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残暑
*オープニング*
ふと気が付くと見渡すかぎりの花畑に立っていた。空はどこまでも蒼く、そして澄み渡っている。夏も終わろうとしている筈なのに、頬を撫でる風はあくまでも爽やかで。
ずっと向こうの方には大きな川が流れているらしい。水の音と湿った空気が流れてくる。そこから感じる冷たさや清らかさ等から、その川がどれだけ澄んだ清流なのかがおのずと知れた。
ああ、ここはなんてイイ所なんだろう。こんな所ならこのままずっと居ても……。
って、ちょっと待て。これはどう見ても……死後の世界なんじゃないのか!?
ある日、ゴーストネットに投稿者名が空欄の、とある書き込みがアップされた。
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title:死者や逢いたい人に逢える!
name:
date:2003/08/2X 02:52:48
××公園の端っこに、余り人が寄りつかない場所があります。夏の暑い日の午後二時頃、そこの土の地面に水を撒いて、逢いたい人の事を強く念じます。すると、撒いた水が蒸発して蜃気楼のように揺らめき、そこにその逢いたい人の姿が映し出されるらしいですよ♪しかもその残像は、映っている間は貴方の思いのまま!
今、生きている人でも死んでしまった人でも大丈夫v
逢いたいと思うお相手サンが居る人は、ゼヒ試してみてね☆
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…で、これを試したヤツがどうやらいたらしい。それだけなら別に構わないのだが、問題は生きている人間に逢いたいと願った場合、成功して蜃気楼の中にその姿を見せた相手がどうなったかと言うと……皆、悉く行方不明になっているのだ。
そんな記事を、この延々と広がる花畑を見ていたら、何となしに思い出した。
どうでもいいが、戻れるのか、ここから?……どうやって?
*お礼*
昼下がりの、まだまだ暑い公園の片隅に、一人の少女が立っている。片手に持っているのはクッキーの入った透明なビニール袋。そして逆の手には水の入った、ゾウの形をしたジョウロ。
ヴィエは、偶然に目にしたゴーストネットの書き込みを読んで、それを実践しようとこうして暑い最中に公園へとやって来たのだ。公園は、余りの気温の高さにか、人気は殆どない。額に浮いた汗を手の甲で拭って、ヴィエはジョウロの水を目の前の地面へと撒き始めた。
「………お礼」
お礼を言うの。まーやが、言ったから。『モノを貰ったらお礼とお返しすんのはトーゼンよ』って言ったから。
もう一度逢いたいの。あの、黒い服を着た女の人。優しい目をした、優しい声の女の人。周りの人は、その人をシスターって呼んでたっけ。
『……シスター』
小声でそう呼んでみる。一度も自分からは呼んだ事ないから、一度だけでも呼びたいの。
*彷徨う人達*
世の中には、幻でもいいから誰かに逢いたいと強く思う人は意外にも多かったらしい。あてもなく花畑の中を歩くうちに、幾人かの同じ境遇の仲間と出会い、取り敢えず皆は遠くに見える川を目指す事にしていた。
「しかし、本当にここは死後の世界なんでしょうかね…」
化楽が、少しだけ息の切れた声でそう呟く。肉体派ではない化楽にとって、川を目指すこの歩みは既に散歩の域を越えてしまっているようだ。一応先頭を歩いてはいるが、そのうち自然と後退していきそうな勢いだ。そんな化楽の背中に向かって、セレスティが声を掛ける。
「私はさすがにまだ死んだ事がありませんから、ここが死後の世界なのかどうかは分からないですね…今までに見た事のない場所ではありますから、少なくとも日本のどこか、と言う訳ではなさそうですね」
「ああ、私も職業柄、色々な場所を巡ったが、日本に限らず世界でもこのような場所には経験としても知識としても見覚えがない。根本的に次元が違うとか、そんな所なんじゃないかと思うんだが」
弱い視力を補うよう、匂いや流れる空気で状況を知ろうとするセレスティの車椅子を、アンリが押しながらゆっくりと歩いている。その後ろを付いて行くような形で、ヴィエと手を繋いでいる涼が、前方の三人に声を掛けた。
「…だけど俺は、さっき皆に逢う前に、事故死した学校の先輩に逢ったぜ。最初は唯の幻かと思ったけど、ちゃんと言葉も交わせたし、以前の先輩のままだった」
「涼ちゃんは、その先輩に逢いたいと思って、例の手順を使ってその人を呼び出したのかな?」
化楽が首を捻って振り返り、そう尋ねる。ちゃんづけされた涼は、一瞬複雑な表情を浮べるも、首を左右に振ってその問いに対しては否定を示す。
「いや、俺は気付いたらここにいた…で、多分あの書き込みをした誰かがここにいるんじゃないか、そいつを見つければ元の世界に戻れるんじゃないかと思って捜してる最中に、先輩に逢ったんだ。…先輩に、ここに一緒に留まらないかと誘われたけど…断ったよ」
そう言うと少しだけ涼は視線を伏せて寂しそうな表情をする。それを見たヴィエが、繋いでいた手を下からツンツンと引っ張った。
「……ヴィエは逢えなかった。黒い服の女の人に逢いたかったけど、逢えなかった。……お礼、言いたかったのに」
「…私も逢えなかったな……」
ワンピースのポケットからクッキーを取り出してじっと見詰めるヴィエと同じように、アンリはスーツのポケットから誰かの写真を出しては同じようにじっと見詰めている。ふとアンリへと視線を戻したヴィエが、無表情のままで、そのクッキーを涼とアンリへと差し出した。それを二人の男は笑みと共に礼を言って受け取り、一口齧ると優しいバニラエッセンスの香りがした。
「…それはあれですかね、平たく言うと、成仏している人としていない人…とかそう言う違いでしょうか」
化楽の言葉に、涼が俯いた顔を上げて軽く眉を顰めた。
「そうは認めたくはないが、それが正解かもしれない。先輩はあくまで不慮の事故で亡くなってるのだから…この世に未練があってもおかしくはないからな」
「それを言うなら、私の妻も交通事故だったし…それに私は、彼女の死に目に立ちあう事が出来なかった。ヴィエの逢いたいその女性は、どうして亡くなられたか分かるかい?」
アンリが後ろを振り返って小さな少女を見る。ヴィエは機嫌の悪そうな無表情で、背の高い男の顔を見上げた。ふるふる、と小さな頭を左右に振る。
「…しらない。いつもみたいにヴィエがクッキーとミルクをもらいに行ったら、もうその建物がなかったから。似たようなカタチの、でも真っ黒でくずれ掛けた建物はあったけど」
「その建物が火事にでもなったのか。それでその人は亡くなったのかもしれないな」
化楽が、いつの間にか涼やヴィエと肩を並べて歩いていた化楽が、傍らのヴィエの頭のてっぺんを見下ろす。その視線に気付いてヴィエも半目で化楽を見詰め返した。そんな少女の視線に、化楽が優しげに微笑み掛ける。
「俺も、本当にここが死後の世界なら、逢ってみたい相手がいたんですよ。…尤も、俺の場合は人ではなく犬だから…逢えても、涼ちゃんのように言葉を交わすことは出来なかったかもしれませんけどね…」
「それじゃあ、あんたは、その犬を呼び出そうとしたのか?」
涼の問い掛けに、化楽は首を左右に振る。
「いいえ、俺も涼ちゃんと一緒で、気が付いたらここにいましたね。…とすると私は誰かに呼ばれたのか……しかし、誰が?」
それは涼も同じらしく、互いに二人は首を捻り合った。
「話を聞いていると、ここに居る人達は、例の書き込みを読んでそれを試そうとした人と、そうでなくここに来てしまった人…恐らく、逆に誰かに逢いたいと恋われて陽炎の中に呼び出された人、の二種類に分かれていそうですね」
前方を見詰めたまま、セレスティが静かな声でそう言う。ちなみに私は後者らしいです、と付け足して。その車椅子を変わらず押しながら、アンリが頭を掻いた。
「面目ない…大人げないと思いつつ、もしももう一度妻の姿に、写真でない彼女に逢えるのならと思って試してみた私がバカだったよ。彼女は確かにもう死んでしまっているのだから…今更幻に逢ったって仕方がなかったのにな」
「……ヴィエもバカなのか」
アンリの言葉にヴィエがぼそりと呟いた。涼が笑って、繋いだ方の手を軽く揺らす。
「アンリもヴィエもバカじゃないさ。誰だって、もう二度と手に入らないものだと思うとその想いはずっと強くなるものだろ。それにヴィエは、その女の人に逢ってお礼を言いたかったんだろう?アンリももしかして、死に目に立ちあえなかった事を謝りたいんじゃないのか?」
涼がそう言うと、アンリはちゃっかりと『私の事はヘンリーと呼べ』と念を押しておいてから、そうかもしれない、と一つ小さく頷く。そんなアンリの様子を、振り返ったセレスティが、か弱い視界の端に捉えながら言った。
「蜃気楼の中に望みの相手の姿を映し出す、と言うのは、陽炎を媒体として何かを投影しているかのようですね。現われ方の気軽さは、まるで携帯電話のようです。もしかして、あの揺らぐ影が、どこかとどこかを繋ぐ扉のようなものなのかもしれません」
携帯、繋がりませんかね…と何気なく自分の携帯を操作するセレスティだったが、次の瞬間全員があっと軽く声をあげてセレスティの周りに集まった。セレスティの携帯電話は、確かに数回コールをして、掛けた相手へと繋がろうとしていたのだ。すぐにそれは切れてしまったが、皆は顔を見合わせて目を瞬き合った。
「恐らくここは、まだ『狭間』なのですよ。だから、現世とも多少は繋がりがあるから携帯電話も繋がり掛ける。ただ、多分不安定だから、最後まで繋がる事はない…そう言うことじゃないでしょうか」
化楽がそう言うと、涼も頷いて同意した。
「ああ。それに俺は、さっきからずっと、先輩に逢った時からずっと、現世の仲間達が俺を呼ぶ声を強く感じている。だから俺達は、まだあの世界から完全に切り離された訳じゃない」
「切り離される訳にはいかないよ。私にも、今はちゃんと本当に守るべき人がいるんだ。彼女を、一人にする訳にはいかない」
そう言うとアンリが、再びスーツのポケットから写真を出してじっと見詰める。それは、亡くなった彼の妻の写真かと思いきや、実は現在の愛しい恋人のものであったらしい。
「意見は一致ですね。この中の誰も、このままここに居ていいと思っている訳ではない」
セレスティの静かな声に、皆がまたさっきと同じように頷いた。
そんな風にして、一団は美しい川の傍までやってくる事ができた。川幅は広いが、川底の石がずっと向こうまで覗ける所を見ると、深さ自体は然程無いようだ。清らかなせせらぎが涼しげに鼓膜に響き、手をその水に浸ければ骨の髄まで透き通ってしまいそうなぐらい、水は澄み渡っていた。そんな風景を目の前にして、心和ませていた一同だったが、ふと我に返って互いの顔を見渡した。
「さて、やはりここはセオリー通り、川を渡ってみるべきですかね」
化楽の言葉に皆が頷く。…いや、一人を覗いて。長い時間歩き続けて不機嫌極まりない表情になったヴィエが、化楽の顔を見上げた。
「……かわを渡って、本当にもとの世界に戻れるの?」
「え?」
「…だって、あっちが、死んじゃった人たちの世界かもしれないよ」
「………」
ヴィエの指摘に、アンリが顎に手を宛って唸った。
「確かに。今私達が居る『ここ』が、死後の世界だとは限らない訳だ。あくまで『狭間』と言う事であり、実は逆サイドにも同じような川があって…と考えると、ヴィエの言う事も有り得るだろう」
「だからって、もう一回逆方向目指して歩くのか?そりゃちょっとキツいと思うんだがな」
「それに、恐らく川はこれひとつだと思いますよ。水の気配が、こちらからしかしませんでしたから」
涼の声に、安心させるようにセレスティがそう言った。化楽も、それに頷く。
「それに俺達はかなりな距離を歩いてきましたよね。最初のスタートの時点でこの川は遠くからでも臨めましたが、反対方向にはそれらしき気配はありませんでしたしね。一応、ぐるりと水平方向に眺めてみましたが」
「じゃあやはり、川はここだけなんだろうな。…そして、多分キーとなるのも、この川なんだろう」
「……渡ってみるか。どうせ、それ以外の方法は今んとこ思いつかない」
アンリの言葉に続いて涼がそう言うと、そうだな、と皆が頷いた。
「ま、一度死んだものだと思って試すのなら、何だって出来るものですよね」
どこか楽しげに、セレスティがそう言って笑った。そんなもんだろう、と到底、未知の世界に取り込まれて困っている者達とは思えないぐらい、皆がほがらかに笑い合った。
*流動性*
ヴィエは、涼の片腕に抱っこされて川へと入っていく。勿論、川の水に直接足を浸けているのは涼で、ヴィエはただその浮遊感に身体を任せているだけであったが。随分長いこと歩いてきたせいで、ヴィエの機嫌は絶不調、背後に映る影の中には、今にも飛び出しそうな勢いで、ヴィエの不機嫌を繁栄した黒犬が静かに牙を剥き出していた。涼はそんな事には気付く訳もなく、小柄なヴィエの身体を軽々と抱っこしたままでざぶざぶと川の水を掻き分けていく。そうして、皆の後について歩きながら川の中腹辺りまで来た時だった。
「…うわっ、!!」
思わず涼が悲鳴を上げる、急に足元が覚束なくなって、さっきまでは確実に丸い玉石を見る事が出来ていた川の底が不意に抜けたかのよう、ぽっかりと足元は真っ暗闇になってしまい、当然ながら涼とヴィエの身体は重力に従って下へと落下し出したのだ。
「……………!!」
それはいつの事だっただろう。ヴィエには既に覚えがない。元より、そう言う時間の経過というものに気を配ったことがないからかもしれない。いつものように、ヴィエは何となしに歩いて何となしに覗き込み、そして何とはなしに興味を持ったからじっと眺めていたのだ。
そこは、背の高い建物の上に、鉄製の十字が乗っている場所。日に寄っては沢山の人がそこを訪れるけど、普段は黒い服を着た女の人や男の人しかいない。男の人は何だか気に入らないから傍へは寄らなかった。でも、女の人はヴィエに気付くと、優しい笑みを浮べて手招きをしてくれたのだ。
「どこから来たの?どこのおうちの子かしら」
見覚えはないわね。最近引っ越してきたおうちの子かしら?そんな事を呟く女の人を、ただヴィエは無表情に見上げていた。そんな少女を訝しがる事もなく、女の人はヴィエにクッキーとミルクをくれた。最初の赤いカップは金属だったからヴィエには持ち上げられなかったが、次の日は白い陶器に変わっていた。そんな、細やかな心遣いの出来る女の人だった。
…その人に逢えなくなって、どれだけの時が過ぎただろう。何度も同じ場所に足を運んだが、結局逢えなかった。そのうち、その建物の残骸は土に還り、そこには別の建物が建ってはまた消えて……。
ばう。一声、聞き慣れた声がした。ふと気がつくと、公園の地面の上でヴィエは黒犬に襟元を咥えられた状態で座り込んでいたのだ。きょろきょろと周りを見渡してみるがそこはさっきまでの花畑ではなく、まだまだ暑い公園の一角で。手にしていたクッキーの袋からは、二枚数が減っている。ヴィエは後ろを振り返って、大きな黒犬を見た。
「……お礼」
結局伝えられなかった。陽炎の中に浮かんだ、懐かしい笑顔には手が届かなかった。ヴィエは、クッキーを袋から取り出して一枚、カリッと齧る。
「………」
その甘さは、あの時の甘さと同じ。今も昔も。
おわり。
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【 0374 / 那神・化楽 / 男 / 34歳 / 絵本作家 】
【 1439 / 桐生・アンリ / 男 / 42歳 / 大学教授 】
【 1831 / 御影・涼 / 男 / 19歳 / 大学生 】
【 1846 / ヴィエ・フィエン / 女 / 700歳 / 子供風 】
【 1883 / セレスティ・カーニンガム / 男 / 725歳 / 財閥総帥・占い師・水霊使い 】
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■ ライター通信 ■
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大変お待たせをいたしました、ただいまホラーが書きたいんですキャンペーン中(何)の、ライターの碧川桜です。
ヴィエ・フィエン様、はじめまして!この依頼でお会い出来て光栄です。
先も書きましたように、前回のゴーストネットにあげた依頼に続いてホラー調のものが書きたかったのですが、蓋を開けて見ればホラーのホの字もなくて我ながら逆に天晴れではないかと……(凹)そろそろ、自分の得意分野と不得意分野を見極めなければとか思っています(遅)
それはさておき、意図はともかくも私的には楽しく書かさせて頂きましたので、皆様も少しでも楽しんで頂けたら光栄です。
それでは、この辺で。またお会い出来る事を心からお祈りしつつ…。
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