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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


感謝と謝礼と貯金箱

 蝉の声が煩い。夏の風物詩とは言え暑さが増すような気がするとシュラインは思った。特にエアコンを節電対策で切ってみたせいで部屋の中はかなり暑い。額に僅かに汗が滲んでいた。
 ハンカチでそっと汗を抑えるとシュラインは時計を見た。
(武彦さん、そろそろかしらね)
 エアコンのスイッチを入れるとアイスコーヒーを一杯入れて窓の外を覗く。良い陽気だ、この炎天下の下帰ってくる怪奇探偵はさぞかしうんざりしている事だろう。
(暑いだけならまだしも、行き先が警察だものね)
 くすくすとシュラインは笑みを浮かべた。武彦の机の上には最近捕まった通り魔事件についてのスクラップが報告書と共に挟まれているファイルが無造作に置かれていた。タイトルは『霊感少女の事件簿』。どうしてもそれ以外の名称は認めないと言い張る少女にシュラインはいまだに会っていない。締め切りや留守番などどうにもタイミングを逃しつづけていた。
 自称霊感少女が夢で通り魔事件の犯人を見たと主張し乱入してきたのは十日ほど前に遡る。妙にテンションの高いその少女を持て余した武彦はその場にいた数人に彼女の世話を押し付けてしまった。武彦はその件に関しては肩を竦めて言ったものだ。
「だって、日本刀が『にょきっとはえる』んだぞ?」
 どうにもそのテンションについていけなかったらしい。
 ちなみに事件に付き合った友人に訪ねるとあっさりと言い放った。
「見ていて飽きませんね」
 ――飽きないってどういう意味かしらね。
 とにかく霊感少女の夢の通り事件は起こり、興信所の面々の手によって取り押さえられた。その後警察に引き渡されたのだが、どうにも言っている事が要領を得ないと言う連絡が入ってきた。
 犯行を認めている。だが、『持ってもいない』日本刀に誑かされたと主張するらしい。――まあ確かに手からはえるのなら傍目に見た場合、所持は疑わしい。成り行きで、もう一度かり出される事になった訳だが、おかげで警察の方から感謝状が出る事になった。実際は感謝状よりも金一封の方がありがたい。高校生に更に金額を要求するのは心苦しいものがある。
 しかし、わざわざ警察に出向いて感謝状やらを受け取りたい人間はあまりおらず、結果代表として興信所の主と霊感少女が出向く事で落ち着いた。彼女は霊感少女デビューだと喜んでいたらしい。
(霊感少女デビューって何かしらね……)
 今一つ理解出来ない。最近の若い子がわからないのか、件の少女が一人で不思議なのかは不明だ。まあ、後者である事は想像に難くない。
 部屋がそろそろ冷えてきたなと思っていると聞き慣れた足音を耳が捉えた。
(タイミングの良い事)
 小さく笑うとシュラインは麦茶とコップを用意し始めた。程なく衝立の向こうの扉が開いた。
「お帰りなさい、武彦さん」
「ただいま……」
 あー涼しいと続けた武彦の声は覇気がない。余程疲れたのかしら、そんな事を思いながらトレイ片手にシュラインは雇い主の机に向かおうとして足を止めた。応接セットにだらしなく座っている武彦の前には賞状と封筒とそして何故か貯金箱。
(目指せ10万円……なんだか懐かしいわね)
 麦茶のグラスを差し出すと武彦は勢いよく飲み干した。差し出したグラスにポットからおかわりを注ぐ。そのまま彼の正面に座ったシュラインに武彦はぽつりと呟く。
「これ、かなり重かったぞ」
 なんとなく視線に促される気分でシュラインも貯金箱を手に取る。重い。どうやらぎっしりとつまっているようだ。
「どうしたの?」
「どうしたもなにも……多分シュラインの予想通りだ」
「………………報酬?」
 頷きだけが返る。確かに十万円以上入っていそうだが、何故貯金箱そのままなのか。当然の疑問が脳裏をよぎる。シュラインの疑問の視線に武彦は肩を竦めた。どうやら彼にも良く判らないらしい。
「両替にもいかないとな。缶切どこにあったかな?」
 ちょっと待ってと言い置くとシュラインは缶切りを片手に戻ってきた。しばらく二人の間に貯金箱を開ける音だけが響いていた。


 山のような硬貨を前に自然沈黙が訪れる。聞こえるのは蝉の声と硬貨の合わさる軽い音だけだ。
 シュラインは掌の上に五百円玉を乗せて黙々と十枚づつの山を作っていった。武彦の担当は百円玉だ。事務仕事になれている分シュラインの方が数段手際が良い。しばらくの間真面目に数えていた武彦が沈黙に耐え切れなくなったのかちらりとシュラインを伺った。
「悪い子じゃないんだけどなあ」
 武彦のなんとなく情けない口調はこの単調な作業に付き合わせるのがどうやら申し訳ないと思っているらしい。そう気が付いてシュラインは顔をほころばせた。数える事は確かに大変だが、別に不愉快ではない。おそらくこの貯金箱は長い時間をかけて件の少女が、一生懸命貯めたのだろう。その貯金をはたいて現実に現れるか判らない――まあ当人は現れると確信していたようだが――犯人と見ず知らずの被害者の為に依頼をしに来たのだから、少しくらいは多めに見る気持ちがシュラインにはあった。おそらく武彦にもあるのだろう。だから貯金箱を素直に受け取ったのだろうと言う事は容易に想像がつく。
「良い子なんじゃない? ……ま、ちょっとずれてるケド」
「ああ。『後日もう一度お礼に伺いますから!』って言ってたし」
 肯定が良い子にかかっているのかずれているにかかっているのか今一つ判らない返事を武彦は返した。手元の百円玉に気がいっているらしい。掌から一枚一枚とっていく生真面目な表情がなんだかおかしい。シュラインの方はといえば、掌の中で一列にそろえて3枚と2枚を交互に二回数えて、それを机の上に置いて行く。断然シュラインの方が手際が良い。ここで常日頃鍛えられているせいだろうか。
 しかしどうでもいいが、夜店辺りで店じまいの後に売上を数えているような気分になってくるのは気のせいだろうか。
(そういえば近くの地蔵祭りそろそろだったわね)
 そんな事を脈絡無く思った。
「そういえばな」
 百円玉の山が消えかかってホッとしたのか武彦が唐突に切り出した。
「来年は採れ立ての梅を持って来るそうだ」
「依頼と一緒に?」
「……依頼の報酬が梅か?」
 十万円の梅の山を連想してシュラインは思わず吹き出した。同じ事を考えたのか武彦も笑う。
「それも面白いかもしれないわね」
「まあ、その報酬でどれだけ集まってくれるか謎だけどな」
「あら、梅って物によっては高いのよ?」
「そうなのか?」
「サクランボと同じように作物泥棒が出るぐらいには」
 何トンもの被害が出たという事件を引き合いに出すと武彦は納得して頷いた。梅酒と梅干漬けてくれよと言う辺り結構期待しているのかもしれない。
「そういえば、少し気になっていたのだけど」
「ん?」
「何でまた霊感少女なの?」
 固有名詞が。いやこの場合どちらかというと呼称なのだろうか。
「俺に聞くな。――百円玉終ったぞ」
「夢で見るんなら予知夢じゃないかなって思っていたのよね。――あ、こっちにちょうだい。巻いてしまうから」
「大方霊感少女って響きが気に入ったんだろう」
 霊感と言う点でなら、殊草間興信所で霊感を持っている人間など珍しくも何ともない。それ故怪奇探偵と呼ばれてしまうのだが、武彦はその二つ名に関してだけはいまだに抵抗している。シュラインからすれば今更無駄でしょうという事になる。
 だからこそ霊感少女というのが奇妙にコミカルに聞こえてしまう。霊感くらいならわざわざ喧伝するほどの事でもない、そう思ってしまう辺りシュラインも現在の環境に慣れてしまっているのだろう。通常、霊感があるのはあまり普通ではないのだから。
「それにな」
 冗談めかして武彦が片目をつぶった。シュラインは首を傾げる。
「え?」
「超能力少女より幾分マシだろう」
「……それはそうかもしれないわね」
 シュラインは妙に納得した。
 超能力少女だとなんだかバラエティ番組のミステリー特集で出演しそうだ。――ちなみに霊感少女だと怪奇番組である。
「そう言えば日本刀男の方なんだがな」
 霊感少女に日本刀男。なんだか何の話をしているのだか良く判らないとシュラインは思う。これを聞いて通り魔事件を結びつけるような輩はそうはおるまい。
「精神鑑定が黒で病院行きだそうだ――表向きはな」
「裏向きは?」
「その手の専門家がいる場所らしいな」
「まあ、でないと閉じ込めておくのも大変でしょうね」
「ああ。日本刀とは分離したけどな」
 疲れたような口調で武彦が肩を竦めた。硬貨を数えるのとその時の事を思い出してのどちらで疲れたのかは不明だったけれど。シュラインは追求せずに笑って労った。
「ご苦労様でした。灰皿いる?」
「煙草が切れた」
「大丈夫。ちゃんと買い置きしてあるから」
 綺麗なウィンクに見惚れるように目を細めて武彦は有り難いと呟いた。


「じゃあ、今度くる時に渡すから……いや、あれは十万円分だったんだろう?」
 武彦の声を聞きながらシュラインは硬貨を一定枚数毎にまとめ紙で包んでいく。当面つり銭に困る事だけはなさそうだ。
(流石に百円玉だけで事務用品を買ったら顰蹙かしらね……)
 シュラインはそっと肩を竦める。走り書きのメモに目を留めると苦笑が深くなる。
 合計十一万五千六百円。
 結局武彦は一万五千六百円を返金する事にした――勿論小銭で。
 電話を終えると武彦がシュラインの器用な手付きを眺めながらぽつりと呟いた。
「そろそろ五時だな。早目に切り上げて久しぶりに飲みにいかないか?」
「え? いいの?」
 例えば仕事とか、妹の事とか。そんな言外の意に武彦は肩を竦めた。
「たまにはな。……まあそのなんだ。数えるの手伝ってもらった礼だ」
 武彦の目はいつの間にか窓に向けられていた。茜色に染まった空をシュラインも見て目を細めた。
「そうね、たまにはね」
 ――いつの間にか蝉は鳴き止んでいた。

fin.