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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


シンデレラ・ホームステイ
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「ああ、お断りします」
電話越しに草間の声を聞きながら、いともあっさりと綾和泉匡乃は探偵の依頼を断った。
「そんなあっさりと……お前、だって一人暮らしだろう?」
「一人暮らしだからこそ、生活を乱されたくないんですけどね。人をもてなすのにも慣れてないし」
とまあ、にべもない。突然電話をかけてきてしおらしい声を出したかと思えば、草間は男を一人泊めてやってくれという。いつの間にやらホームステイ先の斡旋にまで手を出したのかと、匡乃はわざとらしく怪奇探偵の経済状況を憂えてみせた。
「早くまともな探偵の依頼がくるといいですね」
「…………慰められた気がせんなぁ」
電話口で低く、草間がため息をついている。まあ、名探偵とおだてられ、うっかり了解してしまった仕事だ。本人としても複雑な心境なのかもしれなかった。
「ああ、でもいいところがありますよ」
あたかもたった今思いついたような素振りを偽って、匡乃はこの話を持ち込まれた時から念頭にあった名前を挙げた。
「うちの妹のところはどうです?あいつも一人暮らしだし」
「汐耶君か。しかしなぁ……年頃の女性のことだから、何か間違いがあっても困るし」
「あいつに間違いが起こりますかねぇ」
匡乃の妹の汐耶は、いい男と本が並んでいたら、8割の確率で書籍の方に足を向けるタイプである。先日も、「何か面白いことでもあったか?」と尋ねたら、ぼそりと「太公望」と言っていた。太公望が彼氏になりえるはずもないから、これはやはり書物のことであろう。色気のないやつだと、嘆くふりをしながら匡乃は結構楽しんでいる。
「責任を持って、僕が気をつけていますから。妹には僕から連絡しておきますよ」
渋る草間を納得させて、匡乃はそう言って電話を切った。
ようするに、体よく面倒ごとだけ妹に押し付けて、本人は高見の見物を決め込むつもりなのである。

□―――夕方
週末に妹の部屋を訪ねると、ドアを開けたなり醤油のふくよかな香りが廊下にまで零れてきた。鼻先を味噌汁の匂いが掠める。今日の夕飯は和食らしい。招かれているわけでもないが、当然自分もお相伴に預かるつもりで、匡乃は満足した。
「いい匂いですね」
「今日は彼が食事の支度をしてるのよ」
仕事着よりもくつろいだ服装で匡乃を出迎えた汐耶は、兄の姿を認めるなり肩を落としてため息をつく。どうしてこう、前触れもなく色々なことを持ち込んでくるのか。
「何度も言ったと思うけど」
「僕も、何度もその台詞を聞いたと思うけど」
改める気配のない兄の切り返しに、腰に手を当てて汐耶は首を振った。いつものことだ。天性の才能じゃないかと思わせる猫かぶりの裏で、兄の気まぐれで発生する被害を被るのは常に汐耶である。勝手に話を進めないで欲しい、と言おうと思った台詞を飲み込んで、汐耶はドアを開いて兄を迎え入れた。兄は汐耶が断らないと知っていて依頼を引き受けるのだ。そして、実際汐耶は引き受けてしまうのだから、了解が無いということを除いて、特に問題はないのだ。兄はそこまで理解しているからタチが悪い。
「渋谷君の様子はどうですか?」
勝手知ったる様子で玄関に足を踏み入れながら、匡乃が聞く。
「元気よ。掃除とかもしてもらっちゃったし」
「なるほど」
言われてみれば、たとえば普段なら玄関先に無造作に掛けてあるジャケットだとかが見当たらない。元々汐耶はきれい好きだから、その変化は微々たるものだったが、それでも常よりやや片付いていることは確かなようだ。
「彼は大学生だったっけ。勉強でも見てあげようかな」
匡乃としては、お礼のつもりでそう言った。なんとも言いがたい顔で、汐耶が抗議の視線を匡乃によこした。
「休みの日くらい休ませてあげたら?」
週末なのに…と透に同情的な妹の台詞を聞き流して、匡乃は部屋に上がりこんだ。教える気満々である。
ようするに教えることが好きなのだ、この男は。人にものを説明している時、理解する手助けをしている時ほど、兄が生き生きして見えることはない。そんな彼の嗜好にとって、相手の都合は二の次である。

そんなわけで……。
味噌汁と魚の煮物の食事を終え、ノンビリと酒を飲む時間になっても、透は匡乃にとっ掴まっていた。もともと、一問二問の基本的な質問をして解放してやる予定だったのだが、透がことごとく回答を間違えたので、匡乃の教師精神に火がついたのである。わずか一時間ほどのことだというのに、透はすっかりやつれていた。
かわいそうと言えばかわいそうだが、「赤裸々」の読みを聞かれて「あかはだかはだか」と読んだ。ヒントに「包み隠さないことだ」と意味を教えてやったら、「まるはだか」と読んだのだ。自業自得である。
親切だが厳しい匡乃の授業は、そうして食前からかれこれ二時間は続いている。
兄妹はそれぞれにきんきんに冷やした日本酒とロックで割ったブランデーを傾けながら、ただでさえ足りない脳細胞を使い果たした透を見守っていた。
世の中には、「こいつは勉強に向かないんだな」と思わせるような人間が稀に存在するものだ。そしてどうやら、透もそのうちの一人であるらしい。
勉強が嫌いというわけではない。勉強しないわけでもない。人並みはずれて頭が悪いわけでもない。
なのにとにかく勉強が出来ないのである。
「では、おさらいだ」
2時間といえば、普通なら休憩時間が入る頃合である。こんな時でも体内時計が休憩時間までカウントしている匡乃は、見上げた教師根性だ。
冷蔵庫でキンキンになった冷酒によって、テーブルには水滴が落ちている。それを指で掬って、匡乃はテーブルに水で文字を書いた。「赤裸々」である。
「さっき、ちゃんと正解を教えましたね?漢字検定4級の問題です。解答してください」
意味を教えてもらい、漢字の出自も教えてもらい、あまつさえ例文まで出してもらったのである。普通は間違えない。むしろ間違えようもないだろう。
「………せ、……」
「うん」
「せき………」
「赤」の部分まではあっている。流石に覚えたんだなと、兄妹は互いに顔を見合わせた。
安堵が驚きに変わったのはその時である。
「せき らん・らん 」
「…………」
「……………………」

ゴン!

「いてっ!」
「ああすいません、手が勝手に」
悪びれもせずに透の脳天を直撃した拳を下ろして、匡乃は嘯いた。理解するまで辛抱強く、懇切丁寧に教えます……とか、匡乃が働く塾にはそんな標語がなかったかとか…妹は疑問に思ったがそんなことはどうでもいい。
思わず手が出た兄の気持ちもわかったので、汐耶は黙ってブランデーを口に含んだのだった。

さて地獄のスタディ・アワーにもけりがつき、精根尽き果てた透の両脇で、兄妹は互いに好みの酒を味わっている。
「ところで、兄さん」
「……何かな」
何を言い出す前から、兄は気乗りのしない声を出した。汐耶が言おうとしていることを、察しているのである。好意的ではないが、決して拒絶の意思は含まれていない。感づいているのなら話は早いと、グラスの中でブランデーを回して、汐耶は透を顎で示した。
「彼、お金に困ってるんでしょう?まさかぽんと現金を渡すわけにはいかないけど」
やっぱりそうか、という顔で匡乃は僅かに秀麗な眉を顰めて見せた。妹の寛大すぎる態度を咎めているようでも、ただ面倒だと思っているようでもある。
「まあ、言うだろうと察してはいたんですが」
「それなら話が早い」
汐耶がうなづくと、諦めたように匡乃は日本酒のグラスを空にした。
「……綾和泉家方式でいいんですよね?」
「ええ、それがいいでしょう」
「え?何?」
透だけが、兄妹の会話がわからないできょとんとしている。
年齢は自分よりひとつ年下だったか。それにしては子どもっぽい透の顔を覗き込んで、汐耶は説明した。
「私たち二人が、キミにお金を貸してあげる。別に、あげるというわけではないのよ」
「え……」
「在学中は無利子。就職してから、少しずつ返してくれたらいいから」
色素の薄い瞳でまじまじと汐耶を覗き込んで、透はゴールデンレトリバーのような顔をした。
「で、でも悪いよ。泊めてくれただけでも十分ありがたいのに」
「うちの兄なんか溜め込んで使わずにいるんだから、お金も持ち腐れよ。それならキミに投資したって、あんまり変わらないでしょう」
「結局僕も巻き込むんだなぁ」
もとはといえば兄さんがきっかけでしょう、とぼやいた兄を牽制して、汐耶は情けない顔をしている透を見る。
「私たちからお金を借りることが、負担になるのならこの話は断ってもいいんだけれど」
純粋に善意である。なんだかんだ言って、汐耶も匡乃も勉学には深く関わって生きてきた。だからこそ、透のように勉強に困っている人を見ても放っておけないのだろう。
文字通りうんうん唸って考えていた透は、長時間の熟考の末に、じゃあ…とおずおずと顔を上げた。
「オレさ、オレさ、お金貯めてるんだよね。妹がいるからさ。そんで、たまに自分のお金が足りなくなるときがあってさ。えーと、だから」
透の説明ではよくわからない。ぶちぶちと途切れる彼の話を繋ぎ合わせると、つまり妹の生活費だか学費だかに、稼いだ金を殆ど使っているようだ。妹に使い込んだ金の残りが、透の生活費か学費……という順番らしいのだ。
「だから、餓死しそうになったらさ、お金借してくれるの頼むかも…」
「せめて電気とガスが止められる前に頼りにきなさいね」
透に頷いて、汐耶は兄を振り返った。
「生活面は私が面倒見るから、兄さん彼の学費ぐらい持ってよね」
「仕方ない」
一度頷いてしまえばあっさりしたもので、匡乃は渋るでもなく首肯した。
「困ったらいつでも来なさい。何も無料で恵むわけではないから、遠慮することもないんですよ」
へへーっ、とまるで時代劇で平伏する町人のような声を上げて、透が頭を下げる。
それに鷹揚な態度で頷いた兄は、まるでお奉行さまのようだった……というのは、後に汐耶が語った感想だった。

□―――夜更ける。
汐耶のリビングに置かれたソファベッドは、今はベッドの形に広げられている。きちんとシーツも敷かれ、薄手の布団もかかっている。匡乃が泊まって行く時に使っているものだ。
その真ん中がぽっかり人型に膨らんでいた。
渋谷透である。
「……これは、僕に早く帰れと促しているんだろうか」
「そう思うなら早く帰ったほうがいいわよ。もう遅いし」
妹の言葉はにべもない。
食後の一杯のはずが、ブランデーと日本酒の空き瓶が一つずつ床に放置され、二つ目の封も切られている。透はものの二杯でダウンした。酔うと眠くなる体質らしく、ほろ酔い加減でベッドにもぐりこんだのは小一時間前だろうか。今はくーすか、平和な寝息を立てている。
綾和泉兄妹は、相変わらず顔色も変えずにグラスを傾けた。
「それより、彼が来た時から思っていたんだけど」
「何ですか?」
「彼が背負っているのは、人魂?」
透の背後には、つかず離れず、確かに拳大の人魂がいくつも浮かんでいるのだ。本人に確認したところ、「幸福を運ぶ妖精さんなんだ」と言って憚らない。埒が明かないので、汐耶は透に問いただすことは諦めていた。
そうらしいですね、と兄は涼しい顔をする。
「大量に憑かれている、と。まあ、害はないらしいですが」
「……彼の住んでいたマンションが全焼して、その原因が人魂だって噂があるらしいわよ」
「そういえばそんなことも言っていたかなぁ」
知っていたのだ、確実に。妹だから構わないと思ったか、まさかそんなことも起こらないだろうと思ったか、匡乃の真意は判然としなかったが。
「そういう妖しげな話を、よくも気軽に私に持ってくるわね」
「心配だからこうして様子を見に来ているんじゃないか」
これもまた、口実だか事実だかはっきりしない。とりあえず全ては聞き流すことにして、汐耶は散乱したゴミを集めて立ち上がった。
「兄さん、泊まっていくなら布団を出すから、片付けるのを手伝って……」
赤いものが目に入ったのは、その時である。カーテンは開いたままの、窓の外。汐耶は思わず凍りついた。
時刻が時刻だ。外は暗い。紺とも黒ともつかない闇に覆いつくされている。
黒一色のはずの窓の外に。
赤―――。
そこだけ世界を隔てたように、真紅だった。
その色に不吉なものを感じる。
「大丈夫か」
汐耶の反応に、兄はすぐにそれと気づいて立ち上がった。妹の腕を引いて体を引き寄せ、透の様子にも気を配りながら、窓の外へと視線を投げる。
目を眇めた。
「……あれは」
ピンポン玉くらいの、真っ赤な丸。目だと、とっさに閃いた。人のものとも思えないが、あれは確かに眼球だ。
一対の瞳は、どんな感情を伝えるでもなく、ただ鈍く光って部屋の中を見つめている。
「汐耶」
低く、兄が言った。
「部屋の電気をつけろ。僕はここにいるから」
そう言って、窓から離すように、汐耶の体を部屋の奥、玄関の方へと押し出す。余計な照明を落とした薄暗い部屋を横切って、汐耶はスイッチに手を伸ばした。指が触れる。スイッチを入れる。
パッ、と場違いに軽い音がして、天井に設置された蛍光灯が白い光で部屋を照らす。リビングはたちまち明るくなった。
窓から洩れた光が、赤い瞳の持ち主の体にも降り注ぐ。
丸太のような大きな体が、光から逃れるように闇へと引いた。
―――喰ろうてやる。口惜しや……あんなに美味そうなのに
おどろおどろしい声が、汐耶の耳に届いた。
そもそも直接心に響くようなそれは、声ですらなかったのかもしれない。
ガサガサッと窓の外で、葉を掻き分ける乱暴な音がする。
窓の外を見る。
赤い瞳をした「それ」は、実際にそれがいたことすら夢であったかのように、忽然と姿を消していた。
「逃げたのか」
匡乃がゆっくりと窓に近づいて、外を見る。
ただ、「それ」の存在が夢でなかったことを示すように……
窓の外では、青白い炎がふわりと浮かんで、消えた。


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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【1537/綾和泉匡乃/男/27歳/予備校教師】
【1449/綾和泉汐耶/女/23歳/司書】


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NPC
・渋谷透 / 男 / 勤労学生
両親を幼い頃に亡くしているせいか、年上の雰囲気を漂わせた人には例外なく弱い。押しにも弱い。
惚れると尽くすタイプだが、尽くしすぎて煩がられ、捨てられてばかりいる。
女性というだけで無条件に崇める傾向がある。
何度も危ない目にあっているが、本人は気づいていない。ある意味幸せな性格。

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■ ライター通信 ■
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こんばんは!いえかろうじてこんにちは!!
そしてお久しぶりです。久しぶりなのはやはり自分がサボっていたからです、お元気でしたでしょうか……(ひれ伏す)
相変わらず汐耶君は読書なさってますか。私はしばらく読書絶ちしてたら、反動ですごいことになっています。イエス!
あっ、そして匡乃君もお久しぶりです!またお会いできて光栄です!(一方的に)
そして綾和泉家の賃貸システムは、何かに似てるなぁ〜と思っていたらアレでした。米国のスチューデントローン。
就職後、半年まで金を返さなくていいとか、勉学中は無利子とか、色々ありますな。
お金がなくて勉強したくてもできない人には、とても有難いシステムですよね〜。
渋谷がこっそりたまにお世話になるかもしれません、綾和泉金融(ご迷惑ばかり…)
アホでバカでマヌケで三拍子揃ってますが、気まぐれにこれからも声をかけてやってください!
楽しく書かせていただきました!どうもありがとうございました〜。


在原飛鳥