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<東京怪談ノベル(シングル)>


 霊峰・2003夏

 東京の西に山がある。
 土や風、湖などに宿る霊気とも妖気ともつかない不思議な『気』の流れから、その山は霊峰と呼ばれていた。霊峰八国山である。
 夏の終わりも近づくある日、テントやポリタンク、3本の一升瓶などを担いだ少女が山を訪れた。テントを持っている事から考えると、彼女はキャンプに来たのだろうと想像出来るが、彼女が持ってきた3本の一升瓶は酒瓶である。
 もしも、彼女が霊峰で一人、キャンプを張りながら酒盛りをしようというのなら、彼女は不良を通り越してある種のマニアックな少女ですらある。
 だが、そうでは無かった。一升瓶の酒はまたたびで作ったまたたび酒。人間の口に合う酒では無かった。こんな酒を喜んで飲む人間は、それこそマニアか猫科の人間である。もちろん彼女は、そのどちらでも無い(むしろ魚科の人間だ)。
 「猫さん、今日は居ませんね…」
 地元の化け猫の姿が見えない。
 海原みなもは、首を傾げ、少し残念そうに独り言を言いながら、一升瓶のまたたび酒を山の地面に置いた。地元の化け猫達が、よくゴロゴロと寝ている広場である。
 先日、山の長老猫が神になって山に還るイベントがあったが、まさか、後を追ってみんなで消えたわけでも無かろうが…
 仕方ないので、みなもは手紙を置いていく事にした。
 さらさらと、筆を走らせる。
 『みなもです。みんな、元気にしてますか?
  また、湖の霊水を少し頂こうと思い、山に来ました。
  おみやげにまたたび酒を少し持ってきたんですけど、みんな、お留守みたいなんで、置いておきますね。
  あたしは湖の近くで明日までキャンプしてますんで、もし暇だったら遊びに来てください。それでは失礼します。みなもでした』
 …こんなもんかな?
 さすがに、地元の化け猫達も文字位は読めるだろう。少なくとも、新しく長老になった若い化け猫は大丈夫なはずだ。と、みなもは広場を後にして湖に向かった。
 てくてくと、みなもは八国山の森を歩く。湖に着き、ひとまず泳ごうとスクール水着に着替えるみなもは考える。
 …やはり、少しおかしい。相変わらず霊気に包まれた山なのだが、化け猫達を始めとして、住んでいるはずの妖怪の姿が見えないのだ。
 多分、みんなで旅行にでも行ってるのかな?そーいえば、以前にみんなでまたたび狩りに行った事もあるみたいだし。ていうか、思いっきり巻き込まれたし。
 まあ、少なくとも、どこかに消えて二度と帰って来ないわけじゃないよね。と、水着に着替えたみなもは、湖の水に触れた。
 湖の水は霊気を強く含んだ霊水である事は相変わらずなのだが、今までより霊気が強くなっている感じがした。多分、長老猫が山に還った事が原因なのだろう。
 命は巡る。と、みなもは聞いた事がある。そうして折り重なって強化された霊気の中から、新しい霊的な命は誕生する、と。例えば100年生きた猫が山の霊気を受け、化け猫になるように…
 繰り返される命の連鎖の定めを、みなもは湖の霊気から感じていた。
 さらに、この湖には、みなもにもはっきりと感じられる人魚の気配、霊気も残っていた。かつて、人魚達が湖に住んでいた証である。
 「大昔のお姉様達…いつも、お世話になります。私も、私の人生を生きて、いつお姉様達に会っても恥ずかしく無いようにがんばりますね」
 みなもは、一言、かつて湖に住んでいたであろう人魚達に挨拶をした。
 次に湖の周りを見てみると、釣り客やハイキングに来た者達も居て、そこそこ人が多いので、みなもは人魚にはならずに、軽く泳ぎながらゴミを拾ったり魚を採ったりする。
 …うーん、魚、猫さん達の分も採っておいた方が良いのかな?
 みなもが人魚の姿になり、本格的に魚やゴミを取り始めたのは昼食の後、人気も無くなった夕方だった。一応、ここは妖怪が住まう霊峰である。余り危険は無さそうだが、それでも夜を明かそうとするものは少ないようだった。
 湖の霊水を浴びたみなもは、泳ぎ、魚を採り、ついでに湖岸に上がってゴミなども拾う。湖底に関しては、以前、姉にも手伝ってもらい、かなり本気で掃除をした事もあるせいか、目立つ程のゴミは無かった。魚に関しても、以前のダークブラック・バス大繁殖事件程、生態系の危機のような事は無かった。外来種の魚が多少居たが、それらも少数であれば、まあ、湖の生態系の一部になりえる。現状では気にしなくても良いと、みなもには思えた。相変わらず、釣具のゴミなどが湖底にも湖岸にも少し目立った事だけが彼女を嫌な気分にさせた。
 そうして、夜が来た。
 「お魚のお姉さんが、いっぱいお魚を採ってるにゃ!」
 ついでに、猫も来た。
 「すみません、わざわざ、おみやげをありがとうございます」
 みなもに挨拶をしたのは、一人、人間の姿をしている、若い長老猫だった。
 「あ、いえいえ。お母さんに買ってもらった、普通のまたたび酒ですから」
 みなもは首を振った。
 いつの間にか、山には地元の妖怪達が帰って来たようだ。
 「今日は近所の『せーぶ遊園地』のお化け屋敷でアルバイトして、ついでにプールに入って来たにゃ。
  やっぱり、夏は遊園地のプールが一番にゃ」
 化け猫達は、どうやら近所の遊園地に出稼ぎに行って来たらしい。若い長老猫の話によると、化け猫達は本物の妖怪な上に無害なところが経営者側に好評らしいが、あまり怖くない所がお化け屋敷の客の間では不評なんだそうだ。
 「プール…って、せっかく、こんな湖があるのに…」
 やはり、猫の考える事はわからない。
 「みなもちゃんも、遊んでばかりいたらダメにゃ!
  働かざる者、食うべからずにゃ!」
 化け猫は言う。
 まさか、年に3日位しか働かないような化け猫に説教されるとは思わなかった。
 「じゃあ、みんな、魚が食べたかったら、自分の力で採って下さいね」
 普段、猫の50倍は働いているみなもは言った。
 「僕達が間違ってたにゃ!
  お魚を分けて欲しいにゃ!」
 化け猫は即答した。
 …と、いつまでも化け猫達の相手をしていても仕方無いので、みなもは採った魚を焼きながら夕飯を作り始める。周囲でにゃーにゃーと騒いでいる化け猫達に魚を放ってやると、猫達は生でも焼き魚でも関係無く、おいしそうに食べていた。
 そうして、キャンプの夜は更けていく。化け猫達は夕食の後も、みなものテントの中や外でだらだらしていた。
 「…うーん、夏は、ちょっと暑いかな…」
 いつの間にかテントの中でしゃべっていた化け猫の一匹が、みなもの膝の上で寝てしまう。
 冬は、こういうのも暖かくて丁度良いかも知れないけど、夏は…
 化け猫をそーっと床に下ろしながら、彼女もテントの中で眠りについた。
 翌朝、みなもは湖でもう一泳ぎだけした後、湖の水を圧縮してタンクに詰め、帰り支度を始める。
 「もう、帰っちゃうにゃ?」
 ようやく目を覚ました化け猫達が、つまらなそうに言った。
 「そうですね。夏休みも、もう終わっちゃいますから、帰らないと」
 よしよし。と、みなもは猫の姿の化け猫の頭を撫でた。
 …夏の終わりも、もうすぐね。
 テントをたたみ、霊水の詰まったタンクを担いだみなもは、山の方を振り返る。霊水の湖やそこに住んでいた人魚達、山そのものに挨拶がしたかった。
 「いつも、ありがとうございます」
 みなもは、深々と頭を下げた。
 「みなもちゃん、元気でにゃー」
 化け猫達が手を振っている。みなもは山を後にした。
 とりあえず、八国山の猫が元気にしている事はわかった。山に還った長老猫は、あれから姿を見せていないらしいが、きっと、山のどこかで幸せに眠っているんだろうとみなもは思った。
 夏の終わりの出来事だった。
 妖怪の里を離れたみなもは、帰る。
 人間の街へと…

 (完)