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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


L・C・バレンがやってくる


 L・C・バレンがやってくる
 青い瞳の笛吹き男
 L・C・バレンがやってくる
 月にうかれた闇色道化師
 L・C・バレンがやってくる
 まっくら森からぼくを呼ぶ



 手渡された紙片に目を走らせ、怪訝そうに草間は眉をひそめた。
 マザーグースを思わせる奇怪な言葉の羅列。これが一体どういう意図を持って自分に差し出されたのかが分からない。
「これは一体……?」
 問いかけるように、向かいの机に身体を沈めた男へ視線を向ける。
 生気が乏しく痛々しいほどに憔悴の色が濃いその男の名は、石田庸一と言った。
「……草間さんは、5月のはじめに、行方不明の子供がとある森の中で遺体となって見つかった事件をご存知でしょうか?」
 彼は視線を床に落としたまま、問いを返す。
「……ん?ああ。あれか」
 その言葉に、草間はほぼタイムラグを生じずに件の内容へ行き当たった。
 はじまりは今年の5月。観光客の夫婦が朝の散歩途中で無残な姿となった少年の遺体を発見。それを皮切りに、これまでに4件、同一犯と思われる事件が報道されている。
 捜査は難航し、未だ犯人の手掛かりは得られていないとも聞く。
「L・C・バレン……犯人はあいつなんです……あいつに間違いないんです……」
 石田の膝に置かれた指が、スーツをきつく握り締める。
 草間に渡された紙は、彼が幼い頃に聞いた歌なのだという。
 彼の住まう地域に伝わる古い言い伝え。
 十数年かに一度。満月の晩になるとそれはどこからともなくやって来て、捻じ曲がった黒い森に連れ去っては、13歳に満たないの子供を次々と殺す。
 『L・C・バレン』とは『Lunatic-Cain-Vallen』―――狂気に狩られた魔物の名。
「……息子の仇を…討ちたいんです……そしてこれ以上、私と同じ境遇の親を増やしたくないんです……警察では埒が明かない。どうかこの化け物を倒してください……」
 彼は真剣だった。鬼気迫るほどに。
「どうか……どうか、よろしくお願いします………貴方なら、何とかしてくださると聞いてきたんです…ですからどうか……」
 石田は深々と頭を下げ、その言葉を繰り返した。
 いくつも絡まる記憶の糸を辿り、草間はひとつの名前に行き当たる。
 最初の被害者の名前は確か石田雅人―――――
「分かった。この依頼、引き受けよう……」



L・C・バレンがやってくる………



 携帯電話のバイブレーション機能が胸ポケットの中から着信を告げる。
 雨風に晒され、錆付いた廃棄物がいっそ芸術的とも言えるバランスで積み上げられた裏路地の、さらにその奥。
 同世代の子供達に囲まれた瀬川蓮は、発信者の名前をディスプレイで確認した後、通話ボタンを押しながら片手を挙げて会話の中断を相手に示す。そうして、するりとその場から離れた。
 猫のようにしなやかなムダのない動き。
 ジャンクなモノに取り囲まれた闇の中で、蓮は草間の声から興味深い事柄を拾い上げていく。
 自分の元へ届けられる情報の選別と推理。依頼内容を掘り下げていく思考から、会話を交わしながらも次に取るべき行動を組み立てていく。
 そして口元に薄い笑みを湛えた蓮が最後に発した言葉は、
「いいよ、協力してあげる。面白そうだから。それじゃあ」
 そこでぷつりと通話を終了させる。
「さてと…じゃあ、早速動こうかな」
 くすくすと楽しげに笑う彼の指先に灯る闇色の炎。その中に召喚される『小さきもの』に、蓮は静かに言葉を発する。
「お前たちは『笛吹き男』の痕跡を探してきて。どんなものでも構わない。いいね?」
 それはある種の呪を以って施行されるもの。
 光の筋を引いて、異形は羽音を立てながら新宿の路地裏から夜の闇へと飛び立っていった。
「大人は忘れちゃってると思うけど……子供には子供のネットワークがあるんだよ」
 依頼人の話を信じるならば、被害者は全て中学にあがる前までの子供が対象ということになる。
 だとすれば、自分にはもうひとつ、他の調査員では辿れない道をなぞることが出来るだろう。
 子供には子供のネットワークがある。大人の介入はけして受け付けない、ある種の縦と横の強固な繋がりとともに、完結し閉じられた子供だけの世界が存在しているのだ。
「あいつらにもお願いしようかな。人海戦術、ってね」
 楽しいことを思いついたようにくすくすと笑う、その瞳は冷たく閃いていた。
 一見すればそれは子供特有の無邪気な好奇心でしかない。彼が内に秘める深い闇は、巧みにその表情から拭い去られているのだ。
 蓮は踵を返し、自らが住まう世界へ向かう。



 シュライン.エマは、もはや化石と呼ぶにふさわしい黒電話の受話器を置くと、興信所設備のパソコン前で、小さく息をつく。
 草間が指定した調査員への電話連絡。その相手が捕まるまでの間に彼女はいくつかの作業を並行して行っていた。
 電話を終えた彼女の前に、その結果が表示されているのである。
 依頼人の話を元にインターネットでいくつも検索をかけていくが、ネットの海に漂う情報は膨大な量となって錯綜を繰り返し、絞り込むだけでも容易ではない。
 誰かのweb日記であったり、宗教の説法であったり。もしくは笛に関する技術面や芸術面の教本的なものや日本の昭和史に関わって来るものだったりした。
 そして、肝心の『Lunatic-Cain-Vallen』の名は、現時点においてどこにもない。
 だが、彼の犯行、もしくは彼の存在に準えた模倣犯と思しき事件ならば、幾度かの絞込みとともにひとつの法則を持って浮かび上がってくる。
 石田が興信所へ持ち込んだ、5月からの一連の殺人事件。
 現場は県境の森の奥。
 被害者は同地区の小学校に通う少年であり、年齢は当時6歳から12歳。多少の幅はあるが、13歳未満という条件の下では問題ない。
 死因はどの件も刺殺。全身を刃物のようなもので引き裂かれたことによる失血死と断定。死亡推定時刻は前日の午後11時から午前2時の間と思われる。
 日付けを確認すれば、それはほぼ一月置きと言うことになり、さらに掘り下げて言うのなら、犯行は間違いなく満月の夜ということだ。
「……次の満月まで後数日」
 捜査が難航し、かつ、怪異が絡んでいるとすれば、解決へむけて当たるべき場所は広範囲に及ぶ。
「早くしないと、あの人の方が保たないかもしれないわね……」
 これは数多くの事件とそれに関わる人間と接してきた彼女がもつ予感。
 魔物の名を口にした瞬間だけ、石田の目に暗い炎が揺らぐ。
 彼の消耗は目に見えてひどい。おそらくは精神の安息はなく、唯一の休息とも言える睡眠すらままならない状況と思えた。
 息子を失うと言うことがどれほどの深手を彼に与えたのか。それは彼の発する音が持つ揺らぎと歪さで分かる。
 シュラインはメールを開け、彼女自身が作り上げた情報網にそれを送り出した。
『求む、情報』
 徹底的に今回の事件を洗いなおす。
 そこから導き出される答えの果てに、L・C・バレンの正体も存在する気がした。
 早々に連絡のついた海原みなもは、既に依頼人である石田とともに彼の町へ赴いている。
「私もそろそろ現場検証と行きましょうか」
 椅子を後ろに押しやり、シュラインは席を立つ。
 草間興信所の事務・整理のバイトであるはずの彼女は時折ここの調査員へと変わる。
 小さなショルダーバッグに携帯電話やノートパソコン、調査用の手帳などを詰め込むと、無駄のない動きで準備を終え、興信所の扉に手を掛ける。
 だが、
「……え?」
 シュラインが掴むはずだったドアノブは彼女の手が触れるより早く、引き開けられた。
「ここ、草間興信所っていうところだよね?」
 視界の前方右下から見上げている少年。
「飼い主さん、来てない?僕、飼い主さんを探しにきたの」
 銀を通り越した真っ白な髪、真っ白な肌、真っ白な服。無彩色のその中で大きな瞳だけが血を透かしたかのような鮮赤を成していた。
 そして彼の細い首には、水晶を嵌めこんだ銀の飾りが月の形を模して輝いている。
 紅玉と青玉の視線が交わる。
「飼い主さん、お家に帰ってこないの。だからここだと思ったの」
 15歳前後と思われる外見とはアンバランスな印象を与える幼い口調。
 シュラインは記憶を辿るが、彼の言葉の意味するところを正確に掴むことが出来ない。
「ええと……貴方の名前は?」
「みなかみあきら。飼い主さんからもらった名前なの」
「………ごめんなさい。私はこれからちょっと出かけるから、人探しなら……」
 言いかけてふと口を噤む。少年の言う『飼い主』には心当たりがあった。目の前の子供と思い出したあの青年の間に『飼い主』という相関図は当てはまらないのだが。
「お仕事?困っている人いるの?」
 水上水晶はまるで小動物のような仕草で首を傾げ、シュラインを見上げる。
「なら僕もお手伝いする!いいことをすると飼い主さんほめてくれるから!」
「……貴方が?」
 一瞬シュラインはこの少年の同行を断ろうかと考えた。
 だが、彼の台詞がもうひとつの選択肢を彼女に提示する。
「僕ね、悪いものとかいっぱい分かるよ?えいってやっつけたりもできるの。お月様にお願いすればもっと『えい』ってできるよ?」
 少年の真剣な眼差しを受け、迷うように瞳をくるりとひと回し。
 それから、仕方なさそうにシュラインは笑って見せた。
「じゃあこれから行きましょうか?」



L・C・バレンがやってくる……右手にいっぱい夢色風船



 L・C・バレンの名を冠した何者かが、跳梁する夜の闇。
 過去の記事を辿っていけば、同様ものをいくつも見ることが出来る。遡ろうと思えば20年30年と時を重ねていける気がする。
「………ひどい……」
 図書館での古い地方新聞を閲覧する中でその事実に気付いた時、海原みなもはざわりと肌の粟立つ感覚に身をすくませた。
 1900年代だけでも、同様の事件は一定の周期を持って繰り返されている。焦点を絞ってピックアップしていけば、そこに現れる数値は確かに異常と呼べるものであるにも拘らず、それに気付くものはほとんどいない。
 毎日のようにどこかで事件が起き、どこかで誰かが犠牲となっている。日常の裏側に溢れかえる悲劇。 
 事件の中に事件が埋もれ、関心が次々と移り変わるがゆえに、気付かないだけなのだろうか。
 みなもは図書館の机に重ねられた新聞たちを前に、落ち込んでいく心を止められずにいた。
 自分よりも幼い存在が、これほどまでに犠牲となっていた。その事実の重みが苦しい。
 彼らは何を考えていたのだろう。
 彼らは何を見ていたのだろう。
 当たり前に続くはずの日常が突然消え失せた時、どれほどの衝撃が彼らを襲ったのだろう。
「………絶対…赦しておけません………」
 先程、石田の家で教わったあの奇怪な童謡めいたものが頭の中で渦を巻く。
 
『あの……石田さんが仰る『L・C・バレン』についてもっと詳しくお話を伺いたくて……よろしくお願いします』
 そう切り出した海原みなもに、疲れたように微笑みかけ、石田はポツリポツリと呟くように、彼の知る魔物の話を口にした。
『こんな話があるんです……ずっとずっと昔から、この土地には魔物が住み着いている』
 風船がもらえたら、それが目印。満月に祈れば、L・C・バレンが迎えに来る。
 色とりどりの風船と、愛想の良い道化師の砕けたパフォーマンス。
 だが、忘れてはいけない。
 L・C・バレンは夢の世界へ連れて行ってはくれるけれど、けして現実の世界には帰してくれないのだから。
『……大人には聞こえない声。大人には見えない景色。大人の知らない世界で、子供は生きているんです。だから、ひとたび彼らが自分達の世界に入り込んだら、大人は手出しできない………』
 どこにでもある寓話的で不条理めいた歌の下地となっているものに、石田は憎悪と哀惜がないまぜになった表情を向ける。
『だから、注意を喚起する』
 次第に音程を低めていきながら、石田は苦しげに言葉を紡いでいく。
『実在するかどうか、見たものがいるかどうか……本当はどちらでもいいことではあるんですよ。その子が十分な判断力と力を得られるまでの怖がらせ。本来はそういった意味合いの強いものなのです』
 彼の目には今何が映っているのだろうか。
『でも、奴だけは違う……奴だけは大人と子供が作り出した幻想なんかではない。この世界に確かに存在しているんですよ……』
 次第に淀んでいく表情に、みなもは寒気すら覚えていた。
『ああ、そうだ……お嬢さんはもう13歳だったね……それなら大丈夫だ……』
 話の最後に少しだけ、石田は笑みを浮かべた。力なく暗く痛いほどに切ないけれど、それでも彼は静かに笑みを形作る。
 彼は壊れてしまうのではないか……そんな不安がふと過ぎる。

 石田のメモをみなもは机に広げて、新聞の事件報道とともにそれらを見比べる。
 キーワードは『森』と『子供』。そして『満月』――――
 言いようのない暗い陰りがこの町に落ち込んでいる様を、みなもは肌で感じていた。
 心も身体も強張っていくけれど、それ以上に犯人への強い怒りが彼女を動かす。



 新宿にそびえるビル群の狭間で、蓮は1枚のCD・ROMを手にしていた。それらは、およそ一般人では知り得ることの出来ない守秘義務が存在すべき情報だった。
 子供達に取り巻かれながら、蓮は自身のノートパソコンを起動させる。
 廃棄され錆付いた鉄のガラクタも、彼が腰掛ければ玉座となる。
「ふうん……殺されたのは今のところ、この4人なんだ」
 イシダマサト。キムラサトル。ミヤザキマリコ。チバツヨシ。
 彼らは通う学校も違えば、塾も違う。稽古関係での繋がりもない。親同士も全く面識がないといっても良い。
 4人をカテゴライズ出来るとすれば、現段階で言えることは彼らが中学に上がる前だというただそれだけ。
 性別ならば宮崎真理子は抜ける。学区ならば全員が違う。事件当時の服装や髪型にもこれといった特徴は認められず、共通項を探ればそれは年齢以外に見つからない。
「ちょっと雰囲気が似てると言えば似てる、って感じかな?」
 被害者は誰も校外のものと知り合う機会の多い部活動にも参加せず、彼らは互いの相関図にリンクしない。
 だが、子供の社会は狭いようでいて意外と広範囲に及ぶ。
「あのさ。オレ、木村悟の話なら聞いたことあんだ。ダチのダチっつう感じなんだけど」
 蓮は自身に集まる情報を自分の頭にインプットしながら、少年達のひとりに視線を向ける。
「話を聞かせてくれる?」
 薄暗い世界でも美しく揺れる金の髪、その下から注がれる黒曜の眼差し。
「悟はさ、『風船』をもらったから殺されたんだって聞いた」
 彼は自分が友人伝いに聞いた話を、今度は自分の口から蓮に伝える。
 塾で帰りが遅くなる子供達の小さな噂話。
 塾帰り。日が暮れ、人気のない場所をひとり歩いていると、いつの間にかピエロが目の前に立っている。出会ってしまったら全力で逃げなければならない。手首に風船を巻きつけられたら、そこで終わり。
 風船は死を呼び込む目印であり、冥界への道を開く門となる。
「………ふうん……」
 どこまでが事実でどこまでが脚色なのか、この時点で取捨することは難しかった。
伝聞は人を間に挟むことでその信憑性をどんどん失っていく。だが、噂が立ち消えることなく生き続けるなら、そこには真実が微量でも紛れ込んでいる可能性は高い。
 蓮はもう一度、手の中で稼動しているパソコンの画面に視線を移す。
 指先で軽くディスプレイを弾けば、人物を判定するための画像とは別のファイルが開く。
 四角く切り取られた枠の中で、現場検証として撮られたのであろう遺体があらゆる角度と倍率で写し出されていた。
 全身を切り刻まれ、既にヒトのカタチを失いつつある凄惨なソレは、草原にうつ伏せて虚ろな目を空に投げかけている。
 蓮はさらに画像を展開する。
 そして、求めるものを見つけると満足げに笑みを浮かべた。
「そうだ。あの人にもメールしようかな。喜んでくれるかもしれないし」
 それは純粋な好意から派生したものではない。ほんのわずかな思いつき。もっと面白くなるかもしれない期待とともに、子供の気まぐれが起こしたなんでもない行動のひとつである。
 蓮は画像を添付し、たった一文だけを本文に添えてメールを送信した。



 この町は陰鬱な影がそこかしこに蔓延って、暗い闇を形作っている。
 うっかり足を取られたら、うっかり腕を掴まれたら、あっという間に飲み込まれてしまいそうな底知れなさ。
「……こわい」
 水晶の敏感な嗅覚を刺激し、視界の端で蠢くものたち。
 茫洋として、既に自身の形を忘れた影達がゆらゆらと取り囲んでいく。
「どうしたの、水晶くん?」
 ぽつりとこぼした水晶を訝しげに覗きこむシュライン。
 本人の心情とは裏腹に怪奇探偵として名を馳せる草間興信所でアルバイトをし、時には調査員となるが、彼女にはいわゆる霊感というものがない。
 水晶は顔を上げ、赤い瞳でじっとシュラインには何も見えない空を落ちつかなげに見回していた。
「黒い影がぐるぐるしてるの」
 周辺の聞き込み。そして、現在展開されている事件の洗い直し。
 彼女の捜査について歩く中で、水晶は今回の依頼内容の詳細とともに、それが秘める残忍性をも知ることとなった。
 そして今、この町に足を踏み入れた瞬間から神経を逆撫でる陰鬱な気配が、自分にプレッシャーを与え続けている。
 まるで獣が自身の縄張りを主張し、そこを見回っているかのように、いくつかの駅やビル、路地裏など特定の場所に、血に穢れた腐臭を纏った影が揺らめいていた。
 犯人を許せないと思う。同時に、何故そんな事件が起こってしまったのだろうと思う。
 あちらこちらで揺らぐ影の本体を捕まえることが出来たら、ここは澄んだ色になるのだろうか?
 水晶はプレッシャーと腐臭に耐えながら、気配を探り続けた。



押し留めておくことの出来ない、ソレは血生臭い破壊衝動。
あの声が耳にこびりついて離れない。



「L・C・バレンについて調べているの?」
 何件目かの聞き込みで、みなもはようやくひとつの糸口を掴むことに成功する。
「L・C・バレンというか…ソレが関わったと思われる過去の事件について知りたいと思いまして」
 そうして、自身が求める情報のいくつかを説明する。
 一切の忌まわしい記憶に蓋をして口を閉ざすものもいれば、警察には萎縮するが、そうでなければ出来る限り協力しようと考えるものもいる。
 みなものために扉を開いてくれた彼女は、どちらかと言えば後者に近いものだった。
「ん〜…わたしなんかはここに越してからまだ日が浅いしね…十何年も前のことなんて分からないのよ…ごめんなさいねぇ?」
「あ。いえ、いいんです」
 慌ててみなもが首を振る。
 人のよさそうな女性は、しばし考え込むように天井を見上げ、そして、
「ん〜…詳しい人をひとり知ってるわ。連絡入れてみてあげる。あの奥さんならこの町に生まれたときからいるって話だしね」
 一方的にそう決めると、パタパタとスリッパを鳴らして彼女は奥へ引っ込んでしまった。
 玄関の前でしばし取り残され、みなもはどうしようかと落ちつかなげに周囲を見回す。
 その視線の先、廊下から向かって右の扉が小さく開き、6歳前後と思われる少年がこちらを伺うように半分だけ顔を覗かせているのが見えた。
 その仕草がひどく可愛らしくて、みなもはつい笑みを浮かべ、小さく手を振る。
 彼女の行動に勇気付けられたのだろうか。
 彼はさらに身を乗り出してきょろきょろと周囲を見回し、遠くで聞こえる電話の声を確認すると、こっそり玄関まで足音を忍ばせて近付いてきた。
「おねえちゃん、えるしーばれんをさがしてるの?」
 ひそひそと母親に聞こえないように話しかけながら、彼はくるくると良く動く大きな瞳でみなもを見上げる。好奇心と正義感をまぜた瞳。
「え、ええ…」
 その答えに、彼の瞳がきらきらと閃く。
「うんとね、『えるしーばれん』はいるんだよ」
 母親の目が届かないところで、目線を合わせるように屈んだみなもの耳へ口を寄せ、小さく小さく囁いた。
「まーちゃんがね、みたっていってたもん」
「まーちゃん?」
「おんなじクラスなの。まーちゃんはいろんなものをみることができるんだよ?」
 みなもの琴線に触れる少年の紡ぐ言葉たち。
 だが、
「タケル?どうしたの?」
「あ」
 2人のナイショ話は、少年の母親が戻ってくると同時にふつりと途切れてしまった。
 タケルと呼ばれた少年は『なんでもないよ〜』とだけ残して、あっという間に部屋の奥へ隠れてしまった。
 それを視線で追い、少年がすっかり姿を消すと、困ったような笑みで、みなもへ向き直る。
「ごめんなさいね。あの子、何か変なこといったんでしょう?なんでも空想と現実がごっちゃになっちゃって……」
「あ、いえ……そんなことは……」
「子供って本当に、親の知らないところで知らないルールや物語を作っちゃうのよね」
 そうして笑いながら、彼女は一枚の紙片をみなもへ渡した。
 次に当たるべき場所を示した地図だった。
 みなもは礼を述べ、その家を辞す。
 あの少年のナイショ話に引っ掛かりを覚えながら。
 『まーちゃん』が見たと言うL・C・バレン。それは子供たちが作り出した空想と切り捨ててしまっていいのだろうか?



 L・C・バレンがやってくる……まっくら闇のその底で声を上げて笑ってる



「なんだか変な感じなんですよね……調べれば調べるほど、どうして石田さんがL・C・バレンの名前に拘るのか分からなくて……」
 シュラインからの連絡を受け、合流したみなもは、現段階まで調べ上げたことを互いに報告しあう中でひとつの疑問を口にした。
「ん。私もソレを感じていたところよ」
 図書館やインターネットで事件をまとめていても、魔物の仕業、もしくはその模倣と思える事件はどれもいくつもの謎を残す形で打ち切られており、その半数以上が迷宮入りを果たしている。
 自分が求めるものは、人の記憶に頼るしかなくなっていた。
 だが、この町の者は、魔物の名を口にしてもほとんどが不可思議そうに首を傾げ、まるでL・C・バレンはお伽噺だけの存在だとでも言うように振舞う。
 だが、この町のものはソレを重要視しない。
 石田があれほどに強い憎悪の念を持っている事の方が奇妙だと感じるほどに。
 2人にL・C・バレンの名を実在するものとして話聞かせてくれるのは、幼い子供達だけである。
「後はこれ。蓮の方から送られてきたものなんだけど……」
 眉をひそめて、シュラインはパソコンを起動させる。
「私のルートでは入手できなかった画像が来たわ。」
 食事中でなくとも出来る事なら遠慮したいと思わせる、凄惨な犯行の記録がそこにある。
「……みなもちゃんは見ない方がいいかもしれないわね」
「………あ」
 シュラインの横から画面を覗き込んでいた水晶が小さく声を上げる。
 色とりどりの風船。
 鮮やかにふわふわゆらゆらと揺れて、水晶の目を楽しませてくれる。
 神社であったり、薄暗い路地裏であったり、時には公園の隅に風船が見える。
「水晶君?」
 訝しげにシュラインが名を呼ぶ。みなもが心配そうに顔を覗き込む。
 だが、水晶の視界は、デジタル信号に置き換えられた写真画像に引き込まれていた。
 風船の傍には必ず、ピエロと子供の影が寄り添っている。
「L・C・バレンは本当にいるんだよ。見えるの。いっぱいいっぱい風船が見える」
 食い入るように画像を見つめ、水晶が自分だけが見える映像を2人へ告げる。



鏡の中で閃く蒼い瞳。
歪められた毒々しい赤色の唇が、記憶の向こう側から手招きする。



 L・C・バレンと呼ばれた男の軌跡。子供の前にだけ現れるまやかしの存在。
 だが、ソレは確かに実体を伴ってこの町で跳梁しているのだ。
 シュラインと蓮の間で交わされたメールから、ひとつの方向と可能性が提示される。
 そして、今、彼のために情報網から用意されたのは、モノクロのイメージを持つ古い記録だった。
「和製ジャック・ザ・リッパーってところかな」
 パソコンのディスプレイに表示された内容を読み終えた蓮の、最初の印象はそれだった。

 この国がまだ『昭和』と呼ばれていた頃、外灯もほとんどなく、いくつもの闇が文字通りそこかしこにわだかまっていたその時代に伝説は生まれた。
 人は簡単に狂気に囚われ、簡単に凶器となれる。
 大量のビラを撒き、様々な楽器を打ちならして、どこからともなくやってきた移動サーカスの一団は、この村で華々しい幕を開けた。
 連日、人が押し寄せ、賑わいを見せていた。
 そんなある日。村中の子供が一斉にいなくなるという事件が起きた。
 親は警察とともに、半狂乱となって村の周辺や森を一晩中探し回る。
 誰もが、余所者であるサーカス団を疑った。
 しかし、テント小屋に子供達の姿はない。
 風船を持った子供達が、道化師とともに森へ歩いていったの見たというものも現れた。
 子供達の安否を気遣い、なんでもなかったのだと安心する瞬間を思い描いては祈り続けた。
 だが、村人達の願いは全て裏切られる。
 夜が明け、陽の光が森を照らす頃、彼らは自分の子供が折り重なるようにして草叢に倒れ伏しているのを発見する。
 闇から闇を渡り、子供を奪われた悲痛な嘆きだけを村に残して、サーカス団の一員だったはずの道化師は跡形もなく消え失せてしまった。

 ソレが真実かどうかは分からない。
 だが、悲劇を為した最初の出来事として、この土地に歌と記憶を刻んだのは確かなのである。
「歌が出来て、イメージの刷り込みが起こって……そして……噂は噂を生む」
 それから三度、L・C・バレンはこの町に現れていると聞く。
 月の狂気に支配された魔物は、時を経て、村から町へと成長を遂げ、急速に近代化を進めるその流れを嘲笑うかのように。
「………そいつが不老不死の化け物じゃない可能性なんて、誰にも否定できないよね……」
 村に深い傷を負わせた彼の瞳は、氷のように澄んだ蒼だったという。



底知れぬ闇の中から、ソレは蠢き、声を発する。
移ろい、漂う、混沌とした意識の中で、その囁きは次第に強く心を支配していくのだ。



 調査の途中経過を報告するという名目で、みなもと水晶とともにシュラインは石田の家を訪問した。
 3人が通された応接間。以前会った時よりもさらに消耗しているらしい彼を前に、彼女はそっと話を切り出す。
「お聞きしたいことがあります」
 気になっていたことがある。
 初めて彼が興信所に訪れた時、ソレは実に些細な引っ掛かりだった。
 だが、みなもとも話したように、事件を遡り、この町の者達と接するうちに微かな違和感からそれは次第に広がり、苦しむ男が持つ執着に不自然さを感じずにいられなくなる。
「この町で育った方、あの歌を知っていらっしゃる方……いろんな方とお会いしましたが、石田さんのようにあの魔物と事件を結び付けて考えられる方はほとんどいらっしゃいませんでした」
「………そう、ですか……」
 視線を移ろわせる彼の顔を、シュラインはまっすぐに見据えて問う。
「何故L・C・バレンの仕業だと確信されたのか、その理由を教えてくださいませんか?」 
 正面に座し、自身を見つめるシュラインの青い瞳を、石田は受け止めることも出来ず、俯く。
 みなもと水晶はただ静かに、二人のやり取りを見守っていた。
「………それは……」
 そして、わずかな沈黙を経て、ようやく絞り出すような声で告白する。
「………ずっと昔に……会ったことが…あるのです」
 石田の身体が小刻みに震え出す。
「……あの時のことは今でも鮮明に覚えているよ……」
 その視線はどこか遠くを見ており、精神がこの現世から遊離したもの特有の危うげな表情がそこに浮かぶ。
 満月の光が世界を闇の中に浮かび上がらせる。
 どうすることも出来ない無力さに打ちのめされた記憶は、彼に深い傷を残している。
 苦しげな告白が、よりいっそう石田の身に濃い影を落とす。
 シュラインは彼の想いを受け止めるように静かに見つめていた。
「………ずっとずっと昔……私がまだ幼かった頃に………それは一度この町に姿を現したんです………」
 怯えと怒りをないまぜにした瞳には、燃える闇が垣間見える。人はそれを妄執と呼ぶのだろうか。
 鮮赤の海とけたたましい哄笑。耳について離れないそれは、昼夜を問わず自分を苛む。
 結婚をして、子供が出来て、妻を早くに亡くしたけれど、息子の成長を心の糧として日々を営んできた。
 幸せになれると思っていた。こんな日が当たり前に続けばいいと思っていた。なのに、アレは再び自分から全てを奪っていったのだ。
 記憶が交差する。
「……雅人……雅人雅人雅人雅人…………」
 言葉は続かず、ただ、痩せこけた頬を流れ落ちる自責の涙。
 あの魔物は今も闇に潜んでいる。自分はそれを知っている。なのに何も出来なかった。息子を護れなかった。
 石田は両手で自身の顔を覆い隠し、呻くように息子の名を繰り返す。
「……………」
 水晶は一言も発せないままに、ただ、膝で握られた自分の指をじっと見ていた。
 大切なものを残酷な手口で奪い去られた事実を抱え込み、怯えと怒りを含んだ悲しい男を『怖い』と感じる自分はいけないのだろうか。
 シュラインとみなもには見えていないらしい。だが、水晶にははっきりとソレが目視できる。
 あの画像から読み取ったものが目の前にいる。
 石田の背後で、半ば彼に同化するようにして自分達を見下ろす仮面の道化師。
 滲み出る血の臭いが、嘔気とともに不吉な存在を指し示していた。
 全身の神経を刺激する視線に吐き気を堪えながら、水晶はひたすらじっとしていた。



L・C・バレンがやってくる……道化の仮面がボクを呼ぶ



 はじめの被害者から数えて四度目の満月が訪れる。
 道化師から次に風船をもらったのは誰なのか。
 この町の至る所―――メールを通じ、水晶が見たという影が色濃く揺らぐ場所も含めて配置していた小さきものどもが、蓮の周囲を取り巻いていた。
 それらの囁きに耳を傾けながら、冷たい闇色の瞳は、その温度を氷点下にまで下げていく。
「そう……次はその子なんだね?」
 闇の中に潜んだまま、今日までただの一度も動こうとしなかった標的が、ようやく蓮の前に姿を現し始めたのだ。
「だったら、ボクもそろそろ森に出向かなくちゃね」
 たとえば起訴に持ち込めるようなレベルの証拠はここにはない。
 だが、蓮の元には各方面からの情報がある。
 推理を展開し、ソレを確信するに足るだけの材料が、警察や精神科、そして何より監視者としてこの町の動向を見張らせたものたちによって集められている。
「もう、あいつの好きになんかさせないよ」
 


風船を手にしたら、月の光をスポットライトに、ショータイムの始まりを告げる。
色鮮やかな演出で君を夢の世界へ連れて行ってあげよう。



「シュラインさん…これ…」
 みなもの震える指先が指し示すもの。
 シュラインの呼びかけによって送られてきた、あるルートからのローカル週刊誌。
 L・C・バレンを髣髴とさせる事件を取り上げたその中で、ひとつの名前に行き当たる。
 17年前のゴシップ記事。そこに取り上げられた幼い少年の訃報は、彼女達にもたらされた小さな疑惑に拍車をかける。
 何気ない古い地方週刊誌の一文が、伏せられた事実から2人に呼びかけるのだ。
「……もう一度、石田さんに話を聞くべきかしらね」
 シュラインの表情に厳しさが増す。
 違っていて欲しいと願う心のどこかで、もしかしたらと囁く声。

 水晶は、影が見えるといった。
 蓮から送られたあの画像に写りこんで揺らめく闇色のソレは、哀しい記憶を持つあの男の背後にも、半ば同化するようにして現れていたという。
 限りなく答えに近いところまで、自分達は辿り着いてしまったのかもしれない。

 案の定と言うべきだろうか。
 タクシーを走らせ、彼の自宅に向かったが、石田はそこにはいなかった。家の照明は外から伺う限り全て落ちており、人の気配もまるで感じない。
 電話は繋がらない。会社にもかけてみたが、彼は体調不良を訴えて、定時には退社を果たしていた。息子を亡くしてからは度々、彼はそうして残業をせずに帰宅することがあったらしい。
 無人の暗い家とは対照的に、町では赤色灯がざわめきとともに夜を照らし、それによって生まれた陰影がそこかしこに生まれては消えていく。
 東の空では満月が緩やかに昇り始めている。
 心をさざめかせる予感は、加速度的に、不吉さを増していった。
「森に行きましょう、シュラインさん」
「ええ」
 焦燥感に煽られながら、二人は月の魔物が潜む暗い森へと向かう。



L・C・バレンがやってくる……まっくら森からやってくる




 月が満ちたとき、魔物は目を覚ます。
 今夜は闇の気配が濃い。
 陰惨な事件とともに漂う独特な空気の重圧に水晶は眉をひそめ、軋んだ音が内側から聞こえてくる感触に胸を掴む。
 嫌な音。嫌な匂い。水晶の動物としての本能に響く、不吉な色彩。そこに紛れこみ、飲み込まれようとしているのは、小さな子供の気配。
「いそがなくちゃ……」
 道化師の影を追いかけ、辿り着いたのは事件現場として報道された森の入り口。
 鬱蒼と茂る木々の合間を縫って、奇妙な声があたりの空気を震わせる。
 水晶はその透き通るような眼差しを森へ向けた。
 満月の光が仄かな明るさを保っている世界。月の元で見る夜の世界は、美しくもあり、恐ろしくもある。
 左右に目を馳せてみるが、緩やかな傾斜に根を張る植物以外、見渡す限り水晶の視界に不可解と思えるものは入ってこない。
 ただ、森を覆う腐臭に胸が苦しくなるのを感じていた。
「………あ…」
 不意に訪れるフラッシュバックにも似た追体験。
 夜の時を刻む月の運行。
 幻想的で病んだ世界は、この森が持つ記憶。
 子供達の悲鳴。道化師の幻影。闇の中で閃く白い凶器。
 飛び散る鮮赤。
 抗うこともままならず、幼い身体が地で跳ねる。
 幾度も繰り返し切り刻む破壊行為に、間断なく続く悲鳴が次第に力ないものへと変わっていく。
「……ここにも……」
 写真の枠に切り取られた現場写真よりもさらに生々しく、それは地面に這いつくばるようにして倒れ伏していた。
 損傷の激しさゆえにいっそ作り物めいてさえいる小さな身体。
 幸いヒトの『魂』ではない。突然の不幸に見舞われた子供の、それは残留思念と呼ぶべきものであった。
 許せない許せない許せない―――――
「!?」
 不意に水晶の聴覚に飛び込んできた、けたたましい哄笑。
「見つけた!悪いやつ!!」
 揺らめく幻影ではなく、明確に響き渡る声を頼りに、森の中を駆け抜ける。



L・C・バレンがやってきた……



「やっぱり来たね」
 蓮の目は細められ、目の前の道化師と対峙する。
 口元に浮かぶ残酷な冷笑は、子供であって子供ではない。
 月光が満ちる青白い世界で、彼の腕には、風船を指に結ばれた幼い少年がぐったりと意識のないままに抱きかかえられている。
「ソレが目印?本当に細かいところまで物語をなぞってるんだね」
 挑発めいた笑みを浮かべ、蓮が右手を空にかざしたその瞬間、
「ちっちゃい子にひどいことするな!」
 群生する草葉を薙ぎ、地面に這う木の根を越えて、思いがけない跳躍で一気に間合いを詰めた水晶が、鋭い歯牙で魔物の腕に喰らいつく。
「――――っ!」
 不意打ちを喰らった男は、小柄な水晶の身体を、抱きかかえていた子供を投げつけるようにして振り落とす。
「きゃうっ!」
 とっさに子供を庇った水晶は、受身も取れずに地面に叩きつけられる。
 軋んだ音が上がり、前身を走る痛みが一瞬、彼から視界を奪う。
「………ふうん……面白いね」
 地面に倒れこんだ水晶と、それに気を取られた道化師を蓮はするりと視線でなぞり、
「さてと、人質は返してもらえたみたいし……おしおきを始めてもいいかな?」
 首を傾げて、笑いかける。



 森の中。無数の足音。少年の名を叫ぶものたちの声。動物の鳴き声。草を踏み荒らす音。あらゆるモノが交じり合う混沌の世界で、シュラインは目的の音をその驚異的とも言える聴覚をもって追い続けていた。
 甲高い哄笑が森に反響している。
 子供が攫われた。
 みなもが数日前にこの町で出会った少年だった。
 L・C・バレンはいるのだと、そっと耳打ちしてくれた彼は、今日の午後、母親とともに商店街の買い物に出かけた先で、そのまま姿を消したのである。
「みなもちゃん、こっちよ!」
 急がなくてはならない。悲劇をこれ以上繰り返してはいけない。
「ようやく分かったと思ったのに……」
 悔しそうにみなもは唇を噛む。
 自分は満月となるこの日まで、事件の真相に辿り着けなかった。
 ペットボトルを詰め込んだカバンを胸に抱き、シュラインの後を走り続ける。



鮮赤の飛沫をその肌に受けて、楽しく踊り、楽しく歌おう。
観客は要らない。
キミが楽しんでくれれば、それでボクも楽しくなれる……



「全部、分かってるんだよ、オジサン?」
 蓮の口元に刷いた微笑は、鋭利な氷の刃となって男を見据える。
 小さき異形たちの無数の鉤爪が、道化師を取り囲み、その見の至る所に突きつけられている。これは警告。
「17年前にも見たんだよね?」
 意識を失ったまま動けない少年を抱えて、水晶がじりじりと距離を開ける。
 ソレを横目で確認しながら、蓮は道化師の意識を引き付ける。
「でもね、僕は子供の味方……どんな理由も可哀想だなんて思わない」
 彼の足元から闇色の炎が立ち上がる。不定形に揺らめき、悪意ある存在が蓮の手の中にわだかまる。
 そこから生まれ出でる異形の群れが、さらに道化師を取り巻いていく。
「ねえ?赦されるなんて思ってないよね?」
 蓮の指がゆっくりと男の喉元を指し示す。
 あと一言発すれば、黒き異形の包囲網が一斉に襲い掛かる。
「じゃあね?」
「やめてください!」
 だが、悲鳴に近い声が、連と道化師の間に割り込んでくる。
「ダメよ!その人を攻撃しないで!」
 とっさに立ちはだかったみなもに、異形の爪と吐き出す闇の炎が襲いかかる。地獄の業火に身を焼かれ、彼女が纏う水の鎧が蒸発音を上げる。
「きゃっ!」
「!」
「蓮、やめて!その人は―――っ」
 膨張を続ける疑惑は、道化の哄笑によって破裂し、一片の望みもなく、シュラインに最悪の確信をもたらした。
 知り合いの精神科医は言っていた。
 ヒトは簡単に心の中に闇を飼う。一度芽生えた闇は、心的外傷を養分にいっそあっけないほど簡単に狂気へのスイッチと変わる、と。
「その人は……」
「知ってるよ。それがどうしたの?」
 今、目の前に立つ道化の正体が誰なのか、ソレを承知の上で蓮は攻撃を止めるつもりはなかった。
「同一犯だと思うから齟齬が生じる。あらゆる事象が繋がらない。はじめの事件と他の3件の犯人は別だったんだよね?」
「……ええ、そのとおりよ、蓮……」
 どこかで予感していた最悪の方向へと動き出す流れは、4人に真実を突きつける。
 ディスクに収められていた画像ファイル。その中で、はじめの被害者は、遺体の損傷が激しく、刃物による傷の他にまるで獣にでも食い荒らされたかのような跡が残っていた。
 そして、彼の指には、風船を繋いでいたであろう糸が結ばれてはいなかった。
 小さな差異であったと思う。だが、綻びはそこから次第に広がっていく。
 思考の方向性が、ある一点に向かい始めたきっかけのひとつと言ってもいいだろう。
「分かっているのならやめて。その人は私たちが手を下していい相手じゃないわ」
 彼女達のやり取りを、道化師は、その喉元に異形の鉤爪をつき付けられながらも、ただ楽しげに眺めていた。
 暴かれていく真相に、男の心はまるで無頓着のようだった。
「でも、どんな理由があっても、ボクは許さないといったはずだよ。」
 笑って、再び蓮の声が小さきものたちへの攻撃命令を下す。
「くっ―――!」
 みなもの指先によって意思を持った霊水が、道化を取り巻く異形をことごとく消滅させる。
「へえ、やるね」
 目を細めて、蓮はその光景に軽く称賛を投げかける。
「でも、ちょっと数と力でボクが勝ったみたい」
「え?」
 みなもの霊水をすり抜けた小さきモノの獰猛な爪が、道化師の顔面を狙って一閃する。
「!」
 ――――パリン……
 いっそあっけない程簡単に、仮面は砕けて空に弾け飛んだ。
「………石田さん……」
 仄暗い月光とブラックライトの前に晒された殺人者の素顔に、みなもはうめき、シュラインは苦しげに眉をひそめた。
 仮面の下から現れたのは、息子の死を悼み、興信所の扉を叩いたはずの男だった。
 そこに昼間の面影はどこにもない。
 この森と同じように、彼もまた、闇に囚われた狂気の表情をそこに浮かべている。
「………やっぱり、貴方だったんですね……」
 自分と同じ境遇の親を増やしたくないと、切に願い、仇を討ちたいと望んだ彼が犯し続ける罪。
「………どうして…こんなことを………」
 一切の質問に答えを返す代わりに、ソレはにぃっと口元を歪めたおぞましい笑いを浮かべる。
 そして、傷付き哀しい瞳を向けるみなもへ、男は凶器を振り上げた。
 闇から湧き出すようにして自身と取り囲む異形の攻撃などまるで意に介さず、痛覚などどこにもないかのように鮮血を空に撒きながら、ソレは狂った刃でショーを続ける。
「やめて!やめてください、石田さん!!」
 水の鎧で攻撃を弾き、みなもは何とか石田の意識を取り戻そうと叫ぶ。
 大切なものを失った痛みに打ちのめされていた彼の姿が浮かぶ。
 彼のために、自分はこの調査を遂行したいと願ったのに。
「石田さん!」
「貴方の息子を奪ったものと同じものにならないでちょうだい!」
 シュラインもまた、声を張り上げて、彼に呼びかける。
 彼の、親としての心を目覚めさせたいと願って。
「…………僕が…悪い心を取り除いてあげる」
 月は人を狂わせ、魔を呼び込む。
 だが、繰る者が変われば、それは浄化の光ともなるのだ。
「元の石田さんに戻してあげるの!」
 水晶の掌に収束する月の光が、いまだ笑い続ける道化師へと放たれる。
「――――――――っっ!!!」
 膨れ上がり、破裂する閃光。
 闇の森を照らし出す蒼い浄化の炎が、蓮の操る異形もろともに、男の身体を呑み込んだ。
 石田ではありえなくなった闇の道化師は、断末魔の悲鳴をとどろかせ、身悶える。
「あ、ああ――――ああぁあ………っ……」
 『L・C・バレン』の顔に『石田』が戻ってくる。
「……声が、する」
 怯え、戸惑いながら崩れるように跪く。
「……あの子の声が…耳について離れない………」
 ここはどこなのか、自分は誰なのか、自分は何を為そうとしていたのか。それら全てが正気を取り戻した彼の心に雪崩れ込んでくる。
「雅人…雅人の声……あの子の声が離れない」
 押し寄せる記憶に心が埋もれていく。
「………………よう…す…け………」
 焦点の合わぬままに、弟の名を口にし、そして
「あ、ああああああ―――――っ!!」
 彼は狂気と正気と罪悪に襲われ、絶叫する。
「やめてっ!!」
 引き裂かれた喉の内側から、鮮血が飛び散る。
 彼は自身への攻撃に対し、一切の迷いはなかった。
 誰の静止も間に合わないうちに、彼は自身の手で悲劇の幕を下ろした。
「……………そんな……」
 彼に巣食う闇を消してしまいたかった。水晶の思いはただそれだけだったのだ。
 だが、完全な狂気と闇に支配された男には、取り戻された人としての心に耐えることが出来なかったのだ。
 そして、防衛本能護によって奥底へ眠らされていた『石田』という人格は、雪崩れこんできた一切の罪の重圧に押し潰され、自我崩壊を起こした。
「こんなつもりじゃ…なかったの……」
 陶器のように白い水晶の顔が、血の気を失って蒼みを増す。
 カタカタと小刻みに全身が震えだすのを止められない。
「水晶くん……」
 シュラインが手を伸ばし、小さな身体をそっと慰めるように抱きしめる。
「この人は、こうなった方が良かったんだよ」
「蓮?」
「だって、考えてもごらんよ。この人は生きてたって護るものなんかない。殺人犯と成り下がった罪を償う強さもない。良くて、永久に白い壁の向こう側、だよ」
 淡々と告げる少年の言葉に反発を覚えなかったわけではない。だが、シュラインの脳裏に浮かんだのは、連続殺人犯のレッテルとともに社会から抹殺され、永久に壁の向こうで罪悪とL・C・バレンの幻の苛まれる哀れな男の末路だった。
「………少なくとも、今回の事件だけに限っていえば、何十年と遡る必要なんてなかった……発端は17年前にあったのよね……」
 シュラインは、かつて石田であったものに視線を固定したまま、静かに、散りばめられた『事実』の断片を組み上げていく。
 みなもや蓮もまた、始発点は違ったが辿りついた終着点はシュラインとほぼ同じである。

 『Lunatic-Cain-Vallen』誕生の瞬間。
 17年前の悲劇がもたらしたもの。
 当時6歳だった石田庸介は、身体の数十箇所を刃物で引き裂かれた姿で森に捨てられていた。
 血溜まりの中に倒れ付していた彼の指には風船が絡みついており、彼の死亡推定時刻は前日の午後11時から午前2時。満月の光が最も美しい真夜中だった。
 そして。
 第一発見者には、彼の兄である石田庸一の名が記されていた。
 おそらくは、あの現場を見た瞬間に刷り込まれたイメージは、子供達に歌われた蒼い瞳の笛吹き男であったのだ。
 抉られた傷跡に闇は浸透し、L・C・バレンの記憶は彼に狂気を植え付け、月の光が闇に染まった心の引き金となる。

「………この人は、お月様に……」
 シュラインの腕の中で震えながら、水晶は石田の亡骸を見つめる。
 胸に飛来するやりきれなさ。どうすることも出来なかった空虚な思い。
 衝撃は拭い去られないままに、悲劇は繰り返されてしまった。
 17年の時を越え、重なる血の記憶が、彼の中に潜む闇を目覚めさせたのだろう。
 みなもは、そっと手の伸ばし、事切れた男の瞼を閉ざす。
「…………石田さん……」
 あたりには錆びついた血の臭いが充満している。
 蓮の周りに集まる小さき異形たちが、先程からざわめき立っていた。
「……ん、そうだね。ソレもいいかもしれない」
「え?」
「いいよ」
 凍りついた表情のまま、彼はシュラインたちの目の前で骸を指差す。
 ソレが合図だった。
「いや!!」
「蓮!?なにをするの!?」
 みなもとシュラインの声が、驚愕となって彼の意図する行為に静止をかけた。
 だが、命令は下されてしまった。
 悲劇の男に群がった異形たちが、一瞬にして『L・C・バレン』の名に支配されたひとりの男をこの世界から完全に消し去ったのである。
「どうして……どうしてこんな……」
「………さあ?」
 本心はけして語らない蓮の瞳に一瞬だけ悪魔の慈悲とも言うべき突き放した光が向けられたのを、みなもは見た気がした。
 このまま真相を闇に葬ってしまえば、彼は被害者の父親という立場のまま、殺人者のレッテルを貼られずに眠ることができるのかもしれない。
 だが、彼に真意を問うより先に、蓮はひとり、3人に背を向けて森の奥へと姿を消した。
 静寂が辺りに降りてくる。
 互いの息遣いだけがそこにあり、やがて、遠くから捜索隊が張り上げた声が届き始めると、シュラインは震えの止まった水晶の肩を叩き、
「帰りましょう?」
 静かに二人を促した。
 未だ意識を失ったまま目覚めない少年の身体を抱き上げ、水晶とみなもを気遣いながら、シュラインは捜索隊と合流するために歩き出す。


 悲劇は悲劇で以って幕を閉じる。
 けれど、本当は何も終わってはいない。
 この町は悲劇の連鎖を刻んだ哀しい影に覆われている。


 住み慣れた夜の街に溶け込みながら、蓮は誰にも届かない声で小さく呟く。
「L・C・バレンに全ての罪を被ってもらえばいいんだよ……あいつが始めたんだから……」



L・C・バレンがやってくる
まっくら森からやってくる
L・C・バレンがやってきた
道化の仮面が僕を呼ぶ




END

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【0086/シュライン・エマ/女/26/翻訳家&幽霊作家+時々草間興信所でバイト】
【1252/海原・みなも(うなばら・みなも)/女/13/中学生】
【1790/瀬川・蓮(せがわ・れん)/男/13/ストリートキッド(デビルサモナー)】
【1799/水上・水晶(みなかみ・あきら)/男/1/水上巧の飼いウサギ】

【NPC/石田・庸一(いしだ・よういち)/男/32/会社員】

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■         ライター通信          ■
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 はじめまして、こんにちは。誤字脱字王の道をひた走る駆け出しライター・高槻ひかるです(ぺこり)
 この度は当依頼にご参加くださり誠に有難うございます。
 そして、大変大変お待たせいたしました!!締切ギリギリとなりましたが、ようやく「LCバレンがやってくる」をお届けできます(平伏)

 調査系のプレイングがメインと言うこともあり、『今回は何となく推理小説風味にしてみたいな〜』とか身の程知らずにも思っておりましたら、気付くと今までで一番長い話となってしまい、なんだかエライコトになっております(……)
 その上、当初の予定よりもさらに後味の悪い結果となってしまいました。
 お待たせしてしまった分も含めて、少しでも楽しんでいただければ良いのですが……。

 なお、今回はシナリオに分岐点はありません。全て共通となっております。


<シュライン・エマPL様
 4度目のご参加、有難うございます!!いつもお世話になっております。
 今回唯一の成人PC様ということで、少々保護者よりのイメージが強くなっております。
 また、情報収集の方向性を示されたプレイング内容では、本当に印象的な視点をお持ちだなとしみじみ感じました。

 それではまた、別の事件でお会いできますように。