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霧里学院怪奇談
全寮制霧里学院高校―。
その広大な敷地は森に囲まれ、人里離れた地にあった。
町からはバスで数時間。
生徒達は学校のすぐ近くに建つ寮で生活している。
そんな学園に、大量の死体が発見されいろんな憶測を呼んだのは少し前の事。
だが、再び霧里学園で新たな事件が起きていた。
「ここが?」
バスから降りると、外から建物を見上げる。
三下と共に霧里学院を訪れた都築・亮一(つづき・りょういち)は、学園の校門前に立っていた。
踏み出した足に絡みつくロングコート。
振り返るとそのさらさらの髪がふわりと風に舞い、綺麗に糊の聞いたスーツは亮一の長身に良く映えている。
その知的で優しい瞳を、亮一はバスから降りる三下に向けた。
「あ、はい。ここです。霧里学院高校。くだんの事件が起きた学校。なんでも人斬りが出るとか……?」
取材道具をよいっしょっと下ろした三下は、自分の言葉に脅えたように首をすくめると、すばやく左右を見渡す。
別段、何が居るわけがないのだが。
そんな様子を亮一は苦笑を浮かべながら見つめていた。
本来ならば、この取材の話は断るつもりだった。
多忙な亮一は、目に入れても痛くないほど可愛い妹の為ならまだしも、三下のために貴重な時間を空ける気にはならなかったのだ。
ただでさえ妹の元に行く時間もあまりないのに、ましてや…である。
しかし断るつもりがその妹からのたっての願いで、亮一は三下に同行する事になった。
「それで……手がかりという少年は?」
亮一の声に三下はハッと我に返る。
「えーと、美刀夢路という少年ですね」
懐から取り出した手帳を開き、眼鏡を持ち上げながらメモを見る。
「古流武術部……?に所属しているようです」
「なんですか?その古流武術部って」
「さぁ?」
あっさりという三下にどこか不安を覚える亮一であった。
唯一の手がかりという少年に会う前に、亮一は美刀夢路という少年について学院の生徒に聞き込みをする事にした。
制服の少年少女達の中でスーツ姿の亮一は明らかに目立つ。
自分がここに居る事に確かな違和感を感じつつも、とっくに卒業した制服にどこか懐かしさを感じる亮一だった。
さすがにあまり奥に行くと目立つので、入り口付近であたりを見渡すと、丁度廊下の奥からやってくる数人の女生徒が目に入った。
「あの、すいません」
優しく微笑んで声をかける。
「はい?」
突然の声に、女生徒はびっくりしたように振り返った。
「すこしお聞きしたい事があるのですが、いいですか?」
その声に、何故か女生徒は友達同士何か耳打ちしながら、亮一を見て何か話しているようだ。
何か黄色い歓声があがっているような気がする……。
何か変な事を言っただろうか…しばし考え込む亮一であった。
「美刀夢路くんという生徒についてお聞きしたいのですが……」
優しく響く声より、その内容に女生徒は驚いたように顔を見合わせた。
だが、まだまだ子供っぽい同級生の男子生徒とは違い、大人の魅力を持つ亮一に、女生徒はどこか嬉しそうにしながら、注目を集めようと一生懸命微笑んでみせる。
「え?美刀夢路くん?あの古流武術部の?すっごく変人で有名よ。ボーっとしてる子で。古流武術部ってのも、何してるかわからないし」
ねーっと、隣の子に同意を求める。
「そうですか……」
黄色い声を上げる女生徒の話は、亮一をさらに不安にさせただけのようであった。
しかし…妙な所だな。
亮一は静かにたたずむその学院を眺めると、霊視を始めた。
どうもおかしいのだ。
通常では考えられないほど、学院一帯の『気』は不安定だった。
霊道があるわけではないし……。
霊視してみるものの、その不安定さの理由が判らない。
これ……は結界?
亮一は、いくつかの結界の気配を感じ取っていた。
一体、この学院に何があるのか。
すべては謎に包まれている。
「あの〜」
ガラっと扉を開けると、そこは一見和室風の部屋だった。
鉄筋作りの部屋の外とは、まったく違う世界。
学校の中になぜこんな部屋があるのかは謎である。
「美刀夢路くんはいらっしゃいませんかー?」
三下の声に振り返ったのは一人の少年であった。
そもそも室内には少年一人しかいない。
三下に続いて室内入ると、亮一は少年に向かって声をかけた。
「あなたが、美刀夢路くん?」
「はい〜ボクが美刀夢路ですが〜……。なにか?」
どこか眠そうな少年は、やけに間延びした声で振り返る。
「最近起きた事件の事で、ちょっとお話を伺いたいんですけど…いいですか?」
霧里学院高校に人斬りが現れたという噂が流れたのはちょっと前の事であった。
曰く、夜道を歩いていると、日本刀を持った男が刀を振り回して追いかけてくるという。
本来ならそのまま怪談の一つで終るはずだった今回の事件だが、噂は留まる事を知らず、とうとう犠牲者が出てしまったのだ。
下校途中、寮に向かっていた生徒達の前に人斬りは現れ少年達を惨殺、さらに駆けつけた警官をも切り捨てると、森に去って行ったという。
警察が何度も調査を行ったが、手がかりはまったくなく、唯一の手がかりはこの少年だけだった。
「え〜っと……事件、ですか〜?」
「えーっと、ボクはこうゆう者のでして…」
三下は名刺を取り出すと、一枚少年に渡す。
美刀少年は、貰った名刺をしげしげと見つめた。
「アトラス編集部ですか〜」
「今回の事件をアトラスで再調査する事になったんです。あなたが、人斬りを退けたと聞いたのですが」
「事件ですか〜?」
その言葉に、美刀少年は亮一の顔を見上げたものの、意外な事に首を傾げた。
「あ、あの!人斬りを退けたのは、君じゃないんですが?」
「…………?」
横からつっこむ三下の言葉に、たっぷり数分は考え込むと美刀少年は首を傾げる。
美刀少年は不思議そうに三下の名刺を眺めるだけであった。
「亮一くん、一体これはどうゆうことでしょうか?」
唯一の手がかりのはずが……。
困惑気に言われたものの、亮一とて判るはずがない。
何故少年は事件の事を覚えていないのか……。
その後、何を聞いても美刀少年は何も覚えていなかった。
さらにかなりのマイペースな美刀少年は、三下や亮一とテンポが一つや二つ、いや、それ以上に異なる。
時間だけが過ぎていった。
「あぁ!また編集長に怒られるー!」
唯一の手がかりのはずの少年がこの状態では、事件は闇の中。
碇の怒鳴り声を想像して三下は発狂寸前であった。
「困りましたね……」
同じように美刀少年を頼りにやってきた亮一も、困惑するしか出来ない。
「あ……っ」
その時である。
美刀少年は小さく叫ぶと、ぽんっと、手を打った。
その動作は恐ろしくとろい。
「そういえば〜……。あの森の中に、昔美術部が使っていた絵画室があるんですよ〜……」
「部室?その部室がどうかしたのですか?」
普段は温厚な亮一も、微かに口調が上がってしまうのを誰が責められよう?
だが。
「え〜っと……。判りません〜」
「……(汗)」
その言葉に亮一は密かに拳を握り締めた―。
一体、絵画室に一体何があるのか。
行ってみるしかないようである。
「はい、これを」
亮一は、何事か書かれたお札を、三下と美刀少年に渡した。
万が一何かあった時の為に、亮一が用意した身代わり符だった。
「なんですか?これ」
お札を持ち上げ、裏返したり透かしたりする三下に苦笑しながら、亮一は森へ一歩踏み出す。
「肌身は出さず持っててくださいね。何かあると行けませんから」
三下に何かあった日には、妹に何を言われるか判ったものではない。
亮一は密かにため息をついた。
「えぇ!??な、何かあるんですか?亮一くん!」
騒がしい三下の声を綺麗に無視して、亮一は先頭に立って歩き出した。
と、その時だった。
亮一の足が、ピタリと止まったのだ。
「あの……亮一くん?」
何かが、いる。
亮一は感じていた。
「三下さん、夢路くん。いいですか?合図をしたら全力で走ってください。いいですね?」
いつにない亮一の真剣な声に、頷く三下の思わず喉がなる―。
「さぁ……いいですか?いち、に…さん!さぁ、走って!」
何かの気配が広がるのと同時だった。
確かな悪意をそこに感じる。
殺気とさえいえるそれは、容赦なく三人に襲い掛かる。
慌てて美刀少年と三下は走り出した。
「えーっと、こっちです〜」
美刀少年の先導でなんとか森を突き抜けた三下と亮一は、絵画室に入るなり、ピシャリッとドアを閉める。
「はぁはぁはぁ……もう、大丈夫なんでしょうか」
「さぁ……」
「りょ、亮一くん!??」
安全だとは言わなかった。
途中、十二神将を召喚し、悪意ある霊たちをなんとか防いだものの、何が起こるかわからない。
「亮一くーん!!もう安全だと言ってー!!」
騒ぐ三下を尻目に、亮一は心を鎮めて精神を集中する。
使われなくなってからそれほど立っていないのか、室内はそんなに荒れていなかった。
書いた絵は放置されているらしく、白い布の掛かった板のようなものがいくつも立て掛けられており、長く使われていなかった証拠のように埃を被っている。
その時だ。
亮一は部屋の隅に置かれたテーブルに目を奪われた。
「これは〜…。江戸時代のものでしょうか〜」
同じようにテーブルに気づいた美刀少年が、テーブルの上を覗き込んだ。
テーブルの上には、一枚の紙が置かれている。
和紙のようだが、達筆な字で何か書かれており、中央が破けていた。
なぜかその横には手鏡が。
和紙と鏡はどうやら対の物のようだ。
亮一はそれを手にそっと取ると、慎重にその表面を眺めた。
「幕末の頃のもののようですね。……この世とあの世を完全に繋ぐ法?」
和紙には、確かにそう書かれていた。
「どうしたんですか?」
鏡を手にしながら黙り込んでしまった亮一に、三下は仕方がなく騒ぐのを辞めると、その手元を覗き込む。
「これ、なんなんですか?」
三下にはただ古いだけの、なんの変哲もない鏡だった。
だが、亮一は感じていた。
これは、ただの鏡ではない―。
そして、和紙に入った裂け目。
「そうか……判りました」
何故、これほどに学院一体の『気』が乱れているのか。
そして森に潜む、悪しき霊たちの存在。
なぜ―?
「え?なんですか?何がわかったんですか??」
「原因はこれです」
「これ?」
そう言って、亮一が示したのは、手にした鏡と和紙であった。
「この鏡が何か?」
意味のわからない三下は、ただきょとんと首を傾げるだけだ。
「ここに書いてあるこれ…。『この世とあの世を完全に繋ぐ法』とありますが、恐らく、この鏡こそがこの世とあの世を完全に繋ぐ法なのです」
「え……?」
いつもは優しい光のやどる亮一の目には、真剣な光が宿っている。
その緊張感に、三下はごくりと生唾を飲んだ。
「この鏡こそが、この世とあの世を繋ぐ道。そして、この和紙がそれを封印していたのでしょう」
「封印…。でででも!これ、破けてますよ?」
三下の言ったとおり、和紙には裂け目が入ってる。
「だからなのですよ。今回の事件は、これが原因なのです」
封印が解けた事により、現れたあの世の者達。
事件はそれらの者達によって起こされたのだ。
人斬りが逃げ込んだ森に関わらず、ただの一度も捜査の手が入らなかったのは、封印が解け、そこからあふれ出た力が恐怖心を働きかけ、無意識にここを避けていたのだろう。
「ってことは……。じゃ、これを直せば、事件は解決するんじゃ……!」
「そう、なりますね」
あまりの嬉しさに、顔がほころび出す三下を横目に、亮一は手持ちの符を取り出すと、和紙の裂け目に当て、そっと呪を唱えた。
「ひとまず応急措置になりますが、これで大丈夫なはず……」
あとは高野山に持ち帰って、ちゃんと封印を施さなければ。
そう、亮一が立ち上がった時だった。
膨れ上がる殺気!
「あぶない!」
「うわぁ!」
亮一が叫ぶのと、三下が叫び声を上げたのと、ほぼ同時だった。
それでも奇跡的に避ける事が出来た三下は、その拍子に壁際に立ててあったキャンパスに突っ込み、気絶していた。
そこに現れたのは、日本刀を持った男。
くだんの人斬りであった。
まるで時代劇から抜け出してきたような着物を纏い、青白い顔で刀を構える男は、表情のない顔を亮一に向ける。
その目には、確かな殺気が宿っていた。
「封印を直せば終わりというのは、どうやら甘かったようですね」
亮一は油断なく構えながら、あたりの状況を見渡した。
気絶している三下。
そしてその近くにいる美刀少年。
不思議と、美刀少年に慌てている様子はない。
三下は気絶しているものの、怪我はないようだ。
何より身代わり符を渡してある。
一瞬でそう判断すると、亮一は気を集中し、両手に力を込めた。
やがて、握り締めた手がほんのり暖かくなる。
次の瞬間、亮一の手にあったのは神剣「ツクヨミ」であった。
亮一がツクヨミを構えるのと同時に、男が打ち込んできた。
それを下から切り返し、そのまま切り込んでみせる。
「くっ」
亮一とて軟弱なわけではないが、受ける剣が重い。
さらに上段から切り込まれた刀を、なんとかぎりぎりで支えた。
影使や式神を放ち人斬りを抑えようとするものの、優れた剣の使い手であるらしい人斬りは、一刀でそれらを両断してのける。
みるみる亮一はピンチに追い込まれた。
男の正体を探ぐるため、手加減して攻撃をしおうと思った亮一でが、それどころではなくこのままでは不利だ。
なんとか人斬りの日本刀を防ぎながらも、亮一は口の中で呪を唱えた。
「十二神将召還!来たれ!青龍!白虎!」
今までも何もなかった空間に突然現れた神将は、次の瞬間、中国風の鎧を纏った武人の姿へと顕現した。
十二神将のうち、青龍と白虎を召還した亮一はただちに命を伝える。
「やつを止めるんだ!援護せよ!」
無言で従の意を示した神将は、すばやく亮一の命を実行した。
それぞれの獲物を手に、人斬りに切り込む十二神将達。
剣の達人である人斬りでも、十二神将達の攻撃をたやすく払う事は出来ない。
人斬りの動きが鈍った。
その隙を見逃す亮一ではない。
全身の気を集中させると、亮一の身から微かな霊気が立ち上った。
その気を、剣へ。
ゆっくりと、力を込めて剣を上段に構える。
そして、十二神将の牽制を振り払って切り込んできた人斬りに向かって、鋭く振り下ろた!
その剣は、狙い違わすスウゥっと人斬りへの胸へ吸い込まれていった。
「急々律令!怨霊退散!」
剣に全力を込めて、亮一はその力を人斬りに叩き付ける。
「ぐわぁぁー!!」
その力に、人斬りは何かを求めるかのように手を伸ばした。
やがて、苦しげに呻くとスーッと音もなく消えた。
あとに残ったのは、ぼーっと立ち尽くす美刀少年と、気絶した三下。
亮一はそれらを見渡すと、やっとのことでこわばった手から力を抜いた。
「今度こそ、終わり…ですね」
そう言って、肩をおろしたのだった。
その後、その場から逃げるように三下を連れて妹の家に向かった亮一は、せっかくの記事を没にされないように、その場で原稿を書かせる事にした。
「さぁ、書いてください。事件は解決したんですから」
そういって、亮一は三下の傍を離れようとしない。
「わかってますよ〜」
微かに涙目になる三下。
碇よりよっぽど亮一の方が怖いと思う三下だった。
「しかし……あの封印は一体誰が…?」
封印が解けていたのが原因とはいえ、では誰があの封印を解いたのだろう?
自然に和紙が破れたとは言いがたい。
なれば、誰かが故意に?
「え?何か言いました?亮一くん」
「あ、いえ、なんでもないです。三下さんは何も気にせずに書いてください。さぁ」
「判ってますよ〜」
夜の空に、泣きそうな三下の声が響いた。
その頃、人斬りと亮一の戦闘を見ていた何者かが、にやりと笑った事に二人は気づくよしもない。
パチパチパチ。
緩慢に拍手をすると、「すばらしい」と微笑み、そっと森に消えていった。
一体それは何者なのか。
それは誰にも判らなかった。
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