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<東京怪談ウェブゲーム アトラス編集部>





■序■

 巨大な蛞蝓のようなものが、闇の中で蠢く。
 狂気にも似た視線と鋭いものに、身体が貫かれるのを感じる。
 あとに残るのは、生命を奪われた口惜しさ。気も狂わんばかりの怒りと恐怖。身体に開けられた風穴を、つめたい風が通り抜けていく。
 血も痛みも膿もない。
 自分は、畏怖をもって仕えなければならぬ。
 何に?
 ――あの、神に。


 リチャード・レイが頭を抱えて溜息をつくのは、別段珍しいことではない。
 だが、彼がどことなくやつれて見えるのは異変だ。彼はほっそりとしていていつも蒼白い顔をしているが、どことなく活き活きとしている人間だ。イギリスから日本へ、十数時間をかけて移動してきても元気である。
 その彼がやつれた顔で溜息をついているのは、ひとえに夢のおかげであった。
「匿名で『棘』が送られてきましてね……。消印はイシカワ県のイイキ湖岸にあるクラ町でした。うっかり触ってしまってから、ずっと夢見が悪いのです」
 しかし、と彼は灰の眉をひそめた。
「これが、クラ町で『採れた』ものならば……問題です。とても厄介なものが、イイキ湖に居ることになる。本来ならばイギリスの湖に棲んでいるはずなのですが……ひとつ、調べてみる必要がありますね」
 彼は別に、自分の安眠を取り戻すためだけに調査員及び戦闘員を集めたわけではなかった。
 倉町の井伊姫湖に強大な力と『棘』を持つ何かが居ることを、ほぼ確信していたのである。知っているからには、手を打たなければならない。
 神だろうが御使いだろうが、悪夢をもたらすものが善いものとは思えないからだ。


■黙示録の復活■

 大して急ぐつもりもないのか、はたまた急ぐ気力も沸かないのか、レイは数名の調査員とともに、とろとろとローカル線で石川県に向かっていた。

 容易に想像がつくことではあったが、レイがこの話を持ち出したとき真っ先に現れたのは星間信人であった。彼は基本的に誰とも行動を共にしないのだが、今回は違うらしい。先月イギリスで2件の大事故に遭ったレイを「災難でしたねえ」などとお義理で労った他には、特に何も言わず尋ねもせずに、別に行くところがあるからと、先に発ってしまっていた。彼とは、倉町で合流することになりそうだ。
 信人に遅れること20分、次にレイのもとを訪れたのは、ステラ・ミラと武神一樹だった。一樹は話を聞くなり、月刊アトラス編集部を飛び出していった。いや、発つ前にレイの悪夢の元凶である『棘』の力を封じようとしたのだが、何故かステラがそれを制止したのである。ステラが只者ではないが、少なくとも敵ではないことを感じ取った一樹は、ステラの望みに従ったのだった。
 蒼月支倉と賈花霞の兄妹は、いつものように仲良く連れ立ってやってきたが、レイと一言二言交わしただけで、すぐに出ていった。ここに来る途中、血相を変えて走る下駄に和装の男性――武神一樹と激突し、かいつまんで事情を聞いていたのだ。一樹の力のほどはよく理解しているが、独りで行かせるのも問題だと、ふたりは一樹と共に先に発つ道を選んだ。
 御母衣今朝美、柚品弧月、ファルナ・新宮は、そのあとにレイのもとを訪れた。この3人はべつに出遅れたわけではない。問題は遠い昔からすでに始まっていたのだ。
 そして彼らは、ステラも提案もあり、ローカル線で石川県へと向かうことになった。のどかな山と野を走る特急の中でなら、長い説明も出来るし、夢を見ることも出来るだろうから。
レイの身に起きた災難は、そもそも彼自身のへまが引き起こしたものにすぎないのだが――星間を除く全員が、彼に同情的であった。いつもより多い溜息、覇気のない表情、噛み殺しているあくび、どれを取っても、彼を笑い飛ばせる余裕にはならない。だが彼は、自分の身に起きた不幸を幸運に結びつけているほどには図太かった。自分がこうして毒牙にかかってしまったことで、この国そのものがみている悪夢に気がつくことが出来たのだ――それが、リチャード・レイの前向きな言い分である。彼は溜息混じりに、灰の目をこすりながらそう語った。


 武神一樹が先ほどからぽかんと「下」を眺めているのは、べつに高所恐怖症であるからではない。ただ……ヘリに乗るという機会はそうそうないからだ。
 蒼月支倉と賈花霞の兄妹が、今回も仲間であることは確かに心強かった。
 だが「急いでいる」という一言で、ヘリを出してくるとは思わなかったのだ。
「……お前たちの家はよっぽど金持ちなんだな……。こんな短時間で飛行許可まで取ったのか」
「うーん、僕らは普段あんまり意識してないんですけど」
「パパさんね、ときどきはりきるから」
 支倉の膝の上のノートパソコンから、花霞が目を正面の一樹に戻した。
「……レイさん、具合わるそうだったね」
「『夢引き』にやられたんだろうな。専門家なのにあの神の『棘』にさわるなんて、あいつは意外とヌケてる」
「『ゆめびき』?」
「近くに住む者や身体の一部に接触した者に念波を飛ばして、自分の元へ導くんだ。そうして信者を増やす神なのさ」
 窓の下の山岳風景を眺めながら、一樹はすらすらと答えた。花霞だけではなく、今や支倉も興味深く邪神の話に耳を傾けている。
「昔はもっと力があったらしいんだが――まあ、無いに越したことはないか。俺たちにとっては」
 一樹は険しい顔になり、支倉の膝上に目を移した。
「倉町については何かわかったか?」
「あっ、ええと、はい」
 支倉と一樹がノートパソコンの画面に集中している間、花霞は睨むような視線を外に向けていた。
 風が、強い。


■ようこそ、湖のある町へ■

 倉町は田舎ではあったが、一樹たちが想像していたよりは大きな町であった。井伊姫湖は自然湖だったが、適度に人の手が入っていた。町もこの湖を顔にしているつもりのようで、清掃や観光業には力が入っていた。ヘリを降りた3人は、町の明るさに安堵したが、同時に拍子抜けもしてしまった。支倉がヘリの中で調べた通りの姿だったからだ。
「おや、お揃いで。お待ちしておりましたよ。何はともあれ、無事に到着したことをお祝い申し上げましょうか」
 湖前の公園のベンチに座っていたのは、星間信人であった。彼は開いていた古書を閉じ、眼鏡を直して『同行者』に微笑みかける。初対面である兄妹はきょとんとしながらも挨拶をしたが、一樹は渋い顔で信人に近づき、耳打ちした。
「……今回はどんな手ぐすねを引いておいたんだ?」
「相変わらず傷つくお言葉ですねえ」
「お前、今までの自分の行いを考えてみろ。急に協力するだなんて言ってもだな……」
「今回の相手はすでにご存知でしょう、武神さん。水の者ですよ。実に汚らわしい」
 微笑みながらの毒ではあったが、水への敵意と殺意は本物だ。
 一樹は、やれやれと頭をかいてから、今度は支倉と花霞に耳打ちした。
「奴には気を抜くな。腕は立つんだが、頭がどうも――」
「へんなの?」
「ほ、花!」


 のどかな昼下がり、湖にはいくつかボートも浮かんでいる。
 話を聞けば、夏休み中や盆休みには、結構な人出だったらしい。だが、光があれば影ができる。支倉と花霞が無邪気に尋ねると、土産屋のおばさんはぼやいたのだ――
「今年は寒かったし、へんな人たちが移ってきたし、お客は少ない方だったんだよ」
「へんな人……?」
「湖の東側に小屋を立てて、集団生活をしてるみたいなの」
信人はその影を暴き、すでに黒い噂を辿っていた。
「配送記録を調べましたが、レイさんに『棘』を送りつけたのは、そのバラックに住んでいる方々のようなのですよ。背後に組織があるかどうかは行って調べてみなければわかりませんね」
「東側か……」
 倉町は湖の西側から南にかけた地域にあり、東側には原生林が広がっている。自然をなるべくそのままに、という町の方針のおかげで、原生林にはほとんど手が入っていないらしい。
 怪しい集団は、町の住民でも分け入らない森に、2周間ほど前から住んでいるらしい。町役場からの立ち退き命令も無視しているようだ。何も派手なことはしていないが、何もしなくても目立つ人間がいるのと同じで、噂はたちまち周辺に広がり――井伊姫湖の風評そのものに影響を及ぼしてしまったのである。
「ですから、その集団を滅ぼすことは、レイさんに安眠をもたらすだけではなく、この町に平和を取り戻すことでもあるわけです」
「お前が言うか」
「でも言ってることまちがってないよ」
 どうも立場が悪いようだ。一樹はレイばりの溜息をつくと、昼なお暗い原生林を眺めた。
 彼らはすでに井伊姫湖の東側まで来ていたのである。


■昼下がりの闇■

 樹海では、磁石が狂い、空は奪われ、不用意に入りこんだ者が活路を見失うという。自ら死を選ぶために入った者を優しく抱きとめ、二度と希望の世界へ返すことはない。
 ひええ、と花霞が肩をすくめた。数多くの魂に触れてきた彼女にはわかるのだ。木々の間から覗きこむ目や、昼の闇の下で佇む影が。
 今は昼だよな、と一樹は思わず支倉の腕時計を見た。午後2時だ。井伊姫湖の水面にうつる太陽の光が、夢の中のものであったかのようだった。まだ日が西に傾きかけた頃だというのに、懐中電灯があれは便利だと思えるほど暗い。
「ふふ、まったく、格好の住みかといったところですね」
「えっ?」
「彼らを見ればわかるかと思いますよ」
 支倉の疑問を、信人は煙にまいた。

 湖に沿ってじめじめとした森の中を1時間ほど進むと、町の住民が噂していた小屋が見えてきた。小屋は全部で三つあり、窓にかかった黒いカーテンは残らず閉めきられていた。
 工事現場でよく見かけるプレハブ小屋だったが、妙に生活感がない。だが、ゴミがちゃんと分別されてゴミ袋に入れられ、小屋の傍らにまとめてあった。この小屋に人が住んでいるのは確かなようだ。
 だが、まるで打ち棄てられた廃屋のような様相を醸し出しているのは何故なのだろうか。
「さて……」
「突風でも起こす気か」
「人をテロリストのように言うのは止めて下さい。まずは話を聞きに行くのですよ」
 信人がプレハブ小屋に向かって一歩踏み出したとき、支倉がぴくりと背後の森に目を向けた。
「星間さん、待って!」
 信人は大人しくその言葉に従って足を止め、怪訝そうな表情さえ浮かべて、支倉を見やった。
 支倉の鋭敏な聴覚が、森の中の物音を捕らえ――
 そして、振り向いた彼らの前に、黒いレインコートの人影が現れたのであった。

「ほんとうに来るなんて……」
 レインコートのフードの奥から放たれた声は、うら若い女のものだった。4人とは距離を置いていたし、フードを目深に被っているので、その顔立ちは窺い知れない。声だけから察すると、この人物は17、8の少女だ。
 彼女はぐるりと4人の風体を伺うと、囁くように言葉を続けた。
「でも、レイって人はいないみたい」
「ああ。だが、あいつの頼みでここに来たんだ」
 一樹が答えた。4人はどこからどう見てもイギリス人の物書きではない。
「こっちにつくのは夜になると思うよ」
「それじゃだめ。……小屋には入らないで。みんな寝てるの。今のうちに話しておきたいことがあるから……」
 レインコートの少女は森に入ると、手招きした。まるで光を恐れているかのように、彼女はフードを押さえつけて(手には黒い革手袋まではめていた)、4人を森の中へと導いたのだ。
 信人は一度プレハブ小屋を振り返り、遅れて彼女の後を追った。


■死の一族■

「蔵木みさとです。レイさんに『棘』を送ったのは、あたしの母と姉さんなんです」
 フードの奥から現れたのは、声にふさわしい歳の頃の少女だった。化粧っ気がなかったが、肌の色は花霞よりも白く、むしろ蒼白いといえるような、不健康なものだった。唇には血の気もなく、どことなく凍死体を思わせるような風体であった。
「蔵木さんはあの神に従われているのですね」
 みさとの顔色を見て、信人が、にいと笑みを歪めてみせた。みさとは唇を噛み、憮然とした面持ちで俯いた。
「あー、こいつのことは気にするな。とりあえず、話してくれ」
 一樹は信人とみさとの間に割って入ると、傍らの支倉をつついて耳打ちした。
「……すまないが、辺りを警戒していてくれ。お前は耳がいいようだから」
「了解」
 支倉も話は聞きたかったが、後から花霞に聞けば済むことだと、みさとから離れて森に目を向けた。……今のところ、この暗い森に異常はない。


「あたしの一族は、本当は北海道の大沼に住んでいたんです。変わった水の神さまを信仰してるんです――湖のほとりにしか住めない神さまです。小さい頃に一度『洗礼』を受けたときに見たきりなんですけど、とても神さまには見えなかった。何だかとても悪いもののように思えて……。おじいさんたちがうるさいからなんにも言えなかったけど、あたしの母と姉さんも同じことを考えてたんです」
「そのかみさまって、なんかナメクジみたいなの?」
「うん。背中に棘が生えてるの。レイさんに送ったのはその棘。いつも読んでる雑誌の編集部に、悪い神さまに詳しい人がいるって聞いて――送った途端に、母と姉さんは行方がわからなくなったの……想像はつくんだけど……」
「しかし、何故今になってそんなことを?」
「2ヶ月くらい前に、イギリスから変な人たちが来たんです。きみたちは仲間だ、協力しないかって。最初はただの勧誘だと思ってたんですけど、段々やり方が脅迫みたいになってきて、あたしたちはばらばらに大沼を逃げ出しました。でも、一族の中には、あの変な人たちの仲間になった人もいるみたい。ここもいつ見つかるかわからないし、それに……ここで一緒に暮らしてるおじいさんたちは、最近そのイギリスの組織に入りたがってるんです。こんな暮らしよりはずっとましだって」
「協力してしまえばよろしいのでは? 敬虔な信者には親切な組織ですよ」
「星間……頼むから黙ってくれ……」
「いやな予感がするんです。あんな人たちと手を組んだら、何か悪いことをすることになりそうで――それに、あんな気持ち悪い神さまを信じるのももう嫌なの。あたし、湖のないところも見てみたい。だから、助けてほしいんです! 助けてほしかったの! 悪い神さまに詳しい人なら、きっとわかってくれると思って……!」


 イギリスだ。
 イギリスからやってきた、ある組織の手は――確実にこの日本にも伸びてきている。
 そしてこの日本には、ずっと昔から『湖の神』がいたのだ。ひっそりと、歴史の陰に身を潜めながら、今このときまで生きてきていた。

「武神さん! 大変だよ!」
 血相を変えて、支倉が木の間から飛び出した。
「湖が変なんだ!」
 花霞の髪と風が、草木をばっさりと薙ぎ払った。梳かれた草木の間から、夕暮れの光が射しこむ。みさとが悲鳴を上げてフードを被り、その場にうずくまった。
 一樹はとっさに彼女の身体を支えたが、顔は草木の間に駆けこむ花霞と支倉を追っていた。
 ――しまった。
 一樹はつぎに、舌打ちをした。
 信人の姿が消えている。


■湖の住人■

 あっ、と声を上げて、花霞は足を止めた。
 夕焼けはいやに禍禍しく、赤黒いものだった。
 その色を帯びる湖面が波立ち、泡立ち、
 ざばあ、と巨大なものが浮き上がってきた。

「花! きっとあいつだよ! みさとさん家の神さま!」
「……あんなのが家のかみさまだったら、花霞ぜったい家出する」
「怒ってるみたいだ……!」
「苦しんでもいるみたい。哥々、町に行ったらたいへん!」
 なぜ、湖の神が浮かび上がり、暴れ回っているのかはわからない。だが確かなのは、この蛞蝓じみた怪物が怒りと苦痛で膨れ上がり、大気と水さえ捻じ曲げているということだ。
 草むらを駆け、岸で跳躍した支倉の姿が、ほっそりとした妖狐のものへと変じた。
 支倉の横を走っていた花霞の姿もまた、青い房のついた中華の武器へと刹那で変わる。
 妖狐はその短器械の柄を咥えると、焔を帯びて、神の背まで跳んでいた。


 信人は、焦燥と混乱極まるプレハブ小屋の前にいた。
 そして口元を歪めて、慌てふためく黒い人々を眺めていた。
 どの人間もしっかりと黒いレインコートを着込み、フードを目深に被っている。年配の、ぎくしゃくとした動作の男たちが、わめきながら湖へと走ろうとしていた。若い男たちが、その老人たちを必死でなだめ、制止している。
「離せ! 離さんか! 御神が苦しんでおられるのだ!」
「まだ4時半だ、爺さん! 湖の方は明るい! 死んじまうぞ!」
 どうやら、若い男にはさほど信仰心がないらしい。
 それを嘆かわしく思いながらも、水の神を崇める一族の哀れな姿であるから、信人は一見無邪気にも見える面持ちで、黙って様子を見ていた。
 そして、信人は風を感じ――湖のある方角へと目を向けた。


 『賈花霞』の刃は、いちど蛞蝓のぬめる皮膚で跳ね返った。花霞が予想していた通り、ゼラチン質の神の身体には、刃と焔は効果がない。
『哥々! いっかい風をおこすから!』
『OK!』
 怒り狂う神から、鞭のような触手が伸びる。花霞の刃から起きた風が、鞭を薙ぎ払い、妖狐の身体を上空へと運んだ。
『あのトゲを斬ってみて!』
『なんで!』
『トゲだけ、ヌルヌルしてないから!』
『OK!』
 支倉はがちりと『賈花霞』を咥え直す。
 風が止み、
 飛び出した三つの目が、落ちてくる妖狐をとらえ、
 刃は神の棘を薙ぎ払った。


■魔の手は、そこに■

「……消えたな」
 一樹の第6感を狂わせんばかりに辺りを覆っていた邪気が、消え失せた。
 だが、『消滅』したわけではない。神は逃げただけなのだ。しばらくは懲りて、この次元には顔を出さないかもしれない。
「大丈夫か? あの神の洗礼を受けたなら……光が苦手だろう」
 一樹はみさとの顔を覗きこんだ。
 幸い、組織の崩壊や火傷といった傷は負っていない。みさとはただ頷いた。
「リチャードを動かすにはいいやり方だったが、あいつは棘を触っちまって、すっかり夢見が悪くなったんだ。謝っとくべきだと思うぞ」
「はい。……もう、夢は見ないかな?」
「リチャードは、多分な」
「じゃ、あたしは……」
 みさとは俯くと、ぎゅう、と一樹にしがみついた。
 まいったな、という顔をしたものの、一樹は文句を言わずにみさとを抱き返した。ここには怖い顔をする狐もいない。
「湖のないところに行きたい……」
「行けるさ」
「ぐっすり寝てみたい。夢も見ないで、『朝』まで」
「大丈夫だ、眠れる。東京に行って、夜に寝て、朝に起きればいい」
「……」
 みさとは長いこと、顔を上げなかった。


 レインコートの男たちは、ようやく信人の存在に気がついた。
 というのも、混乱が落胆と悲哀に移り変わった頃合をみてから、信人はにこやかにプレハブに近づいたからだ。
「なんだ、あんた」
 若い男の挨拶はそれを以ってかえされた。
 信人は動じず、泣き崩れている老人を見下ろす。
「イギリスから、あなた方のところにお誘いがあったはずですが――」
「あんた、あそこの人間か?」
 思っていたよりも、彼らの食いつきはよかった。信人は笑みを大きくしたが、とりあえずかぶりを振った。
「僕はあいにく違う組織の者ですが、彼らとは少々話が出来ます」
 老人が、顔を上げた。
 もう『洗礼』を受けてからかなりの年月が経っているのだろう。皮膚は青黒く乾き、目玉は白く濁って、すでに生ける人間の様相ではなかった。
「どうでしょう? 僕が紹介しますから、組織に入って、あなた方の神がいらっしゃる『本場』に行かれるというのは?」
 信人の言葉に、黒い屍たちは顔を見合わせた。

 信人は紹介料として、一族に伝わる教典を譲り受けた。
 実に興味深く、貴重な1冊だ。
 名を、『蔵木之黙示録』という――


■これから■

 レイたちが倉町に到着したのは、日がとっぷりと暮れてからのことだった。
 黒いレインコートの少女はフードから顔を出し、駅から出てきた4人を、一樹たち4人と一緒に出迎えた。
「遅かったな。こっちはもう片付いたぞ?」
「そうですか。……こちらも何とかなりました」
「あれ? レイさんたち、何で濡れてんですか?」
「びしょびしょだね。レイさんとファルナさんなんて、なんか……ぬるぬるしてるよ」
「……色々あったんです」
 終始渋い顔のレイは、ふと顔を上げた。
 黒いレインコートの少女と、その目は合った。
「……はじめまして」
 彼女は挨拶し、
「……ごめんなさい」
 謝った。


(了)

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   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)
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【0158/ファルナ・新宮/女/16/ゴーレムテイマー】
【0173/武神・一樹/男/30/骨董屋『櫻月堂』店長】
【0377/星間・信人/男/32/私立第三須賀杜爾区大学の図書館司書】
【1057/ステラ・ミラ/女/999/古本屋の店主】
【1582/柚品・弧月/男/22/大学生】
【1651/賈・花霞/女/600/小学生】
【1653/蒼月・支倉/男/15/高校生兼プロバスケットボール選手】
【1662/御母衣・今朝美/男/999/本業:画家 副業:化粧師】

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               ライター通信
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モロクっちです。大変お待たせ致しました。月末クトゥルフ第3弾をお届けします。
慣れない神様だったから苦戦したんでしょうか、うう。しかし今回はヒントが露骨だったためか、プレイングには軒並み『グラーキ』の文字が……(笑) 皆さんお好きなのですね。
今回は完全にお話が2本に分けられており、湖側と夢側での展開となっております。湖側ではあの『キングダム』の片鱗が見え、夢側は若干(?!)コミカルです。……コミカルなんです。モロクっち的には……。大体レイって実はウッカリなんだなと今頃認識しました。そもそも死ねなくなったのもうっかり呪文を間違えたからなんですし。

 今回も皆様のおかげで楽しく書かせていただきました。
 また機会があればよろしくお願いいたします。それでは!