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<東京怪談・PCゲームノベル>


有楽町で逢いましょう

【0E】

 余っ程疲れていたみたいね、私。そんなつもりはなかったけど。──よりによって、気付かない内に異空間へ向う地下鉄へ乗り込んでいたなんて。
 ホームに降り立った綾和泉・汐耶(あやいずみ・せきや)は走り去って行く銀色の車体と、「有楽町」という表示の駅名パネルを眺めながら腕を組んで溜息を吐いた。
 勤め先の図書館からの帰り道、のつもりだった。気付けば、終点です、降りて下さい、という車掌の声と共に肩を揺り起こされた。その時は咄嗟にあら、ごめんなさい、と急いで電車を降りたのだが。聡明な彼女が、「有楽町」という駅名を認めた時、それが自分の通勤路からずれていることや、地下鉄有楽町駅は少なくとも終点ではない、そもそも自分は終電の時間まで気付かずに乗り過ごしたり、そもそも営団地下鉄有楽町線に乗り込んだ覚えはない、ということに気が付かない訳はなかった。
「……取り込まれたわね」
 自身が封印能力を持ち、それでなくともここ最近、東京で起こる妙な事件に巻き込まれる事の多かった彼女はあまりに閑散とした周囲の「異様な」空間を察知してそう結論付けた。
 何となく自分の手首に嵌めた男持ちの腕時計に眼を落とした彼女は、銀縁の伊達眼鏡の奥の青く透き通った眼を細めた。そして、駅構内の時計と見比べ、しばらく思案していたが──やがて、地上へ続く階段を登り始めた。
 
──営団地下鉄、有楽町線を御利用頂きまして、ありがとうございます……。
 アナウンス特有の、くぐもったような女性の声が響いていた。

【1E】

 取り込まれた、イコール「封じ込められた」ならば自身の封印能力を応用し、その封印を逆に解く事でこの異空間から脱出することは可能だという自信はあった。
 だから、今だに左向けに回り続ける腕時計の秒針と、駅構内の時計を見比べて「ある可能性」に気付いてからも冷静でいられたのだ。あとは、生来の落ち着きと明晰な頭脳による客観的な判断能力に拠ってだろうか。
 何にせよ、まずは原因を探る必要がある、と汐耶はまず地上に出てみる事にした。改札を前にしても切符を持っていないことなど最初から気付いていて、且つこの空間で常識に捕われる必要はない、と堂々と閉じた改札機を通り抜けた。勿論彼女の予想通り警告音が鳴ることもなく、簡単に押し通る事ができた。
「……この地下道は……駄目ね」
 地下一階から伸びる、品川駅へ通じる地下道を見やり、ちゃんと奥へ通じているように見えて実はそれは幻覚であって、足を踏み入れる事ができない空間である事も汐耶は一目で見抜いていた。今の時点で、わざわざ敢えてそこへ入ってみて、今度は逆に飛ばされるか分からないような行為はしないに限る。
 地上へ続く階段を登り、記憶によれば確かそこには2年前に大手カメラ店が10億の資金を投入して改装した筈のネオンが煌めくビルが他の周辺の建物と同じく、ひっそりと影となって聳えている事を確認すると、一旦構内へ引き返し、今度は逆方面──丸の内側の出口から地上に出てみる。
「……なるほど、この中にはあっちの方面は含まれてないって訳ね」
 そこに広がっていた視界は、先程、有楽町側の出口から地上に出た時と全く同じ光景だった。 
 遠くの方には不夜城東京の煌々しいまでのネオンサインが見えるが、それも大方品川駅への地下道と同じく「こことは別の空間」が幻覚として見えているだけだろう。おそらくは、無灯の建物が続く範囲がこの空間のキャパシティなのだろう──。
 そんな事を考えていた時だ。
 闇の中から背が高く、闇に紛れてしまうような色の学生服を着た1人の少年が歩いて来るのが見えた。これには多少驚いたが、その少年も同じ様に驚いた表情をして汐耶を見つめているのを見ると、彼も同じく「取り込まれた」人間なのだろう。
「あの……」
「あら……他にもいたのね」
 そのようです、と苦笑を浮かべた、歳の割りに落ち着いて見える少年は田中・裕介(たなか・ゆうすけ)と名乗った。

【2D】

 裕介と汐耶はひとまず街を見て回ることにし、歩きながら話し出した。
「地下道は、駄目でしたよね」
「そうね……奥の方に見えていた空間は、幻影か、それか『存在しない』空間をフィルターとして通して見た向こう……つまり通常の世界か」
「行ってみましたか?」
「いいえ、実際に足を踏み入れてはいないわ」
「どうなると思います、あの中に入ったら」
「多分……こうなるんじゃないかしら」
 汐耶は裕介を振り返ると、目の前の建物──警察署であるが、明かりも見張りの警官もいないのが無気味な──の開かれた扉の中に、すっと足を踏み入れた。
 ──そして、その姿が消えたと同時に、今度は裕介の背後から現れたのである。
「なるほど。……じゃ、駅以外の建物には入れない訳ですよね。できれば、高い所に登ってこの空間の範囲を確認したかったんですが」
 裕介はふむ、と顎に親指の先を押し付け、ぐるりと周囲を見回した。
「綾和泉さん、図書館の勤め帰りと仰ってましたが、司書をなさってるのでしょうか」
「ええ。……ま、ちょっと特殊な本専用係にされたりしてるけどね」
 汐耶は苦笑して答えた。
「では、土地の伝承なんかには詳しいのでは?」
「何か思い当たったの?」
「いや、……こうした、街のある範囲を限定に空間が閉じられる、という現象は、都市伝説によくあるパターンだと思いまして」
「都市伝説ねえ……有楽町……」
 汐耶は少し考え込み、勤め先の図書館の蔵書7割分の知識を手繰った。
「都市伝説、とは少し違うかもしれないけど、いくつか気になる事はあるわ」
「何です?」
「まず、そのビルだけど」
 汐耶の指した方向を振り返った裕介は、これが? という風に眼で尋ねた。
「元の世界の有楽町のそのビルが何か知ってるかしら? そのビルは、大手カメラチェーン店の店鋪なのよ。2年前からね。その時、そのカメラチェーンは10億もの資金を投入して外装にネオンを施した。本来ならば、そのネオンが眩しい程に輝いている筈なのよ」
「電気が消えているにしても、そんな感じのビルには見えませんね」
「元は、そごうだったビルよ。ここにある建物は、そごうの時のままだわ」
「……ああ、」
 それを聞いて裕介は納得した。大手デパートの倒産のニュースならば記憶にあった。
「これが、そうだったんですか。気が付かなかった」
「つまり、ただ電気が消えているだけじゃないのよ。それに、妙に物がないと思わないかしら?」
「……そうですね、妙にすっきりしている」
 裕介は道路を見渡して頷いた。
 生活感のない街だ。それは、人や車が通りかからず街灯以外の電気が消えているというだけではない。
 自動販売機、あるいは小規模な店の看板、街中に張られたポスターや不法な広告。そういったものが一切ない。あるのは、街を象徴するような大きな建物や街灯だけである。絵に描いた街のように、細かな物が見落とされたように存在しない街というのは、妙に空々しい。
「絵に描いた街……。……誰かの思い描いた街?」
「……そごうが残っていなければ気付かなかったけど、他にも時間の止まったままの物はあるかもしれないわ。……あ、それと、時計には気付いた?」
「ええ」
 裕介は自分の腕時計を示し、頷いた。秒針が、左向けに回り続け、出鱈目な時間を指している。汐耶のものもまた同じだった。
「でも、駅の時計はちゃんと動いていたのよ。普通にね」
「ああ、それは気がつかなかった」
「……ねえ、私の仮説だけど、ここから出るには、タイムリミットがあると思うのよ」
「タイムリミット?」
 裕介がそう聞き返した時、ぴくりと彼の全身が総毛立った。
「裕介君?」
「人外の気だ」
 そう云うと裕介は汐耶を置いて駆け出し、駅の中へ引き返した。汐耶も慌てて後を追う。

「……何なんだ、こいつは……」
 汐耶が追い付いた時には、裕介は切符売り場の横に位置したコインロッカーの前で呆然と立ち尽くしていた。……その右手は指先で、緑色の身体に蝙蝠のような羽根と蜥蜴のような尾を持った非常に小柄な生物をつまんでいた。悪魔だ。だが、キィキィと声を上げて抵抗するそれは、裕介にはまったく堪えていない所を見ると大して力はない使い魔だろう。裕介にしても、この悪魔の気に引かれてここまで走ってきたものの、実際に前にしてみれば、大鎌──「Baptme du sang」をわざわざ取り出して広げることもないだろうと、素手でひょい、と引っ掴んだのである。
 それよりも裕介が呆然と眺めていたのは、コインロッカーの方だ。
 全てのロッカーの扉が開いていた。そして、その中の一つ一つに動かない乳幼児が収まっていた。
 異様な光景だが、それは全てホログラムのように実体のないものだった。生きた乳幼児でも、ましてや死んだ乳幼児の思念が具現化したものでもない。辛うじて妖気を感じるとすれば、それは裕介が虫のように軽くつまんでいる使い魔の微弱すぎる妖気だけだった。妙に実感がないだけに、グロテスクというよりは単に異様というか、シュールレアリズムの絵画のようだ。
「これも、誰かの頭の中の映像、か?」
「コインロッカーベイビーズ……」
 汐耶からそんな呟きが漏れた。
「裕介君、あったわよ。……有楽町の都市伝説」
「え」
 裕介が汐耶を振り返った時、その一瞬の隙を付いた使い魔が彼の指先をすり抜けて跳び退って行った。
「……チッ、……まあいい、飼い主の所へ案内してくれるようだ」
「とりあえず、追いましょう」
 裕介と汐耶はその使い魔の後を追って、再びホームへ階段を降りた。

【3_2】

「おっ……と、……お揃いだな、」
 海原・みなも(うなばら・みなも】、片瀬・海(かたせ・うみ)、久坂・よう(くさか・よう)、瀬川・蓮(せがわ・れん)(+使い魔一匹)、倉塚・将之(くらつか・まさゆき)の一同に眼を停めた裕介は、この使い魔はお前のペットか、というように蓮を一瞥しながらもその中に加わった。
「汐耶さん、」
「あら……みなもちゃんも取り込まれてたのね」
「そうなんです……本当は早く帰って夕飯作らなきゃいけなかったのに……。……みそのお姉様とみあお、心配してるだろうなあ……」
 そうみなもが困ったように笑うと、ようもぽつりと独り言を洩した。
「……つきが心配してるだろうな」
「俺も、もし地上に脱出できる空間がなければ線路を伝って行こうと思ってたんだが……どうだった?」
 更には、線路内を歩き、電車避けに飛び込んだり使い魔と格闘している間にセーラー服を煤だらけにしてしまっていたみなもに、裕介が問う。床に置いたやけに大きなトランクを開けながら。
「駄目でした、歩いても歩いても駅には付かないんです。倉塚さんが、次の駅までは500メートル位だって仰ってたんですけど、それ位は絶対に歩いても着きませんでした」
「そうか……」
 そう云いながら中身を漁っていた裕介が何かを探り当てて引っぱり出した。
「俺が絵に描いた、地下鉄車両もある場所で消えてしまったらしいしな」
 海の説明は簡単に聞き流し、裕介がみなもの前に差し出したのは何故かメイド服だった。
「……え? あたしに?」
「……着ません? とりあえず、そんな格好じゃ何だから」
「……その服も充分『そんな格好』だと思うけどね」
 汐耶が呆れて何を考えているのか、この少年は、という様に溜息をついて裕介を見下ろした、が、──変わった趣味ではあるが彼なりに気を使ってみなもの疲労を労おうという配慮らしかった。
 それぞれがそんな勝手な事を云っている内に、蓮は使い魔から話を聞いていた。
「……そう、じゃ、他のコ達は地上で迷子になってるんだ。じゃ、キミ、迎えに行ってきて」
「……なんだって、わざわざ偵察にそんな紛らわしいものを飛ばすんだ。一瞬混乱したぞ、俺は」
 裕介が蓮に問いただした。
「ボクの友達だもん、いいじゃない。この人だって変なもの飛ばしてたし」
「白鷹、もっと正確に云えば式神『です』」
 眼だけが笑わない笑顔で蓮に云い返したようを、海が慣れた様子で「まあまあ」、と宥める。
「ところで、他の人は? これで全員なの、ここに取り込まれたのは?」
 汐耶が問う。
「断言はできませんね、俺達はずっとホームにいたんですが、何故かみなもちゃん、将之君やコイツと鉢合わせたのはついさっきなんです。お互いの存在に気付かないで好き好きに行動した結果、ちょっと一悶着あったんですが、その前にはみなもちゃん達はホームは隈無く見て回ったらしいし、コイツも電車を降りてからずっとホームにいたそうなんですが、逢わなかったんです」
 海がまだようの気配に気を配りながら簡潔に説明した。
「何でボクだけコイツ呼ばわりな訳? ま、いいけどさ、それより、とりあえずこの中に取り込まれたのはこの7人で全員らしいよ」
「根拠は? 現にこうして時間軸のパラドックスが起きてるじゃないか」
「あのコ達が見たんだもん、間違いないよ」
 低級とはいえ使い魔が見たなら確かに確実性はあるか、と裕介は一応納得した。
「汐耶さん達はずっと地上にいらっしゃったんですか? あたしも一応地上は見て回ったんですけど……何か、分かりました?」
「この街が誰かの意識の中の映像が集まってできたホログラムみたいなもの、ってことでしょ?」
 使い魔から聞いた情報を蓮がさらりと告げた。そうなんですか? とみなもが地下に居た他のメンバーを代表して裕介と汐耶に聞いた。
「ええ……そうね。そう云うこともできると思うわ」
「人為的なもの、ってことですね?」
 ようがきらりと瞳を光らせて聞いた。海がその肩を押さえている。
「人のやった事、と云えるとは思うわ。でも決して、悪意ではないわよ」
「どういう事です?」
 ここは、と汐耶は周囲を見回し、言葉を継いだ。

「イメージとしての有楽町」

【4】

「綾和泉さん、それがさっき云っていた有楽町の都市伝説、ですか?」
 裕介の言葉に、汐耶は頷いた。
「イメージ? どういうことです?」
「……私達が地上に居る間にキミ達がどんな風に仲良く喧嘩していたのかは知らないけど、何となくは気付いたでしょう? この空間に、何かの意図や悪意らしいものはないって」
「そうでしょうか?」
「そうか?」
 ようと将之がほぼ同時に蓮に視線をやったが、小憎らしい程愛らしい大きな眼を瞬かせている蓮には丸きり堪えていないらしい。──この年頃の少年というのは、あくまで無邪気な中に狡猾さや残忍性を秘めているものなのだ。……してそれは、蓮と一つしか歳が違わず、一見穏やかそうに見えるよう等にも当て嵌まりそうだ。……汐耶の話に一生懸命頷いているみなもが何とも健気に見える。
 ──それはさておき。
「私も最初に、多次元空間の歪みに取り込まれて、閉じ込められた事には気付いたけど、そもそも、パラレルワールドって、悪意から人為的に生まれることって少ないのよね。むしろ、複数の要素がたまたまある条件下で一致した時に偶然発生してしまうことが多い。だからでしょう、裕介君が都市伝説の事を考えたのは」
「ええ」
 裕介は頷く。
「都市伝説?」
 ようが尋ねた。
「結局、噂でしょ、人の」
 蓮が口を挟んだ。
「元が噂だから、結構下らないものばっかりじゃない」
「事実は小説より奇なり、だな」
 将之が、さっき線路内で経験した珍騒動を思い出しながら呟いた。
 地下鉄の線路上を歩くはめになり、電車に轢かれかけ、悪魔に襲われ、白鷹に導かれてみれば陰陽師の少年と描いた絵を実体化できる青年とほんのガキのデビルサモナーが睨み合って居たではないか。全く、どんな都市伝説や眉唾ものの噂より、ここ東京に実際に起こる出来事の方が余程奇怪だ。それに、当て所なく瞬間移動の罠に延々走らされ続けたみなもの事や、裕介と汐耶の見たシュールなコインロッカーベイビーズを足せば、実に──不条理な事だ。
「結論から云えば、今の内ならここから脱出するのは割りと簡単よ。最初は、これがもっと完全に封印された空間ならばその封印に綻びを作って──まあ、これは殆ど実力行使だからあまり乗り気じゃなかったけど、脱出するしかないと思ってたわ。だけど、キミ達の話を聞いて分かった。キミ達、同じ時間に同じホームに居たはずなのに、ある時まで全然鉢合わせなかったんですって?」
「はい、あたしだけならうっかり見落としちゃったかもしれないけど、倉塚さんも一緒だったからそんなことはないと思います」
 みなもが答え、将之に同意を求めるような視線を向けた。将之はみなもにとってすっかり頼もしいお兄さんのように映っているらしい。もともとがお人好しな性格の将之は、やや照れて頭を掻いた。
「ようくんも云ってたな、そもそもが歪んだ空間だから、それぞれがバラバラの電車でここへ来て、しかしそれらが全て再終電車だったことも考えればその辺りの矛盾はむしろ当然にも思える、と」
 海がみんな、というよりはように向って云い、ようも頷いた。だってそうじゃない、と。
「そうね、そういう事だと思うわ。でも、元から一緒だった二人は別として、最初はバラバラに同じ筈の場所に存在していた者同士が一人ずつでも遭遇し、今こうして全員が揃っている、ということは」
「……最初は矛盾だらけだった空間が、段々と確立しつつある……。綾和泉さん、さっき仰ってたタイムリミットって、そういう事だったんですね」
 裕介が納得したように云った。それに被さって、慌てたみなもが、それに間に合わないとどうなるんですか、と声を上げる。
「……まあ、ここにいるみんなならそれぞれに何とか脱出はできると思うけどね。但しさっきも云った様に、実力行使になるから、どんな反動が来るか分からないし、それは最終手段ね。でも今なら、まだ不完全な空間の隙を捜せると思うわ」
「根拠は? もしかしたらもうタイムリミットを過ぎちまってるかも、」
 将之の言葉に、汐耶は自分の腕時計と駅構内の時計を同時に指した。裕介が補足的に説明する。
「元の世界からの時間は異次元空間では機能せず、然しここの時計は規則的に時間を進めている」
「これは私の仮説なんだけど、この空間が発生した時刻が再終電車の時間で、十二時十九分。これはひとつの区切りと思っていいでしょう。そして、今が四時過ぎで、既に空間が大分確立しているとすれば、次の区切りは?」
「……始発?」
「何時だ、始発は」
 将之が時計の横に掛った時刻表を見やった。
 和光市方面への始発が五時十二分、新木場方面への始発が同十九分だ。念の為に早い方の時刻を参照するとすれば、五時十二分として、あと一時間程だ。

【5】

 今では、正確な時間を刻む時計が無いので時間は分からないが、おそらくまだ四時半を過ぎた位だろう。
 一同は、海が再び絵に描いて具現化し、ようが与えた言霊によって「出口へ向う様」命じられた地下鉄に乗り込んでいた。

『道無き道にも照らす光が在り、そして光の先に必ず道は開かれている。言霊は真となり我に道を示せ』

 ようの言葉と共に車両は走り出した。
 現在、数分が経過しても電車は走り続けていた。車両に居るとよく注意して感覚を研ぎすましていなければ気が付かないが、恐らくは、みなもが駅の中を走り回った時の様に、線路上の空間を彷徨っているのだろう。
 だが、きっとその内に空間の穴を縫って元の営団地下鉄有楽町線に戻れる筈だ、と海、よう、裕介、汐耶は判断したのだ。そして、その穴を潜り抜けられる速度──それはつまり地下鉄の速度である。
 因みに他の面々はと云えば──みなもは「じゃあこれでやっと戻れるんですね」と心から嬉しそうに歓び、将之は「任せるわ、何か手伝う事があったら云ってくれ」と云い、蓮はというと非常にマイペースであり、黙ってついて来た後は座席に登って窓の外をじっと眺めていた。

「『有楽町で逢いましょう』って唄、知ってるかしら」
 走り出して暫くしてから、汐耶が口を開いた。先程、裕介が結局、有楽町の都市伝説って、と尋ねた時、今は時間が無いから後でね、と云っていたのだ。
「……」
 端から聞いていそうにない蓮を除き、全員が黙ったまま顔を見合わせた。
「それはそうよね、私だって最初は思い出しもしなかったもの。何しろ、50年位昔の流行歌よ」
「どんな曲ですか?」
 みなもが興味津々、といった表情で尋ねたが、汐耶は厭よ、ここで歌うなんて恥ずかしいじゃない、ちゃんと覚えてないし、とそれは受け流した。
「だけど、私なんかが聞くとああ、古い……昔らしい、そう、昭和中期っぽい唄だな、と思ったわよ。いかにも歌謡曲、って感じのね、当時流行ってたブルースにちょっとだけ気触れたような感じ。だけど、当時はものすごく流行したらしいのよ。それと、そごう。裕介君、さっき見たわよね」
 裕介は頷いた。

 「有楽町で逢いましょう」は、1957年、昭和32年の11月にそれまでは無名だった歌手によって歌われ、大流行し、その無名の歌手は一夜にして大スターとなった。そして、「有楽町で逢いましょう」は当時としては日本で初めてと云っていいコマーシャルタイアップ曲だったのだ。同年7月に有楽町に開店したデパート、そごう。開店当日には30万人もの人間が押し寄せたと云われる。2年前に倒産し、今はデジタルの時代を象徴するような大手カメラチェーンにとって替わったそごうも、バブルの頃には包装紙がステイタスシンボルともされていた。「有楽町で逢いましょう」とそごう、そして有楽町という街全体が、今となっては「古き良き昭和という時代」を象徴していたことだろう。

 汐耶がその曲のタイトルを思い出したのは、裕介と一緒に実体も魂もない形だけのコインロッカーベイビーズを見た時だった。
 コインロッカーベイビーズ、という言葉自体が、1970年代の流行語である。その扇情的なニュースに人々は驚愕し、それをタイトルにした小説も生まれた。これもまたベストセラーになったが、その中で、主人公の内一人の少年が歌手となり、「有楽町で逢いましょう」をカバーして歌ったシーンがあるのだ。

「そう云えば、コインロッカーベイビーをテーマにした都市伝説もあったな。有名な奴で、子供をコインロッカーに捨てた母親が何年か後に少年になった子供の幽霊と逢う、って奴だ」
 裕介が思い出したように口を開いた。
「そう、そういった都市伝説の類って、はっきりとは記憶してない分、何となく断片的なイメージとして記憶に残るでしょう? それと、この街ね、まるで絵に描いた街みたいに、細かい物が省略されてるの。あるのは大きな建物やこの駅だけで、普通なら、用でもない限り見落としがちだけど何処にでもあるような自動販売機とか屑篭、広告の類が一切無かったの」
「あ、そう云えばあたしも自動販売機とトイレを探したんですけど、見つかりませんでした」
 みなもも思い出したように云い、裕介が後を継いだ。
「それに、普通だったら思念が形骸化したものであるのが一般的だと考えられるコインロッカーベイビーズも、ただそこにあるだけのホログラム状態だった。きっと、人間のイメージとしてのコインロッカーベイビーズが形になったものなんだ。イメージだから、本物でもないし、思念が存在する訳でもない」
「この空間全体が、人々のイメージの複合体だったんだね……でも、どうして今日に限ってそんなものが発生して、俺達が取り込まれてしまったんだろう?」
 ようの問いかけに、汐耶は首を振って分からないわ、と答えた。
「でも、都市伝説自体がそうやって生まれたものなんじゃないのかしら。あれは、ただの噂じゃなくて、その噂の複合イメージが何かの拍子に多次元空間として実際に生まれてしまい、そこにたまたま迷い込んだ人達の体験談……なのかもね」
 何故そこによりによって自分達が取り込まれてしまったのかは分からないが、──なんとか脱出も出来そうだし、それに、少なからず人外の物を察知する感覚が特出している彼等が、この空間に入ってしまったのも不思議ではないかもしれない。
 その時だ。それまで人の話等何も聞いていなかったような蓮が、「来たよ」と声を上げた。
「今までと雰囲気が変わった」
 つい話に熱中していた他の面々はうっかりしていたが、ずっと窓を眺めていた蓮が空間の綻びに入った事を察知したらしい。
 
 車両はホームに滑り込み、開いたドアから降り立った一同は、──元の世界の、始発前のまばらに人影の見える地下鉄有楽町駅に、降り立った。

【6F】

 汐耶が振り返った時には、そこにはもう乗って来た筈の車両は存在していなかった。
 汐耶達7人は、傍目にはいきなり線路上の空間からホームに現れたように見えるのかもしれないが、おそらくは朝早く、まだ寝惚けていた自分の眼がただ今まで気付かなかった人間の存在に気付いた、位にしか記憶に残らないだろう。急に目の前に今までいなかった人間が現れたように感じる、そういう瞬間はよくある事だ。大抵、ああ、ぼんやりしていた、と思う位ですぐに忘れてしまう。
 ──或いはそれも、こうした都市伝説の一端なのかもしれないが。

 気付けば蓮はいつの間にか姿を消していたし、みなもは相変わらず家族の食事の心配をして慌ただしく走り去って行った。
「……あの娘、どうやて改札通るんだろ」
 将之がぽつりと呟いた。
「まあ、一人位失くした、って云ったら通してくれるかもしれないけど、流石に何人も立続けて失くした、じゃ不審かもな。……という訳で、これ」
 それにしても便利な能力だ。海が、手持ちの小型のスケッチブックに五人分の入場券を描いて実体化させ、一人一人に配ってくれた。
 ふと、汐耶はある事を思い出して裕介を振り返った。
「ところで、裕介君」
「はい?」
「みなもちゃんに勧めてたメイド服だけど……。キミ、いつもあんなもの持ち歩いてるの?」
「いや、これも仕事道具の一つで。……俺、何でも屋と称してますから、有事には何が必要になるか分からないんですよ」
「まさか、その中身が全部そうした服ばっかりじゃないでしょうね?」
「いや、ちゃんとしたものもありますよ。折畳み可能な大鎌だとか、他にも色々」
 汐耶は額に指先を当てながら溜息を付いた。「ちゃんとしたもの、ね」。
「……あ、綾和泉さん着ます? もし良かったら差し上げますけど。……あ、ちゃんと綾和泉さんの身長に合いそうなサイズもあるんですよ」
「結構よ。……それにしても、サイズまで揃えてるなんて準備のいい事」
 
 地上に出た汐耶の眼に、大手カメラチェーン店のビルがキャンペーンの幟などを纏って派手な外装を呈しているのが見えた。
 そう云えば、勤め先の映像資料室には古い歌謡曲の音源もあった筈だ、と思い出す。
 今日はこのまま早めに出勤し、「有楽町で逢いましょう」を探して聴いてみよう、と汐耶も改札へ向った。

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【1098 / 田中・裕介 / 男 / 18 / 高校生兼何でも屋】
【1252 / 海原・みなも / 女 / 13 / 中学生】
【1430 / 久坂・よう / 男 / 14 / 中学生(陰陽師)】
【1449 / 綾和泉・汐耶 / 女 / 23 / 司書】
【1523 / 片瀬・海 / 男 / 21 / 大学生】
【1555 / 倉塚・将之 / 男 / 17 / 高校生兼怪奇専門の何でも屋】
【1790 / 瀬川・蓮 / 男 / 13 / ストリートキッド(デビルサモナー)】

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■         ライター通信          ■
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初めまして、今回初めて東京怪談のシナリオを書かせて頂きました、x_chrysalisというライターです。
さて皆様この度は異空間有楽町へようこそおいで下さいました。
そして、無事元の世界、皆様の住まうべき東京怪談の世界へ脱出されました事、お祝い申し上げます。
規定最大文字数の3倍にもなる長文となってしまい、さぞお疲れだろうと思います。
何分不馴れな事も多く、不用意に皆様に負担を掛ける結果となってしまいました、深くお詫び致します。
然しながら、僕の方で用意したシナリオに皆様のプレイングを絡めて行く作業は想像以上に楽しく、改めて今回御参加下さった方々に感謝する所です。
描写やシナリオの内様等、少しずつでも楽しい物にできるよう務めますので、また気が向かれた時には是非御参加下さい。
誤字脱字、PC設定等には気を付けたつもりですが、誤りや勘違いがありましたら遠慮なく御指摘下さい。

尚、お気付きかとは思われますが各章ごとの数字の後にアルファベットが続いている場合、その部分には同時間上の他角度からの描写が存在します。御自身のプレイングが他PCにどう影響したか、或いはその間他PCがどんな行動をし、何を見ていたか等、お時間がありましたら是非御一読下さい。

今回の御参加、ありがとうございました。

x_c.