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邂逅〜ぬばたまの黒、夢と言う名の道標
夢を見た。
草薙神無は、いつも通りに。
否、
――いつも通りとは、少し違った。
■■■
過去の事。
まだかなり小さかった時の事。
確か、友達と遊んだ、帰り道。
路地を歩いていたのは俺。
途中、見つけたのは、黒い鳥。
ブロック塀の上。
多分、カラス。
けれど。
何故か、違うようにも感じた。
そして。
向こうも何故か、俺を見ているように感じた。
敵意も害意も何もなく。
ただ、じっと。
「逃げないんだね?」
…ああ、確かにその時、俺はこう言った。
話し掛けたい、気がしたから。
気になった。
この、『鳥さん』が。
ただ、通り過ぎるのは嫌だった。
だから、話し掛けた。
「あ、そうだ」
そして、自分が――食べ掛けのクッキーの小袋を持っていた事を思い出す。
引っ張り出したその小袋から、中身をひとつ、取り出した。
黒い『鳥さん』の口許に、差し出す。
「あげる」
そうしたら、躊躇うみたいにこの『鳥さん』は俺を見た。
…ように見えた。俺の目には。
「ゴハン、あんまり無いでしょ。この辺りってさ。…良かったら足しにしてよ」
言って、暫くそのままで待っていると、やがて『鳥さん』は恐る恐る俺の手からクッキーを取ってくれた。
直に。
その嘴で。
…嬉しかった。
自然と笑みが浮かんでいた。
「お友達の印だよ?」
俺は確かに、その時、そう言った。
――暗転。
唐突に切り換わる場面。
日常の夕暮れ時から――非日常の闇の黒へ。
真っ暗な空間。
その中。
蠢く何か。
目を凝らす。
見える。
ばさり
羽ばたかれる大きな黒い翼。
…暖かみのある、濡れたような深い黒。
ぬばたまの。
その大きな翼の付け根は――翼同様の、黒色を纏った男の人の背中から、生えていた。
え?
誰だろう。
…見た事無い。
未来?
それとも過去?
否、それ以前に…翼が生えた人なんて、存在するのか?
神無が惑う間にも場面は切り換わる。
…黒い翼の生えた男は更なる上空に前転。一際濃い闇に回り込むよう動き、何かを、した――ようだった。
鋭い鎌鼬のような無数の何かが弾けるよう乱舞した刹那、一際濃い闇の方が、四散する。
黒い男の人は、ゆらりと翼をはためかせ、滞空したまま、様子を見ていた。
と、
「…汝」
凄く嫌な、声がした。
気味の悪い一瞬。
直後。
濃い闇の一部が、別の生き物にでもなったように急に浮かび上がり、角度を変えその男の人へ一直線に――ぶつかる――どころか、その胸の真ん中を、貫いてその先へ。
「…汝、我ノ…呪イヲ、受ケヨ、呪ワレ…ヨ――汝、我ト共ニ…地獄ニ、落チヨ…!」
耳障りな濁った怨嗟の声。
…何、これ。
黒い男の人が、刺された?
思った時には、その人の、翼の動きが――緩やかに、止まる。
そうなれば、どうなる?
…空中に居るのに!
俺は手を伸ばそうと意識する。
が、無駄。
…それはそうだ。これは今起きている現実では無い――俺の夢だから。
神無に、自覚はある。
けれど。
俺の見る夢は――リアリティも、あり過ぎる。
…俺自身のすぐ側で、実際に起きているような。気を抜けば、そう容易く錯覚してしまう程の。
だから今、頼るものもなく墜落し、そのまま、ブロックタイル張りの地面に叩き付けられるだろう姿を予測してしまったら。
夢とわかっていても、手を出さずにはいられない。
俺の見る『夢』――それは『今この時』以外の、いつか、何処かで起きた事象。
俺が横から変える事は出来ない。
幾ら、変えたくとも。
――そんな、残酷な現実を、俺はいつも『夢』で思い知らされる。
…幼い頃から、ずっとそうだった。
そして神無は。
痛々しさに目を背けたくなりながらももう一度、地表に叩き付けられた男の人を見た。
と。
…え?
そこには『人』は居なかった。
その代わりに。
地表に叩き付けられたよう、ぐったりとした姿でそこに居たのは――黒い水溜りに浸る…黒い、鳥。
■■■
「………………うに?」
目の前にあったのは見慣れた天井。
ピチピチ、ピチチ、と小鳥の囀りが賑やかに外から聴こえてくる。
俺の部屋だった。
「…」
俄かに悩む。
何だか、不思議な夢だった。
今まで見てきた、いつもの悪夢とは違う。
神無は何処かぼーっとしたまま、よいしょ、とばかりにベッドから下りる。
…そう言えばあの『鳥さん』、今頃どうしてるだろう?
歯磨きして、顔を洗って、髪を梳かして、着替えて。
いつもの朝の行動を取りながらも、今見ていた夢がどうも頭から離れない。
…そう言えば今日は休みだったよな。
カレンダーを見てふと思う。
ごはんよー、と階下から呼ばれる声にはーいと応えつつ、神無は部屋を飛び出した。
そしていつもの通り食卓に着く。
トーストに目玉焼き、コールスローサラダ、珈琲、等々。
別段代わり映えはしない。ちょっと洋風なだけ。
神無はいただきます、と礼儀正しくぱむ、と手を合わせてから、目の前の皿に挑む。
普段通りの朝食。
もくもく。
が。
…どうしてもさっきの夢が頭から離れない。
今になって、何故か妙な胸騒ぎまで、起き始めている。
神無は最後、もぐもぐ、と口の中にトーストを押し込み、なるべく急いで咀嚼してから飲み込んだ。
「…母さん、ちょっと行ってくる」
言いながら、椅子を立つ。
「どうしたの? 神無?」
「なんでもないから。すぐ帰ってくる」
確かあの公園は――ここからそんなに遠くない、場所だった。見覚えがある。あのブロックタイル。植え込みの種類と位置。
頭の中で確認しながら、足は疾うに玄関へと向いている。
「何だか良くわからないけど…気を付けて行きなさいよ?」
「わかってる!」
言うが早いが、中学指定である新品同様の運動靴を突っ掛けた神無は、家から飛び出していた。
…来てしまった。
本当にここかどうかわからないが、直感的にここだ、と思ってしまった、夢で見た場所。
来たからどうだ、と言う訳でもないが…何故か来ずには居られなかった。
そして。
気が付く。
――何か、変だ。
人気が、無さ過ぎる。
朝の公園と言っても、それ程早い訳でない。
更に言えば、世間一般的に、休日。
…誰も人が居ない方がおかしい気がする。
何だろう。
胸騒ぎが、止まない。
それどころか妙な『不安』まで、濃くなってくる。
急き立てられるように、神無は公園の中へ足を進めた。
歩いて、歩いて。
中央広場が見えてくる。
ブロックタイル張りの場所――あそこだ。
不安の原点。
確かめなきゃ。
神無は足を速めた。
中央広場。
痛いくらいに赤い色が真っ先に目に入る。
「…な」
血だ。
それも、大量の。
絶句した。
…なんだ、これ。
何があったんだ!?
尋常じゃない。
自分の心臓が脈打つ音が聞こえる。
――あの鳥。まさか。
確りと自覚する前に目が勝手に捜す。――『夢で見たあの黒い鳥』。
………………居た。
血溜りの真ん中、その朱に浸かった黒い羽毛の塊。
死んだようにぐったりと倒れ伏す、大柄の黒鳥――カラスの姿。
見付けるなり神無は慌てて、けれどそれでも出来る限り気遣って、抱き上げた。
声を掛ける。
「おい」
…動かない。
こわい。
「おい、ってば」
…抱き上げた身体の芯が、冷たくは無い。
だけどこんな、血が。
凄い傷。
…生きてるのかな。
焦る。
と。
目の辺りが、動いた、気がした。
「…大丈夫か?」
俺の言葉に、微かに身じろぐ。
これなら、大丈夫だろうか。
思ったところで、
――腕の中の、黒い鳥が唐突に目を見開いた。
そして。
「お前は…」
明らかに、俺を見て。
確りと。
え?
…喋った?
一瞬、驚く。
が。
………………ああ、そうか。
生きていた、その安堵と共に思わず。
笑みが浮かんだ。
全部、わかった。
――きみ、は。
あの時の。
「久し振りだね…俺の、友達」
――だからずっと、気になっていたんだ。
俺の『友達』を助けなきゃって、ずっと警告を鳴らしていたんだ――あの夢は。
【了】
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