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<東京怪談ノベル(シングル)>


■ 呼 ■



 赤い。
 赤い月。
 暗紅の男。
 一匹の蜘蛛が獲物を待つ。

「……また遊んでくれ」

 一人の男が……お前を待つ。



 ■流転■

 仄暗い部屋。
 ぽつりと、死が灯る。

 この街のすべてが、ここに存在する。
女の手にある容「かたち」に収まった力。
 それに引き寄せられるように、一枚の容が現れる。
「早いのかしら……それとも」
 血色の髪の女は溜息を吐いた。
「遅いのかもね」
 黒髪の女は笑った。
 相変わらずこの部屋には力が満ちていた。


  *  *  *
「行くのか」
 未だ若く、少年というに相応しい彼は、涼を睨み据えて言った。
 そんな真摯な瞳から逃げるように、涼は視線を反らす。申し訳なくなって俯き、唇を噛んだ自分を見ても、彼は許してはくれない。
「聞いてるのか?」
 怒っているのが声だけで分かった。
 分かるだけに、顔を上げられないでいる。
 時間だけが過ぎて、重苦しい何かが自分に覆い被さっていた。それは変え様もなく、眼前に突きつけられている。
 凄惨な体験の衝撃は確実に涼を蝕んでいた。
 幻は夜な夜な夢で自分を誘っては、切り刻みながら犯してゆく。その度に飛び起きて、じっとりと肌に滲む汗を拭う朝が続いた。
 ことあるごとに思い出し、調理中に包丁を見つめては呆然と立ち尽くしてそれを見咎められ、気が付くという危うい日常を送っていた。
 それだけに留まらず、気が付けばその事ばかり考え、逆にあの男を求めて新宿の路地裏をふらつくようになっている涼が居た。

―― おかしくなりそうだ……

 都会の熱に浮かされながら、今日も涼は街へ飛び出そうとしていた。
「涼……聞いてるのか?」
「済まない……」
 それだけ言うと背を向けて歩き始めようとした。
「待てってば!!」
 彼は不意に両の手を掴んで前に回りこむと手を離し、涼の頬をその手で包んで見上げる。
「涼……」
「……っ……」
 思わず声を漏らし、ビクリと涼は身を震わせた。
 背裏にエクスタシーによく似た甘い感覚が走り、目を瞬かせる。
 頬を包む彼の手が淫靡で妖艶な殺戮者の血塗られた手と重さなった。

 手招く血に濡れそぼった手が自分の頬を包む幻想(ゆめ)
 形の良い唇から覗く滑る舌が死への言葉を紡いで、手に持った白刃が振り下ろされる。
 脳裏に踊る危険なシグナルが涼を掴んで放さない。不意に熱くなる自分の体を涼は抱きしめた。

「危険だって言ってるだろ!」
 彼は叫ぶように言った。
「わかってる」
「わかってない!!」
 自分の気持ちが伝わらないことに対して苛ついているのか、悔しそうに見上げてくる。
 彼の気持ちが分からないわけではない。
 分かっているからこそ、なお辛かった。出来るなら、そんな顔をさせるような真似は絶対にしたくなかった。
 自分の中の些細で幸せな願いでさえ打ち砕いてしまった出会いを思い出す。涼は瞳を伏せた。

『……また遊んでくれ』

 甘美で残酷な誘い。
 平和な日常と引き換えに与えられる、世界の深遠への鍵。
 平和に飽き飽きしていたわけではないのに、誘われて道を踏み外したくなるような言葉。
 涼は溜息を吐いた。

―― なんでこんなに気になるんだ……


「警察には自分が犯人の顔を見たって言ったのかよ!」
「……届けて…ない……」
「なんだって……」
 覗き込むようにして言う少年から視線を外す。
 溜息と共に吐き出される涼の言葉に思わず彼は耳を疑った。
「あれだけの猟奇殺人事件だってのに……何でだよ。追う気かよ」
「…………」
「今、あそこは立ち入り禁止になってるんだぞ。近寄れるわけじゃない! それに最近様子がおかしいよ! そんな状態でどうやって探すって言うんだ!」
「……それは……」
「ほら、あてが無いんじゃないか! うろうろしてたって、怪しい人物と思われるだけだ」
「…でもな……」
 どうして自分がこの少年を振り切ってまで、この部屋から出たい衝動に駆られているのか分からない。直ぐにでも現場に駆けつけて、あの男を捜したい欲求は何処からくるのか。
 飢えた瞳は新宿の路地裏を夢見ていた。
「涼!」
 憔悴した瞳で涼が見れば、心配顔の彼の表情は怒りを含んだものへと変わる。
 不意に縋り付いて、シャツの襟を彼が掴んで引くと、涼の唇に彼の唇が重なった。
「うっ!」
 振り解こうとしたが、懸命にしがみついてくる力は容易に解けない。
 熱い吐息が、時折涼の唇の隙間から零れた。
「はぁ…っ…」
 苦しくなって開いた唇を割るように舌が入り込む。口内を貪るように舌が涼の舌を嬲り、きつく吸い上げる。掴んで離さぬ彼は、下肢を涼のそれに押し付けて揺すり上げた。
「や…やめッ……」
 背裏を走る感覚に、涼は眉を顰めた。
 ガクガクと震えだす膝は頼りなく、涼は依然と舌を絡めてくる少年を見詰める。
 切なげな吐息と共に彼の吊り気味の瞳からは一筋涙が零れた。
「りょ…う…涼……」
「…っ……」
「帰ってくるって…約束しろ…よ……」
 口付けの途中で紡がれる言葉は切なげに彼の唇から零れ落ちた。
「約束……する…帰って…くるから……」
 すがり付いてくる少年の肩を優しく抱くと、ゆっくりと体を離す。
 背を向けてドアへと涼は向かった。
 ゆっくりと歩く。ドアを開けて外に出れば、振り返らずにその場を去っていった。


 ■夢現の片隅■

 街に出れば、そのまま地下鉄へと向かい、丸の内線に乗って新宿まで出る。
 電車が新宿に着けば、週末の買い物に繰り出す人並みを掻き分けて新宿二丁目に向かうため、地下道を歩いた。
 地上に出れば、既に辺りは暗くなりはじめている。
 涼は時計を見た。
 午後六時ジャスト。
 買い物を終えた人々が夕食にありつこうと、飲食店の多い道にごった返していた。
 その間を抜けて大通りへ出る。
 派手なイルミネーションが目に飛び込んできた。
 人目を避けるように涼は新宿二丁目の裏通りに出る。
 むっとした熱気は相変わらずで、すえた匂いが辺りに立ち込めている。
 この街にある臭気は、あの猟奇事件のから更に濃くなっていったようだった。
 ぺったりと纏いつく空気を払うように、涼は歩き始める。
 
 この街にいればきっと出会えるはず。
 そう、涼には思えてならなかった。 

―― 探してどうなる……

 愛刀・黄天を振り切った男。
 超人的な跳躍力でビルの非常階段へと飛び移り、瞬時に姿を消した男をどうやって捜せというのだろうか。
 あれだけの殺人を犯しておきながら、未だ警察に正体の片鱗すら与えていない男を見つけるなど、奇跡に近い。

―― 俺は…負けたく……ない……

 涼は唇を噛み締め、震えてくる自分の体を抱きしめた。と、同時に、体を突き抜けていく感覚と熱。
 我知らず、涼は熱い溜息を零す。
 それが、淫靡で、妖艶で、残酷で……呆れるほど無邪気な笑みを浮かべていた、あの殺戮者に向けられたエクスタシーだとは気がつかないまま。


 今日も白々とした姿を月は晒す。
 濡れそぼる黒珠色の空は重く、街に圧し掛かっていた。
 潜む愛しい悪鬼を求めて、密やかな追跡に溺れる青年が街を行く。
 破滅色の未来は誰に訪れるのか。

 月は黙す。
 空も……語る言葉を失う。

 夢現の片隅で紅い華を咲かせるのはどちらなのか。
 街と二人の女達だけが知っていた……

 ■END■