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シンデレラ・ホームステイ
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渋谷透という青年は、なんとなく同情を煽る顔をしている。どこがというと、なんとなく風采のあがらない雰囲気だとか、それとはアンバランスな整った顔立ちだとか。
その微妙な取り合わせが、透を、みかん箱につめこまれて「拾ってください」と書かれた札を下げて捨てられた子犬を思わせるのだ。
動物を見捨てるのと同じように、彼を見捨てるのは良心が咎める。
「でも……」
それはもう申し訳なさそうにソファの隅で身体を縮めている青年を眺めて、シュラインは頬に手をやった。
「困ったわねぇ。私、異性は特定の人以外家に上げないことにしているのよね」
「……別に、君が引き受けることもないんだ、シュライン君」
と、新聞の向こうから顔をのぞかせて、武彦が恨めしげな視線を向ける。
「そりゃまあ、確かにその通りなんだけれど…」
かといって放っておくわけにもねぇ、とぼやいて透を見る。益々居心地が悪そうに、透はソファの上で小さくなった。
武彦はああ言うが、見捨てる…わけにはいかないのだ。
「太巻さんに何を言われたのか知らないけれど、引き受けてしまったからには、どうにかしないわけにはいかないでしょう?」
うむぅと唸って、今度は武彦が新聞の向こうで小さくなった。そもそもの発端は、「名探偵」だなどと評価されて、思わず依頼を引き受けてしまったこの男である。まあ、彼が目指すハードボイルド探偵としての実績は相変わらずの腹這いで、怪奇探偵の名前だけが知られていく昨今だ。彼が一時の夢に目が眩んだとしても、シュラインは責めたりはしないのだが。
憐れな犬…もとい渋谷透の引き取り手は、今日に限って現れない。仕方ないわねぇと、シュラインは腕を組んだ。
「つなぎの数日間だけ……でいいのよね?ん、なら、事務所に泊めたらいいんじゃない?」
「そ、そうか。その手があったか!」
探偵としてぬかりがありすぎるのもどうだろうか。武彦が意を得たりとばかりに新聞から顔を上げた。
「仮眠室だってあるんだし。…少し掃除をすれば、寝られる場所くらい作れるわよね?ダメかしら、武彦さん」
「うう」
ダメともいいとも言うかわりに、武彦は唸った。事務所の奥に設置された仮眠室の、「少し」では片付かない惨状を正確に思い浮かべたからである。
そんなわけで、事務所の主を掃除役として残し、シュラインと透は主婦で賑わう商店街へと、買い物に出かけた。透のための食事と、足りなくなった事務用品を購入するためである。
「一日目だし、好きなものを買っていいわよ」
とシュラインに言われながら透が選んだのは、豆腐とネギとなんとかいう香辛料だった。これでスンドゥブ作れば、ご飯三杯はいけるよ!と大喜びをしているところを見ると気を使ったわけでもないらしいが、とにかく安上がりである。豆腐だけをおかずにご飯を食べている透を想像してさもしくなったシュラインは、それとは別に食材も買い揃えておいた。
「でも……」
夕暮れの街を、透と並んで歩きながら、シュラインは改めて隣を歩く青年を見た。顔立ちだけは人並み以上に整っている。ハーフだということで、全体的に色素は薄い。顔立ちよりも、屈託の無い表情や喋り方のせいで、実際の年齢よりも子どもに見えた。ついでに能天気さがにじみ出ているせいで、彼を取り巻いている無数の霊魂の存在も、夢幻な雰囲気からは程遠く、むしろギャグっぽい。
黙っていればいい男かというと、一度彼の楽天気を知ってしまえば、何も言わずに立っていても、どこか間が抜けて見えるのだった。
目下のシュラインの疑問は、そんな透が、どこで紹介屋だと嘯いて厄介ごとを持ってくる太巻と知り合ったかということだ。
「一体どこで太巻さんとの接点があったの?」
太巻はヤクザである。いや、本人からヤクザだと聞いたわけではないが、それ以外の世界では生きられないだろうという外見をしている。季節や場所を問わずのサングラスに、色もののシャツに、タバコの香り。嗅いだことがないからわからないが、硝煙の香りもしているのかもしれない。どんな格好をしていても、マフィアが身分を偽っているようにしか見えないのが特徴だ。
そんな男が、見るからに普通の(普通以上に馬鹿かもしれないが)透という青年と、どのようにして知り合いになったのか。
シュラインの質問に首をかしげ、怪訝そうな顔をした透は、彼女の質問がようやく脳に到達するとすぐに笑顔になった。
「それはねぇ、翔平ちゃんの紹介」
「翔平ちゃん?」
「オレがバイトしてた喫茶店の、常連さん。オレのことかわいーって言って、よく来てくれたんだよ〜」
何が嬉しいのか、えへへと屈託無く透が笑った。
翔平というからには相手は男であろう。透も男である。男として、男に可愛いといわれるのは嬉しいものなのだろうか。
(普通は嫌がるわよねぇ……)
人それぞれという言葉もあるので、シュラインは口まで出かかった自分の意見を飲み下した。
まあ確かに、透は褒められたらそれをそのまま受け取って喜びそうではある。遠まわしな皮肉だろうが、相手が男だろうが、可愛いと言われたら、褒められているとしか考えないのだろう。
「……それで、翔平ちゃんが、太巻さんと知り合いだったの?」
話題を元に戻すと、そんなところかなぁ、と暢気に透は頷いた。
「なんかね、知り合い」
と、説明は子どもっぽさを通り越して稚拙の一言に尽きる。だからどういう知り合いなのかと問い詰めても、やはりまともな答えが返ってくるとも期待できない。下手をすると、幼稚園生と話しているような気分になって、シュラインはこめかみを揉んだ。透の場合元々頭が単純構造だから、長い会話になると、思考が止まってしまうらしい。彼を取り巻いている霊魂たち同様、ふよふよと軽い頭なのだった。
興信所に帰ると、埃だらけで髪の色まで変わってしまった武彦が、呆然とした顔をして二人を出迎えた。
「オウム真理教に関する記事が載っている新聞が出てきた」
どれだけ仮眠室が放置されていたかを物語る物証を、武彦はゴミ箱に投げ捨てた。仮眠室が片付いたかといえば……大してかわりない。相変わらず埃を被った本が積み重なっている。何ヶ月、ともすれば何年か前に投げ捨てられたままのジャケットが床でくしゃくしゃになっている。
「武彦さん……、これで本当に片付けたの?」
すっかりくすんだジャケットを指でつまみあげて、シュラインは探偵を振り返った。
「片付けたよ。寝る場所が出来ただろう」
心外だとばかりに武彦は言い返し、しかし後ろめたさを示すように頭を掻いた。言われてみれば、確かに雑誌やら本やらが積み重なっていたソファだけは、その周囲の乱雑さを犠牲にして人ひとり分のスペースが出来ている。事務所というよりはむしろ、武彦の私物置き場として使われていた部屋だったから、シュラインの手も入りにくい。結果として、そこは事務所内の秘境の様相を呈していたのだ。
一人分のスペースが出来ただけマシ……なのかもしれない。マシと呼ぶには、あまりにも些細な変化だったが。
シュラインが食事を作る間に透が興信所を片付けて、部屋は数時間で大分見違えた。いつもは何も言う前から掃除をしている武彦の妹君は、生憎友人たちと旅行中なのである。散らかり放題だった室内が片付いたのを見回して、「キレイにしようと思えばなるものねぇ」とシュラインは感心する。何しろものが多いので雑然としていることに変わりはないが、積み重ねてあるだけだったファイルがきちんと並んでいる本棚を見たりすれば、やはり気持ちがいいものだ。
夕食も終えて、掃除に体力を使い果たしたのか、透は誰かが置いていったすあま好きのパンダを抱きかかえて、仮眠室のソファですやすや眠っている。
男は寝顔は子どもっぽいと言う人もいるが、透の場合は逆である。寝ているほうがまだ男らしい。男らしいといっても、抱いて寝るのが垂れたパンダだから、さまにはならない。
「ま……寝かせておいてやるか」
タバコの匂いが染み付いた毛布を透に掛けてやって、武彦は仮眠室の扉に一枚の札を貼り付けた。
「それは?」
「渋谷君の話をしたら、知り合いの霊媒師が置いていった」
そういう知り合いばかりいるから、余計怪奇が板につくのである。そんなシュラインの感想も露知らず、気休めくらいにはなるだろうと言いながら仮眠室を出たなり、武彦は帰り支度を始めている。
「きみも帰るだろう。最近は何かと物騒だからな」
武彦に促されて、シュラインも帰り支度を始めた。
ぞわりと、言い知れぬうそ寒さを感じたのは、その時である。
背中を大量の虫に這いまわされたような、後味の悪い感覚。
「……武彦さん」
喉まで出掛かった悲鳴を飲み込んで、思わず声を潜める。改めて見回してみても、何が違うわけでもない。それでも肌があわ立つような感覚は消えず、こういうのを「虫が知らせる」と言うのだと、身をもって知った。夏だというのに、何故か寒気がする。
この興信所を取り巻いている禍々しい気配は、寒気と同時に濃厚になった。
―――近づいてきてる。
忍び寄ってきているのだ。一瞬ごとに冷えていく部屋の温度で、それが体感できる。
武彦の腕が、シュラインの二の腕を取ってドアから遠ざけた。僅かな顔の動きだけで感情を表現する探偵は、訝しげに眉を寄せて、眉間にしわを刻んでいた。
「こんな時間に来客なんて、聞いてないんだがな」
ひた、ひた、ひた…………。
それでようやく、シュラインの耳にも廊下を歩く濡れた足音が聞こえてきた。近づいてくると思った邪悪な気配は、確かに足音をさせていたのだ。
水を跳ねるような音が、ドアの前で止まる。
扉一枚をはさんで、「それ」の気配がする。武彦の背中に半ば隠れるように、シュラインはドアに目を凝らした。
息が詰まる。ドアをはさんでいるというのに、「それ」が吐く太い吐息まで、肌に感じ取れるようだ。
ドアの向こうで再び気配は動き、ひた、ひた、と廊下を歩く。
わずかに遠ざかり、そしてまた近づく……扉の前で、「それ」は行きつ戻りつを繰り返しているらしい。気配を殺さないその行動が、むしろシュラインたちの緊張をあおった。
時間にしたら、それはほんの数十分のことだったのだろう。
―――口惜しや。……小ざかしい人間どもめが、無駄なことを……
地の底から響くような恨みに満ちた声が響いた。実際には音などなかったのかもしれない。ただそれはシュラインの腹の底にしっかり木霊して、体の芯から彼女を凍らせる。武彦の手が、痛いほどにシュラインの二の腕を握り締める。
名残惜しげにドアの前にとどまっていた足音が、遠のいていった。よく耳を澄ませば、その足音もひどく重い。
足音が、殆ど聞こえなくなる。
と、武彦が突然動いた。
大股に出口へ近づいていって、止める間もなくドアを引き開ける。
その勢いを借りるように、武彦は廊下の左右を確認した。
「危ないわよ、武彦さん……」
「いや」
廊下には、何もいなかったのだろう。僅かに緊張を解いた顔で、探偵は振り返った。
「もう誰もいない」
その言葉に、おっかなびっくり、シュラインもドアから顔をのぞかせる。
確かに、何かがいた気配はもう消えていた。そのかわり、廊下には打ち出しのコンクリートを黒く染めて、点々と水溜りが出来ている。すえた匂いのする、泥の混じった水溜りだ。それが、大人の男の三倍はありそうな足跡となって、興信所の廊下に残っている。
廊下のいたるところに残った水は、まっすぐに突き当りまで伸びていて、開け放たれた窓の向こうに消えていた。秋の気配を感じさせるようになった風だけが、その窓から吹き込んでいる。
「……歓迎したくない客だったな」
残された招かれざる客の足跡に視線を落として、武彦が呟く。考え込んでいた彼が顔を上げ、何気なく興信所の方へ視線が向けられる。
仮眠室では、人形に抱きついたまま、透が眠っている。様子を見るためにドアを開けたシュラインと武彦は、狭い部屋を、人魂が狂ったように飛び交っている場面に遭遇して凍りついた。
廊下をうろついていた何者かが去って、ようやく減速しはじめたようだったが、霊魂たちは未だにぐるぐると空中で円を描いている。「あれ」が侵入しようとしていた時には、恐らくもっと激しく飛び回っていたに違いなかった。
「どうしてこう、おれの望まない事件にばかり縁があるんだろうな」
シュラインと顔を見合わせた武彦が、ふぅ、とため息をつく。
そうね、と苦笑して、まだ全身から悪寒が抜けきらないシュラインは腕をさすった。
渋谷透は、何も感じていないのだろうか。一人平和な顔で、今もまだ眠りこけている。
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【0086/シュライン・エマ/女/26歳】
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NPC
・渋谷透 / 男 / 勤労学生
両親を幼い頃に亡くしているせいか、年上の雰囲気を漂わせた人には例外なく弱い。押しにも弱い。
惚れると尽くすタイプだが、尽くしすぎて煩がられ、捨てられてばかりいる。
女性というだけで無条件に崇める傾向がある。
何度も危ない目にあっているが、本人は気づいていない。ある意味幸せな性格。
・太巻大介/男/紹介屋
・翔平/男/?
渋谷を太巻に紹介したオカマ言葉の会社員。らしい。新宿二丁目にある渋谷のバイト先の喫茶店の常連。
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■ ライター通信 ■
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お・ま・た・せ・し・ま・し・た!
暴挙に出てまで参加いただいて本当にありがとうございます!有難くてもう言葉もありません。
謝られることなど何一つないのですよ〜。むしろ私が謝っておきます。謝るコトが多すぎてもうどこから謝ればいいんだか……!とりあえずはNPCのアホさ加減あたりでしょうか(謝っても謝りきれません)。
もういつも色々ありがとうございます。遊んでいただいたり遊んでいただいたり、というか遊んでいただきっぱなしで楽しませていただいております。もう酢豚は忘れているので、そっちもバッチグー、大丈夫ですよう。
夏もそろそろ終わりですね〜(そして学生さんは夏休みが終わりだ…)
せっかく四季がある国に生まれたので、クーラー除湿機ガンガンつけて、残りの残暑を楽しみましょう!(間違った楽しみ方)。
そんなわけで、残暑お見舞い申し上げます。
お付き合いいただいてどうもありがとうございました!楽しかったです。
在原飛鳥
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