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<東京怪談ノベル(シングル)>


***『CRUELTY AND THE BEAST』***
 
 時を告げる長い針が、東洋でいう鬼門を廻る。
 丑三つ時を過ぎ…。
 ――その声は聴こえる。
 悲鳴染みた女の声音?
 否―ある種の悦楽に酔う人外の哄笑か…。
 
 月が欠片を取り戻すその時。
 ――音が聴こえる。
 鎖を鳴らす、枷外そうともがく、首輪に伸ばしかけた手を掻き毟る、
 そんな音が―――。
 
 正気と狂気の狭間。
 『影』が確かな形を持って侵食を始めたとき、
 あたしは決意を持って「其れ」と同化する、そう心を決めた。
 負けない為に――。
 『運命に』――
 
***『MASK OF SANITY』***

 地下室――。
 その言葉に含まれた、暗く冷たい響きがもたらすもの――。
 全てに均等な恵みを与える陽の光から遮断された場所――。
 頑丈な核シェルターを模して造られた其処は、陰惨と言うには程遠く清潔な香りすら漂っていたが、しかし地上には無い影を確かに宿している。
 加えて今、其処には一人の女性が『棲んで』いた。
 住んでいるのではなく――。
 そして、何よりも彼女の姿は異様だった。
 
 全裸――。
 
 その惜しみない滑らかで、起伏に飛んだ丸みある柔肌を、薄い照明の下に晒している。
 衣服の変わり、と言うには難がある少々悪趣味な装飾品、妖しき手枷、足枷…鎖に…首輪…。

 ――普段の彼女からは考えられない羞恥を伴う格好だった。
 それ故に地下室というこの陽の当たらない場所では、その姿こそが相応しいような錯覚すら抱かせる。
 
 瑞々しい美と艶を兼ね備えていた彼女の柔肌は、手首、足首と枷により拘束されている。其れは――『レーディング』。
 
 シャラシャラと冷たく地下室に鳴り響く音。それは両手足の枷と繋がり痛ましくも、ある種…独特の妖美さを彼女に匂わせる。鎖の名は――『ドロミー』。
 首輪の名は、遠く神話にその名を刻む『グレイプニル』。
 全て「神殺しの魔狼」を封ずるべきルーンを示し、彼女の身を拘束しながらも、彼女を守りつつ存在する。

「あああぁっアアァ――っ!!」
 今宵何度目になるかの絶叫が、薄闇の中に木霊した。
 狂気に彩られた、凄まじく獰猛で、しかし物悲しい。
 すでに声には、撫子を想わせる女性の面影は皆無だった。
 女性の名を凪砂(なぎさ)と言う。
 
 雨柳(うりゅう)の姓を持ち、二十代という若さで巨額の資産と広大な屋敷を持ちえた幸運な存在…と、そんな風にある人は言う。しかし凪砂がそれを聴けば、寂しく首を振り否定するのが本当のところだろうか?
 そんな凪砂は今、葛藤の最中にいる。
 自らを追い込む、修行という名の『同化』の最終段階…。
 忌まわしくも自らの身体に棲まう、伝説の『影』を慣らすための最後の試練。

「ウウウゥ――」
 今度も苦しげに。
 可憐な声は見る影もなく萎れ、とても人間のものとは思えない呻きへと変容する。
 ――バキリ、バキリ、
 と、彼女の華奢な体が、耳を覆いたくなる異音と共に膨れ上がった。
 ミシリ…と、軋む四肢の『枷』。
 まるで骨を折るような怪音を伴う膨張は、背中から全身に掛けて波紋のような広まりを見せ、彼女の四肢全てに行き渡る頃には、凪砂の楚々たる顔立ちも恐るべき変異を遂げていた。

「っあああぁ――っ!!」
(やぁ…ああっ、痛いわ、痛い、痛い、痛い…いたいいたい、イタイイタイイタイ――ゥッ!!!)

 全身を襲う激痛に両手で顔を覆う凪砂、ジャラジャラと乱暴に鎖の音が鳴り響く。
 掌の隙間から覗く若さに見合う美貌が、苦しげに歪む。その唇は徐々に大きく裂け広がり、荒々しい犬歯――牙が姿を現した。控えめで清楚な眼差しも、信じがたい強さの朱の光を宿し、ギラギラと薄闇を睥睨する。
 うら若い女の苦悶の表情が一転し、獰猛怪異な人狼の其れが姿を見せたのだ。
 苦鳴が途切れると、顔を覆っていた両手も最早ヒトのものではなく、肉食獣の前足を連想させる鈎爪に変化している。

「我ワ――」
(っ―…何ですっ!?)

「我ワ――」
(だから何なのですかっ!?)
 自らの唇から零れ落ちる言葉は、凪砂の意思によるそれではない。人の声帯を失いしそれは、まさに『影』そのものの声であった。
 もどかしく、口惜しい。また…また失敗してしまった。コレで一体何度目――?あたしは何度『影』に負けたのだろう?
 『枷』と『鎖』の存在のお蔭で、凪砂自体が意識と自我を失うことは無かった。そして変異に成功した『影』も、以前のように強大な暴走を起こすことも無い。が、その制御の反動は、全て凪砂の精神と肉体に、耐え難い苦痛を持ってはね返ってくるのである。
 激痛も手伝ってか苛立ちを隠さずに、凪砂は表舞台に出現した『影』に向かって叫ぶ。凪砂の唇を操る『影』の声が、今までと違った、喘ぐような響きを持っていたことなどには気が付かなかった。

「我ワ――」
 三度目の『影』の声を聴きながら、凪砂の意識は蓄積した痛みと疲労のため、深海の底へと誘われるように揺らいだ。敗北感――あぁ…あたしは、また闇に飲まれるの? 深い闇の淵に、微睡むように、静かに落ちていくのね…。
 しかし、今回は変異したての『影』も、勝者という立場に拘らず、意識失う凪砂同様その場へと崩れ落ちた。勝負は引き分けだったのだろうか…?彼女の精神と共に深い闇へと沈んで行く『影』。――どちらとも、まだ真の同調は果たせずに…。

******
 
 ――…。
 
 「影」は『枷』と『鎖』を使用しだした当初は確かに大人しかった。
 が、所詮それは嵐の前の静けさのようなものだったらしい。
『枷』と『鎖』を嵌めるだけでは、『影』を慣らすことは不可能だったと気付いたのは、それから数日後。
 突然訪れたそれは、激情により服が破ける…というような生易しいモノではなかった。
 
 身体が突然の変異を迎え始めたのである――
 
 それも以前は無かった極度の激痛を伴って。
 魔狼へと、ゆっくり…。
 凪砂の考えが少々甘かったのだろうか?
 そんな折、件の『枷』と『鎖』の送り主からの二通目の手紙が届いたのだ。恐る恐る封を開き、書かれていた文章に目を通すと、凪砂はある決意を選んだのだった。
 
 即ち――篭ること。
 慣らしの最終段階として。
 
 幸いと言うべきか、おあつらえ向きな地下室の存在。
 食事は、修行期間と見立てた、一週間分の保存食。
 友人、親類、及び仕事先からの連絡は、その期間だけ断つ様に細工して。
 あたしは『影』と最も危険で、辛い同居を始めたのだ。

***『IN THE SHADOWS』***

 そして、あたしの意識は闇を漂っている。
 直ぐ傍に『影』の存在を感じながら、何故か不思議と恐怖感を感じず、先ほどの苛立ちも消え失せていた。

『我は記憶を失っている――』
 と、『影』が妙にはっきりと呟いた。
 あたしと同化した影響…それとも互いに心での会話だからだろうか。少なくとも一週間という短い間に繰り返された魔狼の「影」との同化、それにより引き起こされた獣化――熾烈な主導権争いは、成功、不成功を関係なく、何らかの成果を上げていたらしい。

『……………』
 無重力に浮遊する、心地良いともいえる感覚に身を任せながら、凪砂は沈黙を守ったまま『影』の言葉を聴いていた。先を促したのか。

『我は解放を望んでいるのだ――囚われの身からの』
 あぁ…この伝説に由来する強大な魔狼も、その『影』も「運命」の呪縛に喘ぐ虜の一人なのだろうか。

『永劫と想えるほどの長き束縛――』
 肯定するように続く『影』の声。

『黄昏の刻まで――延々と…』
 怒りよりも嘆きに近い、そんな含みを持つ。

『でも貴方は、危険なのよ………』
 そっと凪砂は囁いた。

『あなたは――』
 あぁ…やはり影響を受けていたのだ。
 凪砂は視た。『影』の深淵に燃える負の感情を。それと同様に『影』の感じる大いなる焦燥と嘆き、悲嘆と激情も、手に取るように分かる。故に――、

『フェンリル――…』
 心が自然と紡いだ其れは、『影』の名前。
 暖かく、何かを認めたように、複雑な想いを籠めた凪砂のその言葉。

『―――…』
 魔狼の『影』は一声啼いた。
 小さく、緩やかに…。
 あたしは――触れたのだ、
 多分、『影』のココロの一端に…。
 しかし、
 ―――それは以前のような嫌悪を、凪砂に抱かせたのではなかった。

 頬に冷たい床の感触で、凪砂の意識が目覚める。
 眠りは長かったのだろうか。
 それともほんの僅かな出来事だったのだろうか。
「…フェンリル?」
 『影』をあえてそう呼んだ。
 微睡(まどろみ)む意識で何を見つけたのか…。あたしは何を得たのだろう?
 内に潜む魔狼の『影』は、あの瞬間にあたしと真の意味で同化出来たのだろうか?
 分からない――けれども、
 すぅ、と見開いた凪砂の瞳は――深く穏かに澄んでいた。
 狂気の色は過ぎ去った―。
 紡がれた吐息も、仄かな甘さを伴う、凪砂自身の命の証。
 そう、――鎖と枷はその役割の一端を終えたのだった。

 おそらくは………。

***『END』***