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<東京怪談ノベル(シングル)>


■ 月赫如華 ■


 ■雑踏の死使■

 重い闇の中で明かりが生じた。
 浮かび上がる白い手。
 作り物じみて、薄気味悪いほどに細い指がライターを支えていた。
 儚い命のように生まれては、カチッと言う音とともに消え失せる、紅い炎。
 ふと漂う紫煙の香りに誘われれば、新宿の闇は更に濃くなる。
 路地裏の奥には濃厚な血の匂い。


「ご機嫌だ……なぁ、お前?」
 動かなくなったそれに囁くように言って、ふいにけたたましく哄笑う。
 夜を舌先で妖しく犯すようにチロリと舌を出しては、鮮血を滴らせたままのそれで喉を潤した。
 力無くうなだれたそれに口付けようと貌を近づける。
 ちゅっ…と音を立てて吸っては舐めて、紅い舌を更に染め上げた。
 路地裏に置かれた木箱の上で、つかの間の快楽を絶たれたそれの片足を自分の肩に乗せて行為に没頭する。
 遠く微かにコツコツと靴音がする。
 ふいにそちらに顔を向けて正体を確かめようとした。
 顔を向ければ近づいていた足音は、速くなり次第に距離を縮める。

「てめぇ!! うちのモンに何してやがる!!」
 野太い男の怒声が降りかかる。
 鬱陶しそうに顔を上げ、眉を潜めて見遣った。
「……あぁ? 俺か? ごみを漁ってたのさ……」
 指差しつつ、それが何だと言わんばかりの表情を向けられて、男達はいきり立つ。
 黒スーツの男と萎れたアロハシャツのいかにもな組み合わせの男達は口元を紅く染めた男の存在をいぶかしむように見た。
「……殺したんか?」
「さぁ?」
 クックと喉奥を鳴らして男は笑った。
 細めの肢体を起こして、抱え込んでいた『それ』をぽいっと手放して立ち上がる。
「関係ない。何もかも……アンタの未来も」
 そこまで言って、男は壁に立てかけておいた日本刀を掴むと体をそちらに向けた。
 瞬時に地を蹴って踊りかかる。
 左下から右上に切り上げて最初の男を切り伏せると、雑草を踏みつけるようにその男を飛び越えて次へと進む。

 二人目。
 マシェットを持った男の手首を切り落とせば、絶叫が路地裏を染める。

 三人目。
 喉笛を切りつけて、熱い飛沫を浴びる。

 嫣然と微笑んで、のたうつ様を見遣った。
 空は高く。月も…紅い。
 恐怖に目を見張った虫ケラ共を睥睨し、男は次々と切りかかっていった。
 
 
 ■正神丙霊刀・黄天■

 ゆら。と
 街を行く。

 熱帯夜の街は活気と独特の夏の臭気に満たされて、人々はその中を不自由に泳いでゆく。
 それを澄んだ視線で見つめて、御影・涼は歩く。
 染まることなく街を滑るように自由に行き交う。
 外科医療系の参考書を買いに紀伊国屋まで出てきていた。
 診察におけるメンタルカウンセリング技術の書籍も必要だった。
 持っていないわけではないのだが、この手の資料や書籍は次々と出版されるためにやたらと数が多い。前から持っていた書籍では物足りなくなって買いに来たのだ。
 しかし、来たのはいいが、こう熱くては家に着くまでにへばってしまう。
 少々の出費は仕方ないと手ごろな喫茶店求めて、店の多い二丁目の方まで歩いてきた。
 ここまで来ると臭気は最高潮に達する。

 良心のかけらを失いつつある街。
 いや、街に罪はあろうか。
 あるのならば、人間のほうにこそあるのだろう。
 飽食・売春・麻薬・暴力。
 雑多な人種の集まるこの街には、いたるところに闇が潜む。

 人の心から発する臭気に軽い眩暈を感じて、路地裏へと足を向けた。
 人から離れれば少しは楽になる。人の気持ちが流れ込んでくるという奇妙な体質は、このような時になると少々辛いものがあった。
 しかも、こう熱くては体力的にも辛い。
 ここで休憩してから喫茶店へ行こうかと、汚れの少ない壁を見つけて寄りかかった。
「ふう……」
 溜息を吐いて瞳を閉じた。
 こうしていればちょっとは楽になる。
 瞳を閉じていても人の感情は流れ込んできた。
 それでも、平静心を保てば随分と違うものだ。
 このまま人ごみで高揚した気持ちを落ち着けようと、心の調律を始めようとした。
 荒れる表面意識の波を湖面のように穏やかにさせる。
 ホッと溜息を吐いた瞬間、いくつもの強い感情が流れ込んできた。
「……ッ!! 何?」
 思わず眩暈がして眉を寄せる。
 流れ込んできた感情に名をつけるのなら『恐怖』
 それを追い込むかのように『狂気』が恐怖を嬲りつつ、跳梁していた。
「妖しか!?」
 目を見開き、辺りの様子を窺えば、遠くで叫ぶような声が聞こえてきた。
 躊躇せずに走り出す。
 迷えば被害は酷くなるだろう。
 迷路のような路地裏の奥をひた走れば、そう遠からずたどり着く事が出来た。
 
「何!?」
 噎せ返るような血臭が支配する真っ赤な空間がそこに出来上がっていた。
 体液に濡れそぼった地面の上には、ピンク色の肉片がぬらりと液色に染まって散らばっている。
 ゆらりと男が振り返る。
 漆黒の髪を血色で染め上げた男。
 何よりその男の心は血潮よりも暗く紅かった。
「くッ!!」
 鮮烈なイメージに囚われて眩暈を感じ、涼はこめかみを抑える。
 奥歯をかみ締めて眉を顰めた。
「何だ……まだ居たのか?」
「な……何を……」
「……こっちへおいで……隠れてるなんて、いけない子だ……」
 クスリと笑って、男は手招いた。
 並みの女よりも妖艶な眼差しが涼を捕らえようと見据える。
「……裏の人間にしては毛色が違うようだね……」
「裏? 何の事ですか?」
 思わず涼は言った。
 それを聞いて、男はふと小首を傾げ、顔を上げるとにっこりと笑う。
「まぁ……いいか。……おいで、俺と遊ぼう」
 一歩踏み出すと、躊躇することなく此方の方へ歩いてくる。
 涼は一歩さがった。
 ずい。と男が近寄る。
 日本刀を持った手はだらりと下ろしたまま、涼の退路を立つように回り込む。
 その足運びの速さに、涼は目を見張った。
 空いた手を涼の方へを向けて差し伸べるような仕草をする。
 ビクッと背を反らせてよけようとしたが、簡単に触れる事を許してしまった。
 ゆるりと涼の頬を撫でる。
 ぺたり……
 白い頬を撫でる手が赤く染め上げた。
「ッ!!」
 混入する精神を振り払うように、涼は霊刀:正神丙霊刀・黄天を呼んだ。
「来いッ!!」
 相手の手を払って突き飛ばす。
 何故か抵抗はせぬ相手がよろめいている隙に、黄天は白い光を帯びて涼の手に収まった。
 やや細身でやや長めの刀身は唐刀に似通った印象を与えようか。
 それを構え、男と対峙した。
 恐れるでもなく、ただ面白そうに見つめている。
「随分と面白い芸当だなぁ」
 のんびりと間延びしたような口調で男は言って笑った。
「じゃぁ、手加減はいらんな。『これ』よりはマシそうだ」
 転がっている肉片を蹴って男は呟いた。
 それをチラッと見ると、男は涼に切りかかる。
 黄天を翳して攻撃をさければ、間髪入れずに攻撃を仕掛けてきた。
「くぁっ!」
 振動に手が震えて、思わず声を上げてしまった。

―― …この人…強い…この剣圧は並みのものじゃない…

 ニイッっと悪戯そうな笑みを浮かべながら、じり。と、歩を進める。

―― それになんだ……この瞳…楽しんでる……

 ただの通り魔ではなさそうだ。
 構える姿勢に無理は感じられない。
 足運びも滑らかで、優雅ささえ感じるのは何故だろうか。
 容赦なく涼は黄天を振るった。
 同時に剣圧が加速して波動へと変わり、その男へと叩きつける。
「でやぁあああああッ!!」
 気合の声とともに黄天を振り下ろせば、相手の日本刀など木っ端微塵だ。
「ふっ……」
「!?」
 勝利を確信した涼の耳に揶揄るような声が届く。
 日本刀は粉々になるどころか、傷一つ付く事も無く黄天を避けていた。
 瞬間、携帯がピリリと鳴った。
 男は舌打ちすると一歩後ろに飛び退き、超人的な跳躍力で廃ビルの非常階段へと飛びすさる。
「ボウヤ、すまんが俺は時間が無い……また遊んでくれ」
「ぼ、坊や?」
「じゃぁな」
 そう云うやいなや、男は闇へと溶け込むように消えていった。
「ま……待て!!」
 涼の叫びも虚空に木霊するのみ。
「一体なんだったんだ……」
 涼は独りごちた。
 黄天を下ろせば跡形もなく消え失せ、残るは姿を留めておらぬもの達だけであった。
 荒い息を吐いて、涼は未だ乾かぬ紅い路地裏を見つめた。
 顔を上げれば四角い紺色の宙。
 赤銅色を帯びた月が重そうに浮かんでいる。
 
「また……か」
 小さく呟いて、涼は形の良い眉を寄せた。
 夏の夜はまだ終わらない。
 月だけが涼を見ていた。

 ■END■