コミュニティトップへ
高峰心霊学研究所トップへ 最新レポート クリエーター別で見る 商品別一覧 ゲームノベル・ゲームコミックを見る 前のページへ

<PCシナリオノベル(シングル)>


生きている者と死んでいる者

 沙倉唯為は歩を進めながら、手にした紫紺の袱紗を解く。
「櫻、唯為の名に於いて、汝の戒めを解き放つ」
動きの流れに半ばを鞘から引き出された、白銀の刀身が綺羅と透明な陽光を弾く。
「目覚めよ、緋櫻」
血を欲し、魂すらも切り裂くその刃が、担い手の声に覚醒を促される。
 その姿に変化が生じる訳ではない…が、獣が眠りから覚めたような、その圧倒的な危機感が、日本刀特有の静と纏う気を…自ら求める、それに変える。
 血を欲す、妖刀へと。
『緋櫻』を鞘から完全に抜き放ち、鋼の塊であるそれの柄を逆手に持って肩口まで持ち上げ、引いた右肩を上体全体を使って前に突き出す動きに投じた。
 その一連の流れは周囲の人々が、異常と感じる間すら与えぬほどに自然であった為、目撃者はその悲鳴が上がるまで、眼前で何が行われていたのか理解が出来なかった。
「うわーッ!?」
オープンカフェの店先。
 ビィイイン、と突き立つ振動に弦楽器めいて震える『緋櫻』の刃を眼前に突き立たせた−丸テーブルの上部を覆う傘の支柱がなければ、額で刃を受けていたろう−青年の声で、出勤・通学に忙しく足を動かす善良な通行人の皆様方は、朝の風景に法治国家日本で有り得べからぬ事態が繰り広げられようとしている様に気付いて足を止めた。
 駅へと続く通りの人目の多さは意に介さず、日本刀を投じた本人は不敵な笑みに目標である…黒衣の青年へと一直線に歩を進める。
 その姿はさながら海を割るモーゼの如く、人波は自然と割れて唯為の姿を際立たせて、青年に存在を気付かせた。
「あれ、唯為じゃん。今幸せ?」
傘の支柱を貫いて、刃先を見せた『緋櫻』の切っ先を恐る恐る、指で突いてみたりしていた青年…ピュン・フーはあっけらかんとした笑顔で知人を見るに、いつものようにそう問うた。
「御蔭様で退屈もせず毎日シアワセだ」
息も継がずに、『幸せ』の部分は何やらを含んだ声音で肯定し、唯為はテーブルに腰かけ、『緋櫻』を引き抜き、刃先をピュン・フーの喉元に添わせた。
「昨日のあの女共は何だ。趣味の悪い」
「あれ、やっぱ気に入ってなかった? 可愛くはねーけど、唯為、あーゆー一回限りで後腐れのにねータイプ、わりと好きかと思ったんだけどなー?」
「あーゆータイプは後が腐りまくるだろーが。始末に悪い……それに俺の好みは量より質だ。もっとマシなのを回して寄越せ」
…傍目、羽振りの良さそうな上質のスーツに光りモノ(日本刀)を携えた『や』のつく自由業っぽい唯為と、シルバーアクセをじゃらつかせて円いサングラスに目元を隠した革のロングコート姿のその筋の斡旋業のようなピュン・フーの交わす会話もそれっぽく、二人に止まっていた足はそそくさと蜘蛛の子散らしに去っていく。
 君子、危うきに近寄らず。
 古人は偉大なる格言を残した物である。
「そりゃ悪い事したなー」
喉元に添えられた白刃に特に動じた様子もなく、ピュン・フーは軽い調子で謝罪の意を述べ、机上のアイスコーヒーの横に置いた雑誌に手を伸ばした。
「まぁそんなとんがるなって。今日は俺、オフなんだよ…暇だったら一緒しねぇ?詫びもかねてさ」
その間、栞がわりに挟まれていた紙片を取り出した。
 印刷された濃いブルー。
 無数の気泡、それを遮る影…の片隅に水中から顔を出したアシカが「みんなで来てね♪」と手を振っている。
「水族館……?」
しかもペアチケット。
「激しく減点だ、阿呆」
唯為は『緋櫻』の刃先を上げ、平でピュン・フーの顎を持ち上げる。
「えぇッ!? なんでッ」
つられて椅子から腰を浮かせるピュン・フーの顔の位置が、テーブルに腰かけたままの唯為と同じ高さになる。
「一つに、詫びという言葉で折れてみせるのは、付け入る隙を与えるようなモノだ」
寄せた銀の瞳が、に、と微笑う。
「そのわざとらしいペアチケットも非常にマイナスポイントだ。洒落たバーでも用意しておけと言っただろうが。来い、誘い方及びエスコート指南をしてやる、じっくりとな」
そのままむんずと襟首を掴まれて引きずられていく。
「わわッ、唯為、たんまたんまッ!」
「うるさい、騒ぐな。何なら実践してやってもいいが?」
右手に抜き身の『緋櫻』を、左手に「助けてママに拉致されるーッ」と騒ぐピュン・フーを引っ提げて唯為が去り、漸く、そして恐る恐ると店員が出て来た…が、テーブルの上にアイスコーヒーの代金473円を発見するに、彼は通報して善良なる市民となるより、君子である道を選んだ。


「で、なんで水族館なんだよ!?」
唯為の愛車The BMW Z3 roadsterを駆り、連行された先が減点喰らった当の水族館では、ピュン・フーの異論も尤もだ。
「相手の好みにそれとなく合わせるのが基本だろうが」
しかも、入場券はカフェに残して来ていた為、唯為がチケットを買い込んでの入場である…しかもペアチケット。
 唯為がピュン・フーを半ば引きずって、まず向かったは直ぐ観れる時間帯であったイルカショー、水飛沫を受けそうな最前列を押さえたはいいが、周囲は家族連れや社会見学か黄色い帽子を被った小学校低学年が多く、黒々して男連れでは浮く事しきり、である。
「ママのエスコートに文句があるのか?」
諦め悪く解せない様子のピュン・フーに、胸の前で腕を組み、ザッポーンと水中から跳ね上がるイルカが空中に吊られたボールを鼻先で捉える様を見ていた唯為が胸を張る。
 問いながらも、文句のつけようがあるまいと、自信満々だ。
「チケット用意してた俺の労は無視なワケ?」
ちょっぴり拗ねた風で片頬杖をついたピュン・フーも、目線は交差してジャンプするイルカに向いている。
「来たかったんだろう?」
事も無げに。
 言い切られて、なんだか反論かる気の失せているピュン・フーは、一糸乱れぬコンビネーションに、尾だけで水の上に立ち泳ぐイルカ達のショーにふと、呟く。
「イルカって食ったら上手いかな」
「脂身が多そうだが」
イルカの動きが一糸乱れた。
「こー齧り付いたら歯が立つモンかね?なんっか固そうだよなー」
「クジラの身もわりと固いしな」
一糸どころの騒ぎじゃなくなった。
「え?クジラって食えるモン?」
「クジラのハリハリ鍋を食わせてくれる所があるぞ?行ってみるか」
「イルカの鍋ってねーのかな」
「拘るな」
淡々と続く男達の会話に恐慌状態に陥ったイルカの群に、プールは最早ショーどころの騒ぎでなくなっている。
 体長平均3m、その気になればきっと尾の一撃で人間なんか跳ね飛ばせる海洋哺乳類は、陸に戻ろうとでもするかのように、観客席から最も遠いステージへと躍り上がっていっかな戻ろうとせず、次の出番待ちをしていたアシカ達が引っ張り出されて訳の分からないまま隅に固まるには嵩高いイルカをバック『バイバイ』を強いられて済し崩しにショーが終演する。
 罪のない生物を恐怖の淵へ叩き込んだ唯為とピュン・フーは次の獲物を求めて…基、順路に従って館内を巡る為、屋内へと場を移す。
 タカアシガニを相手に、
「あの脚、食いでがありそうだよな」
「北海道で食えるらしいぞ」
と、遠い北の大地に思いを馳せてみたり、威嚇にまん丸くなった河豚を相手に、
「刺身にしたら美味そうだよな」
「フグと言えば下関だな」
「てか、なんでそんな食い物関係詳しいんだよ……?」
「人徳!」
と、水槽の生き物達に万遍なく均等にして同一の恐怖を与えながら、新たな謎も踏まえつつ順路を巡る。
 合間、売店で唯為がイルカをモチーフにしたシルバーリングをピュン・フーに買い与えたりもし、すっかりデートの様相を呈している……形ばかりは。
「てか、買うトコ見てんのになんでこの場で開けなきゃなんねーんだ?」
「着けてみせるのが礼儀だろうが」
「左の薬指に填めんなーッ!」
内容は、わりとスパルタだった。
「相手の隙を見つけたら突きまくるのは、喧嘩の基本と同じだろうが。お前は踏み込みが甘い」
「喧嘩だったら遠慮しねーっての」
などと合ってるような間違っているような指南に、ピュン・フーが反論する。
 その言の通り、昨日の遣り取りの中には既知ならば…しかも少しは好意めいた関係があれば感じるような手加減などは微塵もなかったのは事実だ。
 その迷いの無さを、強さと呼んでいいものかは、判然としないが。
「あの理不尽な神父はお元気か?」
ついでに思い出した人間の近況を、皮肉を込めて問う唯為にピュン・フーはあっけらかんと肩を竦めた。
「死んでなけりゃ生きてんじゃねー? だいたい、ヒューってば仕事終わったらとっとと帰っちまうのいつもだし」
守っていた相手を評するにあまりに気のない風で、歩は休めぬまま進むのに、空間が開けた。
 通路は足下が見える程度に仄暗く水槽を浮かび上がらせ、明度の押さえられた其処から出ると、その蒼は一瞬、見上げずに居られない、透明な圧力で其処に在った。
 水族館の大水槽、その青に透過された光線が、魚影が過ぎる影を揺らめかせる。
 奥深く広がる水槽の中…閉じられた空間は岩を模し、水を満たし、生命を維持の為の酸素がコポと気泡となって天へ昇る。
 しばし、言葉が途絶えた。
 ピュン・フーの室内でも外さない円いサングラスの横から覗く赤は、その蒼を透かしても変じぬ程に深く紅い。
 その目元を少し細めて笑った風に、水槽へと手を伸ばす。
「生と死とを決定的に分ける要素ってなんだと思う?」
指が水槽を叩く…波紋を生みそうな錯覚を覚えるが、それは固い音を立てるのみだ。
「今まで空気ン中で生きてたのが、この水ん中でしか生きれねぇヤツらみたいに変わっちまう…いきなりあっち側のモンになっちまうのって乱暴なシステムだと思わねぇ?」
下から見上げれば、水面が光を弾いてきらめく様が見て取れ、それを見上げるピュン・フーの顔に波紋の影が揺れた。
「けど、『虚無の境界』のヤツってそれを得るのが『幸せ』らしい」
微かに笑みを刻んだ横顔が、続ける。
「唯為、今幸せ?」
今までのそれとどこか質を違えた表情で問われ、唯為は片眉を上げた。
「ふん?」
口元を引いた笑いの形で、水槽に触れるピュン・フーの手、その上に掌を重ねる。指先に触れた硝子の質感、それとさほどの差もないひやりとした温度を持つ手の甲に眉を動かす。
「いい加減積もる話もあると思うんだが、あまり焦らされると痺れを切らしてママは狼さんに変身するぞ」
「はぁ?」
肩を押されて背が水槽につき、動きを封じられてピュン・フーが怪訝な顔になる。
「唯為、いつからライカンスロープのキャリアになったワケ?」
右肩の上に唯為の左肘、左脇の下に右手で水槽と唯為の間に挟まれる、何だか間違った体勢にも動じないどころか、その首筋に顔を寄せて、クンと鼻を鳴らす、警戒心のなさは子供めいていた。
「そんな気配も匂いもしねーけど。唯為、コロンか何か付けてんの?」
「入浴剤に名湯・草津の湯をな」
それは素なのか、それともはぐらかしているのか…いつもの調子を崩さないピュン・フーに唯為は苦笑し、軽口を返した。
 退屈させない、という意味でつくづく…印象の正反対の、彼等の間で現在、息子と兄に設定されている知人とよく似ている。
「本気にするな、阿呆」
唯為は、襟元を掴んで草津の香りを確かめようとするピュン・フーの額を指で弾いた。
「お前が何故虚無の境界へ加担するのか、その理由を聞いたところで何が変わるとも思えんが、ワケも分からんまま昨日の様な遊びに付き合わされるのも不快極まり無いんでな」
「なんだ、それが聞きてーんなら最初っからそー言やいいのに。理由ってもたいしたモンねーけどな」
ピュン・フーは弾かれた勢いでずれたサングラスを外して、瞳の紅を明確に晒した。
「あっちを殺すか、こっちを殺すか、差がそれだけだったってハナシ」
それだけ。
 手を染めるのが同じ血なら、どちらでも変わりはないという、ピュン・フーの認識に唯為は眉を顰める。
「……それと、あの死霊を呼び出すアレは一体何のショーだ? 悪趣味にも程がある」
それでも、問いに答えるつもりがある様子に、本来ならば彼の身を案じての懸念を、別の角度から投げてみる。
「うん、俺もそう思う。可愛くねーよな」
可愛さを求めるのもどうかという、履き違えた見解ながらも神妙に頷いて同意を見せ、彼は親指で自分の左胸を示してみせた。
「ここんトコに怨霊機っつーのが埋め込んであって出来る芸当なんだけど、詳しい事はよくわかんねー。『虚無の境界』のヤツに聞きゃもーちょい詳しいかも?」
という事は生来のそれでない上に、テロ組織によって仕込まれた物か…判明する事実に、唯為は盛大に溜息を吐いた。
「せめて友達はナマモノだけにしておけ」
他にどうとも言い様が見当たらない。
「あんな可愛くないヤツ等、友達なんかじゃないやいッ! それに俺、元々友達いねーもん。付き合い職場の同僚ばっかだったし」
ぷいとそっぽを向くピュン・フーにふと、徒心を起こす。
「ほう、可愛くなければ友達じゃないのか? なら、俺は対象外だな」
「唯為はママじゃん」
予想通りの返答に内心ほくそ笑み、唯為はそれでなくとも近い距離を更に詰めた。
「聞き分けのよい子には、ママからご褒美だ」
額にかかる髪を撫でるようにかき上げ、赤くなっている其処に唇で触れた…瞬間、げんなりというかなんというか、激しく疲れた風で、ピュン・フーは肩を落とした。
「唯為よぉ……こーゆーこた、本気でよい子のにーちゃんにしてやれよな」
唯為は答えずに笑う…勿論、イヤガラセだった。