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<東京怪談ノベル(シングル)>


ひとひら


 忘れることなんて出来ない。
 心が、細胞のすべてが貴方を忘れることなんてあり得ない。
 だって信じてるから、必ず逢える日がくることを――。

 目が覚めると、そこはいつもの私の部屋。
 左手に残る、握り締めた貴方の手の温もり。胸の中がやわらかく、暖かになっていく。
「弓弦。あら、もう起きているの?」
 母の呼ぶ声で現実に引き戻される。私は丁寧にハンガーにかけられた制服を手にした。
 鏡の中に映る私の赤い瞳。

 貴方は私をわかってくれる?

 いつでも見つけてくれる――そう、約束してくれだけど。
 目を閉じると、浮かんでくるのは貴方の背中。いつか出逢いたい、ずっと寄り添っていたい背中。
 夢の中での逢瀬を繰り返しても、現実の私と貴方はとても遠い。
 星よりも空よりも想っていた人。何よりも大事な人。

 祈りながら、通学路を学校へと向かう。姉たちが挨拶を交わし、私の横を通り過ぎていった。
 ゆっくりした歩調で、歩道を行く。垣根からはみ出した数多くの植物達が、四季折々に私の目を楽しませてくれる。今は銀木犀の季節。甘い香りが漂い、通りかかる人を幻想の世界に連れていってしまいそう。
 ようやく辿り着いた教室。窓際の机に座った。カトリック系の学校であるので、まずは礼拝から一日は始まる。
 神への祈り。それはあの人への祈りに似ている――どうか、貴方が幸せでありますように、と。
 廊下を教室へと戻る。穏やかに友人と笑いながら、心の真ん中にはいつも貴方がいる。

 貴方は今、何をしていますか?
 どんなことが好きですか?

 問いは答えられないまま、胸のなかに降り積もるばかり。
「ねぇ、家ではいつも何してる?」
「私…? そうね、本を読んでいるかな。あ、それから散歩」
 友人は鼻を鳴らすと、どんなところを散歩するのか訊ねてきた。
「河原とか、公園が多いと思うわ。緑が多い場所を歩いていると、すごく幸せな気分になるのよ」
「そっかぁ〜。――もしかして、最近お気に入りの場所ができたんじゃないの?」
 あんまり幸せそうな顔していたからか、友人は人差し指で私の鼻を小突いた。
「やっぱり! いいことあったのかなぁって思ってたのよね。好きなものは癒し効果バツグンね」
 なぜそんなことを言うのか…。首を傾げたら、彼女は少し膨れて言った。
「あたしが気づかないとでも思ってたの? ゆづる、最近元気なかったんだよ」
「え……そう、かな?」
 確かに私はちょっと前まで、情緒不安定だった。
 理由はただひとつ。あの人の夢を見ない日が続いたからだ。
「そうよ、心配してたんだから。で、ここ2・3日は、いつ見ても幸せそうに笑ってるんだもん」

 幸せ? ……ああ、夢だわ。
 久しぶりにあの人の夢を連続で見ているから。

 授業は進み昼食も終わり、教室は午後の暖かな陽射しでいっぱいになっていた。
 開け放たれた窓からは、涼しい風が吹き込んでくる。私は授業中であることを忘れ、ゆるやかにやってくる眠りの波に次第に飲み込まれてしまった。

 ――遠くで私を呼ぶ声がする。
 それはふいに背中ごしの囁きに変わる。振り向いて叫んだ。
「逢いたかった!」
 私の張り裂けんばかりの言葉に、貴方が笑う。そっと私の腕を取り抱きしめた。
 やさしくやさしく、壊れないように……。
 何時の日も星のように、道を照らしてくれていた貴方。今、私の目の前にいて、伝わってくる鼓動。耳に届く吐息。
 どれも間違いのない、大切な大切な記憶。
 ずっとこうしていたい、これが夢なら覚めないで――。


 鳴り響くチャイムの音に、私は目を覚ました。
 薄れていく夢の中で彼の背中が遠ざかっていく。夢中で腕を伸ばした。が、掴み取れるはずもなく、空を握り締めた手のひら。
 それをぼんやりと見つめながら、確実に私の頭は覚醒していく。
 もう家へと帰る時間。夕刻独特の雰囲気に浸されて、私は身支度を整えた。体が弱いことは自覚している。だから、友人がクラブ活動へと飛んでいくのに手を振って教室を後にした。

 同じ道のりをゆっくりと歩いて帰る。
 朝の方が植物達は美しい。花びらに落ちた露は光り、葉は色鮮やかに澄んだ空気に栄える。でも、穏やかな風に包まれ、時間を気にせずにのんびりとできる帰り道の方が、ずっと幸せな気分になった。ひとつひとつの葉やつぼみを見つめては立ち止まる。
 落ちるのが早くなった夕陽が、家々の間に滑るように消えていく。残光が淡い枇杷色で、景色を統一の色彩に染めている。
 
「雪……?」
 目の前に、白く輝くモノが落ちた。初雪――そんな季節でもあるまいに。
 私は視線を上へと上げた。そこには朝に見た銀木犀。小さな白い星。風が強く吹いて、まるで舞い散る雪のように降ってくる。

 手のひらを掲げて、私は目を閉じた。
 ひとひら、ひとひら。
 星が降る。
 白く輝く星。

 私は手のひらに残った花を、そっと髪に飾り歩き出した。
 夕闇はすぐそこまできている。少し冷たくなった風が背中を押していく。

 神様どうか、あの人に逢わせて下さい。
 そう、きっと叶う。
 貴方がどんな姿でも見つけてみせるから――。

 貴方に逢いたいと願うこの想いが、心に降り積もる頃に。


□END□


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ライターの杜野天音です。
今回はありがとうございました。本当に書きたかったタイプのお話で、依頼を受けた際には小躍りしてしまいました。
気に入って下されば幸いですvv