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<東京怪談ノベル(シングル)>


肝試しの落し穴とそのおつり

「お願い! みなもちゃん!」
 ぱちんと眼前で手を合わせ深く頭を下げた級友に、海原・みなも(うなばら・みなも)は深く頷いて見せた。
 事の発端は数日前に遡る。みなもの同級生数人が、廃ビルでの肝試しを行った。なんと言うことはない夏ももう終わる事だしという、他愛もない動機のイベントに過ぎなかった。
 しかし彼女等はそのまま消息を断ったのである。
 メンバーはほんの数人。中には家族に行き先を告げていたものもいた。それにしたがって警察が調査を行って早三日。
 未だに何の手がかりも掴めてはいない。
「みなもちゃんだったらもしかしたら見つけられるかもしれないでしょう?」
 今しも泣き出しそうな顔で級友は頭を下げた。
 みなもは少し沈思した。正確には考える振りをした。返答とは別の事を考えていたといってもいいかもしれない。
 ――答えなど初めから決まっているのだ。
 暫しの沈黙の後に、みなもはこっくりと頷いた。
「わかった。あたしに何が出来るのかはわからないけど、行ってみるね?」
 わあっと級友が喚声を上げる。抱きついてくる彼女を抱き返してやりながら、みなもは思った。
 ――だけど本当にどうして……ううん一体何が絡んでるんだろう?

 廃ビルはひっそりと静まり返っていた。
 警察が軒並み調べ尽くした後である。その場にはなんとなく人の匂いらしきものが残っている。
 変色し剥がれかけた壁紙、電球のむき出された或いはついていない照明配線、割れたまま放置されている窓、そして剥き出しのコンクリートの床。
 このビルが何故こんな風に放置されたのかを無論みなもは知らない。ここを肝試しの場に選んだ少女達も知ってはいなかっただろう。
 ただ、
「……お誂え向き、かな」
 いかにもこの場は『いかにも』なのだ。
 割れた窓や荒れた内部、剥き出しのコンクリートは人に肌寒さを感じさせずにはいられない。
 注意深く周囲の気配を探って歩きながらみなもは肌を泡立てた。
 頃は夏。肌寒いわけでは無論ない。
 この圧迫感、無言で押してくる無機物の支配感に、飲まれたのだ。
 みなもは同年代の少女達より遥かにこうした雰囲気に慣れている。それでもこの生気を感じさせない、しかし何処までもどっしりとした存在感には感じるものがある。
 それは霊感や第六感と言った『超常』の力が感じるものではない。単に視覚的な、いや本能的なと言うべきだろうが、そうした他愛もない恐怖感だった。
 それでも、
「……なんだか、怖い」
 思わずそう呟く。
 その発端がなんであれ、この廃ビルは恐ろしい。それは間違いがなかった。
 それこそが肝試しの醍醐味なのかも。
 そう無理矢理思い込み、みなもは調査を続けた。

「……っ!」
 勿論電気など届いていないビル内部は足で移動するしかない。
 コンクリートを剥き出しにしたままの階段を昇り、三階に達したその時、それはみなもの肌を刺激した。
 みなもは人魚の末裔。
 普通の人間よりは感覚も鋭いが、そうした気配に対して本職の陰陽師や霊媒師に比べれば明らかに鈍い。
 しかしみなもの肌は総毛だった。
「……嘘っ……!」
 瘴気、とでもいえばいいのか。
 その感覚自体がみなもに教える。
 危険だと。
 己の感覚にすらここまで鋭い、強い瘴気。そんなものは自分の手には負えない。
 戻ろう。
 一旦戻って、家族の手を借りた方がいい。そう思い身を翻しかけた、その時だった。
「きゃああああっ!!!!」
 桜色をした唇から絶叫が迸った。
 腕を掴む何か。その感触に心底みなもは恐怖した。こんな瘴気の中誰も居ないはずの廃ビルで明らかな力に腕を取られる。
 予想も想像もしたくない程に、
 ――それは恐怖を刺激する。
 恐ろしかった。しかし確認しないわけにもいかない。みなもは萎えそうになる勇気に無理矢理手綱をつけ、目を開けた。
「いやああああああっ!!!!」
 再びの絶叫。
 それは『手』だった。
 剥き出しのコンクリートから生えた『手』がみなもの腕を掴んでいる。
 いや、そればかりではない。その『手』の力はみなもを己の本体へ、つまりは冷たいコンクリートの壁へと引き寄せようとしている。
「……!」
 なにをするつもりか、それはわからない。しかしこのままこの『手』流されては絶対にいけない。
 みなもは両の足に力を入れ、その『手』に抵抗した。既に腕は取られている。そして『手』は壁から生えている。
 抵抗するに己の、しかも足を使う以外みなもに手立てはなかった。あまりに非力な、少女の体重と力をもってするしか。
 しかし、
「いや!」
 生えてきた『手』は一本に留まらなかった。
 華奢な足首を捕らえる、もう一つの『手』
 いや、見れば無数の『手』がみなもに向かって伸ばされている。
「ちょ……いや! なんなの!?」
 叫ぼうとも声はビルに反響するのみだ。
 絶望と共に新たな感覚がみなもを見舞った。
 冷たい……そして固い。
 それまで抵抗して力を入れていた足の感覚が、ない。
「……!」
 足を見下ろし、みなもは文字通り硬直した。下半身が、既にもう膝まで、床にめり込んでしまっている。それどころかそのまま、みなもは壁に引き寄せられている。
「うそ!」
 壁が己と同化せよとみなもに迫る。いや引き寄せられているのはみなもだ、みなもが迫っているのだろうか?
 じりじりと肌がコンクリートの肌色に染まる。染まった部分から感覚が消え失せていく。
 肌が粟立つ。その感覚さえ奪われて行くのだ。
「い、いやあああああああっ!!!!!」
 その絶叫を最後に、みなもの意識は闇に、沈んだ。

 こってりと搾られたみなもは搾られる事のできる感覚に心底安堵していた。
 なにしろ数日。
 コンクリートの壁にめり込んだ石造状態のままだったというのだから洒落にならない。みなもを助け出してくれた身内の言に寄ればそれはビルで自殺し取り憑いた『何か』の仕業だったらしい。級友達もまた別の場所でちゃんと見つかり、既に助け出されている。
 一応のめでたしめでたし、問題があるとするならば。
「……どうしよう……」
 恐怖に顔を歪ませたまま固まってしまった石像。
 つまりみなもの写真を、妹にしっかり撮られてしまったと言うこと。
 全く高くついた肝試しだった。
 取り返す算段をしながら、算段をする事が出来るという現実に、みなもは安堵の溜息を落とした。