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<PCシナリオノベル(シングル)>


書物魔女−首切りの物語−

『血……血……血が欲しい……ギロチンの喉が渇く……』
 夢の中を追ってくる、切望する、声。



 煉瓦造りの巨大な建物の外壁には蔦が絡んでいた。その緑と煉瓦の赤、そして空の青はこの地が東京である事を連想させない。都会ではないという意味ではない。『東京』ではない。
 ではなにか。答えは実に明瞭だ。
『帝都』
 その風格がある。
 微細な香りが鼻腔を擽る。
 それは決して不快なものではなかったが同時に心地良いものとも思われない。重い、それは感覚で嗅ぐ香りであって恐らく実際に嗅覚を刺激しているものではないのだろう。
 煉瓦造りの巨大な建物を前に、セレスティ・カーニンガム(せれすてぃ・かーにんがむ)は思う。
 実際の年齢など人に言えたものではない彼にして尚、この建物の重圧感はその肌にひしひしと感じられる。
「……ふむ」
 瀬名雫からの依頼を受け訪れたこの建物の名を広義で学校、固有名詞では霧里学院。全寮制中高大一貫教育の学園だ。外見に背かず十分に黴臭い。
 待ち合わせ場所は校門を潜って左手にある食堂棟のカフェ。セレスティはそこで雫と依頼主である少女を待ち構えていた。
「……夢、ですか」
 未だ聞き齧っただけの情報の中で、その一言だけが酷くクリアだった。

 件の夢を見た少女、田中鈴子は傍目にも怯えながらセレスティに事情を説明した。
『こんばんわ。こんな所にお客様なんて珍しい。もしかして貴方は夢渡り? そうだね! きっとそう。あっと残念……そろそろ時間。でも直ぐに会えるよ。じゃあ……魔女の夜会のその後に……またね?』
「あんな怖い夢を見たのは初めてで……」
 目に涙さえ浮かべ鈴子は告白する。
「理由にもちゃんと心あたりがあるんだよね?」
 まともに言葉さえ紡げない鈴子に雫が助け舟をだす。鈴子は頷いた。
「私は図書委員をしてるんですけど……女子だけで内緒のお茶会してたんです。それで怪談になって、その時出てきたのが『首切りにまつわる寓話集』なんです。が学校の何処かにあるって噂で、それを読んだ者は三日後『首を斬られて死ぬ』って言うんです」
「ほう……?」
 優雅に組んでいた脚を崩し、セレスティは身を乗り出した。
 多少凝ってはいるがどこにでもありそうな学校の怪談ではある。だがそれは強く意識を引かれるものでもあった。
 鈴子はきゅっと下唇を噛み数瞬沈思した。そして意を決したように唇を開く。
「あったんです。その、本が」
「その本とは『首切りにまつわる寓話集』ですか?」
 はい、と鈴子は頷く。
「……まさか本当とは思わなくて……面白がって皆で読んだんです。そうしたら……」
 ぶるりと鈴子は震える。
「その時一緒だった子達は……皆居なくなって……」
 言いながら鈴子はカフェのテーブルに一冊の本を置いた。
「……その度に本のページが増えるんです! その子の……その子の死んだ場面のページが! 怖くて……怖くて捨てても……部屋に戻ると私の机の上にあるんです!」
 最後は絶叫に近くなる。
 ざわりとカフェの空気がざわめくのをセレスティが気付かぬはずもない。
「……兎に角、その本はこちらへ頂きましょう。それにここは目立ちすぎる」
 ならばと三人は鈴子の寮へと場所を移すことと相成った。



 少女らしい可愛らしい部屋とは生憎寮の個室は行かない。勉強机やベッドは備え付けのものだ。味けないその部屋に精一杯の――ちぐはぐではあるが――装飾をしたその部屋は、確かに少女のものではあったが今はそんな甘い可愛らしい空気を漂わせては居ない。
 セレスティは受け取った本を傍らに置き、カードによる占いを始めていた。
 古来よりカードは吉凶を占いまた呼び込む。
 真実に繋がる糸を手繰り寄せる為にセレスティはカードを使う。それが好ましいものであるないに関わらず。
 いっそ残酷に。
 カードを置き、セレスティは眉を顰めた。
「……どうも得体が知れませんね」
 本は確かにロクなものではない。それは分かるがその真実までをカードは写さない。そして本を占う途中、その占いを装って占ってみた鈴子の命運もまた……ロクなものではなかった。
 ――即ち、死。
 死がどのようなものであるのかその定義はこの際は避けよう。
 セレスティにとって雫にとって鈴子にとって、その意はそれぞれに違うのであろうから。そして何より自然に導かれるものでないのであれば、それは退けて何ら損即のない、否退けられるべき自体だ。
「兎に角この本はお預かりしていきます。……死は遠のいていますよ大丈夫です」
 涼やかな笑みをセレスティは浮かべた。
 残念ながら今の状態の鈴子を慰める事はかなわなかったが。



「ふむ」
 己の屋敷の書斎に戻ったセレスティはその本を紐解いていた。
 実に悪趣味な本だ。そこに『魔女』とやらが関わっていなかったとしてもその内容はあまりに悪趣味だった。
 逃げ惑う少女、わけもわからずそのそっ首を落とされる少女、絶叫する少女。
 赤い血の惨劇がこれでもかとばかりに克明に描写されている。
「随分と洒落にならない悪戯ですね……」
 呟いた刹那、
『血……血……血が欲しい』
 その声はどこからともなく響いた。



「セレスティさん?」
 幼く舌っ足らずなその声には聞き覚えがあった。瀬名雫だ。セレスティは眉を顰める。周囲はそんな単純な表情の変化で表せるような状況でもなかったが。
「何故ここに? いやそれ以前にここは……」
「わかんないよぅ」
 雫はその腕にしっかりと錯乱してしまっている鈴子を抱いている。錯乱もするというものだ。
「少なくとも私の屋敷ではありませんね」
「……もうちょっと慌てるとかなにかないの?」
 雫がいっそ呆れたように言った。その言も尤もなものだ。
 その空間は屋敷だとか外だとか、そんな可愛らしいものでは決してない。
 壁はない。床もない。
 空間としか呼べないそこには無数に赤い目が浮かんでいる。全方向からその目が三人を監視しているのだ。
「……本当に悪趣味ですね」
「……っく、いや……いや……」
 ガタガタと奮える鈴子を雫の手から受け取り、セレスティは抱き上げた。しっかとしがみ付いてくるその身体は細くも軽い。決して大柄ではないセレスティの手にもだ。寧ろ庇護欲がそう感じさせるのかもしれない。
 この少女は当たり前の少女であり、そして当たり前の少女であるからこそ既にその精神は限界に来ているのだ。
 多少はこうした事態に免疫のある雫が、その目玉空間の先を指差す。
「階段があるよ」
「行けと言う事でしょうかね?」
 セレスティは鈴子を抱いたまま立ち上がり、雫に後ろを示す。
「ひゃあっ!」
 雫が悲鳴を上げたのも無理はない。後方から明らかに人の手の形をしたそして人の手ではありえないものが迫ってくる。
 目玉と同じく無数にだ。
「ひえええ!」
 反射的に駆け出す雫を追って、セレスティもまた歩を進めた。

「成る程」
「落ち着かないで欲しいなあ」
「キミも十分落ち着いていませんか?」
「居直ってって言うんだよ」
 えへんと雫が胸を張る。
 階段を昇りきった先にあったものは案の定と言おうか、そう言う場所だった。
 世界は赤くそしてその白い煌きだけが未だ染まらず新たな色彩を待っている。
 ギロチン台だ。
 水を操ろうにも水そのものが存在せず、そして追いすがってきていた手達には血液さえ流れては居ない。
 何の抵抗もできずに三人はここまで導かれてしまったのだ。
「つまりこの刃はこの子の赤を求めている、ということですか」
 既に鈴子に意識はない。
「まあこのままなら痛みも泣く済みそうではありますが」
「セレスティさん!」
 じわじわと迫ってくる手を睨みつけたまま雫が怒鳴る。
「冗談ですよ」
「笑えないっ!」
 全くだ。
「ふむ……」
 セレスティは抱えていた鈴子を下ろし、小脇に抱えていた本を開いた。
 新しいページが増えているだろうか、単にそう思ったのだがその行動は思いがけない光明を齎した。
 何気なく開いたまでの事、どのページを引き当てるかなどわからない。だが、
『首切りする人キラリと消えた』
 子供の遊びのような言葉。それが見開きのページにでかでかと記されている。セレスティは何も考えず思わずそれを読み上げた。
 空間が鳴動する。
 無数の目達が融合をはじめそして寄り集まったそれらは目ではない何かに変じるとかぱりと口を開いた。
「……きゃあああっ!」
 雫の悲鳴が耳につく。セレスティは足元の鈴子を雫に託すとその開いた口に向けて身を躍らせる。
 好機。
 それがはっきりと分かる。
 空間を形成していた無数の赤い目。
 それと同じ、大きさだけを違わせ更に強い意志を込めたものがその口を開いた先に鎮座している。明らかな害意を三人へと向けて。
 武器はない。操れる何者もここにはない、それならば。
「仕方がありませんね」
 セレスティは迷わず手の甲に歯を立てる。白い歯に傷つけられた肌が一筋の血を流す。
 それこそが武器。
 鋭利な刃物と化した己の血が、その巨大な目玉に襲い掛かった。
 そして、刹那、
 空間はたわんだ。



 ふと見渡すとそこは元の書斎だった。
 夢かと思いかけたが手の甲のひりひりとした痛みと、そして手の内にある本が今の体験が夢で無いことをセレスティに教える。
「本当に悪趣味な……」
 呟いた刹那、手にした本が燃え上がる。
 慌ててワインをかけてもその火の勢いは消えない。
 その悪趣味な本が消し炭と化すまで、火は燃え続けた。



 そしてその晩の夢の中で魔女は笑う。
「お疲れ様! これで首切りのお話はお終いっ! 頑張ったね!」
「……悪戯が過ぎますよ全く」
 セレスティの声にも魔女は無邪気に笑うばかりだった。