝と言う武将から召し上げた名刀の名である為だと言う事。
 そして今、その兼光は。
「…行方不明、ですか」
 時代の寵児・秀吉が大阪城を追われた際、徳川家康が血眼になって大阪城を探し回ったと言うが…一向に兼光は見つからず、現在に至るまでその姿は誰も見ぬまま、と言う事らしい。
「え、でも…その依頼主さんは、兼光さんの部品をお持ちになったんですよね?」
 刀だと判っているのに"さん"を付けてしまう自分がおかしい。
 が、受話器の向こうで大仰に響かされる溜息、に…‥・みなもは観念したと言う風にゆっくりと頷き。
「・‥…下手な鉄砲の弾になります…」
 明日の出向を、約束したのであった。

【草間興信所にて】

 赴いた二人を迎え入れたのは、目の下に真っ青な隈を造り上げた草間とその妹――零だった。
 煙草の煙を吐き出す仕草にいつにも増して覇気の感じられない草間の横を擦り抜けて、零さえもが焦点の合わない眼差しでキッチンへ向かっていく。
「まあ――座ってくれ…‥・」
 言いながら、草間はばさり、どさりと。
 テーブルの上に分厚い資料と灰皿を順に並べた。
 その傍らには、おそらく依頼人が置き去っていったものであろう。渋茶の刀鞘と、柄、それに、鍔。それと意識するのにしばし時間が掛かった様なイヴが、ああ、と納得の声音を吐いた。

「羽柴は、豊臣秀吉が朝廷から豊臣姓を賜る前に名乗っていた姓、と言う事で確定だろう」
 新しく咥えた煙草の尖端、火を灯す事も忘れたままで草間がぼそぼそと言葉を紡ぐ。散らされた書類の一枚を適当に拾い上げてイヴが目を通し始め、みなもはグラスを載せたトレイを持って再び現れた零に苦笑しながら有り難う、と呟いた。
「兼光は、様々な由来や伝承と共に話だけが各地に残されて居るが――羽柴、と言う姓と照らして考えるとこの、上杉家から召し上げた竹俣兼光【タケノマタカネミツ】である可能性が、高い」
 指差されたのは、未だテーブルの上に散る書類の中の一枚であったが。
 図書館の文献か何かのコピーだろうか、ぎっちりと文字の並ぶそれに、みなももイヴも手を伸ばす事をしなかった。
 慣れたものか、草間もその中身を要約しながら二人に説明していく。
「まあ、あれだ…上杉謙信っていう武将がいたのは流石に知っているだろう?あの家かに豊臣家に渡った名刀で…行方不明な筈なんだな。…その、大坂の陣から」
「え、でも…‥・じゃあ、これは?」
「だからさ…」
 一六一五年豊臣秀吉は、概ね成しえていた天下統一の寸前、大阪の陣にて打ち倒される事となった。
 その際、武将徳川家康は落城寸前の大阪城をくまなく探させたと言うが、聞えの高かった兼光の名刀はついにその姿を現すことは無かったのだと言う。
 しかしその名刀が、今になって。
 依頼人、羽柴吉子の屋敷から、盗まれたのだと――。
「・‥…判った様な〜…」
「判らない様な…」
 初対面ながら各々に呟くイヴとみなもは、実は気が合うのかもしれない。さほどメディアに明るくないみなもはイヴの正体を知る由も無かったし、イヴはイヴで自らを特別扱いしないみなもの態度を悪くは思っていない様でもあった。
「――とりあえず」
 いつものマイペース振りが相乗効果な二人の目の前で、草間が両手でばさばさと資料を掻き分け――まとめて留められた地図の束を掻き出す。
 草間と零が夜なべしてリストアップしたそれの上には、"怪しいリスト"と大きな文字で書かれていた。
「鍔、柄、鞘。レーダーは三つしか無いらしいからな――さらにこの中から、三箇所をピックアップしてみた」

 一番上に書かれていたのは、都下昭島市の日吉神社。朝廷と神道を重んじた秀吉に由緑のある神社と言える。
 そして二つ目が、茨城県――水海道市の弘経寺。徳川家康の孫娘で、豊臣秀頼の正妻であった千姫の墓所のある寺である。東京小石川の伝通院より分骨された遺骨と遺髪が収められているらしい。
 そして、もう一つが。
「・‥…あ…」
 みなもが呟く。
 東京都八王子市、八王子城跡であった。

 あまりに真剣に、その周辺の地図を見つめているみなもを一堂が見遣る。
 イヴがその紙面を覗き見ると、小さなその地図に記されているのは褪せた水色の細い線。
 それを指先でそっと触れながら、今度は僅かな確信を以てみなもは言った。
「ここです――うん。多分、ここ」

 時は遡り、一五九〇年。
 天下統一を目前に、秀吉は小田原征伐の一環として八王子城に攻め入った。
 城主の北条氏照や武将共は、秀吉の大軍に備える為に悉く小田原城に終結、八王子城を開けており――
 五時間経過を待たずして、八王子城は攻め落とされてしまったのだと言う。
 残された女子供は追い立てられ、次々と自害を余儀なくされる。
 御主殿の滝。
 彼女達は、決して大きいとは言えぬその滝壺の前で、懐剣に咽喉元を突かせ、身を投じ…その命を断って行ったのだった。
 その滝の辺りを流れる小川や滝水は、その後三日に渡って朱に染まったと言う。

「・‥…んー」
 イヴが思案の面持ちで、その白く細い指先で自らの顎に触れる。
「じゃあ〜、みなもちゃんとわたしがここに行く。あとの二箇所にも、わたしが行く。それでオッケー?」
 もともと、これと言った操作方法に行き詰まっていた面々だ。その提案に全員が頷く。
「…って、え?順番に行く、っていう事ですか?でもそれなら、あたしだって…‥・」
「ノンノンノン」
 立てた指先を左右に振りながら、イヴが惜しい、と続ける。
 と。
 そのままの姿勢でソファの深く腰を下ろしているイヴの背後で、イヴの声が、した。
「こういうこと」
「ね?」
 頭の中にエクスクラメーションマークが飛び交うみなもがば、っとイヴの真上を見上げると、そこには。
 ソファに腰掛けるイヴと寸分違わぬ容姿と声を持つ、イヴそのものが…‥・二人、立っている。
「わたしが茨城〜♪ついでだから眠り猫ってやつを見て帰って来るわ」
「わたしが日吉神社♪ちゃっちゃと行ってちゃっちゃと帰ってくるから」
 そして二人のイヴ達が、思い思いに兼光の鍔と柄に手を伸ばす。その様子を、みなもだけが――唖然とした面持ちで食い入るように見つめていた。
「そういう事、らしいから」
 草間がひらりと手を振る。
「わたし達はこの柄を持って、みなもちゃんの言う八王子城跡に行きましょ」
 テーブルの上に一つ残された刀の鞘を掴むイヴが――それはソファに腰を下ろす、本物のイヴ(みなもの中では)だった――、にっこりとみなもに笑いかける。
「――って、鉄砲の弾…頑張ります…‥・!」
 訳も判らず、やる気だけをアピールした。

「ねぇ、でも、どうしてここが怪しい!って思ったの?」
 八王子へ向かう電車の中、共に目的地へと向かうイヴがみなもに向かって問うた。
 ちらりと上目にイヴの横顔を見上げてから、みなもは窓の外に視線を映し、曖昧な語尾上がりに応える。
 窓の外には、暮れかかった橙の日が眩しく輝いており、みなもとイヴの髪を薄茜色に染め上げている。
「…お水のある場所、だったから?」
「・‥…それだけ?」
「…はい」
 多くを語る事をしないみなもの横顔を一頻り眺めたあとで、イヴは首を傾げながらも口を閉ざす。
 その後でイヴが、電車なんて久し振りだぁ、と呟いた。

【八王子城跡】

「・‥…とりあえずは、みなもちゃんの言う"滝"に行くしか無いと思うんだけどぉ。それで良いかな?」
 降りた電車がけたたましい音を立てて走り去った後で、イヴは僅かに首を傾ぎながらみなもに言った。
 中央線・八王子駅。
 背負ったリュックの中で、兼光の鞘だと言うそれは何の"共鳴"も示す事は無かった。
 電車の音が去った後では、蝉の声が殊更喧しく、そして遠く聞える。
「はい、勿論!・‥…なんて言って、実は…何だか私の我が侭にイヴさんを付き合わせちゃったみたいで、心苦しいです…‥・」
 他の手掛かりなんて、他に何も無いのに。
 みなもがそう呟いて俯くと、イヴが両手をぱたぱたと胸の前で振りながら慌てた様に応えた。
「とんでも無い!わたしは、みなもちゃんと一緒で心強いよー?それに、さ」
 ぽん。
 イヴがみなもの肩を叩いて、歩き始める。
「もっと気楽に行こう♪大丈夫、わたしも何となく、ここでビンゴ!って感じがするから」
 早くしないと、とっぷり日が暮れちゃうよー。
 改札をくぐるイヴの背中を追う様に、みなもが勢い良く駆け出した。

 そして辿着いた八王子城跡。
 地図で確認した際よりも広大に過ぎるその敷地の見取り図の前で、二人は呆然と立ち尽くした。
 ここから御主殿の滝までの距離を考えるならば、到着した頃には夕闇が辺りを支配している頃となるだろう。
「あーあ…‥・大丈夫かなあー?流石に"恐い"とは思わないけど…足下が見えないと危ないよねえ?」
 転んで顔に傷でも付いちゃったら大変。
 冗談とも本気ともつかない口調でぼやくイヴの横で、みなもが口唇をきゅっと噤んだまま首を横にふる。
「でも…きっと、待ってます。依頼主さんも、この柄も…多分、この先で、犯人さん…‥・も」
 みなもの耳には、届いている。
 ここに辿着き、ここに立った時から、この道の奥に流れる小川、そしてそれが流れ込んでいる――小さな小さな、滝壺の音が。
 ゆっくりと目を閉じて、リュックの肩ひもを両手で握り締めた時。
 腰の辺りで、静かに発熱している――兼光の鞘を、感じた。
「…ぁ」
 小さく漏らしたその声に、イヴが反応する。
 後を振り返る様にリュックを見つめたみなもの視線に、イヴはその意図を汲み、小さく頷いて。
「・‥…行こう」
 二人はどちらからとも無く、城跡の敷地内奥深くへとその一歩を進めていた。

【兼光の鞘】

 夏が過ぎて行くのを惜しむ蝉の声が辺りに響き渡る。
 二人は、すっかり日の暮れた細い道を、ただ真っすぐに往った。
「ちょっと…熱すぎる…かも」
 みなもが降ろしたリュックをイヴが受け取り、背負わぬままで歩き続ける。
 今や二人は、疑いの余地も無く。この先、御主殿の滝にある何かを確信していた。
「ダイエットだと思えば、何のそのー…‥・」
 平素の運動不足を呪いながらイヴが溜息の交じった様な声音で呟けば、比較的――とは言っても、学校で体育の授業を受けていると言った程度だったが――足の強いみなもが額にうっすらと滲んだ汗を拭う。
「・‥…大きくなって来ましたね。滝の音」
 その言葉にイヴが耳を澄ませてみると、蝉の声や梢鳴りに交じって、遠く鈍い水飛沫の音が聞える様な気がした。
「やっと近くまで来たみたいよねぇー…もう一息!」
 ざっ、大きく踏みだした足に勢いを付けて、二人は些か足早に歩を進めて行く。

 と、その時だった。
 イヴが捉えていたみなものリュックから――正しく言うならばその中から――。
「漸くここまで共鳴を成す事が出来たか」
 声が、した。

「・‥…!?」
 危うく"それ"を落としかけたイヴの緊張感を察したのか、「あいや待たれ」と続けて声がする。
「…って、えぇぇ!?」
「い、イヴさんッ」
 イヴからリュックを受け取ったみなもが、その口を慌てて解いた。
 篭った熱を発しながらほの明るく発光していたその鞘がその姿を現し――そして。
「待ち草臥れた感も否めはしないが…‥・まあ良い。我の半身が呼んでおる。早よ」
 靄の様に立昇った"何か"が、身を震わせる様に声音を紡いでいた。
「ちょっとあなたね、喋れるならもっと早くそう言ってよ。随分と癖のある子だとは思ってたけど…」
 イヴが口を尖らせる。何がしかの気配の片鱗は肌に感じていたのだろうか、その生立の所為か過ぎる程の順応を以て。
「吉子が申したろう。"共鳴"が為されなければならぬと。この身が隔てられてしまっては、こうして朧な姿を現す事しか出来ぬ」
 目を凝らせば、その靄はうっすらと人を象っている様にも見える。直接に脳に響かせられる様なソレの声音は曖昧に過ぎて、男声なのか女声なのかすら判断する事は出来なかったが。
 その白濁した澱の様な靄を、イヴは物珍しげに掌で扇いだり区切ったりしている。
 みなもは呆然とした面持ちでそれを見上げていたが、すっかり暮れた空に星が明滅し始めたのを視界の端で確認すれば。
「――行きましょう。この先に、有るんですね?」
「如何にも」
 見つめたその靄は、頷いた様にも見えた。
「あなた、熱いから。扱いが粗末なのは許してよね?」
 一頻りその白濁と(一方的に)戯れたイヴは、リュックの口を開けたままでそれを掴み上げる。そして、かなりに近くなった滝の音へ向かい足を踏みだした。
 
【かつて女、と呼ばれし者】

 漸―――…‥・。
 暗がりの中、浅い泉の底に叩き付けられた滝水が飛沫を挙げている。
 滝壺と呼んでしまうには余りにも浅すぎるそれの上方。
 見上げるならば、月明かりと言ってしまうには些か明るすぎる――明晩を新月とする、女の爪先の様に細く鋭い月は然程の光を放ちはしない――白い光が浮かび上がっている事を見留められるだろう。
 女の姿をしたモノが、そこには佇んでいた。

『――近い、の…‥・』
 ほう、と小さな溜息を零してから。
 それはか細く呟く。
 しとどに濡れ、ほつれた髪の先からは音も無く水が滴る。
 色白、と呼ぶには些か白すぎる肌もやはり飛沫に濡れており――
 纏った装束は、うっすらと朱色に染まっているのだった。

 握り締めるのは、爛々と青白い光を放つ長物。
 柄に収まる筈の付け根を下に、女は刃を――兼光の切っ先を握り締めて…‥・
 ただ、うな垂れている。

 刃先から、濃い紅色が伝い流れる。
 女は微動だにせず、ただ――待っている。

 鴇。
 小さく啼いた某かの鳥が、女の気配に戦慄いた様に一羽、飛び立った。

【御主殿の滝】

 既に、開けぬ視界を気にする事も無かった。
 決して適当とは言えない細い小径の続く先に、木々の葉に阻まれながらもぼんやりとした発光を見留めたからだ。
 伴ってきた白い靄は――それは歩を進めるごとに輪郭を確かなものとしていき、"女"である…そう判別出来る程のそれとなっていた――、次第に言葉少なとなっていった。
 見上げると、ただその真っすぐな横顔だけが視界に留められる。霊体とも幽体とも取れるそれに対して、"径に気をつけろ" などと言うのもおかしな話ではあるとは思ったが、獣道を些か乱暴に突き進む最中にみなもは何度かそれに対して手を伸ばしてしまう。
 その度、"女"は意外そうに首を傾ぎ――そして哀しそうに、みなもに向けて微笑を返すのだった。
 腰の高さ程もある茂みを切り開き、がさり、と…‥・最後のそれから砂利に舗装されかけた小径へと足を踏みだした時。
 今やすっかりと、凛々しい面持ちの女性の影へと輪郭を保った"兼光"が――
「・‥…待たせた」
 滝の中央に立つ"女"へ向けて、凛とした声を放った。

『待ち草臥れさせられた揚げ句に――待ち人来らず、か』
 滝の中心に立ち、桜色に染められた装束を纏うその女を、みなもはうつくしい、と思った。
 その顔色や風体そのものは、既にこの世に存在する者のそれでは無かったが――有るや無しやの月明かりの許、その念だけで存在し、その念のみが存在する…‥・そんな女を。
 距離にすれば、十メートルも離れてはいなかったろう。みなもは持参した霊水を取りだす事すら忘れて、刹那その女に見とれていた。
「あなたの待ち人は現れない。・‥…そんな事は知っていただろうに…あれは、そういう女…だ」
 あれ、とは吉子を指す言葉なのだろう。兼光が投げる声音は滝壷の音に掻き消される事無く、その女へと届いた。
 今迄に踏んだ場数、戦闘のそれが自信を齎すのか――イヴは兼光の左背後でじっと女を見上げている。色無く浮かぶ光の許、彼女の翡翠色の双眸のみが些か不釣り合いに輝いていた。

『・‥…ほ…』
 女は、兼光の言葉の後、微々な間を保って…笑う。
 滝壷へと、吸い込まれる様に滴るのは女の右手の平が流す紅の雫。握り込めたその刃先が、兼光――その鞘と共鳴して、仄かな灯を伴う熱を発していた。
 女は深くうな垂れたままで・‥…一頻りの自嘲の後、長い溜息を…吐いた。
『――あの日の仇を…私は誰に打てば良いと言うのだ…‥・』
 あの日。
 あの疾風と怒濤のうちに攻め落とされた城は、既にその形を残す事すら無い。
 行き場を失い、帰る場所すらを失い…‥・ただこの場所で、その怨を晴らす事のみを思う念。
 自らを貶めた忌まわしい血族の某かを、今となってはただ一目、見る事が出来れば――
『・‥…それすら叶う事が無かった』
 女はがくりと、更に深くうな垂れ、肩を落とし――
 そして。
「・‥…ぇ、あ、あの…っ」
 霧の様に立昇る水飛沫に溶け入るかのように。
 掻き消えようとしていた。
「待って下さい、話を聞かせて――」
「・‥…みなもちゃん」
 霧散する女の霧に手を伸ばそうとするみなもの肩を、イヴが捉えた。
 うな垂れた輪郭のままの女は、イヴとみなもを見ようとすらしない。
 兼光を従えてここに赴いたのが彼女達であると言う事。
 その事実だけでも充分に、女を打ちのめしたのだった。
「待って――」
 そして再びみなもが見上げた滝の飛沫に。
 既に女の姿は無かった。

【銘刀・兼光】

 刀鍛冶が、己の名誉を賭して鍛える刀には、えてして。
 女の姿をそこに宿らせようとする事が多い。
 男は刀に命を預ける。
 ともすれば、生きたままで二度とまみえる事が無いやも知れぬ妻を、思い人を、姉を、妹を――男達はその刀に命を託し、そして戦い抜く事で…‥・信じ、そして、帰ろうとする。
 兼光も、そんな一振りだった。

 時は遡り、一五九〇年。
 炎に包まれた大阪城、その篭められた再奥の間にて。
 男共の罵声や断末魔…そして逃げ惑う女達の悲鳴を尻目に、主を失ったこの銘刀はまさにその役目を終えんとしていた。
 如何に銘刀と誉れ高かろうと、振るう者がいなくばそれは刀である意味すら無い。
 ヒト、でこそ無かったが。
 兼光が炎に呑まれ、その刃を爆ぜる炎に焼こうとした、その時。
「―――お前、だけは」
 と。
 兼光の柄を捉え、その身に抱いた者がいた。
「お前だけは、この家に留まっておくれ」
 その腕は白く、温かく。
 ――"羽柴"の気配を、匂わせる者だった。
「私と共に、ここに」
 兼光はその腕――女の肌を思わせるそれに抱かれるままに、戦場と化した城を脱出する事になる。
 その時既に、この世に生きる者では無かった、"羽柴吉子"によって―――

「ありがとう」
 兼光は言った。
 未だ自体の呑み込めないみなもと、ただその傍らで兼光を仰ぐイヴに向かって。
 掻き消えた女の捉えていた刃先は既に兼光の元に戻り――その鞘に、あるべき場所へと収まっている。
「――吉子の、事は。あのままそっとしておいてやって欲しい」
 いつしか現れた柄と鍔が――二人のイヴがそれぞれに携えていたものだったろうか――、更なる共鳴の果てに。
 兼光の、否…兼光に宿らされた女の輪郭を、暗闇の中煌々と映しだしていた。
「この世に男子として生を授かるも、親の役に立つ事すら出来ずに去った己を一番に呪っていたのは、あれだ…」
 伏し目のままで、兼光は続ける。切れ長の双眸が滝壷を見下ろし、自らの刃が切った女の血にうっすらと桜色に染まった泉を見遣った。
「殿は、沢山の血を流させ――沢山の者を黄泉へと送ったが、それは故に…守る家族が有ったが為――そしてそれを償うのは、殿でも吉子でも無い。―――私だ」
 そして兼光が、す…‥・と掌を翳す。
 と、指先からほたり、ほたりと雫が零れ落ち――それはまるで涙でもあるかの様に、一滴ずつ泉に吸い込まれて行き、その朱を浄化していく。
「――兼光、さん」
 みなもが刀の名を紡ぐ。
 が、今度はその手を伸ばす事は無かった。
 ただその場に立ち止まり、胸の前で掌を握り締める。
 泉は、雫の度にその透明度を増して行き、それと同調する様に兼光の面影が輪郭を損なって行く。
「小豆兼光、か。・‥…小豆だけを、斬っていられる刀であれば…こんなに生き永らえる必要も無かったのやも知れぬな…?」
 淋しげに肩を竦め、それでも兼光が告げたのは戯けの言葉。泉の聡明さと共に、いよいよその輪郭をあやふやにさせる兼光に、みなもが問うた。
「あの…‥・っ、…吉子さんって…‥・」
 その言葉に。
 兼光は笑んだ…‥・様に、みなもは思った。
「秀吉公が嫡子、鶴松殿。――御尊名の一文字をでも頂きたいと願った鶴松殿の、文字通り…‥・」
 最後までを二人に告げる事なく。
 兼光は消えていった。
「―――」
 立ち尽くす二人の前で、兼光は最後の一滴となり、泉の中へ溶け入って。

【草間興信所、不況】

「――それで結局、」
 何も残らなかった訳かと。
 苦々しい面持ちのまま、草間武彦は咥え煙草のフィルタに歯を立てる。
 場所は草間興信所、エアコンの電源は勿論入っていない。
「まあまあ。人助けしたと思えば良いじゃない、お金なんてどうにでもなるんだから♪」
 いいながらイヴは、二人の分身がそれぞれの場所へ赴いた交通費の領収書、それに自らの分のそれも束ね上げ――テーブルの上にぽんと置く。
「眠り猫、可愛かったわよ?」
 昨夜、遅くなってからみなもは自宅に帰り着き――明け方までに調べ上げた分厚い書類の山を持って草間興信所へ現れた。
「兼光さんが言ってた"鶴丸さん"が"吉子"さんだとしたら、確かに…‥・秀吉さんが四十六歳の時、やっと生まれた男の子と言うのが吉子さん、なんだと思います。けど…どうして女性の姿でここに現れたのか――」
「・‥…言ってたじゃない?自分を呪ってた、って。男の子なのにお父さんの役に立つ事が出来なかった、自分はなんて駄目な息子なんだ…そう思うと、男の子のままでいられなかったのよ」
 うきうきと零に眠り猫の話を聞かせていたイヴが、くるりと振り返ってみなもに告げる。
「秀吉も、吉子さんも――兼光を奪った滝壷の女も、皆家族が好きで好きで仕方がなかっただけ。誰も悪く無かったのよね…だから兼光は、自分が償うって言って消えちゃったんじゃないの?」
 鋭いです。みなもが呟くと、イヴはみなもに向かってヴイサインを作った。
「それにしても、だね…諸君」
 大仰な咳払いの後で、満を持したと言う様に草間が口を開く。
「その報告を聞くと、だ。もう、依頼人の羽柴さんも、何だ、その…"兼光さん"も、二度とここには現れない様な気がするんだが――」
「そうそう、どうして吉子さんは"羽柴"を名乗ったんでしょうか?」
 聴いてない。
 ぐったりとうな垂れた草間を尻目に、みなもがんん、と思案の面持ちで言を継ぐ。
「鶴丸さんが生まれた頃は、既に秀吉さんは"豊臣"を名乗っていた筈なんです。それなのにどうしてわざわざ…」
 それもそうだと、イヴがソファの上で膝を抱える様に丸まりながら考え込む。
 と、それまでイヴの土産話に目を輝かせていた零が、トレイに顔を隠す様にしながら上目にイヴとみなもを見上げ、ぽつりと言う。
「――唯一、お父さんに反抗してみた結果、とか…」
「反抗?」
 きょとんとした眼差しで零を見遣るみなもの視線に、零は些か慌てた風に資料を指差す。
「ぁ、・‥…だって、なんだか…豊臣姓を名乗り初めてから、秀吉って…あまり良い事、してないみたいじゃないですか――?」
 零の小さな手指が指し示したのは細かな年表。
 八王子征伐、養子への切腹令、朝鮮出兵。
 後年の秀吉の誤配とされるそれらの行動は、全て豊臣姓を朝廷から賜ってからの事だと零は言う。
「豊臣姓になる前と後で、何だか人が変わっちゃったみたいです…吉子さん、いいえ、鶴松さんも…それを気に病んでいたんじゃないでしょうか」
 鋭いです。今度は、みなもとイヴが口を揃えて呟く番だった。
「あの…皆さん…‥・吉子さんも鶴松さんも、兼光さんもここに来ないって事はですよ…‥・?」
「でも、家族の為!って思っちゃうと…何だか哀しいよね…ウン、やっぱり良い事した。勉強にもなったし!」
 弱々しい草間の囁きをやはり打ち消して、イヴが満足げににまりと笑う。
「あ、そうだ草間さん。私忙しいから、次にいつ来れるか判んないー。今日帰るまでに経費の分頂戴ね?」
 極上。
 そして、満面の笑み。
 決して拒否を許さないイヴのそれに、草間は深い、深い溜息を吐いた―――


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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1252/海原・みなも  /女/13/中学生
1548/イヴ・ソマリア /女/502/アイドル兼異世界調査員


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■         ライター通信          ■
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こんにちは、森田桃子です。
「東京大捜索」をお届け致します。
今回、平素よりお届けが遅くなってしまい、申し訳ありません。

未だ拙い描写ばかりでお恥ずかしい限りですが、
少しでもお気に召して頂ければ幸いです。

ご意見やご感想など、次回の作品への励みになりますので
どうかお気軽にお寄せ下さいませ。
不慣れな不束者ですが、皆様、どうぞこれからも宜しくお願い致します。
この度は本当に有り難うございました。

担当:森田桃子