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<東京怪談・PCゲームノベル>


殺虫衝動『誘引餌』


■序■

  >差出人:平
  >件名:ようこそ

  >ウラガ君へ。
  >きみのムシを見た。それと、娘さんも。
  >面白い娘さんをお持ちのようだな。
  >だがとにかく、我々はきみを受け入れる準備を終え、
  >きみは我々と目的をともにする権利を勝ち取った。
  >おめでとう。『殺虫倶楽部』にようこそ。

 『平』からの歓迎メールが届いてから、早くも一週間が経っていた。御国将は元気でやっていたし、彼の影も大人しかった。あれから『平』からの音沙汰はない。
 しかし、実は将は困っていたところだった。『ムシ』の噂が見る見るうちに大人しくなりを静めるようになり、それに伴って『平』の噂もまた消えつつあったのだ。
 本来なら喜ぶべきことだが、ここのところ血生臭い事件もまた姿を消していた。急に日本は平和になったのである。
 しかし、将やごく一部の人間の胸騒ぎは続いていた。
 これで終わったわけではない――
 胸を撫で下ろすのはまだ早い――
 将の影は、まだ揺らめいているのだから。
 そして、今まで消えてしまった人間が戻ってきたわけではないのだから。長屋正彦という大学生の消息もまた、未だに不明のままだ。

 平から将のもとにメールが届いたのは、そんな矢先だった。
 いや、おそらくメールを受け取ったのは将だけではあるまい。将のメールアドレスは、いつの間にやらメーリングリスト『殺虫倶楽部』の末席に加えられていたのである。
 そのメールは、誘いであった。


  差出人:平
  件名:招待状

  ウラガ君へ。
  待たせてすまなかった。
  今夜、きみを会合に招待する。是非来てほしい。
  刑事もお前を待っているぞ。
  場所は晴海埠頭近くにある三丸14番倉庫だ。


 刑事――。
 自分と接触した数日後に失踪してしまった、埼玉県警の嘉島に違いない。将は確信し、これは誘いではなく脅迫か罠に違いないと、内心頭を抱えた。ウラガこと自分のストレスという武器はあるのだが、一人で行くのはおそらく危険だ。頼れる知人と連絡を取った方がいい。
 彼はそう判断した。

 ――晴海埠頭か。あそこには、よく自衛艦が来るんだよな……。


■熱い昼、暑い夏■

 梅雨も明け、東京には夏がやってきた。
 藤井葛の日課は、パソコンを起動すること、そして日が沈んで涼しくなってきたら徒歩3分の近場にあるコンビニに行き、明日のためのアイスや飲み物を買うことになっていた。
 昨日買っておいたレモン味のアイスをかじりながら、葛は今日もパソコンに火を入れる。
 卒論に手をつけようと思って電源を入れても、OSが立ち上がれば無意識のうちにネットゲームのアイコンをクリックしてしまっていた。
 だがその癖も、最近は制御できるようになってきていた。今は卒論すらも及ばないほどに深刻な問題に直面しているのだから。
 彼女は以前のように出歩いて風景を撮影することも少なくなってきていたが(何しろ暑い。この炎天下でデジカメを片手に散策など、逆にストレスが溜まりそうだ)、頭痛や苛立ちは不思議なほどに治まりつつあった。
 何がきっかけで苛立ちがおさまり、彼女が影を恐れずに済むようになったのか――彼女は、何となくわかっていた。


  宛先:ウラガ
  件名:命名

  平には、私があなたの娘じゃないことを言っといて。
  あ、名前は、ナギにした。
  むかし飼ってたペットの名前だよ。
  今度またメールが来たら教えてくれるかい?
  日本刀があるから少しは役に立てると思う。


 将に送ったメールの中で、葛は、「ナギがいるから少しは役に立てると思う」とは言わなかった。霊感も神通力も持たない彼女ではあったが、己の影が『負』の属性を持つ存在と化していることを感じ取っていたのだ。頼りにするのは間違っている。
 ナギが顎を鳴らすかちかちという音は、ここ数日めったに聞こえなくなっていた。それは、良いことなのだ。
 葛はレモン味のアイスをくわえて、メーラーを起動する。
 1週間、音沙汰はなかった――だが、その日、動き出した。


■縁と所縁■

 ウラガはアトラス編集部に居た。つまらなさそうにパソコンの画面を眺めつつ、マグカップに入った安物の緑茶を飲んでいた。
 ウラガこと御国将は、藤井葛の姿を認めて、「おう」と表情を少しばかり明るくした。さすがに仲間が駆けつけてきてくれたときにもつまらなさそうなままでは、付き合いがいがないというものだ。
 涼しげなタンクトップを着ているにも関わらず、額に汗を浮かべている葛を見上げて、将は呑気なことを口走った。
「外は暑いのか」
 確かに、ここまで急ぎ足でやってきたせいもあるが、葛は白王社ビルに入った途端に生き返ったような気がしていた。この編集部内もとりあえずエアコンが稼動しており、快適な温度になっている。どうやら将はこの楽園のような編集部内に一日中居たらしい。
「こんなに昼間暑かったなんて、私もつい最近知ったよ」
 葛は露骨に顔をしかめながらも、当り障りのない答えを返した。
「わざわざ来てくれたのは有り難い。返事がないから不思議に思ってた」
「もっと不思議に思えることがあると思うけど?」
 葛は道すがら買ったペットボトル入りのスポーツドリンクをあおる。将が首を突き出して顔をしかめ、葛の皮肉の真意を探った。彼は頭の回転が早い方だ。すぐに、「ああ」と呻き声のような生返事を返してきた。
「……ここ1週間、平和だな」
「だろ。ネトゲの時間返上で調べてみたけど、ムシの噂も平の噂も火が消えたようだよ」
「……お前、22だったな。4年か?」
「なに、何さ、突然。……今年で卒業だけど」
「ネトゲをアンインストして卒論やれ」
「うるさいね! 教授と親から言われるだけでたくさんだよ」
 将の父親じみたお節介に、葛は反射的にむきになった。緑の瞳にねめつけられて、将は珍しく苦笑を浮かべた。葛は日本刀を振るうその気迫で、ばっさりと将に反撃した。
「言わせてもらうけど今月の『ムシ』の記事、誤字があったね。そっちも真面目に仕事したほうがいいんじゃない?」
「なに!」
「今回の話が終わったら教えるよ。……それで、行くのかい?」
 これもまた珍しい将の慌てぶりをさらりと流し、葛は涼しい目で、追っている事件の話を促した。
 行くのかと問われ、将はそれまでの慌て様をあっと言う間に消してしまった。またしても唸り声のような生返事をすると、自分の影に目を落とす。
 彼の影は――影のままだ。
 『ウラガ』、
 名前をつけた頃から、影は自分の言うことを聞くようになったのだという。それは、葛も身をもって知っていた。
 今も彼の言いつけを守っているのか、影は影のまま。蛍光灯が照らし出す、灰色のぼんやりとした影だ。この世の法則の通り、揺らめきもせず、将の動きに従っている。
「罠というか、危なそうな匂いがする」
「私が同行するのでは心もとないって?」
「『来てくれて有り難い』って言っただろう。別に建前でも社交辞令でもない」
 つまらなさそうな顔だったが、彼の言葉には若干の笑みが含まれていた。
 彼はマグカップの緑茶を飲み干すと、立ち上がった。


■タイラー・ダーデンを知ってるか■

「タイラー・ダーデンを知ってるか」
「え?」
 晴海埠頭までのバスを待つ間、冗長とした沈黙が続き、将がやがて口を開いた。どこかで聞いたことがあるような問いかけだった。
 葛が訊き返すと、将は何とも自嘲的な笑みを浮かべた。
「映画だ。『ファイト・クラブ』だよ。有名だろう? 俺はわりと好きだ」
 1999年公開。ブラッド・ピット、エドワード・ノートン主演。デイビッド・フィンチャー監督。将の口ぶりは妙に懐かしそうだった。
「平はタイラー・ダーデンをもじった名前なんじゃないかと思ってな。メーリングリストの名前も殺虫倶楽部ときてる。これで『会合』でやっていることが殴り合いかテロの準備だったら完璧だな」
「なるほどね……何か引っ掛かってはいたんだよ、『殺虫倶楽部』って名前。ルールその1は、『殺虫倶楽部のことは誰にも話すな』かい?」
 ふん、と将はかすかに笑った。
「想像通りの会合だったら、将さんは闘う?」
「冗談言うな。喧嘩なんかやったことないぞ。……お前はどうなんだ」
「私は……」
 葛は影を見つめながら、日本刀を収めた竹刀ケースを握る手に力をこめた。
 ケースには、二振りの刀が入っている。将は知らないだろう。葛は、将のためにもうひと振り用意してあったのだ。これがまた、必要ではなくなるのだろうか。葛は将が影を使わずにこの刀をとることを密かに願った。
「私は、これを使うよ」
「また銃刀法違反か」
「ひどい言い草」
 葛は、少し傷ついた。
 バスが来ていた。


■三丸14番倉庫にて、20:21■

 貸し倉庫はかなり大きなもので、かなり古くもあった。周囲には物が多い。錆びつき具合や古めかしさから見て、放置されているものがほとんどなのだろう。
 葛はぐるりと周囲を睥睨した。辺りはしんと鎮まりかえっていた。しかし――蒸し暑い。こうも暑いままでは、この沈黙が煩わしく思える。涼しい夜風のもとの沈黙は、ときに安らぎさえ覚えることもあるが。
 ごぅん、
 不意の物音はいやに大きかった。葛は竹刀ケースから刀を抜き取った。将も身体を強張らせて、音の出所を探る。
 先に音の出所を掴んだのは葛だった。14番倉庫の入口だ。鉄で出来た頑丈そうなドアで、錆びついたシャッターの隣にあった。
 ごぅん、
 再び物音。
 二人が睨むドアは、音とともに確かに揺れた。二人は顔を見合わせる。中に何かが居ることは、間違いなさそうだ。将は軽く葛に頷いてみせ、古いドアノブに手をかけた。葛は刀の柄に手をかけ、ちろりと唇を舐めてから、じりじりと鉄のドアに歩み寄る――
 開けるぞ、
 将は確かに目でそう言うと、ドアを開けた。
「ぅおっ!」
 珍しいことに、将が悲鳴を上げた。葛が動くより先に将は動いた。よほど驚いたらしい。彼は中に入らず、慌てて外に飛び出し、重いドアを閉めた。彼の影がぞわりと波打ち、ざわざわと形を歪めた。鎌首をもたげはしなかったが、将の影は百足の形になってしまっていた。
「どうした?!」
「み、見ない方がいいぞ」
「何があったの?!」
「と、鳥肌が立った。くそっ、見るだけでストレス溜まりそうだ」
 いや、実際溜まってしまったのだろう。あと一押しでウラガが現れる。
 ごぅん、
 どぅん、
 ドアはなおも内側から叩かれ続けている。
 早く入れ、ここに居る、早く入れ、入れ入れ入れ入れ入れ入れ入れ入れ入れ入れ入れ入れ、待っているんだ――
 葛はドアを開けた。開けるなり、言葉を失った。だが逃げることはせず、ドアを開け放ったまま、中の様相をその目に焼きつけるがために――葛は入口で立ち尽くす。

 そこには、蟲が居た。


■三丸14番倉庫にて、20:30■

 蟲だ、蟲だ蟲だ蟲だ蟲だ蟲だ――
 倉庫の中では蟲がひしめきあっていた。それも、自然界には存在しない姿の蟲だった。どれもが人より一回りも大きく、紅い目をぎらぎらと苛立たせている。
 しかも、彼らはただそこにかさこそと佇んでいるわけではなかった。そこかしこで喰いあいをしていたのだ。
 葛がそれを見たのは一瞬だった。
「藤井!」
 将が叫んだのと、葛がドアノブから手を離したのは同時。
 聞き慣れた翅音。
 立ち尽くす葛に1匹の蟲が襲い掛かってきた。ドアのそばで半ば待ち構えていた――いや、見張っていたのか。辛うじて蝿に見えなくもなかった。巨大なふたつの目がついた頭は、ぎょとぎょとと慌しく動いている。鉄のドアは重々しい音を立てて閉まった。
 蝿の目は、非常灯のように紅い。
 その色は、ぐるりぐるりと紅から青へ、青から紅へとグラデーションを繰り返す。赤から青への色の移り変わりは、人間の脳に負担をかける。それは不快感となって意識に影を落とす――
 かちかち、
 葛のすぐそばから、その音が生まれ始め――
 だが、そこで、葛は息を呑んだ。
「……長屋?」
 彼女がこの事件に関わるきっかけとなったのは、消えたゼミ仲間だった。
 長屋という、大人しい男だ。単位のために自分を捨てた男だった。だが、どこにでもいる大学生だった。葛のそばにいるのが、当たり前の。
「長屋だね?」
 何故、蝿にそう呼びかけたのか、葛にはわからなかった。
 蝿は蝿にしか見えず、長屋という学生の面影はまったくなかったのだ。それなのに、今葛の目の前でささくれた前脚をこすり合わせている蝿は――長屋でしかなかった。
 ぎいっ、と蝿が鳴き声のようなものを上げた。凄まじい疾さで蝿は葛の頭上を飛び越えると、将に襲いかかった。
「う……おッ!」
 蝿に組みつかれて、将はコンクリートの地面に転がった。蝿の口から滴る唾液が、将のシャツとジャケットを焦がす。蝿は実は、ものを溶かしながら舐め取るのだ――蝿がもし人間と同じ大きさだったなら、ひと舐めで人間の顔をごっそりと剥ぎ取るという。
 将はその事実を知っている。無意識のうちに、自分の影に救いを求めた。
 ――ウラガ!
「将さん! だめ!」
 しかし、止めることなど出来るだろうか。
 ものを食おうとする虫と、自分の命を護ろうとする人間を。
「ウラガ!」
 将がするどく百足に命じた。
 ぐわッ、と鎌首をもたげてあぎとを開いた百足は、蝿の首に咬みついた。百足の異形の牙が、ばりばりと蝿の頭を咬み砕く。そこに慈悲はなく、ただ怒りと苛立ちだけがあった。牙が蝿を砕くたびに、周囲には鮮血が飛び散った。
 ……鮮血だ。葛の白い肌や、将の眼鏡や緑のシャツに、温かい人間の血が振りかかる。
 6脚を痙攣させ始めた蝿から、勝ち誇ったかのように百足は離れた。途端に、また僅かに膨らんだ。牙から血を滴らせながら、地面に落ちてなおも痙攣する蝿の死骸を睨みつけていた。
「……長屋……」
 葛は、呆然と呟いた。
 屍骸は、蝿のままだ。
 だが、長屋という名前はなおも口をついて出る。
「どうして……?」
「藤井、なんだ、その蝿に見覚えでもあるのか?」
 立ち上がる将の問いかけに、葛はぼんやりと首を横に振ることしか出来なかった。

「血が――」
 将は血だまりの中の蝿を見て、眉をひそめる。
 これまで、この異形の蟲たちは、叩きのめされたり斬られたり咬みつかれたりしていた。だが、一度も血など流さなかったはずだ。将にとっての今の問題は、それだった。
「ムシは影のはずだ……」
 ただの影だ。
 形が違うだけの……


■蜘蛛の巣■

 二人はシャッター前のドア以外にも入口がないか、倉庫を調べることにした。葛は刀を腰に下げたまま、将は影をウラガにしたままだった。ふたりはほとんど言葉を交わさなかった。それぞれが、深く思い悩んでいたからだ。
 どうやら、倉庫の外に蟲は出てきていないようだった。相も変わらず14番倉庫前は静かだ。

 倉庫の裏側にもドアがあった。いささか安ぶしんなつくりだったが、二人は何となく「助かった」と胸を撫で下ろしてしまった。このドアの向こうが楽園である可能性など皆無に等しいが、ひょっとすると、あの肌の粟立つ光景を見ずにすむかもしれない。
 将がノブに手をかけ、開けた。

 覚悟はしていた。
 その覚悟は無駄ではなかったが、肩透かしを食らったのは否めない。
 ドアの向こうは事務所として使えそうな小部屋だった。テーブルや棚、デスクがあった。 テーブルの上には、携帯電話を繋げたノートパソコンがある。
 だがこの部屋は、異常だった。白い糸が張り巡らされていたのだ。
 二人が部屋に入った途端、男のくぐもった悲鳴が耳に飛び込んできた。見れば、スーツの姿の中年がひとり、糸に捕らえられてもがいていた。口まで糸に塞がれていたが、その必死の形相は見て取れる。
「嘉島さ――」
 将が、行方をくらませた刑事の名前を口にした。
 だが葛は、糸でがんじがらめにされた刑事が何を訴えているのかわかってしまった。視線が懸命に、天井を指していたのだ。
 葛が、遅れて将が、部屋の天井を見た。

 部屋から外に飛び出せたのは、葛だけだった。将が葛の背を押した――というより、外に突き飛ばされたのだ。倒れこみそうになりながら葛が振り向いたときには、すでにドアが閉まっていた。将も、あの刑事も、部屋の中だ。
「将さん……!」
 かちかちという音が聞こえ始め、やがて、べりべりと彼女の影が地面から剥がれた。
 ナギは顎を鳴らしながら、閉ざされたドアを睨みつけている。
 葛はごくりと生唾を飲み込み、部屋の天井に張りついていたものを思い出す。

 冗談のように大きい、刃のような八脚を持つ蜘蛛が居た。




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   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)
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【1312/藤井・葛/女/22/大学生】

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               ライター通信
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 モロクっちです。お待たせいたしました。
 『殺虫衝動』第3話をお届けします。
 わたしはそれほど虫嫌いではない方ですが、どうも今回は書いてて気持ち悪くなってしまいました(笑)。どんな可愛いものでもいっぱいいると気持ち悪いですよね。いや蟲はどれも気持ち悪いデザインなんですけど……。
 さて、今回のラストは次回への引きという形になりました。次回が完結編となります。
 藤井様がお探しだったゼミ仲間の長屋ですが、一応発見は出来ました。結果はこんなことになってしまいましたが……。将を責めても構わないです(笑)。

 それでは、この辺で。
 またお会いしましょう!