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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


猫と夏祭

   オープニング

 盆踊りは好きですか?
 ええ、ええ。はい、はい。分かってます、分かってます。
 お顔に、そう書いております。
 探偵さんも、子供の頃に随分とやんちゃをしたって。
 綺麗なお姉さんの浴衣の帯を解いて回ったり……。え? しない? またまた……分かってます、分かってます。知られたくない人がいるんでしょう。良いんですよ、そう言う事にしておきますからね。
 さっきも言いましたけど、お願いしたいのは、うちの町内でやる盆踊りの警護なんですよ。
 毎年ね? 商店街の端から端までを潰して、屋台もたくさん呼んで、盛大にやる盆踊りなんです。お巡りさんも、通行止めの交通整理に見えるんですが、それとは別に皆さんに巡回して頂きたいわけで。
 いえ、妙な手紙が舞い込みましてねえ。今朝起きたら、こんなものが店のシャッターの隙間に、ねじこんであったんです。どこの店も皆、同じでね。気味が悪いってんで、こうしてやってきた訳なんですよ。
 ええ、ちょっと見てください。ね? そんな顔になるんです。汚い字でしょう? 筆で書いたんでしょうかねえ。滲んでるし、一つ一つがとっても大きいし……。まるで子供が書いたみたいな内容で。『まつりをこわしてやる』と、それだけなんです。イタズラかもしれませんがね? ほら、今の時代、何があるか分かりませんから。
 まぁ、何も起きなければ、そのままお祭りを楽しんで頂いて。その方が、私共も本望ですし。皆さんのね、喜んでくれるお顔に、疲れもぶっ飛ぶってもんですよ。
 え? 気になる事? ううん、そうですねえ。強いて言うなら……、いや、これは関係無いでしょう。ヤツは野良でしたし。死んでも誰も哀しむものはいないはず。
 はい、はい。猫の事ですよ。随分と長い間、商店街をウロウロとしてたヤツで。あの辺のボスだったようですねえ。良く喧嘩して、恋もして。そうそう、探偵さんと同じです。え? 喧嘩はしない? おや、そうでしたか。これは、失礼を。
 ソイツがね? 通りを渡ろうとして、車に轢かれてしまったんです。見慣れない他県ナンバーの営業車でね? あ! と思った時には、すでに跳ねられてしまって。忙しかったのか、そのまま放置です。酷い話じゃありませんか。私がね、猫の処理をしたんです。埋めた? とんでもない。保健所に電話したんですよ。ゴミにするにしても、かなり大きな猫でしてね? ちょっと変わった……ええ、尻尾の先が割れた、おかしな猫でした。最近は、よくちっちゃいのを連れて歩いてましてねえ。そっくりなキジ模様で……。
 不思議な事に、私が子供の頃から居たような気がするんですが。まぁ、猫がそんなに長生きするわけはありませんので、きっと見間違いでしょう。
 あぁ、長話が過ぎましたね。とにかく、盆踊りが無事に済むよう、お願いしますよ。
 それでは、私はお店に──ええ、お茶屋です。町内会の会長を務めておりますので、当日もお店は開けておりますから。いらっしゃってくだされば、『警戒パトロール中』の腕章をお配りします。それでは、失礼致しますよ。

   1、見慣れた光景

 依頼人が帰った後、草間の事務所には妙な沈黙が流れていた。
 居合わせたのは五人。皆、口を開かなかった。 
 気まずさや、重苦しさは無い。
 ただ、好奇の目が、探偵とその横にいる女に集まっていた。
 彼女の名はシュライン・エマ。
 長い髪をサイドで束ね、大きく開いた胸元の艶やかな麗容人である。
 シュラインは「ふぅん」と言って、おもむろにソファーから立ちあがると、探偵の傍を離れた。
 皆の視線と、草間の声がそれを追う。
「い、いや……だから、誤解だ。あれは俺じゃなく、あの依頼人の旦那の話だろう?!」
 何気なく手にした書類を、トントンとまとめるシュラインの横顔には、表情が無い。探偵は冷たい汗を流しながら、眼鏡を押し上げた。
 ふぅん。そうなんだ、へぇ。
「帯、解いて回ったりしてたの」
 そう。
 そんな顔のシュラインである。
「い……いや、だから話を聞いてくれ」
 草間はたじたじだ。
 壁にもたれて、これを聞いていた青年は、面白そうに呟いた。
「夫婦喧嘩は犬も食わない、か」
 二人とは旧知の仲、真名神慶悟である。髪を金になるまで抜き、着崩したスーツはだらしないと言うより洒落ている。紫煙をくゆらせながら、青年は目を細めた。
 またか、と言う呆れた表情にも見える。
 慶悟の口元では、先程から長い灰が今にも落ちそうになっていた。灰皿が、依頼人の為にテーブルへと移動してしまった為だ。
 少女はそれを手に取ると、慶悟に差し出した。
「真名神さん、使って」
「あぁ、サンキュー」
 笑顔こそ薄いが、少女はコクリと慶悟に向かって頷いた。どこか影のある娘だ。ゴスロリ調の服に身を包んだ彼女の名は、崗鞠(おか・まり)。
 今日は、連れ──李杳翠(り・ようすい)と共に、草間の事務所へ訪れていた。杳翠は、シュラインと草間を眺めつつ微笑している。
「ホンマに……真名神はん、言い得て妙どすなぁ。シュラインはんも、草間はんも、えらい楽しそうで……」
 鞠と並んで立ってはいるが、杳翠の足は地についていない。長く黒い爪に、尖った耳。彼は夢魔であった。
 杳翠の言葉に、賈花霞(じあ・ほあしあ)は、首をひねる。
 花霞は、背中まで届く長い髪と、元気いっぱいの瞳を持つ小学生だ。と、言っても彼女は人間では無い。物に宿った魂──付喪神である。実際の年齢は杳翠の九百三十才に並ぶ高齢の、六百才だが、心は純粋なようだ。
「あれ、楽しいの? 草間さん、泣いてるように見えるけど……」
「楽しいんだろ」
 と、事も無げに慶悟。
「真名神君」
「慶悟」
 シュラインと草間のキリリとした視線を浴びて、慶悟は眼を逸らした。
「ハッハッハ、まぁ、良いではないか。過ぎし記憶は、そのものの生き様の一部。今の草間殿があるのも、そうした業の積み重ねよ」
 これを眺めていた浄業院是戒(じょうごいん・ぜかい)は、双眸を崩しながら大きな体を揺らして笑った。
 いかつい顔に張り付いた笑顔には、癖が無い。が、その笑顔を激しく探偵は否定した。事実無根だと訴える。
「いやいや、是戒坊……待ってくれ。俺は本当に帯を解いて回ったりはしていないんだ。シュラインも勘弁してくれ。そんな所で拗ねる事は無いだろう?」
「拗ねてる訳じゃないけど」
「草間殿もシュライン殿には、頭が上がらんなあ。ハッハッハ」
 シュラインは素っ気なく、是戒は陽気である。
 渋面を作る草間に、皆は知らん顔を決め込んだ。
 もはや、二人のこういったやりとりは、見慣れた光景である。誰もフォローを入れようとしない。
 そんな嘆きの背中を、シュラインは微笑を浮かべてそっと叩いた。
「冗談よ。武彦さん。さ、お祭りだと言うし、相応の格好で出かけましょう。もちろん、依頼解決も大事だけれど」
 さすが、草間の手綱を持つ女。
 草間がこの一声に、ホッと胸を撫で下ろしたのは言うまでも無い。
 残暑厳しい夏である。
 が、草間の事務所も、どこか熱かった。
 
   2、到着

 一行が足を揃えてやってきたのは、今回の警備地となる商店街だ。『中央ショッピングロード』と言うアーチを、一行はくぐり抜けた。
 かなり長さのある商店街のようだが、道は緩い右カープがかかっていて、ここから全景を見渡す事は出来ない。道幅は車がすれ違える、やっとの広さ。歩道と言える歩道は無く、ガードレールが点在していた。
 こじんまりとして小さな店が、色とりどりの看板を掲げているが、お昼時が近いせいか、惣菜屋や弁当屋などに人が集まっている。なかなかの活気だった。
 どこにでもあるような、お昼前の商店街の風景には、『祭を壊してやる』などと言う、物騒な予告を受けている様子は見えない。
 陽はカンカンと、一行の頭を照らしている。
 草間は汗ばんでずれた眼鏡を押し上げ、一行を振り返った。
「調査は各自、思惑もあるだろう。依頼人の店は、商店街の中央にあるそうだ。そこで腕章をもらえる。何かあったら連絡してくれ。分からなくても、祭が始まる直前にここへ集合だ」
「その間、武彦さんは?」
「ああ、俺はキミと回るつもりだ」
 と、草間はシュラインを見下ろした。シュラインは、すっかり祭支度の浴衣を身につけている。
 地は艶やかなバーガンティ。アイボリーと薄紫、それにピンクの菊寄せ柄が縦に流れていた。帯と下駄は、菊に合わせたアイボリーで統一。そこに皮の手提げがついた、籐編み製のバッグを持っていた。
 いつも下ろしている髪をねじってまとめ、綺麗なうなじをさらした艶姿。草間がデレデレとだらしないのも、無理はなかった。
「悪い虫がついたら困る」
 と、探偵が小さく呟くのを、シュラインは聞き逃さなかった。

   3、調査

 一坪あるのだろうか。
 猫の額ほどの土地に、その不動産屋は建っていた。
 カウンターは人が一人座れば、一杯になってしまう。歩ける所などどこにもない。壁にはギッシリと書類の収まった棚があり、ファイルの背に記された日付は、二人が生まれる前の物がざらにあった。
 店の奥にあるガラス戸から、初老の女主人は現れた。
「はいはい。お部屋をお探しですか」
「いえ。興信所から来ました。この間、事故で死んだ猫の事をお聞きしたくて」
 シュラインの言葉に、女主人は眉を潜めた。何か思い出したくない事でもあるようだ。
「あれは酷いお話よねえ。処分したのはウチじゃなくて、お茶屋さんですよ」
「ええ、そう聞きました。それで、どなたかあの猫を飼われていた方とか、可愛がっていた方が、いらっしゃらないかと思って」
「誰も、飼ってはいませんよ。ノラでしたから。焼き鳥が大好きでね? 焼き鳥屋さんの倉庫の脇に住んでたの。可愛がっていた人は、たくさんいたんじゃないかしら。猫を好きな人は、遊びに来るとエサをやったりするでしょう?」
 自分もそうだった、と言うような、寂しげな顔が店先を見つめている。
 女主人は机から紙を一枚取りだし、それを二人の前に広げた。
 例の脅迫状だ。
「もう、見ましたか?」
 大きくて下手な文字に、シュラインは目を細め頷いた。インクは墨汁を使ったようだ。線の太さは、小筆だろうか。細い。
「本当は……『あの猫』がやったんじゃないかって、思ってるんですよ。あんな事をしたから、きっと、あたし達を恨んでるんです」
 それは以外な言葉だった。女主人は困ったような、バツの悪そうな目でシュラインを見ている。
「何か思い当たる節でも?」
「お茶屋さんは、保健所に電話をしたと言ってますけどねえ……。来たのは清掃局ですよ。恨まれてもねえ」
 仕方ない、と女主人は首を振った。
 それから、いくつか話を聞いたが、この件にここまで深い恨みを抱く人物も、便乗して騒ぎを起こしそうな者も、思い出せないと言う。女主人は、猫の仕業と信じてやまないようだ。
 シュラインは、店を出て直ぐに保健所へ確認を取った。
「どうだった?」
 携帯を折り畳むシュラインに、草間が問う。
「今、保健所では死んだ動物の引き取りは、やっていないそうよ」
「あのお茶屋……体裁を繕ったな。確かに、恨まれてもしょうがない、か。焼き鳥屋へ行く前に、少し、締め上げてやろう」
 お茶屋へ向かおうとする草間の袖を掴んで、シュラインは乾物屋を指さした。
「保健所も清掃局も、猫にとっては変わらないわ。それより──鰹節、売ってないかしら。何とか、落ち着いて貰いましょ」
 人より猫を宥めなければ、事件は解決しない。
 シュラインの献上品作戦に、キリリとしていたはずの草間の顔が、思わず解けた。
 
   4、猫又

 一行は、焼き鳥屋の裏手にある、倉庫の前に集まった。ベージュ色で広さは一畳ほど。スライド扉が半分開いている。中には竹串やタレを入れるポリ容器の入ったダンボールが、無造作に積み重ねられていた。
 コンクリートの打たれた敷地には、他に自転車が二台とバンが一台停まっている。
 猫は噂で聞いたように、倉庫の脇の細い隙間で眠っていた。
『起きてもらえるかしら』
 シュラインが猫の声を模する。猫はジロリとシュラインを睨んだ。
『ミョウナニンゲンガキタナ……ナンノヨウダ』
 子猫はノソリと這い出てくると、しゃがみこんで顔を洗った。
「あの手紙はあなたの仕業なのね?」
『スミヲヌスミ、シッポデカク。ゾウサモナイ』
「祭を壊すと言ったそうだが」
 バンの屋根に肘を乗せ、慶悟は煙草を口にくわえた。子猫は顔を洗うのをやめ、今度は足を舐め始める。
 どこまでもマイペースだ。
『イッタ。ワレト、ワレラノドウホウハ、ニンゲンニ「ナガイキ」ヲコロサレタノダ』
「『ナガイキ』? それが猫さんのお父さんの名前なの? あのね? ナガイキさんを轢いたのは、この町内の人じゃないんだよ? だから、お祭りを壊しても意味が無いの」
 花霞が塀に近寄ると、子猫は尻尾をブラブラと揺らした。不満があるようだ。
『ネコサン、デハナイ。ドウホウハ、ワレヲ「ナガイキノコ」トヨブ。ニンゲンハ「トラ」ダ。ソレニ、ダレガヒイタカナド、ソンナコトハ、モンダイジャナイ。モンダイナノハ──』
「轢いた後の扱い?」
 鞠の静かな瞳に、ナガイキの子は頷く。
『「ナガイキ」ハ、イツモワレニイッテイタ。シシテ、ツチニカエルヒガ、カナラズクル、ト。ダガ、「ナガイキ」ハ、「ヒ」ニヤカレタ。ツチニカエレナカッタ。「ナガイキ」ハ、シンダアノバショカラ、ハナレルコトガデキナクナッタ。「ナガイキ」ノ、カナシイキモチハ、ワレト、ドウホウニツタワッタ。ワレハ「ナガイキ」ノカナシミヲ、ニンゲンニオシエテヤルノダ』
 ペロリと舌なめずりをして、子猫はノビをした。綺麗なキジ模様が波打つ。鞠はそれを見つめていた。
「でも、その哀しみは、報復を望むものだったのでしょうか? 哀しみは怒りや恨む心とは、別のような気がしますが……」
『オナジダ。カナシイカラ、オコッテイルノダ。カナシイカラ、ウランデヤルノダ』
「それなら、もう、憂う事はない。お主の父は、儂ら二人で送り出した」
 トラは大きな是戒を見上げた。
「信じられないか?」
 そして、傍らの慶悟を見る。
『ミクビルナ。ウソヲミヌケヌ、ワレジャナイ』
 少し考えた後、トラは一同を見上げて言った。
『「ナガイキ」ガイッタノナラ、ワレハソレデイイ。「ナガイキ」ノカナシミガ、ナクナッタノナラ、ワレト、ワレノドウホウモ、カナシクハナイ』
 ホッとした顔で、杳翠が胸を撫で下ろす。
「それじゃあ、祭を襲うのは、止めてくれはるんどすな?」
『ソウシヨウ』
「それなら、別の場所を襲いに行こうよ」
 花霞の一声に、杳翠が微笑する。 
「それがよろしおすなぁ。少し痛い目見てもらいませんと、いけません。トラはん、ついてきておくれやす」
 合点のいかぬトラを連れて二人が離れて行くのを、一行もまた、不思議そうな顔で見送った。

   5、夏祭り

「任せちゃったけど、二人だけで大丈夫かしら」
 シュラインは手を叩きながら立ちあがると、祭提灯に照らされた草間の顔を見上げた。足下のガードレールには、串を抜いた焼き鳥が備えてある。
 人いきれを避けておいたそれを、通りの影から猫達が狙っていた。『ナガイキ』の供養のつもりだったのだが、離れた途端に、無くなってしまいそうだ。
 大音量の東京音頭。
 商店街の中央を流れて行く、お囃子車と踊りの列。
 閉じた店の前、僅かな空間も逃さずに屋台はひしめき、その前に子供達が群がる。
 人は、これ以上無いほどに集い賑わい、歩くには根気がいった。
 その波から庇うように、草間の手がシュラインの肩を抱く。
「大丈夫さ。もともと、悪い猫達じゃない。納得が行けば、悪さもしないだろう。お、いたな」
「もう、飲んでるのね」
 酒屋の前で是戒が笑っている。是戒は、二人に気付くと、手を挙げ喧噪に負けぬ声を飛ばした。
「おお! 草間殿! シュライン殿! こっちへ来んか? 振る舞い酒だそうだ。これがなかなかに旨い!」
 と、紙コップを手に上機嫌である。
 タダ、と聞いては、呼ばれない訳にはいかないのが、草間だ。そして、もう一人。
「俺も行こう」
 シュラインと草間が振り返ると、万年金穴陰陽師が、鞠と共に佇んでいた。鞠は、良い香りのする袋を二つ提げている。ペットと恋人へのお土産だ。
「冷めちゃうかしら……」
「温め直せば大丈夫でしょう」
 二人が覗き込んだ、袋の中では『ステーキ串』と『お好み焼き』が、良い香りを放っている。ニコリと微笑む女同士に待ちきれず、男達は紙コップ目当てに歩きだした。

   6、お祭りの後

 とある東京の片隅。
 古くも新しくも無いコーポの二階に、二人と一匹が辿り着いたのは、夜も更けてからだった。ひき逃げ犯の家である。
 狭く散らかったワンルームの床に転がって、青年がいびきをかいていた。テレビや照明は付けっぱなしだ。テーブルには、コンビニの袋と弁当の空容器、ビールとポテトチップスが食べかけのまま、放置されている。
『ダラシノナイ、ニンゲンダナ』
 トラは顔をしかめた。
 猫に言われてしまっている事に、杳翠と花霞は苦笑する。
「さ、ウチから行かせて頂きますえ」
 杳翠はそう言って、青年の頭辺りで吸い込まれるように消えた。
 やがて、青年は大きく体を跳ね上げ、顔をしかめて唸り出す。
「シッ! シッ! あっちへ行け! シッ! 来るな! この化けネコ!」
 寝惚けながらも、青年は必死になってもがいた。手を天井に突きだし、足をばたつかせ、最後には「ワーッ!」と言って飛び起きる。
 トラは目を爛々と輝かせて、それを眺めた。
「まだ、終わらないよ?」
 花霞は青年の足の上に正座すると、深く頭を垂れた。青年はギョッとして、花霞を見つめる。花霞の顔は『猫』だ。黄色く光る縦目が、じっと青年の顔を凝視した。
 青年は口をパクパクと開け、花霞を腿に乗せたまま、後ずさりを始める。
『ワレヲ、ワスレタカ?』
 トラが面白がって、横槍を入れた。
 青年はどこからともなく聞こえる声に、ハッとして目を剥いた。生ぬるい風が、青年の顔を撫でる。
「わ、わ、わ……ワアアアア!」
 太い絶叫と共に、花霞は青年の足の上から放り出された。青年は血相変えて、ドアノブと格闘した後、何処へ行くのか部屋の外へと走っていった。
「騒々しいお方どすなぁ」
 微笑を浮かべながら、杳翠は花霞に手を差し伸べた。花霞はそれに引かれて立ちあがると、悪戯っぽく肩をすくめる。
 その顔は、いつもの花霞の顔に戻っていた。
 二人はテレビの上に、ちょこんと座るトラへと目をやった。
『「ナガイキ」ハ、イツモ、ナゲイテイタ』
 トラも二人を見る。
『ニンゲンノセカイハ、スゴシニククナッタ、ト。ツチノニオイハキエ、ニンゲンハ、ナニモカモヲ、テツトイシニ、カエテシマウ』
「……かもしれませんなぁ。でも、憎まないでおくれやす。人間は悪い人も少のうありませんけど、ええ人も仰山いはります。一部の人の面だけで、人間全部は理解できません。判っておくれやす」
 杳翠の穏やかな諭しに、トラは尻尾をパタつかせた。
『ワレハ、ウマレテマモナイ。「ナガイキ」ノ、イウコトガスベテダッタ。ダガ、「ナガイキ」モワレモ、ニンゲンヲニクンデハイナイ。アノバショニモ、イイニンゲンハイル。ワレニ、「ナ」ヲツケテクレルモノヤ、エサヲクレルモノガナ。ソレニ、キョウデアッタニンゲンタチハ、オモシロカッタ』
 トラは、ニアと声を立てずに鳴き、窓を引っ掻いた。五センチ足らずの隙間から、ヒラリと闇へ身を躍らせる。
 杳翠と花霞が、追って窓から出ると、通りを走って行く子猫の姿が見えた。
 小さな背中が振り返る。
『「ナガイキ」ハ、マツリヲ、タノシミニシテイタ。ワレラニ、ウマイモノヲクレル、ニンゲンガイルラシイ。ワレモ、タノシミダ』
「それじゃあ、壊さなくて良かったね」
 花霞の微笑に、トラは耳を寝かせた。プイと横を向き、尻尾を揺らす。
『オモシロイニンゲンニ、デアエタオカゲダ』
 どこか拗ねた言葉を残し、トラは垣根の下に潜って消えた。
 猛烈な犬の吼え声と共に再び現れた子猫は、全身の毛を逆立て、夜の通りを転がるように駆け抜けて行く。
 杳翠と花霞は吹き出した。
 夜空に浮かんだ雲一つ。
 それは、情けない、と。
 ナガイキの漏らした、溜息のような形をしていた。
 

                        終


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 (年齢) > 性別 / 職業】

【0086 / シュライン・エマ(26)】
     女 / 翻訳家&幽霊作家+時々草間興信所でバイト


【0389 / 真名神・慶悟 / まながみ・けいご(20)】
     男 / 陰陽師         

【0446 / 崗・鞠 / おか・まり(16)】
     女 / 無職
     
【0707 / 李・杳翠 / り・ようすい(930)】
     男 / 夢魔 
            
【0838 / 浄業院・是戒 / じょうごういん・ぜかい(55)】
     男 / 真言宗・大阿闍梨位の密教僧 

【1651 / 賈・花霞 / じあ・ほあしあ(600)】
     女 / 小学生
     
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■          あとがき           ■
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 こんにちは。紺野です。
 大変、大変遅くなりましたが、『猫と夏祭』をお届け致します。
 今回は、犬では無く猫でしたが、いかがでしたでしょうか。
 
 私の飼っていた猫は、高いタンスの上から飛び降りるのに、
 カッカと燃えるストーブを中間点に選んで、
 二メートルもの垂直飛びを披露してくれた、お利口さんです……(滝汗)。
 そして、着地後、しばらく足を舐めていました。
 さぞかし、熱かったんでしょうね。
 その後、何事も無かったかのように、のっしのっしと偉そうでした。
 猫ってヤツは……(汗)。

 苦情や、もうちょっとこうして欲しいなどのご意見は、
 次回の参考にさせて頂きますので、
 どんな細かい事でもお寄せ頂ければと思います。

 今後の皆様のご活躍を心からお祈りしつつ、
 またお逢いできますよう……。
 皆様、夏バテにはご注意ください……(眩暈)。
 
                   紺野ふずき 拝