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<東京怪談ノベル(シングル)>


***『Black Diamond』***

 古い時代を想わせる石壁が、音もなく喰い破られた。
 そう、喰われたのだ――
 跡形もなく。
 『Kuuua――!』
 威嚇とも呻きとも判断の付かない…声音?
 黒い髪と黒い瞳。西洋、様式美とのコントラストに美しく映える東洋の美。
 それが、四足の獣へと――姿形を変えていてさえ、美しさを残していた。
 何より『彼女』の精神(ココロ)は暴れる狂気の内側にあった。
 悲鳴を上げて逃げ惑う人々。視界に捉えるとまた吼える。
 狼が――
 神殺しの魔狼が――

 
***『1』***

 其処は西洋の古城。
 バロック様式のバルコニー。

 zazaza――

 手を翳して見上げた灰色の空に、雨色が濃いと見て取ると――途端に降り出した憂鬱な雫だった。
 雨柳凪砂(うりゅうなぎさ)、彼女がその整った眉を寄せて吐息を零したのは、これで何度目になるか…。

「雨か…予想通りね」

 普段の生活の場からは遠い異国、ともすればノスタルジックな気分に浸ってしまいそうで、少し物寂しい。鬱屈しそうな自分を誤魔化すかのように、サラリっと髪を掻き揚げて独り微苦笑を浮かべてみたりする。

 欧州――、
 と、一言で言っても、そこはひどく広大で魅力に溢れた世界であった。
 彼女は今、とある北欧の古城――廃城と言うに相応しい其処にいる。

 コトの発端は一週間前に遡る。
 とある大学を平穏無事(?)に卒業した彼女は、同大学の友人達数名に誘われて、卒業記念も兼ねての一代旅行に誘われたのだ。場所は欧州、しかも一周するという壮大なスケールの大旅行であった。

 もともと凪砂は一代で財を成した両親を幼少の頃に失ったものの、今では成人し、過分の財産分与を受ける身となっている。平たく言ってお嬢様でも通る身分だった。金銭面にも、生活面にも問題ない。
 そして性格面で、その手の誘いは断れ切れない凪砂である、結局、数日の準備期間を経て一路欧州へ―――と、こういう次第になるのは至極当然と言えた。
 が、この旅行、内気で控えめな凪砂には少々酷だった。
 行く先々で友人等に「あっちへこっちへ」とひきづられ、振り回されるため、時折自分が何処に居るのかさえ見失う事態が、頻繁に発生するのだ。
 昨日も、一昨日も、
 というか、今日も――である。
 しかも今回等は穴場巡りのツアーに参加したのは良いが、何時の間にかツアー客たちともはぐれてしまうという、ちょっと洒落にならないお約束の展開を演じてしまっていた。

 ZAZAZAZA――

 塞ぎそうな気分に追い討ちをかけるよう、次第に強まる雨脚。
 お気に入りのブラウスが濡れるのを避ける為、バルコニーから建物内部へと戻る。

「他の人たちは誰も見かけないし…あたし、完全にはぐれちゃったみたいね」

 屋内の廊下をゆっくり歩きながら、色々と瞳を動かし探してみるが徒労に終わる。
 結論から言うと外観さほどでもないこの古城も、入ってみれば意外なほどの大きさを持っていたということだ。
 穴場の一つとして有名であるこの城は、12世紀以前の建築物。勿論そのまま900年放っておきっぱなしという訳ではない。15〜16世紀に一度本格的に領主に建て直され、それ以降は様々な貴族たちの手に渡っては増改築を繰り返してきたらしい。
 …と、Englishで記されたパンフレットには書かれていた。

(集合時間まではまだ間があるから、大丈夫だろうけど…)
 心中で零しては小さく溜息を零す彼女だった。


***『2』***

 ツアー客から逸れてから暫く彷徨っていると、知らず彼女は完全な迷子となっていた。
 理由は、存外この城の雰囲気を気に入り、まだ時間の余裕もあるからと、ついつい散策に気をとられてしまったからである。
 時間の経過を忘れてしまっている凪砂は、特徴的な黒髪をさらりと揺らしては様々な部屋を訪れ、年代モノの調度品、ともすればバロック様式を想わせるそれらを眺めていく。
 やがて最初から数え6っ目の部屋に入ると、魔力とでも言うべきか――純粋な好奇を宿す彼女の黒い瞳が、惹き寄せられるように、壁に掛けられた大きな絵画へと流れた。
 絵柄は北欧神話――『ミコの歌』の伝承だろうか?
 横一面へと様式美あふれる写実主義で描かれた大作。額縁の周囲に彫られているルーン文字はレリーフ(浮き彫り)ではなくインタリオ(沈み彫り)。

(嘘?…綺麗…こんな絵が…残されているなんて)
 感心しながらも絵の内容を読み解く。まがりなりにも得意分野――それが示すのはフェンリルとヴィーダルの物語らしかった。
 インタリオを指先でなぞりながら。
 それが「ある言葉」であることに気付く。
 
 呪文――かしら?

 首を傾げた凪砂。そして『それは』唐突にやってきたのだ。
ゴオォ――と、地響きを上げながら、大地を揺らし。

「ちょっ、じ、地震っ!?」
 サッと顔色が蒼白へと変わる。
(こ、これって大きいっ?――危険っ!?)
 咄嗟に直感するも、体は思うように動くわけは無い。
 震度は大きく、凪砂の両足をいとも簡単に翻弄し掬い上げ、慌てて両手でバランスを取ろうとするが上手くはいかず、手を振った拍子に、
 何かが指先に触れる、と――
 カチッ、
「えっ?――っ!?」
 瞬間、凪砂は壁の中へと飲み込まれるように消えたのだった。
 まるでお約束のように………。


***『3』***

 ――暗い、
 気が付いてからの最初の感想がそれだった。
 ――此処は?
 浮かんだ最初の疑問は周りを見回しながら。
 ――寒い。
 これはどういう事なのだろう?
 ――体が重く、四肢が変に鈍い。
 何故なのだろう?
 全ては闇と静寂に包まれており、凪砂の知る術がなかった。

(あたし…)
 徐々に覚醒する意識。まどろみから目覚めるような感覚で、凪砂は先ほどまでの自分の記憶を手繰り寄せた。そして――、

「あ、あたし―っ!!」
 きっかり一分が過ぎてようやく全てを思い出した。
 ツアー中に皆とはぐれたコト、時間を忘れて散策に没頭していたこと、魅力的な絵画に魅せられ、調べているときに大きな地震に襲われたこと等。

(っ、あれから一体どの位の時間がたっているのかしら?)

 自分はどうやらあの地震の最中、どこをどう間違ったのか隠し部屋か何かのスイッチを押してしまった様子だった。意識を失った理由は大方、入り口が開いたのは良いが、そのまま階段を踏み外し落下、そんなところだろう――と、楽観する。
 あるいは過度の打ち身かもしれない、そういえば体と足首に不気味な圧迫感を感じる。とにかく立ち上がろうとし、
 ―――っ!?
 恐ろしいことに、動かそうとした足がぴくりとも動かなかった。そればかりか一瞬後に強烈な痛みが襲いかかり、思わず顔を歪めて小さく呻く。

「――痛っ、ど、…どうして?」
 呆然とした呟きは、両足の感覚がなくなっていることに気付いてからだった。
 瓦礫の山?
 両足が挟まれてる?

「う、嘘…」
 端正な顔からすぅ…と、血の気が引く。
続いて目が闇に慣れてくると、更なる絶望感と衝撃を受けた。胸元の圧迫感の正体は倒壊した石壁らしかったのだ。体で感じた感覚からはどう考えても動かせそうにないそれは、凪砂の華奢な体つきを蹂躙するように押さえ込んで離さない。そればかりか先ほどから感じている寒気の理由は…

「あたしの体…骨とか…折れて、る?」
 意識せずに漏れた弱々しい声。その唇から赤い雫が零れていることに彼女は気付いていなかった。胸骨と肋骨が数本打ち砕かれ、更に不幸なことにその何本かが内臓を突き刺している状態。
 『死』。
 そんな言葉がふと、脳裏を過って凪砂は恐怖した。

 ――イマシメヲ解ケ
 そんな幻聴すら耳に届く。

「――っ!?」
 いや、幻聴だったのだろうか?
 やけに生々しかったし、頭に直接響いた気がする。

 ――アノ言葉ヲツヅリワレ…ヲカ…ホウ…ヨ、
 幻聴じゃ…ない?
 一体誰なの?言葉って…な、に?

 ――サレバ、汝ノ命…スク…レ…ン。
 一方的な言葉を浴びせる謎の声は、次第に消え入るように闇に溶けていった。

 封印を解けば「助けてあげよう」ってコト?
「……っう、それっ…て、お約束の…展開…じゃ…な…い」
 押し寄せる『死』を予感して、それでもある種の期待と不安を抱く。漫画のような展開が理性的な頭の何処かでは納得できなかったが、仕方なく妥協することにした。しなければ死んでしまうから…。
 あたしは『あの言葉』を紡ぐ。そう――絵画に彫られていたルーン文字の一節を。


***『The end of beginning』***
 
 そうして彼女は暴風雨のように全てを破壊しつくす魔狼と化した。
 ブラウスを赤く染めていた胸部の重症も、ボロボロに砕け折れていた両足ももはや関係なく、近づく全ての事象を喰らい尽くす貪欲で、然し美しい一匹の獣と一体化しているのだ。

 幾つかの尖塔が倒壊し、屋内の柱は根こそぎ破壊され、部屋という部屋、廊下という廊下は無残にも形を失い、古城は雨の中に凄惨極まる姿を曝け出す。
 爽快な気分だった。
 そして其れを邪魔する相手が立ちはだかると、

「…uuu」
 威嚇と、狂気の眼差しの「あたし」
 「その人」は突然天から舞い降りたかのように現れた。
 黒いコートを羽織るように着た、いかにも人柄の良さそうな青年だった。
 ふっと、微笑を浮かべると片手を差し出しただけで。
 彼の掌にはチョーカー。
 首輪…だろうか?
 
 其れは猫の足音―
 其れは女の髪―
 其れは龍の腱―
 其れは魚の息―
 其れは鳥の唾液―

 北欧神話の一節で、奇怪な紐とシルサレタモノ――凪砂はその正体を知っていた。
 故の恐怖。
 否、正確には凪砂を覆う黒い影が怯えたのか。
 狂気を消し、一歩、二歩と後退する伝説の魔狼、そして『凪砂』こと「あたし」。
 戒めの名はグレウプニル。

『Kuuuuu――!!』
 不意に、狼が、「あたし」が強く高く吼えた。
 刹那、0.0133秒という間、
「あたし」は、信じれない疾走と跳躍を、ほぼ同時に行った。
 腕が、救いの手を伸ばすように此方へと差し出された、黒衣の青年の右腕が、そのまま鋭い牙に食い千切られっ――

(――っ、いけないっ、駄目っ!?)
 呪縛はまだ完全ではなかったのだろう。
 魔狼の動きが僅かに止まる。凶暴な瞳に逡巡の影。
 直ぐ目の前の黒衣の青年は、最後まで微笑したままだった。


 時が過ぎて、雨が止む頃…、
 半壊した古城を、遠く森の梢の影から、穏やかな眼差しで眺める黒衣の青年がいた。
 彼の両腕には『首輪』を付けた、東洋の女性が眠っている。
 静かな寝息をたてているのは凪砂であった。
「また、腕を失くすところでしたよ…フェンリル」
 呟く彼の、宝石のような光を宿した瞳は、凪砂を不安の色で気遣わしげに、されど穏かに……見守るように眺めていたのだった。


***END***