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<東京怪談ウェブゲーム アトラス編集部>


或る夏の日の神隠し


□ 君が呉れた物語の始まり


「んん……、暑……」
 碇麗香が、浅く腰掛けたオフィスチェアーをギシッと軋ませ、悩ましげな声を上げた。深く開けたブラウスの衿許、その豊かな胸の谷間へ汗がひとしずく流れ落ちてゆく。
「何だってウチの部署だけエアコンが故障するのよ……ホントによりによって……」
 声を荒げて怒ろうにも、それだけの気力が湧いてこない。暑い。蒸し暑くて堪らない。
 今夏は例年にないほどの冷夏の筈で、巷では冷房を効かせるどころか、コンビニエンスストアのおでんの売れ行きが好調だという異常気象である。それがどういうわけか、白王社ビル内部の室温は連日三十度を超している。各テレビ局の気象予報士が揃って「東京の最高気温は二十五度」と告げる傍からこれだ。表面立っては誰も何も言わないが、他誌編集部員と廊下ですれ違うたび、
「アトラスか。貴様らがよからぬ記事なんぞ組むせいで、妙な呪いでも引っ張ってきちまったんじゃねぇのか」
 という、恨み辛みと粘ついた湿気の綯い交ぜになった視線を送られる。それが体に絡み付いてより一層鬱陶しい。
 その上、何の因果か、こういう時に限ってアトラス編集部室のエアコンが総て機能停止。業者に修理依頼はしてあるが、未だ作業員は到着しない。
「ふう……、んっとに、サンシタ君あたりが妙な霊でも連れてきたんじゃないでしょうねェ」
 麗香は小さく溜息を吐き、足許に置いた没原稿入り段ボールにパンプスのヒールをぐいと食い込ませた。が、いつまでこうして愚痴ばかり言っていても業績は上がらない。何事も実力行使。暑いなら、涼しくするまでである。街を行く一般人にはおでんが必要でも、月刊アトラスには背筋も凍る涼感が要る。
 気を取り直して、麗香は机上の封書へ手を伸ばした。
 差出人の住所は、京都駅構内。差出人名、洛中祇園。これが本名だったら手を合わせて拝んで差し上げたいところだ。和紙作りの封筒の中には、美しさと読み難さの同居した文字が縦に数列流れている手紙と、小さな匂い袋が入っていた。
 手紙は、「前略 月刊アトラス編集部員の皆様」という一文から始まっていた。

 前略 月刊アトラス編集部員の皆様――――
 暑い日が続きますが、お健やかにお過ごしでいらっしゃいますでしょうか。
 さて、実はここ最近、京都駅に降り立った者がその姿を消すという事件が数件起きております。原因は依然として不明です。今現在分かっている行方不明者の共通項は、姿を消した当時、皆それぞれ×××を携帯していたという一点のみのようです。
 また、つい三日ほど前でしたか、京都駅で友人と待ち合わせをしていた時に消息を絶ったとされていた方が発見されました。その方の話では、何でも、「五瀧神社」という名の社へ行っていたというのです。ですが、五瀧神社などという神社は、京都市内のどこを探してもありません。そうですね、たとえば異世界――――とでもいうのでしょうか? 私達の未だ以て見知らぬ空間にある社なのかもしれません。京都駅から姿を消した者は、おそらく神隠しにでも遭い、その社へ存在を移したのではないかと思われます。
 なかなかに興味深い話ではありませんか。いかがでしょう、一度、調査取材されてみては。面白い記事が書けるかもしれませんよ。
 最后になりましたが、一つだけ付け加えさせていただきますと、五瀧神社には、自らを「祇園」と名告る女性が居るそうです。勿論、先日社から無事帰還した方の証言です。社の祇園に取材できたなら、素敵なお話が聞けそうですね。
 それでは、皆様のご冥福をお祈り致します。 草々

「なーにが、暑い日が続きますが、よ」
 麗香は、まだ視線を文面に落としたまま、空の封筒で顔を扇いだ。
 この冷夏に暑いのは白王社ビル、しかもエアコン故障中のアトラス編集部内だけだ。それを見透かしたように書き送ってくる洛中祇園の不審さと言ったら――――いや、それを言わずとも、「皆様のご冥福をお祈り致します」の末尾一文で十二分に怪しい。しかも、調査のキーになり得る携帯品の部分だけが、インクが滲んで何が書いてあるのか読めない。
「どう考えてもインクが滲みそうな柔らかい和紙に、太い万年筆でご丁寧に書いたりするから……」
 洛中祇園がわざと指で擦ったのでなければ、そういう解釈になる。
「ま、信憑性の程はともかく、確かにちょっと臭うのよね」
 麗香がそう呟いた時、ちょうど彼女にアイスコーヒーを運んできた三下忠雄が、
「あー、確かに匂いますよね、白檀ですかぁ、佳い薫りですねえ」
 嬉しそうに笑った。
「……ビャクダン?」
「はいー、その匂い袋ですよ。白檀の薫りがします」
 三下は、麗香の机に置かれた匂い袋を指さした。
「ああ、これね。でも、佳い薫りって……私には線香の匂いにしか思えないけど」
 麗香は匂い袋を抓み上げ、それからちらと三下に流し眼を送った。
「な、ななな何でしょうか」
 条件反射的に、三下の体が硬直する。何かよくないことが起こりそうだ。
 麗香は、眼許に婉然たる笑みを滲ませ、
「この件、三下君に一任するわ。そうね、こういうことに強そうな協力者を募って、ちょっと京都まで行ってきてくれるかしら。交通費くらいは前払いしてあげるから」
 三下からアイスコーヒーを受け取る代わりに、洛中祇園からの手紙一式を手渡した。
 三下は手紙の内容に眼を通した後、奇怪な悲鳴を上げた。
「え……ええぇぇえッ、ゆ、行方不明? へ、編集長、もし僕まで神隠しに遭ったら」
「あら、寧ろ遭わなきゃ取材なんてできないんじゃないかしら」
「そ、そ、そ、そんなぁ」
「四の五の言わずに、さっさと行く!」
 麗香に尻を叩かれ、三下は問題の京都駅へと同行する仲間を求めてふらふらと歩き出した。


□ 事の繋がり/海原みあお


「三下、安心してっ! みあおがついてるから!」
 海原みあおは、月刊アトラス編集部に届いたという洛中祇園からの手紙を、三下に読み上げてもらうなり、元気いっぱいの声を上げた。その手に、食べかけのソフトクリームが握られている。つい先刻、取材協力の話を聞いてもらう代わりに三下が買い与えたものだ。
「は、はあ……じゃあ、その、お願いします」
 公園の石畳の上、ぴょんぴょんと跳びはね乍ら、大の大人を相手に「三下!」と呼び捨てるみあおの前で、三下忠雄その人は低姿勢に言った。二人の様子を眺め眺め通り過ぎていった恋人達が、いかにも不審そうな顔つきでちらちら後ろを振り返っている。それもその筈、三下が頭を掻きつつ仕事の依頼をしている相手は、あまりにも華奢な肩先できれいに切り揃えた銀の髪を揺らしている――――小学生である。髪と同色の眸が好奇心で満たされ、くるくるとよく動く表情がとても愛らしい。社会通念に照らし合わせても、「小学生に仕事を頼むのはちょっと」と思って然るべきなのだが、すでに何度もこういった場面で顔を突き合わせている間柄だ、今更そこで悩むだけの理由がなかった。
 しかも、何かあるたびにこうしてみあおと話をしていると、三下は次第に「大丈夫」な気になってくるから不思議だった。何の確証があるわけではないのに、まあ、きっとうまくいくだろう、という安心感と気力が湧いてくる。眼の前の小さなレディの年齢が幾つだろうと、彼女から伝わってくる明瞭な生命色は信用するに足るものだ。そうでなければ、いかに三下と雖も、調査取材に同行してもらおうなどとは考えない。
「それにしてもー……」
 みあおは、内容が読めているのかいないのか分からない手紙と睨めっこの末、いきなり右手を真っ直ぐに振り上げた。
「んん、みあお、分かっちゃった!」
「わ、分かった?」
「うんっ! 神隠しの犯人、分かった!」
「え……えぇえっ?」
「ぜぇったい、この、ぎおん、って人だよっ!」
「……そ、それは……」
 そうかも、しれないけれど。
 三下は、肯くべきか否か迷って、中途半端な位置に頸を傾げたまま動きを止めた。みあおはそんな三下を後目に、京都までみんなで旅行かあ、たのしみだなっ、新幹線に乗ったらやっぱり駅弁だよねっ――――夏休み後半に到来した心浮き立つ空想に胸躍らせていた。
「あぁあ、あのぅ」
 遠慮がちに声をかけた三下に向き直ると、みあおはびしっと人差し指を彼の腹に押し当てた。
「そうと決まったら、三下、におい袋買ってきておいて! ちゃんと人数分ね。よろしくっ」
「……匂い、袋?」
「そーだよっ、だって、犯人をつかまえるには、犯人のとこまで行かなきゃ! 手紙にもにおい袋が入ってたんだし、きっとそれが何か大切なものなんだよ。三下も、そう思うでしょ?」
 みあおは、この一件の犯人が祇園であることと三下の意思とを一方的に決めつけ、嬉しそうに笑った。彼女の屈託のない笑顔の前では、三下は無力だった。兎にも角にも取材に同行する人数分の匂い袋を準備する約束をし、当日東京駅で待ち合わせて京都へ向かうことに同意して、この日は別れた。


□ 三下欠落


 窓外のプラットホームに、両手に荷をぶら提げた顔面蒼白の三下が、バックオーライするすると遠離ってゆく。否、五人の乗った新幹線が発車したのだった。
「さ、三下さん!」
 席から立ち上がった大曽根つばさが、ぐっと窓に額を押し付けて眼で三下の姿を追ったが、それはすぐに豆粒の如く身を縮め、視界から消え去った。
「……取材協力を依頼した当人が京都に行かずにどうするんだ?」
 窓際の席に腰掛けて脚を組んだ姿勢の香坂蓮が、深い溜息を吐いた。その隣の席で浴衣の裾を合わせ直していた乾鏡華が、
「あはは、本当に」
 と、苦み交じりの笑みをこぼした。蓮はそんな鏡華に一瞥を呉れ、何も言わずに視線を逸らした。やや茶味を含んだ深い緑――――上品な常磐色の浴衣を着こなし、手には縮緬地の巾着、黒髪を飾るのは波の透かし彫りに眼を惹かれる鼈甲の簪。声さえ聞かなければ、美女と呼んで差し支えない出で立ち。その声音は、深みのある柔らかさを備えてはいるが、確かにテノール麗しい男声に違いない。
 (まあ……こんな仕事請けてると、いろいろあるよな)
 蓮はそのあたりで納得し、ヴァイオリン・ケースを脇に引き寄せた。
 その蓮の真向かい、三列並びの座席を新幹線の進行方向とはぐるり反転させたそこにつばさが坐り、すぐ左隣に雨柳凪砂、一番廊下側に海原みあおがいた。
「もーっ! 三下、おっそいんだから!」
 みあおはぷーっと頬を膨らませ、床に付かない脚を互い違いに揺らした。何を隠そう、三下はみあおに言われて六人分の駅弁を買いに走り、新幹線に乗り遅れたのである。
「こ、困りましたね……」
 気弱そうに言う凪砂に、
「けど、三下さんの方がよっぽど困ってるんと違う? 鞄、ここに置きっぱなしやし」
 つばさが、鏡華の隣に置かれた荷物を指さした。使い込まれて疲れた黒革の鞄が、三下の代わりにそこに蹲っていた。鏡華はごそごそと鞄の中を探り、
「ま、洛中祇園からの手紙も、匂い袋も、みんなここに入ってるから、とりあえず僕達はそれほど困らない、かな?」
 そう言ってから、「あれ?」と頸を傾げた。
「何か……匂い袋が大量に入ってるんだけど」
「あっ、それね、みあおが三下に頼んだのっ!」
 みあおは座席から跳び降りると、人数分用意された匂い袋を一人一人に配って回った。
「どういうことでしょう?」
 凪砂は、みあおから受け取った白檀の香漂う匂い袋をみつめ乍ら訊いた。
「うんっ、みあお、ぎおんのいる神社に行くには、におい袋が必要だと思うんだよね! でねっ、やっぱりみんなで一緒に行きたいから、同じにおい袋を全員分三下に買っておいてもらったんだよっ」
 みあおの言を受けて、蓮が「分かった」と軽く右手を挙げた。
「いい機会だ、皆それぞれ五瀧神社へ行くための携帯品が何だと思うか、話し合っておこう」
「そうやね。じゃあ、まずは言い出しっぺ、……香坂さん、やったっけ? お兄さんからな」
 つばさは、つい三十分ほど前、駅の改札口で交わした自己紹介で聞いた名を思い起こし、眼前の席の青年に視線を据えた。闇色の髪にひとすじ射した陽光のようなメッシュと、青い眸が印象的な男である。クールで簡単には人を寄せ付けない雰囲気の傍ら、どこか敬虔な清浄さを曳いて見えるのはなぜだろう。
「……俺は、五瀧神社からの帰還者に話を聞いた」
 蓮が言った途端、鏡華が横から口を挟んだ。
「あ、そうだったんですか。実は僕もなんですよ」
「え?」
「僕も、神社から無事還ってきたという方に電話で話を聞いて来ました」
「そうか。じゃ、話は早いな」
 二人が何事か納得し合っているのを見、凪砂が「それで、どうでした? 神社へ行くには何を持っていればいいんですか」と先を促した。それに応じて口を開いた蓮と鏡華の声が揃った。
「白檀だな」
「白檀です」
 思わず、つばさがぷっと吹き出した。
「なんや、逢ったばっかやのに、仲ええなあ、二人とも」
 茶色の髪を後ろで一つに結んだ、軽快な大阪弁の年下の少女にからかわれ乍ら、蓮は神隠しを経験した当人から得た情報を皆に伝えた。
「要点だけ言うと――――白檀の数珠を持って京都駅を訪れた者が、軽い眩暈と伴に五瀧神社に喚ばれ、どこからともなく聞こえてきた女の声に驚いて瀧に落ち、気が付いたら元いた場処に戻ってきたって話だ」
「そうそう。あと、補足するなら、その女の人……祇園は、何か唄を謡っていたみたい」
「うた?」
 今度は、蓮と鏡華に対抗するように、つばさ、凪砂、みあおの声が揃った。
 鏡華は、こんな風に、と言い、すっと深く息を吸った。
「丹塗りの楼門、紅殻格子、白き化粧は心を隠す、我が身我が恋、今いずこ……五瀧の社にしずめて祇園、ひとすじ流る夢の道……」
 一同、暫し沈黙し、それから凪砂が「わぁ」と感嘆の声を上げた。
「乾さん……素敵です」
「ありがとう」
 鏡華に微笑まれて、凪砂はぱっと顔を赧らめた。その様子がまた、頬紅を差した清楚な日本人形のようで可愛らしい。
「で、でも……、そういうことだったら、携帯品は白檀で決まりですよね? あたしはお守りを持って来たんですけど。みあおちゃんが用意してくれた匂い袋がありますし、みんなで神社に辿り着けそうですね」
 凪砂は動揺を押し隠すように忙しなく喋り、つばさを見遣った。
「あ……、うん、せやな、うちは鈴を持って来たんやけど。ま、これはこれで何かの役に立つかもしれへんし、このまま持っとくわ」
 つばさは凪砂に肯いて見せ、ポケットから取り出した鈴をちりりと鳴らせた。
 その時、五人の乗った車両に車内販売のワゴンが入って来、みあおが顔を輝かせた。
「おしっ、話もまとまったことだし、みんなでお弁当食べようっ!」
「賛成!」
 つばさと鏡華が明るく応えた。


□ 取材敢行!


 神隠しというからには、それは突如として人を不可思議な空間へと誘う質のものである。ゆえに、白檀の薫りを携えた五人もまた例外なく唐突に京都駅から消えた。現地の警察や駅員に行方不明者の新たな発見があったのかどうかを確かめる間もなく、神社へと繋がる空間の歪みを事前に感知する余裕もなく、消えた。
 くらりと脳髄を揺るがす眩暈の果てに茫とした視界の裡にそれぞれが見たものは、うっすらと霞み渡った境地に建つこぢんまりとした社と、「五瀧神社」と名の刻まれた一本の石柱、そして社を見守るように流れ落ちる五つの瀧の姿だった。瀧の周囲を常盤木が囲い、一見してそれがこの神社の神体だと分かる。滝壺からは細かな水飛沫が上がり、五人の肌に吸い付いてはしっとりと潤した。
「こ……ここが、五瀧神――――」
 言いかけた凪砂の語尾を遮って、瀧の音を編み込んだような玲瓏たる声が響いてきた。
『……五瀧の社にしずめて祇園、ひとすじ流る夢の道……』
「祇園の唄、か。確かに……」
 蓮が呟いた。確かに、社からの帰還者の言葉どおりである。
 だが。
「声だけ、ですね」
 蓮の心中を見透かしたように、鏡華が応じた。
「ああ。姿が見えないな」
 そう言ってから、待てよ、と蓮は顎に手を当てて考え込んだ。五瀧神社の話を聞いた時の、相手の言葉を思い返してみる。

 ……何がどうなったのか分からなくて混乱していたら、
 お、女の人の声が聞こえてきて――――そう、唄を謡うみたいに……
 きれいな声で。私、びっくりして足を滑らせて……

 そうだ、話の間中、一度も祇園の姿を見たなどとは言っていなかった。社にいたのが女性だと分かったのは、その声が女のものだったからだ。女の姿を視覚で確認したわけではない。
 鏡華もまた、蓮と同時にその結論に至っていた。
「姿の見えない祇園さんが相手ですか……少々、厄介ですね」
 とりあえず、巾着に入れて持って来たカメラは諦め、鏡華はテープレコーダーのスイッチを入れた。この空間で音が録れるものかどうかは甚だ疑問だったが、何しろ依頼されたのは取材の協力である、証拠となる祇園の音声くらい持って還らねば報酬は受け取れまい。
『丹塗りの楼門、紅殻格子、白き化粧は心を隠す』
 祇園の声は続く。
『……我が身我が恋、今いずこ……』
「祇園さん!」
 つばさが、声を上げた。どこに向かって語りかけてよいか分からず、天を仰ぎ、名を放った。
「どうしたんや、こないな処で、唄なんか謡って! 話があるんやったら、聞いたるさかい、何でも言って!」
『……あなたはだれ』
 意外にも、祇園の声はすぐに反応した。
「えっ? だ、誰て、うちは」
『あなたは……わたし?』
「な……何、言うてるん……」
 当惑したつばさの腕を、凪砂が引いた。
「あ、あの! あたし、祇園さんは多分、誰かを探してると思うんです。だから、こうやって、白檀の香を携えた人達をここに引き込んでしまうんじゃないかって」
 つばさに言うなり、凪砂は五つの瀧を順に眺め、問いかけた。
「祇園さん! あなたは一体、誰を探しているんですか……?」
 しかし、祇園はその問いには直接に応えず、もう一度『あなたは……わたし?』を繰り返した。
 その様子をじっと見ていたみあおは、何を思ったか、頭を左右に大きく振った。
「違うよっ」
『……違う……』
「そうだよ! つばさも、凪砂も、みあおも! ぎおんじゃないよっ! だって、名前違うし、あとの二人は男だからもっと違うっ」
『……名前……?』
「もしっ、ぎおんが誰かを探してるんだったら……、あ、そっか、ぎおん、自分のこと探してるの?」
 みあおが、思いがけず大切なことに行き当たったように、きょとんとした表情になった。
「あ……あれ? でも、ぎおんの声がするってことは、ぎおんがここにいるってことで……あれ?」
 みあおはその先に思考を巡らすことができず、祇園との会話は頓挫した。
 が、みあおの発見したその一事は、蓮と鏡華に或る答えを与えた。
「あんなナリして、なかなか見どころがある」
 みあおの言動に妙に感心した風な蓮に、鏡華はにこやかに笑んだ。
「凪砂さんもつばささんも、いいヒントをくれましたよね」
「そうだな。ま、祇園が本来の自分を取り戻したら、この件は片付くだろう」
「それなんですけど……祇園さんって、本当の名前じゃないですよね、やっぱり」
「だろうな。祇園に、神社、白檀、丹塗りの楼門、紅殻格子、白き化粧……ときたら」
「芸妓さん、かな。それも、結構名の知れた」
 領解して、鏡華は巾着から二対の扇を取り出した。それを横眼に見た蓮は、口の端からふうっと複雑な色の吐息を洩らした。
「……得意分野、みたいだな」
「あ、分かりますか?」
「分からない方がどうかしてる」
「香坂さん、そのヴァイオリンで伴奏してくれる、っていう選択肢はありますか? ここまで持って来たということは、何らかの力を発揮するものなんでしょう?」
 鏡華が、蓮が手にしているヴァイオリン・ケースを扇の先で示した。
「……どうかな。大体、おまえ、ヴァイオリンの音色で舞う気か?」
「ええ。三味線でも、お琴でも、ヴァイオリンでも構いません。心のある演奏ならね」
「それは――――苦手分野だな、俺には」
 蓮と鏡華が話し込んでいる脇で、つばさ、凪砂、みあおの三名は、五つの瀧の謎に挑んでいた。
「なーんで、五つなんやろ」
 つばさが、滝壺の一つを覗き込んで言った。
「そうですよねぇ。四瀧神社、なら、聞いたことあるんですけど」
「えっ? 凪砂、知ってるのっ?」
 みあおが、凪砂の腕にぶらさがりかけ乍ら訊いた。
「え、ええ……四瀧神社は、以前実在した神社で、境内にきれいな瀧が四本流れてたそうですよ。でも、少し曰く付きの神社で。何でも、高名な芸妓さんが、暑い夏の日に、瀧に身投げをしたとか」
「へー、芸妓さんが身投げした四瀧神社……、って、ちょっと、待ちぃなっ」
 つばさが、凪砂の顔に鼻先をつけんばかりに詰め寄った。
「つ、つばさ……さん?」
「ねーさん、そこまで分かっとるんやったら、答えはすぐそこやろ?」
「え……えぇ? あ、あたし、何か」
 つばさは、勢い込んで喋った。
「四瀧と五瀧て、瀧一つ分しか違わへん。もし、もしもやで、ここが、その四瀧神社に縁を寄せて組み上がった空間やったら……最后の一本、四瀧神社にはなかった瀧が、元の世界に還る出口やないの? 祇園の唄にも、五瀧の社にしずめて祇園、ひとすじ流る夢の道、ってあるんやし。……それに、その身投げした人、その人って」
「……ぎおん?」
 みあおが、顔を突き合わせている二人を見上げて言った。
 不意に。
 ヴァイオリンの音色が耳を撫で、三人は一斉に音の聞こえてくる方を見遣った。
 右手にヴァイオリンの弓を持ち、左手指で弦を器用に押さえた蓮が、緩やかな旋律を奏でていた。その音は瀧を巡り、社を流れ、この地に漂う祇園をも包み込むかのように上昇した。そして、蓮のリズムにのって、鏡華が舞う。袖を振り、扇を開くと同時、ふわり白檀の薫りが周囲に拡がった。二対の扇が霞に揺らぎ、鏡華のしなやかな体捌きにつられるようにヴァイオリンの音が柔らかになる。
 そこへ、
『……わたしは……どこに……どこへ』
 祇園の声が降ってきた。
『わたし……は……だれ……』
 蓮の音に融け入りそうな声だった。
 思わず、みあおは凪砂に縋った。
「凪砂っ、名前、名前はっ? その、身投げした人の、名前っ!」
「な、名前? 芸妓としての名じゃなくて、本当の名前ってこと?」
「うんっ」
「そ、そんなの、あたしにも分かりませんよ〜!」
 凪砂は困惑し、助けを求めるようにつばさを見た。
 つばさは神妙な顔をし、二度、肯いた。
「うちにも分からん。けど、元の世界に戻ったら、絶対調べたる。祇園が四瀧神社で身投げした芸妓やゆうんなら、辿り着ける筈や。本当の、彼女に」
 そう言って、つばさは持って来た白銀の鈴を一度掌に握り込んで念を込め、鈴紐を指先に引っ掛けると、くるくる回し乍ら天高く投げ上げた。
「本当の祇園、うちがみつけたる! せやから、安心して成仏しぃ!」
 鈴は霞に消え、もう落ちてくることはなかった。
『……ありが……とう……』
 弱々しくも嬉しげな声を残して、祇園の気配は次第に薄れていった。
 ヴァイオリンと舞とは一層絡み合い、穏やかな熱気を増し、やがて場を支配していた朧朧しい霞は瀧に吸い込まれるように消滅した。いや――――消滅したのは、霞だけではなかった。ヴァイオリンの音が已み、鏡華が扇を閉じた瞬間、五つあった瀧のうち四つまでが、まるで蒸発でもするように勢いよく視界から掻き消えた。
「残ったこれが、元の場処に還る道?」
 みあおが、瀧に歩み寄って言った。
「そうだろうな。無事京都駅に還ることができた者は、偶然この瀧に落ちたんだろう」
 蓮の言葉を聞き、凪砂が不安そうに、
「じゃあ……誤って他の瀧に落ちた人とか、瀧に落ちなかった人達は、どうなったんでしょう?」
 と訊ねた。
「そういう者は、未だ神隠し中」
「でも、今回のことで祇園が解放されたから、僕達が還ればこの空間も消滅して、みんな還ってくる筈」
 蓮の後ろからひょいと顔を覗かせた鏡華が、ヴァイオリニストの説明に欠けていた部分を補った。
「うんっ、分かった! これで一件落着、だねっ! みんな、還ろう!」
 みあおが、そばにいたつばさと蓮の手をぐいっと引き、瀧に飛び込んだ。
「わ、わ、わッ! み、みあお、ちょ、待っ――――」
「な……っ」
 つばさと蓮の声は、あっという間に瀧に呑まれた。
「あはは、みあおちゃんって、本っ当に愉しい」
 それじゃ、僕達も行こうか、と鏡華が凪砂を振り返った時、彼女は社の前で手を合わせていた。
「凪砂さん?」
 鏡華に呼ばれて、凪砂は慌てて駆け戻ってきた。
「ごめんなさい、ちょっと、お守りを」
「お守りって……ああ、そっか、持って来たんだったね」
「はい。せっかくだから、奉納してきました。祇園さんが、心穏やかにいられるように」
「……優しいね」
 鏡華は眸に微笑を過ぎらせ、凪砂の手を取ると、瀧に向かって地を蹴った。


□ みつけたいのは


 京都駅に還り着いた時、瀧に飛び込んだというのになぜか五人ともほんの少しも濡れてはいなかった。ヴァイオリンに楽器用のレインコートを纏わせ、さらにケースの外からも防水ビニールを巻き付けておいたものの今一つ不安を拭えずにいた蓮は、ほっと胸を撫で下ろした。以前の帰還者はずぶ濡れで還ったというが、今回何事もなかったかのように五瀧神社を脱け出て来られたのは、祇園が浄化されたためだろうと思われた。また、駅で確認したところ、社に召喚されたその時から数えて数分しか経過していなかった。
 元の場処に戻って来られた安堵感に四肢の弛緩を覚えた凪砂は、ふと、自分が左手に扇を握っているのに気付いた。四瀧の焼き印のある、白檀の扇を。いつの間にこんな、と驚きつつ、掌に伝わる慣れぬ感触に、清らかなぬくもりを想った。
「……祇園さんの、かな」
 夏の風に白檀の香が混じり、空に融けていった。

 結局、鏡華のテープレコーダーの記録と五人の証言、それに白檀の扇という証拠を併せて、三下の記事は一時期それなりに評判となった。
 かつて芸妓として名声を得ていた祇園は、しかしその世界に在って本来の自分というものを見失い、惑い、追い詰められ――――暑い夏の日、四瀧神社の瀧に身投げした。白檀の薫りを愛した彼女のために、その後暫く四瀧神社には白檀香が焚かれていたが、それも社の取り壊しの際に途絶えた。以来、自分を探し求め続けた彼女の思念だけがこの地に彷徨い、現世界と異世界との境界を繋ぐ新たな瀧を備えた五瀧神社が生まれた。そして、白檀に縁深い者が京都に降り立つ時、彼女はおそらく自分でも無意識のうちにその者を身近に招いてしまったのだろう。ただ一つ、未だ以て不思議なことに、五瀧神社に招かれた者は皆、東京から京都へと旅立った人々だったという。
 後日、月刊アトラス編集部とみあおのもとに、各々手紙が届いた。
 編集部へ届いたのは、問題の洛中祇園からの一通だった。

 ありがとうございました。
 祇園の気配が消えたことが、私にも分かりました。
 なかなか優秀な調査員をお持ちなのですね。
 前回はいろいろと挑発的なことを書き送りまして、申し訳ありませんでした。この一件に興味を持っていただきたく、あのような所業に及びました。
 今後とも、白王社並びに月刊アトラス編集部皆様のさらなるご活躍を期待しております。
 では、今度こそ、祇園の冥福を祈って。

 洛中祇園なる人物と祇園との関係は最后まで明らかにならなかったが、二人の間に何らかの交信があったのだろうことは想像できた。洛中祇園とは、祇園の霊魂に感応することができた誰かだったのか。それとも、洛中祇園自身もまたこの世の者ではなかったのか――――。
 はっきりと確認できているのは、五瀧神社が消滅したその日に、白王社ビルに充満していた暑気が消え去ったということだけである。
 もう一通、海原みあお宛てに送られてきた手紙の差出人は、大曽根つばさだった。
 太い黒ペンで、

 祇園の本当の名前、分かりました。
 「みあお」。
 驚いたやろ?

 快晴の空の下、たった三行の短い通信文を眺め、みあおはソフトクリームをぺろりと舐めた。
「あのひとも、みあおって言うんだ!」
 みあおは記憶に残る祇園の声と、伴に取材旅行へ行った四人の仲間、そして東京駅に置き去りとなった三下のことを思い、青空を見上げた。
 自分探しの旅は、きっと、まだこれからなのだ。


或る夏の日の神隠し / 了


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【1847 / 雨柳・凪砂 / 女 / 24歳 / 好事家】
【1415 / 海原・みあお / 女 / 13歳 / 小学生】
【1768 / 乾・鏡華 / 男 / 19歳 / 小説家】
【1532 / 香坂・蓮 / 男 / 24歳 / ヴァイオリニスト(兼、便利屋)】
【1411 / 大曽根・つばさ / 女 / 13歳 / 中学生、退魔師】

※ 上記、受注順に掲載いたしました。

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■         ライター通信          ■
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はじめまして。杳野と申します。此度は五瀧神社の調査取材にご参加いただき、ありがとうございました。みなさま無事帰還を果たされて何よりです。
実はこれが私のOMCでの初ノベルでした。ご一緒していただいた凪砂さん、みあおさん、鏡華さん、蓮さん、つばささんには感謝しております。
「事の繋がり」と「みつけたいのは」については、五人ともそれぞれ内容が異なっていますので、よろしければ併せてお愉しみください。
ストーリーを書いている間、ずっとみなさんに仄かな恋心を抱いていたような気がします。なかなかに罪作りなお仕事です(笑)
此の世界での様々な経験を通して、みなさまがより一層素敵なご自身と仲間達に出逢えますよう。また是非、お逢いしましょう。それまでどうぞお元気で。