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<東京怪談ウェブゲーム アトラス編集部>


凶相の楽園

「念のために聞くけど、三下クンはもちろん、こんな高級ホテルのスイートルームになんか泊まったことないわよね」
 開口一番、そんな言い方もどうかと思うのだが、三下忠雄は苦笑でもって肯定の返事をすることしかできなかった。碇麗香は、そんな三下の前に、雑誌の1ページを開いて見せる。雲をつくような塔のごとき外観の建物と、その内観と思われる豪奢な内装の部屋の写真だった。
「あっ、これ知ってますよ、今度、オープンする『コンロンホテル東京』でしょう?」
「そうよ。香港の有名な建築家がデザインしたんですってね」
 彼女は別の雑誌を開いて見せた。件の建物を前にひとりの男が写っていた。写真に添えられたキャプションには、「オープンを目前に来日した建築家、張徳城(チャン・タクセン)氏」――と、ある。
「それでね、実はマスコミ向けに、一般オープン前に宿泊できるチケットが配られたの。他の編集部からぶんどってきたから、三下クンにあげるわ」
「ええええええ!?」
 三下は悲鳴に近い声をあげた。
「本当ですかぁ〜編集長〜!!」
「何枚かあるから誰か誘ってもいいわよ。もちろん、取材はしてきてもらうけど」
 三下は涙も流さんばかりだった。幽霊屋敷だのUFO目撃地点だのの取材ではない。「東京にアジア一の楽園を」というコンセプトで、莫大な投資のすえに鳴り物入りで誕生する東京の新名所にタダで泊れるというのだ。
「行きます! 行かせていただきます!」
「じゃあお願いね。……それと、参考までに渡しておくけれど」
 おもむろに、麗香は一通の封筒を差し出す。
 宛名はアトラス編集部御中。裏書きは何もない。三下が中をあらためてみると、一枚の紙だけが入っている。それには、ワープロかパソコンかで、短い文章が印刷されているばかりだった。

 「コンロンホテル東京」なる建物、はなはだしき凶相なり。
  近日、必ずや凶事あり。くれぐれも注意されたし。


■待ち受けるのは、陰か陽か

「『コンロンホテル東京』ですか。いいですね」
 言いながら、三下の手からインビテーションをもぎ取ったのは柚品弧月だ。ときおり、アトラスの仕事の手伝いをしてくれている大学生である。
「遊びに行くだけじゃないんですよ〜。ああ、あんな変な手紙が来てるってわかってたら、行くなんて言わなかったのに……」
「大丈夫。取材のほうもちゃんとお手伝いしますから」
 なだめるように言う弧月のわきから、白い手がのびて、2枚目の招待状を掴んだ。
「経費で行けるなら、悪くないわねえ」
 黒髪の、美しい女性だった。
「あっ、真迫さん……」
「おひさしぶりね、弧月さん。わたしもご一緒していいかしら。お仕事のお役に立てるかどうかはわからないけれど」
 うっすらと微笑む。なんということはないブラウスにスカート、化粧もとりたてて濃くはなかったのだが、はっとするほど艶やかな空気が匂った。
「え、ええ。真迫さんなら大歓迎ですよ。ねえ、三下さん」
「あ、はい、それはもう――」
「でも三下さんと同室なんて嫌よ。……弧月さんなら、べつに構わないけれど」
「えっ、いや、まさかそんな」
 どぎまぎする弧月を眺めて、女は面白そうに笑った。今日は普段着なのでそうと知れないが、彼女――真迫奏子は浅草の芸者なのだ。そう思えば、笑いながら近くの椅子に腰掛ける姿もどこか風情があるように感じられる。
「素敵なお話ですわね」
 さらに話に加わってきたのは、こちらもゆたかな黒髪の見事な少女だった。
「みそのさんも来て下さるんですかぁ!?」
「なにごとも経験ですわ。高級なほてる、ということですし……なにが高級か、人の決めた基準はわかりかねますが」
 海原みそのは、浮き世ばなれした夢みるような口調で応えた。そして弧月、奏子らと微笑みあう。
 奏子とみそのは、以前に、別の事件で温泉旅館に行ったことがある仲だった。今度の行き先は一転、海辺の高級ホテルである。

 そんな4人のすがたを遠目に眺めながら。
「なるほど、事情はわかった」
 瀬水月隼は、麗香と向き合って坐っていた。
 そしてそのかたわらには、寄り添うようにひとりの少女がいる。
「きゃー、見て見て、天蓋付きよ、このベッド! 眺めもいいのねー、もちろん、部屋はオーシャンヴューよね? 朝食も付いてるのかしら……あっ、コンチネンタルのビュッフェスタイルね、やっぱホテルの朝はこうよねぇ。ちょっと、隼も見なさいよ、ホラ」
 それは『コンロンホテル東京』のパンフレットらしかった。黄色い声をあげているのは隼の同居人、朧月桜夜だ。
「あー、わかったわかった。……ったく、なんだかなあ。リゾートもいいが、意図的なモノ感じるんだったら俺だったらまずホテルのオーナーか出資元の周辺を疑うな。あとは建てたところだ。建物が、なんだその――凶相、なんだろ」
「この手紙ではそういうことらしいけどね」
 麗香は、自分が泊まるわけではないせいか、やけに落ち着き払っている。
「そのアヤシイ手紙の郵便履歴は取ったんだろうな?」
「さあ。あなたたちの誰かが調べると思って」
「あのなあ」
 面倒くさそうにため息をつく。がしがしとブルーの髪に手を入れて頭を掻いた。
「しょうがない。調べられるだけ調べてみるか。凶相だの何だの、“ソッチ”方面は桜夜……おい、聞いてんのか」
「わかってるわよ。風水が悪いとかなんでしょ? アタシが指導したげるから。それよか、館内にスポーツクラブに、エステサロンまであるんですってー。あーん、憧れだったのよねぇ、こういうホテル! あ、碇さん、アタシたちの部屋はダブルってことでお願い」
「ばっ――」
 思わず赤くなる隼。どこまでも屈託のない桜夜。麗香は、そんなふたりを微笑ましく眺めるのみだ。

 そして。
 東京湾からの風が吹く、埋め立て地の一画に、その建物はそびえたっていた。
 ちょうど円形の土台の上に塔が立っているような構造だが、塔の部分は三ツ又にわかれた格好になっている。各塔は、微妙な多角柱になっており、なおかつ壁面には磨かれたガラス窓で覆われているため、そこに映り込む風景や反射する光の具合で、なかなか不思議な眺めになっている。
「凶相――なんですかねえ」
 その建物を見上げる男が一人。
 黒っぽいスーツをラフに着くずした、ひょうひょうとした雰囲気を漂わせる人物だった。長い髪は背中で朱色の紐でくくられ、尻尾のように垂らされている。赤いサングラスの下で目を細めた。
「まがまがしきは、人の念がこもった建物なりって感じでやんすかね。……どんなことが起こるのか、眺めてみるのも一興でやんす」
 くくく、と、独りごちで、含み笑いを漏らす。
 そんな男の傍を、すっと黒塗の車が通り過ぎていった。そしてエントランスの真正面にぴたりと停車する。ホテルの送迎用のリムジンであるらしかった。
「やや!」
 ドアマンが恭しく開けたドアから降りて来た女性に、男は駆け寄っていく。
「あら。闇壱さんじゃないの。もう一人、参加者がいるって聞いてたけれど、あなただったのね」
「はあ、それじゃ、奏子さんもアトラスの依頼で」
「知り合いなのか」
 奏子の様子を見て、隼が訊ねた。
「へえ。あちきは古道具屋の店主で黒葉闇壱というもんでして」
「古道具屋」
「『宵幻堂』と申しましてね。蛸壺から甲冑・護符から藁人形まで様々な品を取り揃えておりますよ。もっとも、今日は閉めてきたでやんすがね」
「俺はデジタルジャンク屋の瀬水月だ。それでこっちが――おい、桜夜?」
「きゃあ、想像以上に素敵ねえ〜。さっ、隼も、みそのちゃんも、早くいらっしゃいよ!」
 はしゃぐ桜夜は白い夏もののワンピースにつば広の帽子とめかしこんでいた(本人曰く『避暑地のお嬢様風』)。その後にしずしずと続くみそのは、対照的に黒づくめであったが、フリルの量では負けていない。
「ま、待ってくださいよ〜」
 そして後ろのほうでは三下が大量のトランクやスーツケースと格闘していた。女性陣の荷物持ちをまかされてしまったらしい。あわてて、ドアマンたちが応援を呼び、駆け付けてくれる。
「では、行きましょうか。よろしく頼みますね、黒葉さん」
 弧月が軽く頭を下げて、その男、黒葉闇壱を促す。闇壱も、やけに大きな、古めかしいトランクを持っていた。こちらもドアマンが飛んで来たが、闇壱はそれを制する。
「さわらないほうがいいでやんすよ。普通の方はね」
 ニヤリ、と笑った。
 ――こうして、7人の危険な休日は幕を開けたのである。

■楽園

「う〜ん、もう隅から隅までカンペキだわ」
 紅茶のカップをソーサーに戻し(そのカップ&ソーサーは当然のようにウェッジウッドなのだ)桜夜はうっとりとため息をついた。
 ラウンジの窓際に席でくつろぐ女性陣。窓からは東京湾を一望することができ、テーブルの上にはアフタヌーンティーセットが3組。銀製のトレーが重なった容れ物に、ケーキ、スコーン、サンドイッチ、フルーツが並んでいる。桜夜いわく――「カンペキな午後のお茶の時間」。
「買物も思う存分できたし〜」
 そして脇には山ほどのブランド店の紙袋。
「リフレクソロジーのおかげで足も軽くなったし〜」
「凄い声だったわよ」
 奏子がくすくすと笑った。館内にある中国式足裏マッサージサロンで、足のツボを圧す痛みに桜夜がひどく騒ぎ立てたのを言っているのだ。
「それもストレス発散にいいのよねぇん」
「それだけ堪能してもらえたら、ホテルも本望ね」
「まだまだこれからよー。ねえ、みそのちゃん」
「そうですね……わたくしも、夜をたのしみをしておりますし」
「夜?」
「泊まっておられる皆様方の色事艶事の“流れ”を感じ取りまして、今後の参考にさせていただきたく思います」
「い……色事」
「艶事……」
 しれっと言ってのけたみそのの言葉に、さすがの桜夜と奏子も絶句する。
「ほてるとはそのような場所だとうかがいました。わたくし、巫女として夜伽のつとめがございますが、人の想いと技の淫らさにはまだまだ及びませんからね」
「あ……あははは。そうよね〜……って、あの、アタシたちの部屋はちょっと……やめてよ」
 にっこり微笑んだが、しかし、みそのが桜夜の言葉を受け入れたのかどうかはわからない。
「それにしても」
 スコーンに生クリームを塗りながら、ふいに、奏子が声を落として言った。
「凶事、ってなにがあるのかしらね。あんまり大事でないといいんだけど。お座敷に響いても何だしねえ」
「それなんだけどさあ」
 サンドイッチを頬張りながら、桜夜が受ける。
「あの手紙、やたら確信を持って書いてあったけどね。なんかおかしいのよねえ。アタシ、いろいろまわりながら、ホテルのあちこち霊視してみてたんだケド」
 奏子ははっとして桜夜を見返した。まったく呑気に遊び惚けていたように見えて、この少女は自身の能力を用いて気を配っていたのだ。
「おかしいというか……むしろ逆に、ヘンなトコロがひとつもないのよ」
「そうなの?」
「みそのちゃんはどう?」
「そうですね……悪い“流れ”は、なにも見当たりませんわ」
「そうよね。アタシが見過ごしてるんじゃないと思う。――凶相なんかじゃないのよ。むしろ風水的に見て、この建物はすごくよく考えられてる。最近、デザイン重視で風水無視しちゃってるのとかよくあるから、その手のものかな、って最初は思ったんだけど」
「それは変な話ねえ。悪戯だったのかしら」
「ふふん、まあいいわ。何かあればあったときよ。それまでは……めいっぱい楽しむとしようじゃないの」

 はなやいだざわめきが、フロアを充たしてゆく。
 その夜、ささやかなレセプションパーティが開かれることは、あらかじめ招待状にも記されていたことだった。ささやかな――というのは、しかし、名ばかりで、そこは贅を尽くした豪華ホテルのイベントである。テーブルにズラリと並んだ、優雅な料理の数々、目をひくフラワーアレンジメント、そして思い思いに着飾った人々。
 中でも、舞台衣裳もかくやとばかりの、ボリュームたっぷりのドレスであらわれた、みそのの姿はひときわ目をひいた。黒いレースに飾り立てられたドレスの上には、夜空の星のように、無数のオニキスやブルーダイヤといった宝石がきらめいている。
 彼女をエスコートする栄誉にあずかったのはなんと闇壱である。が、こちらは特に服装には気を使っている様子はなく、まったく普段どおりである。だが、本人は至ってマイペースであったし、みそのもそれを気にしているふうではなかった。
 桜夜は、負けじとばかりに、白っぽいカクテルドレスで、これはどうやら彼女に無理矢理着せられたらしいタキシードの隼と腕を組み――というより、彼をひきずるように入場してきた。
 奏子は、また一味違って、ぐっと大人びたシックな赤のドレスだ。髪をエレガントに結い上げ、あらわになったうなじに色香が漂う。その隣に、緊張した面持ちで付き添っている弧月も、いちおうジャケットをひっかけて、それなりのいでたちになっていた。
 一行の最後に、人数が余ってしまった三下が独りでとぼとぼと入ってくる。相変わらずのくだびれたスーツ姿だ。
 制服のボーイたちがシャンパンを配ってくれる。
「みなさま、本日は、『コンロンホテル東京』へようこそ――」
 壮年の男が、遠くの壇上で挨拶をはじめたようだ。
「あれが支配人ね?」
「ホテル経営の手腕は相当なものらしいが、やり方が強引なんで、恨みを買ってもおかしくない男らしい。実際、やつのいた香港のホテルはいくつか訴訟を抱えている」
 桜夜の問いに、隼が答える。
「おそらく香港でなにかあったのだと思います。彼、そして彼の新しいホテルを狙って、この建物に攻撃的な風水が仕掛けられたのだと考えられるのですが……」
 と、言いかけて、弧月は言い淀んだ。
「あら、でもこのホテルは」
「ええ、そうなんですよ、真迫さん。闇壱さんの調べでも、まったく凶相ではないと」
「……直接、聞いてみたほうが早いんじゃない?」
 人の波の中を、会釈をくりかえしながら、支配人がグラス片手に歩いてくるのが見えた。
「楽しんでいただけていますか」
「ええ、とっても」
 桜夜が答える。
「こちらのみなさんは――」
「白王社の月刊アトラスです。このたびはどうも……」
 もごもごと三下が挨拶をした。おそらくアトラスなどという誌名は知るまいが、特に深く追求されなかったのに、弧月は安堵した。怪奇雑誌の取材だなどとは言えないではないか。
「では、ごゆっくり。……おっと」
 すれ違いざまに、支配人の方が弧月のぶつかる。おしとどめるように、弧月は彼の肩に手を置いて――。
「……あなたなんですね、やはり」
「えっ」
「あんな手紙を出したのは」
 一同のあいだに緊張が走る。弧月がその能力で視たのだろう。おそらく、自身の執務室で手紙をしたためる支配人の姿を。
「な、なにを……」
 彼は目に見えて狼狽していた。
「なぜなんです。なにか、心当たりがあるのですか」
「そ、それは――」
 ちらり、と、怯えたような視線を走らせる。
 弧月はその視線の先を追った。
 人ごみの向こうから、かれらを見ている人物がいる。弧月はアトラスで見せられた写真で、その男に見覚えがあった。建築家の帳に間違いない。
「今夜零時に、パティオで」
 するどく、小声でささやく。
 そして足早に、支配人は離れていった。
 あとは、パーティのざわめきが、さざなみのように残るばかりだ。

■殺意の風水

 奏子とみそのの部屋は海に面した側にあった。昼間はさわやかな眺望だが、夜になると、むしろ黒々と横たわる大洋がおそろしげでもある。
 もっとも、みそのにとっては、それもまた心やすらぐ風景であったかもしれない。
「もうすこし、ワインはどう」
「はい。ではいただきます」
 女ふたり、向かい合ってグラスを傾けている。
 奏子は、髪をといているので、黒いウェーブが肩から背中にかけて躍り、それもまた彼女の美貌に華を添えていた。
「たまにはこうやってのんびりするのも、いいわねえ」
 グラスの中で赤い液体がゆらめくのを眺めながら、のんびりと奏子は言った。
 その時。
「あら――」
 カタカタ、とテーブルの上のグラスが音を立てる。
「ヘンね、わたし、酔ったのかしら。なんか揺れてるような」
「いいえ、本当に揺れています。――地震ですわ」

(地震……?)
 大城邦彦は、足下の揺れを感じて、心配そうに上を見上げた。
 夜空に屹立する3本の塔。
 さほど強い揺れではなかった。東京ではこのくらいのことは珍しいことではないようだ。むろん、充分な耐震構造を施されているホテルにはなんの心配もない。だが、なにかあれば、支配人である自分が対処せねばならない。こんな時間に、中庭などをうろついているわけにはいかないのではないか――。
(完璧なホテルを建ててあげますよ。ええ、完璧な)
 あの男はそう言った。
 冷たい、氷のような目。
 邦彦は身震いをおぼえる。それが、取り返しのつかない自身の罪の報いなのだとしても……やはり、恐怖は感じるものなのだ。それが直接的な悪意をぶつけられたのであれば、反発もできよう。だが、あの男は、あきらかな憎悪のこもった視線を投げかけてきながら、しかしその指がしく設計は素晴らしいものだったのだ。
(なにか企みがあるに違いない)
 ひそかに、家相を調べさせてみたが、誰もが、このホテルは完璧な風水だといった。そんなはずはない。あの男は絶対に……
「危ない!!」
 声がかかった。
 それに反応するよりもはやく――
 頭上からふりそそぐ鋭いなにかの切っ先!
「……っ!!」
 あまりに突然のことに悲鳴さえ出ない。が、けたたましい音とともに、それは邦彦の身体に到達することなく、見えない障壁にあたったようにはじけとんだ。
「間に合った!」
 桜夜が駆けてくる。その後ろから隼。
「大丈夫ですか!?」
 弧月だ。こわごわ続いている三下。
 遅れて、奏子、みその、闇壱が姿を見せた。
「な……一体、何が」
「ガラスですよ」
 たしかに、周囲に散らばっているのはガラスの破片だ。
「まさか。あれくらいの地震では」
「たてつけが弛んでたんじゃないの?……『運悪く』ね」
 桜夜が言った。
「姑息な手、使ってんじゃないわよ。さあ、姿を見せなさい。そこにいるのはわかってるんだから!」
 く、く、く――と低いしのび笑い。
 暗がりの中から、闇が実体化したように、男が姿をあらわす。
「チャン……」
 邦彦は呻いた。
「狙いはあなた一人だったんだ」
 弧月が言った。
「ホテル自体は吉相でも、あんさんの周辺だけ、ほんのすこし相を変えるだけで、ぽっかりと凶事を呼び込む穴をつくりだすことはできるんでやんすよ」
 闇壱がひきとる。
「ほてるそのものに、よい気の流れが集中しているぶん、開いた穴かからは悪い気が大量に流れ込む――そういう仕組みですのね」
 みそのの言葉に、男――張徳城は満足そうに頷いた。
「今宵、この中庭がおまえの処刑場になるのだ。自分の栄光と成功を象徴するホテルの中心で、みじめに死ぬがいい」
 言いながら、ばっと身を翻す。その姿が再び、闇に溶けて――
「待ちなさいよ!」
 やけに威勢よく叫んで、奏子が動いた。頬が上気しているのは憤りのためか、それともすこし酔っているのか。
「大丈夫です、真迫さん。すでに彼が庭に仕掛けた術式は解除してあります」
 弧月の言葉が終わらないうちに、虚空からぎゃっと悲鳴をあげて、男が転がり出てくる。
「観念したほうがいいでやんすよ。術式を破られた以上、この庭は、今はあんさんにとっても、『凶相』なんでやんすから」
「なん、だと――」
 再び――大地の揺れを、かれらは感じた。
「チャン!」
 おそろしい、絶叫が真夜中のパティオに響きわたった。
 邦彦が叫んだ時にはもう……ガラスの雨が張徳城の胸に突き刺さっていたのである。
「ああ……チャン……すまない、わたしは……」
「おのれ……」
「香港で副支配人だった頃のわたしは……自分の地位を失うわけにはいかなかったんだ。……だが、認めよう。きみの父さんは間違いなく過労死だ。責任はわたしにある……」
 邦彦はかけよって、建築家の血まみれの手を握った。
「そうか。香港のパラダイスホテルで訴訟沙汰になった事件……」
 隼が気づいて口に出す。
「その被害者の息子が、張徳城なんだな」
「……きみに……恨まれていると、わたしは……」
「恨んでいるとも」
 ぜえぜえと苦しい息の下から、張徳城はありったけの憎悪がこもった声を出した。
「しかし、きみが設計してくれたホテルは、こんなに……わたしはとてもうれしかったんだ、きみが彼の息子だと知るまでは――」
「おまえは最低の人間だが……ホテルは別だ。親父は、ホテルの仕事が好きで……いつか、おれの設計したホテルで働くのが、夢だと…………」
 ごぼっ、と、口から血の泡があふれる。
 もはや、それ以上、男が言葉を紡ぐことは出来ないようだった。



 帳という、優秀なホテルマンがいた。
 彼は香港のあるホテルで、日本からやってきた副支配人と組んで、実質上、そのホテルを切り盛りしていた。
 だが、ある日、ロビーで男は倒れた。心不全だった。
 遺族は労災であると訴えたが、ホテル側がそれを認めることはなく、彼の直接の上司だった日本人は、やがて別のホテルにヘッドハンティングされて、香港から去っていった。
 そして――。
 男には息子がいた。息子は建築家として名を上げつつあり、また、すぐれた風水師でもあった。彼はたくみに立ち回り、彼が父の仇と信じる男が総支配人をつとめることになっている日本のホテルの、設計をてがける役を勝ち取ったのである。
 彼は、支配人に向かってこう言い放ったという。
「完璧なホテルを建ててあげますよ。ええ、完璧な」


「なんだか、かわいそうな話ねえ」
「たった一人を殺すために、この壮大な楽園が建設されたんですね。その才能を、よい方向に活かせればよかったんですが」
「まあ、でも、ホテルは残るわけじゃない? あー、ステキだったなー。また、来ようね、隼?」
「ああ? いったいいくらすると思ってんだよ!」
「ロイヤルスイートだと、一泊10万円以上するらしいですよ〜」
「そりゃまた豪勢でやんすねえ」
「人の価値基準は不思議なものですね。みなさん、やってらっしゃることは普段とお変わりないのに」
「……えっと……みそのちゃん。まさかと思うけど……」

 数日後、華々しく、コンロンホテル東京はグランド・オープンの日を迎えた。
 フロントの奥の壁には、ひとりのホテルマンと、彼の息子の建築家の写真が、並んで掲げられていたという。

(了)

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【0072/瀬水月・隼/男/15歳/高校生(陰でデジタルジャンク屋)】
【0444/朧月・桜夜/女/16歳/陰陽師】
【1388/海原・みその/女/13歳/深淵の巫女】
【1582/柚品・弧月/男/22歳/大学生】
【1650/真迫・奏子/女/20歳/芸者】
【1764/黒葉・闇壱/男/28歳/古道具屋「宵幻堂」店主】

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■         ライター通信          ■
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こんにちは。リッキー2号です。ご参加ありがとうございました。
『凶相の楽園』をお届けいたします。

第2パートの一部は男性陣と女性陣で、第3パートの冒頭部分は部屋ごとに、分割して書いています。

豪華ホテルでの休日(殺人計画付き)、いかがだったでしょうか。
特にモデルにしたということではありませんが、ベイエリアということで、強いていえば、浜松町のインターコンチネンタルのイメージでしょうか。といって、泊まったことはないんですけどね(笑)。

それでは、機会があれば、またお会いできれば嬉しいです。
ありがとうございました。