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<東京怪談ノベル(シングル)>


石の声


 ――ここって、戦場なのかしら。
 ある意味そうかもしれない。
 だが、傭兵・海原みたまが今居る戦場には、銃声も悲鳴も怒号もない。しめやかなクラシックと、紳士淑女の談笑がバックグラウンドを彩る。硝煙も血飛沫も屍もない。ここにあるのは(あまり旨くはないが)豪勢なフルコースに、フルーツの盛り合わせ、赤白ロゼの高級ワイン。すべてをダイヤのように輝くシャンデリアが照らし出している。
 みたまの今夜の任務は、この社交パーティーに出席している某子爵と接触することだ。彼女の夫が裏付け調査を並行して進めているのだが、子爵には令嬢誘拐の容疑がかかっていた。何人もの――いや、十数人もの社交界の令嬢が、彼のもとへ行ったまま戻らないのだという。さほど位も高くないし、爵位を継いだのも最近のことだというのだが、なかなかどうして尻尾を掴むのが難しかった。
 何かあったときはこれを、と、夫から渡されたのは数枚の紙片。
 意味不明な呪文じみた詞が書き連ねられている羊皮紙だ。
 それだけが、今夜の武器。
 ――あら、忘れてたわ。これ『だけ』じゃ、なかったね。
 ターゲットを発見し、みたまはちろりと人知れず唇を舐めた。
 彼女は、赤いドレスを纏った『姫』。武器はもうひとつあった。この、燃えるような気高さを帯びた美貌である――


 子爵に近づくのは、みたまが呆気に取られてしまうほど簡単だった。
 挨拶をし、適当に誉め、ダンスの誘いに乗り、窓辺のテーブルでワインを飲んだだけだ。それだけで子爵は頬を染め(たぶんアルコールのせいではないだろう、たぶん)、みたまを屋敷に誘ってきたのである。
 ――男って、単純なものだね。うん、ダンナさまも……そうかも。
 その点女は怖いもの。こうして爵位を持つ男と腕を組んで歩きながら、他の男のことを考える。みたまは子爵と話しながらも記憶を遡り、ついには、ぷっと思い出し笑いをした。
「どうかしましたか、ミタマさん?」
「ごめんなさい、とても面白い人だから」
「……そうですか」
 子爵は嬉しそうに微笑んだが、みたまの言葉の真意を知らない。
 みたまは、子爵が面白い人間とは一言も言わなかった。
 だが――仕方のないことか。普通の『人間』は、心を読む力など持っておらず、また単純であるのだから。
 ――ふうん、ただの人間なんだね。でも……。
 この子爵が、令嬢たちの失踪に関わっていることは間違いない。だが、変質的な殺人鬼のようには見えなかった。みたまは『人殺し』がどんな人間かよく知っている。子爵が持つのは、今まで見てきたどの目とも違う、妖しい光を湛えた瞳。顔立ちは端正な方ではあるが、取り立てて美形というわけでもない。ただ、話術は巧みだ。この柔らかな物腰と話しぶりが、彼の『武器』なのか。
 広い前庭を20分ほど散策したあと、みたまは子爵に連れられて、彼の屋敷に入った。

「貴方こそ、面白い女性だ」
「え?」
「獅子のようだが、フランス製の人形のようにも見える」
「……そうかしら」
「その不思議な美しさを、永遠のものにしてしまいたい」
「あら」
 ここで、とどまれお前はかくも美しいとばかりにナイフを振りかざせば、定石通りの展開となるはずだった。みたまはそれほ警戒していたのだが、子爵は謎めいた微笑を浮かべて、みたまを書斎の奥へと導いただけだった。
 書斎の奥にあったのは、地下へと続く石段だった。
 つめたい風のようなものを感じて、みたまはかすかに眉をひそめた。


 殺風景な地下室に、明かりが灯された。
 ぼんやりと浮かび上がる人影――
 いや、彫像。
 一瞬、この立ち並ぶ女性像群が『人間』に見えたのは何故なのか。
「素敵ね」
 みたまは心にもないことを言った。
「私の最近の趣味でしてね。3年前から集めているのです」
 ごぅん、と背後で扉が閉まった。
 がっし、と子爵がみたまの腕を掴む。
「……今夜手に入るものは、一番の上物になりそうです」
 ぅわっ、と気配が肥大した。
 子爵に翼が生えたかのように見えた。だが、それは誤りだ。子爵はただの人間である。翼は――背後に現れた、ガーゴイルじみた化物が持っている!
「きゃあ! いやあ! 助けてえ!」
 我ながらひどい三文芝居だと恥じながら、みたまは悲鳴を上げ、あるまじき力で子爵の腕を捻り上げて振り解き、慣れないハイヒールで走り出した。彼女は悲鳴を上げて逃げるという行為にはしったことがめったにない。彼女は石像の陰で、ハイヒールを脱ぎ捨てた。
 逃げ回る芝居を続けながら、みたまは石像の顔を確認していった。
 どの石像も、美しい。線が細い女性よりも、気高さを持った美女が多かった。子爵の趣味なのだろう。みたまが容易に近づけたのは、その偶然のおかげもあったのか。
 ギリシア彫刻のような非現実的な美しさではない。肌や髪には、ぞくりとさせられるほどの生々しさがあった。
 そして、すべての顔に見覚えがある。この任務に就くにあたって、夫から渡された資料――失踪した女性のリストの中で、すべてを見た。
「待っててね」
 しゃがみ込むような体勢の石像に、みたまはそっと声をかけた。
 顔を上げ、石像すべてにそっと呼びかける。
「助けてあげるわ」
 ぅわっ、とつめたい風が天井から吹いてきた。
 見上げれば、あの石の悪魔が天井に張りついている。
「かれから逃げても無駄です」
 子爵の声が響き渡る。優越感と歓喜に満ちた声色だ。みたまは彫像の陰に身を隠しながら、天井の悪魔を睨んでいた。
「かれは私の魔術が具現化したものでしかない。かれは悪魔でも怪物でもないのですよ。ここには、存在していないのです」
 声が、近づいてくる。
「貴方の美が永遠になったときに初めて、かれは現実のものとなるのですから――」
 彼のクイーンズ・イングリッシュはそこまでだった。
 彼の口が紡ぎ始めたのは、禍禍しい旧き言の葉だ。
 悪魔が身体を震わせて、白い煙を吐き始めた。

 言葉は力。心。武器。
 拳と銃では打ち砕けないもの。
 言葉を征するのは、言葉である。

 みたまは夫から渡された武器を取り出し、使った。
 紙片に記された旧き言の葉。
 指と目でなぞりながら、囁く。
 紡ぐ。
 刃を向ける――

 ぅわっ、と天井に張りついていた悪魔が四散した。白い煙と石紛となって。
 子爵が驚愕混じりの悲鳴を上げていた。
 みたまは降り注ぐ石紛から金髪をかばいながら、天井を見上げた。
 天井いっぱいに、びっしりと『目』が浮かび上がっていた。赤い目、青い目、猫の目、牛の目、蛇の目――ありとあらゆる生物の目だ。だがその無数の目が、「ひとつの存在」のものだということを、みたまは直感で感じ取った。
 始めのうちはぎょとぎょととてんでばらばらに動いていた『目』だったが、子爵の悲鳴が響くなり、ザッと一斉に視線を一点に向けた。怒りに歪む視線の先に居たのは、幸いにもみたまではない。
 おそらく、子爵――
 みたまは立ち上がり、禍禍しいその視線を追った。彼女の手の中で、彼女を救った紙片が塵となる。
 同時に、ひとつの男性像が、粉々に砕け散った。


 古めかしい明かりの下、女性たちの溜息が飛び交う。
 灰色の石像に色彩が戻った。髪は金や銀に、瞳は青や灰に。肌には血の気が、唇には紅が、彼女たちの本来の色が戻ってくる。
 あの男は、この色彩を失った女性たちを『美しい』ものとしていたのだろうか。
 だとしたら、愚かなことだ。
 台座から降り、きょろきょろと周囲を伺う美女たちは、誰からとはなしに喜び合った。十数名の美女たちの中に、金髪紅眼の女が居たのは、一瞬のこと。
 女性たちが地下室を、屋敷を脱出したとき――黒いヘリが前庭から飛び立った。

 地下室の出入り口前に固まっていた石くれと石粉は、光を求めて急ぐ女性たちに踏みにじられ、舞い上げられて、すっかり消えてなくなってしまっていた。


(了)