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<東京怪談ノベル(シングル)>


 贄が為の剣


 寒い。
 おまけに息苦しい。
 ついにその愚痴を口に出すことをやめてしまった。
 海原みたまは戦場をチベットに移していた。金さえ積まれたら、みたまは何処にでも戦いに赴く。南極だろうが南アだろうが、……高山だろうが。
 ふたつ返事で迷信深そうなチベットの山村にまで来てしまったわけだが、それをみたまは少しだけ後悔していた。いや、傭兵たるもの、金を受け取ったからには拒まない。彼女の心はプライドと私情で揺れていた。

 そしてみたまは今現在、不機嫌だ。
 寒さと酸素の薄さがそうさせているわけではない。
 自分が出し抜かれていたことを今知り、騙された自分と騙した村人たちに対して、煮えたぎる怒りを感じていた。
 この怒りを、何にぶつけてやろうか。
 ――ああ、ちょうどいいのが、いるんだった。
 みたまは微笑み、紅い唇をちろりと舐めた。焔の瞳は、洞窟の奥へ広がる闇を睨む。


 みたまに大金と話を持ちかけてきたのは、ひどい訛りの英語を話す初老の男だった。
 チベットの、名も忘れられた村から来たという。
 依頼の内容は至極単純なものだったが、聞き取るのは一苦労だった。
「……つまり、洞穴の中にいる化物を倒せばいいってこったね?」
「ほうだす」
「そのわりには額が少ないねえ。これじゃ戦車1台買えやしないよ」
「あいやあ、武器は、こちらでご用意致しますでする」
「……あ、そう? なら、納得だ」
「何卒、よろしくお願いいたしまする」
 男は手をこすり合わせて、にやりと笑った。
 みたまはその笑みにどこか黒いものを感じ取り、愛する夫にひとつ頼んで、問題の村を探ってもらうことにした。
 この後に起きることを考えると、ここで断っておくべきだったのだが――
 みたまに未来を知る術はない。

 物心ついたときから世界中を駆け巡っているみたまではあったが、チベットにはあまり来たことがなかった。言うなれば、高山にはあまり来たことがなかった。みたまは傭兵だ。戦いのある処に縁がある。酸素が薄い高山などで戦う物好きはあまりいない。
チベットの風習に軽い興味を抱きながらも、彼女は空港からウニモグで5時間、徒歩で2時間という距離にある山村に辿りついた。さすがのみたまも疲れを覚えた。酸素の薄さをここで初めて呪ったが、戦いで鍛え上げられた身体であるから、大した問題は起きなかった。
 ……それに、村の様相を見れば、へこたれている余裕はなさそうだった。
 今のみたま以上に疲れきった人々がいた。空は今にも落ちそうなほどに重い鉛色だ。風もとまり、水はなく、地面がひび割れている。そのわりには、いやに湿った空気が村を包んでいるのだった。
「化物が出てきてから、時が止まったかのようなのだすわ。雨も振らなければ太陽も出ませぬ。雲がまったく動かぬのだす」
「バケモノに心当たりは?」
「……さあ……わしは長くこの村におりまするが、初めてのことでございますです」
 自分に注がれる視線が気になる。
 みたまの燃える炎のような美しさに見とれているわけではないようだった。
 汚らわしい獣のものでもない、『期待』。そして『歓喜』。
 気にはなったが、みたまは何も言わなかった。

 洞窟へは、さらに歩いて1時間ほどかかるという。
 みたまもさすがにこの日は仕事をする気にならず、村長の別宅に泊まることにした。村人たちは一刻も早く洞窟へ向かってほしいような面持ちだったが、無視した。疲れた身体で戦いに行くほどみたまは素人ではない。素人でもそんな真似はしないだろう。
 ――ここの村人は素人以下かい? それとも、他に……
 粗末な寝床に横になっていたみたまは、瞬時に起き上がって身構えた。刹那で、太腿に括りつけてあったナイフを抜いていた。
「奥様」
 石窓の向こうからの囁きに、みたまは僅かに表情を和らげる。
「何だい?」
「旦那様からの託であります。『化物ではなく、神である。神には供物がつきものだ』とのこと」
「……」
「もうひとつ。旦那様より、お預かり物がございます」
「待って。それは、洞窟の入口近くに置いてきて。ふつう供物に武器なんか持たせないからね」
「御意」
「あ、ちょっと」
「は」
「……気をつけるんだよ」
「……奥様、あなた様も」
 石窓の向こうの気配は、さっと消えた。
「……」
 みたまは再び横になったが、眠るつもりはなかった。
 神には、供物がつきものだ――
 みたまは紅い唇を舐めて、虚空を睨みつける。


 そしてみたまは今現在、不機嫌だ。

 村が彼女に与えたものと言えば、身につけても裸に近いほど露出度の高い『聖なる衣』、振れば折れそうな赤鰯……もとい『聖なる剣』、カンテラの三つだけだ。
 衣のデザインは気に入らなくもなかったが、戦闘に向いているとは言い難い。ファンタジーRPGならともかく、この布切れに一体どれほどのご利益があるというのだ。それは剣に関しても言えること。
「ったく、ふざけるんじゃないよ!」
 みたまの悪態は、湿った洞窟の中でわんわんと反響した。
 入口は村人が張っている。おそらく、みたまはもう戻らないものと見なしているだろう。2時間ほど立ち尽くしてから、確認に来るはずだ。
 しばらく進むと荷物が落ちていた。村人が用意したものでないことは一目瞭然だ。包んでいる布は真新しく、見慣れたシンボルがプリントされている。夫からの贈り物だ。
「ふふ、さすがは私の、ダンナ様」
 中身を広げてみたまは笑った。

 ふぅるるるるる、

 その声は風のようであった。だが、風では有り得ない。この村の風は止まっているのだ。そして、洞窟の奥から風が吹いてくるはずはない――
「お出ましかい? 私はね、機嫌が悪いんだ。さっさと出ておいで! 可愛がったげるよ!」
 その挑発に乗せられたのだろうか、
 奥から『化物』が飛び出してきた。
 ――ダンナ様のうそつき!
 こんなバケモノが、カミサマであるはずがない。

 夫からの贈り物、ねじくれた禍禍しい刃の曲刀。
 そして、腐臭じみた匂いをまとう湿った布。
 それが今のみたまの装備だ。先ほどの『聖なる』ものと、大して違いはないように見えた。だが――
 ねじれた刃は黒い光を帯び、
 布は血のように赤いオーラを発してみたまを包む。
 彼女の金色の髪は、さながら獅子のたてがみのようである。
 赤と黒の光を纏う彼女は、さながら獅子の頭を持つ騎士のよう。
 神の牙も爪も、騎士の皮膚に一筋の傷も負わせることはかなわぬ。
 神如きは、ただ一刀のもとに、滅ぼされるが定め也!


 みたまは聖なる衣を纏い、剣を抱えて、洞窟を出た。
 そのとき見せた村人と依頼人の顔を、みたまはこれからも忘れることは出来ないだろう。……笑いをこらえるのに一苦労だった。
「片付けといたけど、他に問題でもあったかい?」
「い、いえ……いいえ、そんな……」
「あんた、運が良かったねえ。こんな腕のいい『生娘』つかまえられたんだから!」
 みたまはそこでたまらず噴き出し、洞窟を後にした。
 洞窟どころか、この村を後にし――チベットの高山を後にした。



 その後みたまは、風の噂で、チベットの名も忘れられた村が疫病で全滅したことを耳にした。
 それを聞いたとき、みたまはその噂になぜ自分が反応してしまったのか、すぐには理解できなかった。
 つまり彼女は、怒りも村も神のこともすっかり忘れていたのである。
 ようやく思い出してから、神が自分に呪いの矛先を向けなかったことを素直に喜んだ。或いは、「度胸のないカミサマだねえ」と、いつものように笑い飛ばしたのである。


(了)