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そして、ありふれた日常のはじまり
「お前は…」
「久し振りだね…僕の、友達」
驚き、目を見開いた後、ぱちぱちと目を瞬かせる黒い鳥。
その黒い鳥を見、微笑んだ、金と銀の色違いの瞳を持つ人物。
血に濡れた、人気の無い公園での。
些細な、それでいて重要な、出来事。
――それは、偶然と言うにはあまりにも運命的な、邂逅だったように、思えた。
■■■
「ただいまっ」
と、声を掛け、色違いの瞳を持つ人物はそっと抱いたままの黒い鳥を連れ帰って来た。
「あら、本当にもう帰ってきたの、神無? おかえり――ってちょっと!?」
玄関に入るなり、顔を出した女性に驚かれる。
当然か。色違いの瞳を持つ人物――神無の腕の中に居るのはぐったりした血まみれのカラス。
汚い物でも見たような気になっているのだろう。
…と、黒い鳥は思ったが。
肝心の女性――恐らく、神無の母は。
「タオルと救急箱持ってくるわね!」
と、叫び、慌ててぱたぱたと中へ走り去った。
その姿に母さん頼んだっ、と声を掛けつつ、神無は自分の部屋に駆けて行く。
…黒い鳥は困惑している。
あの時の『子供』のみならず、その母まで――私を嫌がらない?
不思議な、家族だ。
思ったところでまた、黒い鳥の意識がすぅ、と遠のいた。
けれどもう、死にそうな気はしない。
…どうやら安心して、力が抜けてしまったようだ。
この、心地良い腕の中で。
夢現なまま声を聞く。
「…獣医さん、連れてった方が良いかな?」
「ううん。大丈夫そうだと思う。それにね、喋るんだ。この鳥さん」
「喋る?」
「それにね、思ったより傷も深くないし。消毒して、傷が開かないように押さえておいてあげれば大丈夫だと思う」
「そう?」
「うん」
…私の事を話しているのだろうか。
鳴黒はぼんやりと考える。
確かに私の傷は、普通のカラスでは無い故に癒えるのが早い。とは言え最後に胸部に食らった一撃の直後は、本当にこれで死ぬ、と思った。貫かれ、根こそぎ生気を奪われるような気がした。
だが。
生死の境をさまよい…意識の無い状態を経て、この『子供』の顔が見えたと思ったら――。
何故か、死なないで済む、と、感じられた。
――人間のぬくもりこそが、『あやかしの傷』を『本当の意味』で癒す唯一の薬。
■■■
気が付くと。
鳴黒はふかふかな何かの上にいた。
…クッションらしい。
タオルを何枚か敷いた上に寝かされていた。
そして自分の姿を見る。
包帯でぐるぐる巻きにされていた。
「…これは」
誰にとも無く呟く。
と。
「手当てしたんだよ。胸の傷」
答えが返った。
その源――鳴黒と同じ高さで、にこっ、と微笑んで見ていたのは部屋の主。あの、『子供』。
高さが同じ――つまり、屈んでいる様子。
「お前が…?」
「そうだよ。あ、お前じゃなくて、俺は草薙神無。神無って呼んで?」
「神無、か…。ああ…私は、黒鴉鳴黒と、言う。鳴黒、で良い」
「やっぱり喋れるんだ? 凄いね?」
「…凄い、か」
「うん。あ、まだあんまり動かないでね。傷が開いちゃうかもしれない」
「…ああ、お言葉に甘えて…休ませてもらう」
言って、再び包帯ぐるぐるの黒い鳥――鳴黒は、再び、瞼を下ろした。
…確かにまだ、まともには動けない。
■■■
目が覚めた。
鳴黒は一瞬、自分が何処で何をしているかわからず混乱した。
何やら身体が持ち上げられたり裏返されたりしている――視界に入る白いガーゼの波。ああ、包帯を替えられているのか。手当てしてもらった? ああ、そう言えばあの時の色違いの瞳の子供。名前を聞いた。草薙神無。
ここは彼の家。
そして恐らくは彼の部屋。
「…神無」
「あ、起きた? ちょっと待ってて。もうすぐ終わるから。それと、何か食べる?」
「…いや、そこまで構う事は無い」
「だーめ。ちゃーんと体力付けないと駄目だよ? …傷の状態はかなり良くなってるから、そろそろ何か食べられると思うんだけど…柔らかい物が良いかな? あ、スープにでもする? 冷ますから♪」
何が良いかなー? と楽しそうにあれやこれや考え込む神無の姿。
鳴黒はその姿に内心で、苦笑した。
「…わかった。何か、頂こう。…お前が良いと思うものをくれ、神無」
■■■
そんな調子で数日後。
「……うに」
むく、とベッドから起きた神無は、しょぼしょぼした目をこすりつつ、きょろきょろと部屋を見渡す。
…鳴黒がここに来てから、いつも、そうだ。
神無は目覚めるとまず、鳴黒の姿を捜している。
「…どこ? 鳴黒」
きょろきょろ。
「ここだ、神無」
声がした。
鳴黒の声。
神無は鳴黒の――黒い鳥の姿を探す。
居た。
すぐ側。
枕元。
…ここまで来たのか。
「わ、大丈夫なの、もう?」
「ああ。…このまま去っても良かったのだが…礼を言わねばなるまいと、お前が起きるのを待っていた」
「って、どっか行っちゃうの?」
「いつまでも世話になる訳にも行かぬだろう。それに――私は」
鳴黒は神無の真っ直ぐな瞳を見、俄かに口篭もる。
「ただのカラスではなく――妖怪だ」
「へ?」
「年月を経て人の姿を取れるようになった、化けガラスだ」
…証拠を見せよう。
そう告げるなり、鳴黒の小さな身体が鋭い風に取り込まれ、小さな竜巻になる。程無くそれが大きくなり、解け、風が止んだ時には。
男の人がベッドの脇に立っていた。
「鳴…黒?」
神無は思わず、瞠目。
…踝まである程の黒く長い髪に、黒尽くめの衣服。
上品な白い面。端整な目鼻立ち。冴えた白銀の瞳。
――もしその背に黒い翼が生えていたなら、夢に出てきた男の人、そのままだ。
「驚かせたか、神無」
ふわりと笑い、その男の人は言う。
「…嘘」
「済まなかったな。騙すような形になって」
どこか儚いその笑みを見せながら続ける。
――黒い鳥の鳴黒と同じ…その、声で。
「言わねばならぬとずっと思っていた」
お前の助けたカラスは――化け物だ、と。
驚いた顔をしている神無を見、鳴黒は瞼を閉じる。
そして。
「…世話になった。
助けてくれて、有難う」
ばさりと。
黒い翼を出し、広げる。
艶やかな濡れ色。
…夢の中と同じ。
鳴黒は瞼を開く。
神無を見つめた。
…と。
「なんとなく普通のカラスじゃないってことはわかってた。初めて会った時から。ずっと」
にっこり笑った神無の声が。
「そもそも喋る時点で普通じゃないしね☆ 人の形取れるんなら、人の生活空間で動くのも楽だろうし」
うん。とひとり平然と納得する神無。
「お、おい!?」
その態度に鳴黒は面食らう。
「お前、…怖く、ないのか?」
「なんで?」
神無はきょとん、と小首を傾げる。
「友達、って言ったでしょ?」
あっさりと。
鳴黒は絶句した。
「あ、そうだ、ねえねえ、どうせなら一緒に暮らさない? ウチ、部屋余ってるし」
「………………………………神、無?」
「それとも何処か行くところ…あったりする?」
あ、と気付いたように神無の声が小さくなる。
鳴黒を気遣うように。
…正直、途惑った。
「駄目、かな?」
神無は上目遣いに、鳴黒に問うてくる。
停止。
「………………鳴黒?」
急に止まってしまった鳴黒を見、神無は少し訝しげな顔をする。
と。
唐突に爆笑が、響いた。
目の前の鳴黒の口から。…我慢し切れない、と言った様子で、腹を折って。
「ちょ、え? どしたの鳴黒!?」
今度は神無が途惑う。
「いや、待て…お前って奴は…く」
唐突な鳴黒の笑いは、止まらない。
――なんだ。大丈夫じゃないか。
安心し過ぎた。
笑いが込み上げて来る。
心底、ほっとして。
この小さな友人を失わずに済んで。
…どうしてこんなにほっとしている?
それは本当は怖かったから。
正体を明かす事が。
明かしたその時に、怖がられる事が。
避けられる事が。
なのにこの、神無は、全然変わらない。
それどころか。
こんな。
――私に。
「く…はは…済まん。何でもない」
ひとしきり笑った後、漸く、鳴黒の爆笑は止んだ。
…こんなに思い切り笑ったのは何年振りか――否、そもそもこんな風に笑った事は今まで、あったか。
「何だよ気になるよ。隠すの無しっ」
む、とむくれて見せる神無の顔。
真っ直ぐにそれを見て、鳴黒はベッドに腰掛けた。
そして、言う。
「…いい加減、定住するのも悪くないな」
「え、じゃあ」
ころっ、と態度を変え、きらきらと色違いの瞳を輝かせて鳴黒を見る神無。
鳴黒は静かに頷いた。
その首肯を確かめるなり、神無はぴょん、と飛ぶようにベッドから下りる。
「じゃ、今から父さんと母さんに言ってくる!」
宣言するなり、善は急げとばかりに部屋のドアに駆け出した。
が、そこを開く前に。
ちらと一度、鳴黒を振り返った。
悪戯っぽく神無は笑う。
「鳴黒は妖怪カラスって言ったって、別に俺に危害を加える気は無いでしょ? ここに居る間、極力俺に迷惑掛けないように気遣ってもいたし。…ホントに怖い妖怪だったら、そんなにヒトの事考えないでもっと傍若無人に狡猾に振舞うよ。たぶん。…鳴黒はやっぱり俺の友達だよ。初めに思った通りにね」
言い置いて。
不意打ちのその科白に呆然とする鳴黒を余所に、神無はドアから飛び出した。
姿が見えなくなったと思ったら、今度はどてばたと階段を駆け降りて行く音が響く。神無の。
「――ねえねえねえ、父さん、母さんっ!」
階下から鳴黒の耳にもはしゃぐ神無の声が聞こえる。
本当に、言いに行っている。
…幾ら何でもそれは無理じゃないか、神無?
思い、苦笑しつつも、制止する気にはならなかった。
神無らしい、と思ってしまったから。
…鳴黒とて、ここに居るのは、暖かくて、気持ちが良い。
もし、人の姿を晒して――正体を明かしてまで、この場に居られるなどと言う…奇跡が叶えば、どれ程幸せか。
神無と言う小さなひとりの奇跡を見て、儚いながらもその希望を持ってしまった、甘い自分もそこに居た。
――思えば、それが神無の行動を止めなかった一番の理由かもしれない。
やがて。
先程神無が飛び出して行ったこの部屋のドアから、神無ではない人物が顔を出した。
「…彼、かい?」
一度鳴黒を見、振り返って口を開く男性がひとり。…父親か。
「うん」
元気な声がその背後から。神無。
「あらあら、本当にこの方が…あのカラスさん?」
まあ、と口を押さえている女性がひとり。…確か傷付いた私を見るなり、タオルと救急箱持ってくる、と言った人間――母親か。
「…あの」
こういう時、何を言ったら良いのかわからない。
「また、綺麗な息子が出来たって事かな?」
父親らしい男性はにこっと微笑み、母親の方に振る。
「…」
「そうね。そんな感じよね。綺麗な方…。お人柄も、神無が言うなら間違いはないでしょうし」
母親らしい女性も、嬉しそうに父親の方に返す。
「…」
「えーと、お名前は、鳴黒さんだったわよね。あ、お食事は私たちと同じ物で良いのかしら。何か駄目な物とかあります?」
「…いえ、特に」
「そ。それは良かったわ。あ、ちょうど今日の朝御飯のカレー、作り過ぎちゃってたの。良かったら一緒に食べましょ?」
あっさりと誘う。
「――」
呆然。
…さすが神無の家族、と思って良いものか。
「わ、ラッキー☆ んじゃ折角だから一緒に食べよーよ。ね、鳴黒?」
にこっと微笑んだ色違いの瞳。
いつの間にか鳴黒のすぐ側まで戻って来ていた神無は、おいで、とでも言うように鳴黒の腕を少し強引に取り上げ、立たせながら――そう告げた。
――そして。
なしくずしに食卓を一緒に囲み、互いに自己紹介をしたり、色々聞いたり聞かれたりして。
朝御飯が終わる頃には、鳴黒の部屋を何処にするか、まで決まっていた。
…鳴黒の今までの生活の要点も、どさくさに紛れて粗方聞き出されたような気がする。
侮れない。
まぁ何にしろ、そんなこんなで。
今に、至る。
元を辿ればその時から、鳴黒の居候生活――神無と一緒の、ありふれた日常がはじまった、と言えそうだ。
…そして余談だが、鳴黒が思いっきり爆笑したのを神無が見たのは、今のところ、この時の一度っきりである事も付け加えておこう。
【了】
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