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<PCシナリオノベル(シングル)>


楓少年の事件簿〜ある時は逃亡者〜

 「…マズイ事になった……事は一刻を争うぞ。姫が今日中に戻らなければ、この島の殆ど周囲が海に沈むぞ」
 「我々自体の世界には何ら影響は無いが…それでは我々がこの海を今まで守ってきた意味が無くなってしまう。…だが何故姫はこんな事を?」
 海の底、深い深い青の世界で、男達が顔を付き合わせて眉を顰めている。
 「姫はともかく…あいつの方が問題だろう!姫様をそそのかしたのは、あの人間に決まっている。奴は一体、何が狙いなんだ?」
 「まったく…我々の依頼を、全く無視したな、あの二丁拳銃は……」
 そう呟くと、深く深く、海の底と同じぐらい深く、男達は溜め息をついた。
 その溜め息が、陸上の草間興信所まで届いたかどうか……。


 「あなたの言う通りだったな。確かに、目立つ二人連れだったようだ」
 草間興信所の応接室で、今さっき帰って来たばかりの武彦が、ドアを締めると同時にそう言った。零と共に待っていたのはセレスティ。武彦の声のする方へと顔を向け、そっとその白皙の面に笑みを浮べた。
 「その人魚の少女は、恐らく人魚の姿のままでしょうからね、まぁ足元は何かで隠せるとしても、人間とは決定的に違う雰囲気までも隠し通せるものではないと思ったのですよ。長く生きた人魚なら、そう言う技も身に付けているでしょうが、話を聞く限りではまだ若い方のようですし。…で、彼等は何処に向かっているのですか?」
 「道すがら、人に海沿いにある病院の在り処を聞いたらしい。ここから少し行った所に、海沿いの静かな高台に立つ病院がひとつあるのだが、該当するような病院は他に無いから、そこの事だろうと思う。…そこに向かう目的は何か分からないがな」
 「それは、実際にお会いしてみれば分かるでしょう。その少女が、普段からやんちゃなお嬢さんならともかく、そうでないのなら敢えて叱る必要もないと思いますからね。何か…そう、ちゃんとした目的があったのだと思いますよ。さすがに今更、人魚姫の童話を自ら再演する気であるとも思えませんからね」
 穏やかながら、その場の雰囲気を全て自分に引き寄せてしまうような、そんな微笑みを向けてセレスティが静かに言った。腕組みをして壁に凭れた武彦も、セレスティの言葉に頷いて、その背を壁から剥がして真っ直ぐに立った。
 「取り敢えず、その病院とやらに行ってみるかね。どっちにしろ、会ってみないと分からんだろ。…出来れば、穏便に話が通じればいいんだが」
 その少女とね。楓には無理だろうからなぁ…。武彦が溜め息混じりに告げたその言葉が、海沿いの病院へと届いたかどうか。尤も、楓に届いたとしても、それは一蹴されて終わってしまっただろうが。


 そこは、大きいが静かな病院だった。病室の窓からは穏やかな海の風景が臨め、爽やかな潮風がまるでそこに居る人の病を癒すかのように優しく頬を撫でる。その日は空も高く青く晴れ渡り、水平線の向こうまで見渡せるのではないかと思う程の空気の澄みようであった。だが、その静寂の隅の方で、何かに怯えるような動揺を、この青い海が孕んでいるような気がして、セレスティは微かにその整った眉を潜めた。
 「どうかしたんですか?」
 その表情を敏感に読み取った零が、心配そうにセレスティの顔を覗き込んだ。零は彼の車椅子を後ろから押していたのだが、垣間見えるふとよぎったその表情が気になったらしい。肩越し、自分の顔を見詰める零に、セレスティが目を細めて笑み返し、ひとつ頷いた。
 「私にも良く分からないのですが…何か、この目の前に広がる海が、不安のようなものを抱えているような気がしましてね。それが、引っ掛かったものですから…」
 「楓が連れ出したって言う、人魚に関係があるのかもな。さっき聞いたんだが、楓は人魚世界の騎士団から何かの依頼を受けていたらしい。さすがにその内容は教えては貰えなかったが。その縁もあって、その人魚姫とも知り合ったんだろうな」
 「その人魚の女の子は、楓さんに誘拐されたんでしょうか?」
 零の言葉に、武彦が手を顎に宛って暫し考える。
 「…違うだろうな。楓はバカだが、自分の私利私欲の為に、そんな回りくどい事をしたりはしないだろう。人魚界から彼女と脱走を図ったのは、ちゃんとお互いの意思があっての事だと思う。どっちが話を持ち掛けたのかは分からんが」
 「私は多分、少女の方ではないかと思いますよ。人魚は、大抵は穏やかで優しい気性の持ち主ですが、反面、意思は強固且つ屈強で、己が望まぬ事を受け入れる事はまず無いと言っていいでしょう。私は、少女が楓少年に自分を連れ出してくれるよう、依頼したのだと考えてます。何か理由があるのでしょう。…そう、この病院に」
 そう言ってセレスティは、目前の白い大きな建物を見上げた。その背後にある青い空は、白亜の建物を包み込んで護るように、ひっそりと息を潜めているかのようだった。

 そんな風にして、三人が病院へと通じる一本道の脇で言葉を交わしている時だった。通りの向こうからいつの間にやら姿を現わしたのは、車椅子に座った少女らしき人物と、それを押して歩いてくる一人の警備員……にしては余りに怪しい格好をした人物だった。どのぐらい怪しいかと言うと、警備員の制服を着込んでいる事自体は普通なのだが、その腰には両側に大振りで使い込まれた拳銃が二丁、ホルスターに収まって下がっているし、その他にも投げナイフとかいろいろ物騒なものがポケットやら何やらに下がってるし…そんな、誰がどこから見ても怪し過ぎる二人連れ(もっとも怪しいのはその警備員モドキだけだが)が、三人の前を堂々と通り過ぎようとする。それを見て、眉を寄せ、額に怒りしわを刻んだ武彦が、無言でポン。と警備員モドキの肩に手を置いた。
 「あっ、お疲れ様でーす」
 今更ながら、にこやかに挨拶する警備員モドキに、武彦の怒り皺がぴくりとヒク付いた。その皺の影が深くなる。
 「……何やってんだ、楓」
 「……………」
 しーん。暫しの沈黙の後、警備員モドキ――言わずもがなの変装をしたつもりの楓――は、急に身体を翻し、いきなり武彦へと鋭い飛び蹴りをかましたのだ。
 「げっ!?」
 「く、草間さんッ!?」
 クリティカルヒットを食らって仰け反る武彦に、零が悲鳴混じりの声をあげた。武彦に蹴りを噛ました勢いで背面飛びで一回転、すとんと足音もなく着地した楓の両手には、いつの間にか愛用の拳銃が二丁握られていた。
 「悪いけどっ、ここで足留め食らう訳にはいかないんだ!死んで貰うよ!」
 「待て、楓!事情も説明しないでいきなりそれは無いだろう!」
 武彦の抗議は尤もだが、そんな常識が楓に通じるかどうか。だが、命は一つしかない武彦としては、ここで当然死ぬ訳にもいかず…だが、こんな病院の目の前で戦闘など、治療に手間が掛からなくて好都合…ではなく、無関係な人々を巻き込む可能性も無きにしも非ずと、一瞬迷ったその時だった。
 「あ。ナポリタンが空を飛んでる」
 「え、何処何処!?」
 セレスティの静かな声と、空を指差すその仕種に釣られて、楓がそっちの方を見上げる。その隙に武彦が、さっき自分が食らったのの三倍ぐらいのキッツい飛び蹴りを、楓の後頭部に食らわした。
 「げぇッ!卑怯者!騙したなー!!」
 「…真っ当な日本語の通じないお前に言われたくはないわ」
 もんどりうって前方に倒れ伏した楓の背中にどっかりと座り込んで、武彦が腕組みをした。転んだ拍子に手から離れた拳銃は、サッと零が機転良く隠してしまう。
 「…まさか私も、本当にこんな手に引っ掛かるとは思っていませんでしたけどね」
 セレスティが、苦笑い気味にそう呟く。さて、と自分と同じように車椅子に座った少女の方へと向き直った。
 「キミなら分かりますよね。私はキミの同類ですよ。どうしてこんな事になったか、説明をして頂けますね?」
 穏やかなその澄んだ声と、美貌の人魚でさえ見惚れるその容貌、その美しさを余す所なく利用したかのような魅力的な微笑みに、少女はそっと頬を赤らめた。同じ人魚であると言う気安さからか、少女はその桜貝色の唇を開いて、静かに語り始めた。
 「この病院に一人の男の子がいます…わたしは、彼の病気を治してあげたいのです。人魚の治癒力を分けてあげれば、彼は助かると聞いたので…」
 「その少年とは?キミの、恋人?」
 人魚と人間の恋愛が成立する事はないと知りながら、セレスティは敢えてそう尋ねる。少女はまた薔薇色に頬を染めるが、緩く頭を左右に振って、セレスティの言葉は否定した。
 「いいえ。そんなんではありませんわ。わたしと彼は唯のお友達……ある夏の日、わたしはその男の子と知り合ったのですが、わたしは神殿から気軽に出歩く事を許されぬ身、そして彼は病院から出られぬ身。そんな似たような境遇のせいでしょうか、とても仲良くなりまして…幾度となく会っては楽しくお話していたのですが、そんな彼の病状が悪化したと聞いたんです。それでわたし、何とかして彼に会いたくて…それでその、神殿の魔女に相談を持ち掛けたのです」
 「んで、登場するのが、俺だったりする訳なんだよねー」
 未だ武彦を背中に乗っけたままで、楓が口を挟む。武彦が無言で楓の脳天に、げしっとと踵落としを食らわせた。
 「……。ええと、それで…魔女はわたしの相談に、その声を差し出せば、代わりに足をくれると言ったのです」
 「…どこかで聞いたことあるような話ですね…」
 「ま、ね。でもそれだけで済まない辺りが、童話ン中の魔女と違った訳よ」
 武彦の踵落としにもメゲない楓が、零の呟きにそう答える。
 「そいつはさ、声を貰ったら次は髪、次は瞳、って言う風にどんどん要求がエスカレートしてってさ、最後には魂を!とか言って自分のコレクションの一端に加える、妙な趣味を持ったオバサンだったんだ。それに彼女が引っ掛かりかけてるのを見て……」
 「オバサンで悪かったわね!」
 不意に、セレスティの背後から甲高い声が響いた。全員がそちらを振り向くと、凄い美人ではあるが確かに多少年嵩の入った女性が、両手の拳を腰に宛って仁王立ちしていたのだ。少女が、ひゅっと息を喉へと吸い込み、怯えた表情をする。それらの事柄から、この女性が件の魔女である事は容易に知れた。
 「あっ、オバサン」
 「あんたにオバサン呼ばわりされる筋合いはないわよ!」
 楓の軽口に、魔女が怒りを露にした表情で食って掛かる。その表情のまま、魔女は車椅子の少女へと視線を向けた。
 「…姫、よくもあたしに恥をかかせてくれたわね……」
 「あ………」
 少女が細い両手を自分の口元に宛う、その少女を庇うように、セレスティが車椅子を操作して、少女と魔女の間に割って入った。
 「何よ、アンタ。関係無い人は退きなさいよ」
 「そうはいきません。彼女を、キミの猟奇的趣味の犠牲にする訳にはいきません」
 セレスティの青い瞳が、強い光を帯びて魔女を見詰め返す。それを魔女は怖れもせずに弾き返した。
 「邪魔するなら、あんたも道連れにするわよ」
 「望む所です、出来るものならやってご覧なさい」
 静かにセレスティの唇が笑みの形になる。その余裕と自信に激昂したか、魔女は眉をキッと釣り上げると、片手を頭上へと掲げる。同時に魔女の背後の海から、高い水柱が上がって、それは一個の生き物であるかのように形を変え、セレスティ達の方へと襲い掛かってきたのだ。
 「飲まれてしまうがいいわ!水の中でもがき苦しみなさい!」
 魔女の癇に障る笑い声が、周囲に高らかに響いた。だがそれはすぐに驚愕の悲鳴へと変わる。何故なら、魔女が起こした水の竜巻は、もうひとつ現われた水の竜巻に巻き取られ、あっと言う間にその姿を消してしまったからだ。
 「な、何が起こったの!?どうして?」
 動揺した魔女が、はっとセレスティと少女の方を振り返る。丁度、水魔法を使った少女の長い髪が、ふわりと元の位置に戻る所だった。セレスティに至っては、髪の毛一筋も動かさずに今の力を使ったらしい。
 「同じ属性の力なら、より力の強い方が勝つ。至って自然な摂理ですよ。尤も、力押しは無粋過ぎて私の趣味ではないのですがね…」
 相変わらず落ち着き払った声でセレスティが微笑んだ。


 結局、後から追いついた人魚界の騎士団が、魔女を捕らえて拘束し、元の世界へと連れ去った。少女に対しては、必ず今日中に戻るようにと念を押して、ついで楓にしっかりと送り届けるように依頼してからその姿を消した。例の少年に会いに行く、と言う少女には零が付き添って病院内へと入っていき、後にはセレスティと武彦、そして楓が残った。
 「それにしても、あの少女にそんな能力があるとは思いませんでした。先程、海が不安を孕んでいたのは、彼女がいないと津波と海流が制御できないからだったのですね」
 「…危ない所だったな、本当に。彼女が今日中に戻らなかったら、日本が壊滅する所だったんじゃないか?」
 今更ながら、その可能性の恐ろしさに武彦が溜め息を零した。それを聞いて楓がへー。と感心したような声を漏らす。武彦の拳骨が、楓の脳天を直撃した。
 「痛えっ、何すんだよ!」
 「お前は知ってた筈だろうがッ!」
 「うん」
 こう言う時だけ素直な楓に、再度武彦の拳が炸裂した。
 「いーじゃん、もう全て済んだ事だしさ。ヤッバい魔女は掴まったし、彼女の想いは叶ったし、このまま行けば、新たな人魚姫伝説も生まれるかもよ?そして、その一端を担った立役者と言う事で、俺の名も一躍有名に……」
 ふっふっふっふ……と、一人妙な想像をして悦に入る楓の横で、再び武彦が拳を固めた。
 「いいからお前は、大人しくしてろッ!」
 ぎゃーぎゃーと子供の喧嘩のような遣り取りをする武彦と楓を、セレスティは楽しげな笑みを浮べながら、ただ静かに傍観するのだった。



おわり。