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<東京怪談・PCゲームノベル>


殺虫衝動『誘引餌』


■序■


 『平』からの歓迎メールが届いてから、早くも一週間が経っていた。御国将は元気でやっていたし、彼の影も大人しかった。あれから『平』からの音沙汰はない。
 しかし、実は将は困っていたところだった。『ムシ』の噂が見る見るうちに大人しくなりをひそめるようになり、それに伴って『平』の噂もまた消えつつあったのだ。
 本来なら喜ぶべきことだが、ここのところ血生臭い事件もまた姿を消していた。急に日本は平和になったのである。
 しかし、将やごく一部の人間の胸騒ぎは続いていた。
 これで終わったわけではない――
 胸を撫で下ろすのはまだ早い――
 将の影は、まだ揺らめいているのだから。
 そして、今まで消えてしまった人間が戻ってきたわけではないのだから。

 平から将のもとにメールが届いたのは、そんな矢先だった。
 いや、おそらくメールを受け取ったのは将だけではあるまい。将のメールアドレスは、いつの間にやらメーリングリスト『殺虫倶楽部』の末席に加えられていたのである。
 そのメールは、誘いであった。


■チャイムは救い■

 やれやれ、と彼は溜息をついた。
 今日聞くチャイムはこれが最後。
 綾和泉匡乃の本日の仕事も、これで終わりである。

 東京は夏を迎え、都内の学校は揃って夏季休暇に入った。
 多くの予備校がそうするように、綾和泉匡乃が教鞭を執る桜塚第二予備校でも、高校生を対象とした夏季集中ゼミが開講されていた。勿論通常の授業も開かれているわけで、匡乃のスケジュールはなかなかハードなものとなっていた。夏に休みをもらえるのは学生だけだ。ただでさえ匡乃は受け持つ科目が多くなっていたのだが、彼はすすんで夏季ゼミの授業も受け持ったのである。教師が減って大変そうだから、というのは建前だった。それほど金に困っているわけではなかったが、稼ぎがいいからだ。
 教師が減った、という厄介で不可解な事実は、匡乃にとってはいい建前の材料でしかなかったのかもしれない。だが本当に教師は減った。この上半期で、二人もだ。
 ひとりは死に、
 ひとりは行方をくらませた。
 死んだのは、枡田という男だ。消えてしまったのは、小野間。しかも後者の小野間が消えたのは二度目になる。色々あって匡乃とたびたび連絡を取り合う仲になったのだが、先週から行方がわからない。
 ――消えたり現れたり、忙しい人ですね。
 小野間が再び消えたとき、匡乃は眉をひそめた。周囲は彼が小野間を心配して、そのような表情を見せたのだと思っていた――だがそれは、『建前』なのだ。
 しかし、
 小野間が消えたと言うことは……またひとつ、新しい動きがあったと言うことではないか。立て続けに事件に巻き込まれるほど、小野間は特別な人間ではないだろう。
 匡乃は小野間が消えた翌日、その日の仕事を何とか早めに切り上げて、月刊アトラス編集部へ向かうことに決めていた。

 そして今、最後のチャイムが鳴ったのだ。
 解放された!


■夏の酒■

「……なに?」
「ですから、飲みに行きませんか、と」
 アトラス編集部に顔を出した匡乃がまず始めに会ったのは、碇麗香であった。あろうことか匡乃はまるで天気でも尋ねるかのような調子で、麗香を飲みに誘ったのである。彼の猫のような気まぐれがそうさせたのか、麗香のスケジュールが今の自分のものよりも忙しそうであることに同情したのか――どちらも正しく、どちらも真相からは微妙にずれている。
「どうして私なのかしら」
「一人で飲むのは寂しいじゃありませんか」
「理由になってないわ」
「そうですね」
「……ともかく、私は忙しいから」
 麗香は目を通していた原稿を、傍らのシュレッダーに突っ込んだ。誰が書いた原稿なのか知らないが、哀れなものである。
 匡乃はその光景に目を細めて、くすりと笑い声を漏らした。
「残念です。では、御国さんを誘いましょうか」
「最初からそのつもりだったでしょう?」
「かもしれません」
 匡乃は言ってから首を傾げ、訂正した。
「いえ、期待していなかったわけです」


「それで代わりに俺が生贄にされたってわけか」
「また人聞きの悪い」
「人聞きも悪くなるだろう。おまえ、俺が後ろにいるって知ってて編集長とあんな話してたんじゃないか?」
「そこまで僕は意地悪ではないです」
「……『そこまで』か」
「ええ、そこまでは」
 白王社ビル近くの白木屋で、ふたりの男が言葉を交わす。とても親しい間柄とは思えない会話の内容だが、ふたりはそれなりに親しいのだ。
 つまらなさそうな顔の中年は御国将、月刊アトラス編集部の記者だ。彼を誘ったのは、端正な顔立ちの予備校教師、綾和泉匡乃である。誘われたというのに(そしてふたつ返事で誘いに乗ったというのに)将は少しも嬉しそうな様子ではなく、おまけに酒が入ってどんどん無口になっていっている。彼は酔うと無愛想さに拍手がかかる性質だ。飲み仲間にするのは勇気が必要だといえよう。
 ただ、匡乃には何となくわかっていた。将は別に酒が嫌いなわけでもないし、次分のことを嫌っているわけでもないようだということが。匡乃はペースを抑えていたが、将の中ジョッキはすでに3杯目だ。
 そろそろ本題に入らなければ、このまま将の口数は減り続け、しまいには地蔵になってしまう。
「実は例の小野間くん、また消えてしまいましてね」
 将がぎょっとしたように目を開いた。酔いもいくらか醒めただろう。
「何か動きはありましたか?」
「……それが用件なら、酒が入る前に言ってくれ」
「すみません」
「……ここのところ失踪とか殺人とかが不思議なくらい少なくなってきてな。それはいいことなんだが――」
「?」
「今まで音沙汰なかったが、今日の昼間、平からメールが届いた」


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  差出人:平
  件名:招待状

  ウラガ君へ。
  待たせてすまなかった。
  明日21時、きみを会合に招待する。是非来てほしい。
  刑事もお前を待っているぞ。
  場所は晴海埠頭近くにある三丸14番倉庫だ。
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 刑事――。
 自分と接触した数日後に失踪してしまった、埼玉県警の嘉島に違いない。将は確信し、これは誘いではなく脅迫か罠に違いないと、内心頭を抱えていたのだという。ウラガこと自分のストレスという武器はあるのだが、一人で行くのはおそらく危険だ。
 彼はそう判断した。


「はあ、会合ですか。また随分と進展しましたね」
「タイラー・ダーデンを知ってるか」
「……はい?」
 あまりにも唐突に、将は奇妙な質問をしてきた。目は眠たげだったが彼の目はいつもそうだ。酔いがもたらしたうわ言ではないだろう。
「知ってますよ。ですがそれは、言ってはいけないルールです」
 匡乃が切り返すと、将は珍しく微笑んだ。
「俺はあの映画が好きだ」
 『ファイト・クラブ』、1999年公開。ブラッド・ピット、エドワード・ノートン主演。デイビッド・フィンチャー監督。将の口ぶりは妙に懐かしそうだった。
「平はタイラー・ダーデンをもじった名前なんじゃないかと思ってな。メーリングリストの名前も殺虫倶楽部ときてる。これで『会合』でやっていることが殴り合いかテロの準備だったら完璧だな」
「何人治療しなければならないんでしょうね」
「……来る気か?」
「行ってはいけませんか? 案外小野間くんもその会合とやらに出席しているかもしれません」
 将がほっとした表情をみせたことを認めてから、匡乃はぱんと手を打った。
「あ、忘れてた。すみません、明日は夜9時まで仕事でした」
「……。おまえは本当に……」
「何でしょう?」
「さっき、お前が自分で言った」
 将は憮然とした面持ちで、3杯目のジョッキを空けた。


■チャイムでは救えない■

 午前9時から午後9時までの労働。明日もだ。
 自ら望んでやっているだけに文句は言えない。が、疲れた。別にこの仕事は生き甲斐というわけでもないから、苦痛に感じるときもある。おまけに今日は、午前中は昨夜の酒が残っていたし、午後はずっと将の話が頭の片隅にこびりついてしまって、実に忌々しかった。他人のことを気にかけているわけではないと、彼は自分で自分に言い聞かせていた。ただ、面白いことになりそうなのにその場に始めから居ることは出来ない――その悔しさは本物だ。
 午後9時きっかりに匡乃は予備校を出た。
 晴海埠頭まではタクシーを使っても30分以上かかる。
 ――晴海埠頭、ですか。御国さんは内心喜んでいるのでは?
 あの埠頭には、よく自衛艦がやってくる。


■三丸14番倉庫にて、21:40■

 匡乃が晴海埠頭近くの貸し倉庫群に着いたのは、午後9時35分のことだった。タクシーは急いでくれたが、遅すぎる到着という感は否めない。
 平が会合場所に指定した倉庫はかなり大きなもので、かなり古くもあった。周囲には物が多い。錆びつき具合や古めかしさから見て、放置されているものがほとんどなのだろう。
 匡乃は封じられている力がもたらす第六感を研ぎ澄ませ、ぐるりと周囲を睥睨した。いつになく、彼は真面目であった。しんとしたこの不吉な沈黙が、そうさせたのか。いや、この沈黙を『不吉』だと感じ取れるのは、彼が特別な人間であるからか。
しかし――蒸し暑い。こうも暑いままでは、この沈黙が煩わしく思える。涼しい夜風のもとの沈黙は、ときに安らぎさえ覚えることもあるが。
 きしゃあッ、
 不意の物音――鳴き声――断末魔――雄叫びは、いやに大きかった。
 貸し倉庫のシャッター付近からだ。匡乃は息を殺して、放置されているコンテナの陰を渡った。
「……!」

 蟲だ、

 そして、将だ。

「……小野間くん……?」

 将の影が、鎌首をもたげて――1匹の蛾に咬みついている。
 巨大な百足がばりばりと噛み砕いているのは異形の蛾であり、人間ではない。
 ましてや姿をくらませた小野間であるはずがない、
 だが、
「小野間くん――!」
 何故蛾にそう呼びかけ駆け寄ったのか、匡乃にはわからなかった。
 ぎいっ、と蛾が鳴き声のようなものを上げた。それが最期の叫びであった。百足の牙が蛾の胴体を食い千切り、周囲に鮮血と鱗紛が飛び散った。
 ……鮮血だ。匡乃の白い肌や、将の眼鏡や緑のシャツに、温かい人間の血が振りかかる。
 勝ち誇ったかのように百足は離れた。途端に、僅かに膨らんだ。牙から血を滴らせながら、地面に落ちてなおも痙攣する蛾の死骸を睨みつけていた。

 将が、胸を押さえて膝をつき、肩で息をしていた。
「大丈夫ですか?」
 匡乃が尋ねると、答えの代わりのように将が咳きこんだ。咳には血が混じっていた。よく見れば、彼の緑色のシャツには血が滲んでいる。傷はさほど深くはなさそうだが。
「刺されたような気分だ。刺されたことはないけどな」
「……ウラガが受けた傷がそのまま……?」
「いや……多分、『そのまま』戻ってくるなら、死んでもおかしくないだろ。だいぶひどく咬まれてたからな」
 それから、改めて将は匡乃の顔を見つめてきた。
「来てくれたのか」
 今更だ。
 匡乃は苦笑いをしてから、手をかざした。将が光に包まれると、傍らで佇む百足の腹の傷がきれいに塞がり、将の息も落ち着いた。
「……今の蛾、知り合いなのか」
「かもしれません」
「悪いことしたな。急に飛びかかってきたもんだから」
 匡乃は、肩をすくめるだけですませた。
 蛾が知り合いであることを確かめる術はない。
「倉庫の中を見ましたか?」
「ああ」
「ピットとノートンは居ましたか」
「自分で見てみるのもいいんじゃないか。気持ちのいいものじゃあないが」
 言われるままに、匡乃はシャッターの隣にある鉄の扉に歩み寄り、そっと、少しだけ開けてみた。
 すぐに閉めた。
 ブラッド・ピットもエドワード・ノートンもミート・ローフも、そこにはいなかった。
 ただ、蟲が居たのだ。

 蟲だ、蟲だ蟲だ蟲だ蟲だ蟲だ――

 倉庫の中では蟲がひしめきあっていた。それも、自然界には存在しない姿の蟲だった。どれもが人より一回りも大きく、紅い目をぎらぎらと苛立たせている。
 しかも、彼らはただそこにかさこそと佇んでいるわけではなかった。そこかしこで喰いあいをしていたのだ。
 血飛沫が、またしても匡乃の頬を汚していた。

 将は百足の前の死骸に目を落としていた。すでに蛾は痙攣もしていない。だが、その死骸は消えずに残っている。血溜まりもだ。
「血が――」
 彼は、眉をひそめた。
「ムシは影のはずだ……」
 ただの影だ。
 形が違うだけの……『呪』であるはずだ。


■蜘蛛の巣■

 二人はシャッター前のドア以外にも入口がないか、倉庫を調べることにした。将は影をウラガにしたままだった。ふたりはほとんど言葉を交わさなかった。それぞれが、深く思い悩んでいたからだ。
 どうやら、倉庫の外に蟲は出てきていないようだった。相も変わらず14番倉庫前は静かだ。

 倉庫の裏側にもドアがあった。いささか安ぶしんなつくりだったが、二人は何となく「助かった」と胸を撫で下ろしてしまった。このドアの向こうが楽園である可能性など皆無に等しいが、ひょっとすると、あの肌の粟立つ光景を見ずにすむかもしれない。
 将がノブに手をかけ、開けた。


 覚悟はしていた。
 その覚悟は無駄ではなかったが、肩透かしを食らったのは否めない。
 ドアの向こうは事務所として使えそうな小部屋だった。テーブルや棚、デスクがあった。 テーブルの上には、携帯電話を繋げたノートパソコンがある。
 だがこの部屋は、異常だった。白い糸が張り巡らされていたのだ。
 二人が部屋に入った途端、男のくぐもった悲鳴が耳に飛び込んできた。見れば、スーツの姿の中年がひとり、糸に捕らえられてもがいていた。口まで糸に塞がれていたが、その必死の形相は見て取れる。
「嘉島さ――」
 将が、行方をくらませた刑事の名前を口にした。
 だが匡乃は、糸でがんじがらめにされた刑事が何を訴えているのかわかってしまった。視線が懸命に、天井を指していたのだ。
 匡乃が、遅れて将が、部屋の天井を見た。

 部屋から外に飛び出せたのは、匡乃だけだった。将が匡乃の背を押した――というより、外に突き飛ばされたのだ。よろめきながら匡乃が振り向いたときには、すでにドアが閉まっていた。将も、あの刑事も、部屋の中だ。
「御国さん……!」
 匡乃は、天井に張りついていたものを思い出す。

 冗談のように大きい、刃のような八脚を持つ蜘蛛が居た。




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   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)
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【1537/綾和泉・匡乃/男/27/予備校教師】

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               ライター通信
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 モロクっちです。お待たせ致しました。『殺虫衝動』第3話をお届けします。
 わたしはそれほど虫嫌いではない方ですが、どうも今回は書いてて気持ち悪くなってしまいました(笑)。どんな可愛いものでもいっぱいいると気持ち悪いですよね。いや蟲はどれも気持ち悪いデザインなんですけど……。今回は、将との飲み屋での会話を特に楽しく書かせていただきました。あの将を誘うとは、珍しいお方です(笑)
 さて、今回のラストは次回への引きという形になりました。次回が完結編となります。匡乃様は夏の間多忙なご様子ですので、ちょっと遅れての現場への到着となりました。

 それでは、この辺で。
 またお会いできる日を楽しみにしております。