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<東京怪談ノベル(シングル)>


ある日の『朝』は途方に暮れる

 天狗。
 厄介な存在である。
 神のようで神でなく。
 また山野の精霊などでもない。
 どう言う訳か人心の不安を好む。
 人の不幸を喜ぶ。
 幸福を嫌悪する深悪の魔性――ことに戦乱を好み、それも大きければ大きい程――歓喜雀躍すると言う。
 場合によっては自分が事を構えて騒動を引き起こす事さえあるらしい。

 …厄介な存在である。
 この天狗も、例に漏れず。

 ――そう言う事になっていた。

■■■

 ざざざざざざざ

 枝葉が鳴る。
 闇い闇い山の上。
 何者かが駆けている。
 素早く、猿のように枝葉を伝い、大きな黒い翼を邪魔にならぬよう、靡かせるように、す、と後ろに伸ばして。
 軽やかに駆けている何者かの片手には冷たい刃がひとふり。
 刀――日本刀。
 …天狗は兵法にも長けている。
 特にこの『彼』にとっては、この刀――唯一無比の得物だ。特に剣術を得意としているその身は、大抵の連中ならばあっさりと斬り捨てる事が出来る。
 駆ける天狗の下方、ちろちろと赤い炎が点々と広範囲を照らしていた。松明の炎。
 …向こうだ、追え!
 …待てッ、天狗!
 叫ぶ声。
 地を這う人間ども。
 枝から枝へ、軽やかに天狗を追える足など持ち得ない。
 ――だが。
 ひゅっ、と音がして童子姿の小さな『何か』が二、三体天狗を襲い来る。式神。小さい姿が天狗の死角に回り込み、その小さな掌で、えいっ、と甲高い声を上げながら法力を直接叩き込んで来る。
 天狗は身を翻し、式神らをいなす形で自分中心に小さな竜巻を起こした。纏わりつく三体の童子はそれだけで払われる。竜巻の中心近くに居た一体は爆風の衝撃に潰され、消された。
 天狗は再び高い枝を伝い駆け出す。
 下方に居るのは都人を守る為に頼られた不可思議の技を使う霊能を持つ術師。
 身体の正面、両手で印を組み、瞼を閉じている。その頬には斬られたような傷がぱっくりと。逆凪。返りの風。一体の式神が潰されたその報い。
 彼の山に棲まう天狗を退治してくれと言われ来た、男の中のひとり。
 式服に身を包んだ妖異な気配を持つ存在。
 …彼らは、天狗の追尾の役を任じられている。
 閉じられた瞼の下、その瞳には天狗の姿が見えている。
 その上方。
 天狗は再び纏わりつこうとする式神二体を避けながら、すいっ、すいっ、と枝を伝う。
 やがて、天狗は再び風を起こした。
 相当鬱陶しくなったか、周囲の枝葉ごと巻き込む形で。
 式神らしい二体は、今度こそ天狗の技で潰され、術の形代の姿に戻り、引き裂かれてぼろぼろになっている。
 そうなれば最早ただの紙切れ。
 天狗は、はぁっ、と息を吐くと、再び駆けだした。
 その下方。
 ピシピシピシィッ――と式服の男の額や腕から、鋭い何かに切り裂かれたように血が迸る。
 出血は派手だが、深い傷では無い。
 けれど式服の男は、またも返りの風を吹かされたと言うのに、にや、と唇を歪めていた。
 直後、唇が動く。
 捕らえましたぞ、と形どる。
 と。
「「「縛!」」」
 一斉に、人間どもの声が響いた。
 上方、天狗は目を見開く。
 向かう先。
 式服を纏った複数名。妖異の気配を纏った者以外にも動揺の格好をした彼ら、はそこに居た。
 …嵌められた!
 向かう先を誘導された。
 ある地点を境に、そこを越えた刹那――見計らったように結界の陣を張られた。
 …天狗の動きが鈍くなる。
 その下方。
 剛弓を番えた武将風の男。
 こちらも複数名。
 動きを鈍らせた天狗に向かい、一時に矢を放つ。
 が。
 何者とも知れぬ咆哮が山野に木霊した。
 それが天狗のものと知れたのは、乱舞する鎌鼬に、結界の陣が破られ、ついでのように周囲の数名も切り裂かれてから。
 上方、射掛けられ矢が数本刺さった姿のまま、天狗は下方に落ちる――落ち掛け、だが地に叩き付けられる寸前、くるりと体勢を整えた。衝撃を吸収する為、撓ませ曲げ着地した足を改めて伸ばし、すっくと立ち上がる。
 たじろぐ気配。
 天狗は刀をぶん、と振った。
 黒い翼を威嚇するようにばさり、と大きく扇ぐ。
 ――かと思うとその足が鋭く大地を蹴った。
 速い。
 間を置かず自分に矢を射掛けた武将、その中でも一番近くに居た奴の前まで移動する。武将の方が咄嗟に取り上げた太刀。それを待たずに天狗はその頭上から唐竹の如く叩き割った。横合いから太刀を振り上げ来る他の武将。何やら別の印を結び何らかの術を発動させようとしている式服の男。彼ら視界に入る己を害しようとする者すべてに向かい天狗は切っ先を向け、薙ぎ、斬り捨てる。刀が間に合わないと思ったら、掌を振るい、真空波を撃ち容赦無く切り裂いていた。
 禍禍しいまでの紅に染まった瞳は、憤怒に燃えている。
 自分に射掛けられたのは――毒矢だ。
 天狗のこの身、その程度ならどうせ大した事は無いが――そこまでされれば向こうの考えは痛い程良くわかる。

 ………………いい加減、頭、来た。ぶっ殺す。

 再び太刀を向けてきた武将。今度は少しは『出来る』ようで盲滅法に打ち込んでは来ない。天狗もかちゃり、と刀を構え直し、片手の中に作り出していた風の刃をも、すぐさま撃ち出せるように構え直す。
 数瞬の対峙。
 先に動いたのは武将の方。す、と滑るように身体が沈んだ。薙いで来る刀身。半身で躱す。勢いのまま身体が流れた武将の動きを見てから、天狗はその背を斬り付ける形に。が、武将が体勢を低くする方が先だった。躱される。と、即座に武将の方は斜め下方から斬り上げてきた。天狗は咄嗟に翼を扇ぎ、文字通り飛び退く。そして即座に上空から勢いを付け、武将に再度斬り付ける。
 が。
 刹那。
 キィン、と刀身がかち合った。
 ――武将は勢いの付いたその刀を抑える。
 元々天狗である上に、上空から勢いを付け来られた事もあり、込められた力が、重い。強い。
 けれど武将も負けていない。
 どちらも歯を噛み締めながら、ぎりぎりと競る。
 と。
「今だッ」
 切っ先を打ち合わせたその状態で、唐突に、天狗の目の前で武将が大声で叫ぶ。
 天狗は目を見開いた。
 ――刹那。
 背後から朗々たる声がした。
 気配は妖異のあの男。小さな式神を操り天狗をここに追い込んだ――。
 声――真言が響く。
 途端。
 衝撃。

 ――捨て身の囮だ。…やられた…!

 不可視の力で縛される天狗。
 もがく姿が次第に動きを鈍くして行き、周囲が静まり返る。
 妖異の気配を持つ式服の男、彼の声だけが朗々と響き渡っていた。
 そして。

 どん

 何処からとも無く、石が降って来た。
 重々しく――大きな石が。
 ――天狗の縛されていた、その場所に。
 妖異の気配を持つ式服の男は、驚く周囲を余所に、それがさも当然のような顔をしたかと思うと。
 郎じていた真言を止めた。
 そして石のその上、真ん中。
 しゅ、と鋭い音と共に取り出され、ぺたりと貼られたのは一枚の札。
「…ここに、悪しき霊物を封ずる」
 威厳ある式服の男の声が、戦いの終結を宣言した。

■■■

 どうやら封印されてしまって――暫し後。
 天狗は何故か見覚えの無い場所に居た。
 薄ら乾いた洞の中。
 檻のよう。

 …つまらねえ。
 ………………つまらなさ過ぎ。
 洞の中。
 そこに封印された天狗――伍宮春華はただ、座り込んでいた。
 この洞の中でだけなら、立ってうろうろする事くらいは出来る。
 けれど外には出れない。
 一応、檻から外――空をちょっとくらいなら、見る事も出来る。
 けれど外には出れない。
 生殺し。
 畜生。
 つまらねえ…。
 寝るか…。

 ――やがて。
 気が遠くなるくらい、永い永い時が経った頃。


 ガシッ ガン ガガ ガシャン
 ガー ガー
 ガンガンガンガン
 ガコン


 …うるせー。
 ってか、何事だよ!?
 外から急に喧しい音が聞こえ出した。
 …自分の耳がおかしくなったのか?
 春華は思う。
 それとも雷でも落ちたのか?
 …でも空はこんなに晴れているのに――。
 …雷雲など少しも見えないのに――。

 春華の疑念を余所に、喧しい変な音は止まない。
 やがて。


 ガラガラガラガラガラ


 え!?
 どこかが、崩れた!?
 土砂崩れ?
 …いや、ここのところ、ここから見える以上、雨らしい雨も降って無いし。
 何事。

 ――春華は知らない。
 それが、人間の作り出した機械の仕業だ、などとは。
 更に。
 その仕業によって、封印の寄代となっていた抑えの石が――あっさり壊されてしまっていた、などとは。

■■■

 低い唸るような声が近付いてくる――読経しながら歩いてくる山伏風の霊能者の男。
 一本調子な低い声で、読経を続け、封印の様子を窺いに。
 …なんだっけあれ。
 春華はその『歌』が何物か具体的には忘れたが、あの辛気臭い『歌』を歌いながらここに来る奴に、ろくな奴は居なかった気がすると言う記憶だけはばっちり残っている。
 …とは言っても、俺がここに封印されている間、唯一の刺激が――気がつきゃ顔や、体型、身長、風体さえも変わっている――代替わりしてやがるのか?――奴との会話だったりするから、矛盾するなあと思いつつも、奴が来るのはちょっと楽しみだったりもする。
 だってそのくらいしか面白い事が無え。
 ほんの僅かな娯楽くらい心待ちにしたって良いだろよ。
 話くらいさせろって。
 と、春華が思ったところで。
「――」
 読経が停止した。
 すぐ近く。
 洞の入口、檻を隔てた自分の前。
 見上げる。
 男の顔。
 自分を封じた霊能者の末裔…だろうか。また背格好やら顔が違う。
 奴は何やら驚いた顔をしている。
「…な、なにっ…!?」
 そして俄かに焦ってもいる。
 だから何だっての。
「封印石が…っ!!」
「………………あ?」
 男の言葉に怪訝そうな顔をする春華。
「…どうかしたかよ?」
 ぼそりと呟き、春華は何となく、ずいと前に出、檻を掴もうと手を突き出した。
 と。
 するり。
 …抜けた。
「お?」
 春華は目を瞬かせる。
 そのままもう片方の手。
 足を前に運んだ。
 …それだけで外に、出れた。
「んだよ。封印、解けたのかい。か〜。久し振りだね。娑婆の空気は――って」
 …何か、気持ち悪ィ。
 空気が何処となく汚れているような、変な感じ。見たとこ普通なのに――と春華は、気のせいか封印される前より色の薄くなったような青い空を見上げて。
 ぎゅーん、と凄い音を立てて飛んで行く『航空機』を、たまたま、目の当たりにした。
「――」
 茫然。
 …なんか『変なもん』が飛んでいる。
 そして視線を下ろす。
 霊能者の後ろ。
 山の、麓の方――。


 がしゃこん、がしゃこん


 ――『ショベルカー』がお仕事真っ最中。
 それを見て春華は停止した。
 …俺どころでない『化け物』が土掘り返して暴れている。
 しかもその向こう側、緑の全く無い灰色の道に、見た事の無い形の、色とりどりの『箱』――『家』? のようなものがところ狭しと乱立し。
 灰色の道の上を、何やら考えられない速度で走って行く『化け物』――『車』が。
 なんじゃこりゃあああああ!?
 俺はいったい何処に居るんだあああ…!?
 出てきた早々これは何。
 あまりの事に声も出ない。

 ――こんなとこに放り出されて、これからどーすんだ、俺…。

 春華は、途方に暮れた。
 と。
「…き、君が…こ、ここに封印されていた、天狗か?」
 霊能者の男が声を掛けて来る。
 春華は茫洋とその顔を見上げた。
「…だったら何」
「…俺と一緒に来ないか」
「あ?」
 今、何を言われた?
「…こ、このままここに居ても、仕方無いだろう? なあ?」
 恐る恐ると言った感で春華に言い募る霊能者。
 春華は俄かに考え込む。
 そして。
「何か面白い事ある?」
 ぽろりと問うた。
 と。
 霊能者は速攻でこくりと頷く。
「ある。あるから」
 即答。
 どこか、怯えつつも。
 封印されていた天狗を野放しになんてしたら…きっとヤバいから。
 霊能者のそんな思惑を知ってか知らずか――否、知る知らない以前に多分気にしていない――春華はにこっと邪気無く微笑んだ。
「ふーん。じゃ、一緒に行こっかな♪」
 あっさりと。
 霊能者の男は思わず安堵の溜息。
「ちなみに俺は春華っての。あんたは?」
「え? あ、あ俺は――」
 何度か詰まりながらも名乗る霊能者の男。
 封印されていた天狗――春華はそれを大人しく聞いている。
 そして自己紹介が終わるのを見計らい、春華は男の肩をぽん、と叩いて、きしし、と悪戯っぽく笑った。
 行こーぜ行こーぜ! と、好奇心一杯に目を輝かせて。
 その様を見て霊能者の男は思う。
 …妙に気さくだ。

 ………………この伍宮春華、本当に封印される程の、悪い天狗だったのか?

【了】