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なかったこと
◆ 序 ◆
八月もそろそろ終わろうというある日。草間興信所に、酷く疲れた表情の男が訪ねて来た。
そのあまりの疲れ果てた様子に、零は思わず目を見張った。
「いらっしゃいませ。・・・大丈夫ですか?」
「ええ。・・・こちらに相談に乗って頂きたいことがあるのですが」
表情と同様沈みこんだ口調。
零はとりあえず彼に椅子を勧め、奥にいる武彦を呼んでからお茶の準備に台所に向かった。
「依頼内容を聞かせてくれますか?」
武彦の言葉に、男はがっくりと肩を落としたまま、口を開いた。
――男の名は春日雄治。小さいながらも飲食店を営んでいるそうだ。
その店がここ一ヶ月ほど、忙しいばかりでまったく店の利益が上がっていないのだと言う。
それだけではない。
ふと気付けばいつ割れたのかわからないコップのガラスの破片が落ちていたり、時には椅子が壊れているようなこともあったらしい。
だがそれすらも、いったいいつ壊れたのか、男だけではなく客の誰に聞いても覚えてないと言うのだ。
「その原因を探ればいいんですね?」
武彦は内心こっそりと溜息をつきながら、話の続きを促した。
たまにマトモな依頼かもしれないと思えば、結局これだ。
依頼主が帰ってから、武彦は、今度は誰憚ることなく盛大な溜息をついたのだった。
◆ 店内観察 ◆
「いらっしゃいませ」
夕刻の賑わいの中、店内に響く声。
柚品弧月は、臨時店員としてバイトしつつ、店内の様子を探っていた。
店の片隅にはのんびりお茶を飲みながら、だがきちんと店内の様子に目を光らせている真名神慶悟。
ここにはいないが、レイベル・ラブ、海原みなも、シュライン・エマの三人も、今回同じ依頼を受けて別行動中だ。
客の居ない合間を縫って、慶悟の方へと向かう。
「何かわかりそうですか?」
弧月の問いに、慶悟は軽く首を横に振った。
「今の所、特に反応はないな」
「そうですか・・・」
短い確認の会話ののち、弧月はウェイターの仕事へ戻った。
見ている限り、店はそれなりに繁盛していて、利益が上がらないようには見えない。まあ、だからこそこの店の主――春日雄治さんも依頼を持ち込んできたのだろうが。
とりあえず今は待つしかないらしい。
一応の警戒は忘れないよう気をつけつつ、弧月は真面目にウェイターの仕事をこなしていた。
◆ 微妙な違和感 ◆
『それ』に気付いたのは陽も沈もうかという夕刻。
ふと気付くと、何か、違和感があった。
何かが、さっきまでとは微妙に違う。
たとえば、少しだけ変わっている椅子の位置。たとえば、さっきはなかったはずの煙草の吸殻。
どれもこれも些細なもので、前もって聞いて注意していなければ覚え違いかとも思ってしまう程度のもの。
だが確かに、一瞬前の状態と変わっている。
幸いにもすでに店の忙しい時間は脱していた。弧月一人がウェイターを抜けても、正規の店員たちで充分だろう。一応近場の店員に抜けることを告げ、弧月は違和感を感じた物品――つまり、ほんの一瞬で位置が変わっていたり増えていたりした物――に手を触れた。
――まず見えたのは、店の日々の様子。
たくさんの人が入れ替わり立ち代りこの椅子に座り、食事をし、去って行く。
過去から現在へ・・・・・・・そして、ついさっき。
この椅子に座ったのは、二十代過ぎらしい男性。しきりに鞄の中身を気にしているのが、妙に気にかかった。
男性は普通に食事をして、そして去って行く。
・・・・・・・・・・・・だが。
弧月は、この男に見覚えがなかった。
ほんの少し前まで店は忙しい時間で、だからすべての人間を覚えていないのは仕方がないのかもしれない。
ここは、落ちついて店の中を観察できる状況にあった慶悟に聞いてみた方が良いだろう。そう思って店のほうに視線を戻すと、店内に慶悟の姿は見当たらなかった。
裏で作業している女性陣の方に行ったのかもしれない。そう判断し、弧月は、すぐさま店の奥へと向かった。
◆ 情報交換 ◆
裏ではすでに他の四人が集まって顔を突き合わせていた。
「そちらでも何か気付いたんですか?」
女性陣三人はすぐさま頷いて、そしてそれぞれ気付いた異変について情報を交し合う。
「あたしは、注文されていないメニューの空き皿が流し台にあるのに気付いて・・・」
「私はメモと食材の残量の食い違いだ」
「私の方は灰皿と椅子、ね。そっちは?」
「俺もシュラインさんと同じ・・・何時の間にか増えてた灰皿の吸殻と、微妙に動いていた椅子。それで真名神さんに聞きたいことがあるんですが」
弧月は慶悟の返答を待たずして、言葉を続けた。
「さっき、二十代前半の鞄を持った男が入ってきませんでしたか? 一番最後にその椅子に座っていたのがその男らしいんですけど、俺は全然覚えがなくて」
そう言いながら、弧月はその男の特徴を告げた。
途端、慶悟の表情が険しくなる。
「どうやらそいつがビンゴだな。俺はそいつが店に来たのは覚えてる。が、そいつが椅子に座って食事をした様子には覚えがない」
エマは小さく息を吐いた。
「その男は、もう店を出てしまってるのよね? すぐに追わないと」
慶悟が、ニッと不敵に笑う。
「追うのは簡単だ。式神に追跡させているからな」
「なら、すぐに出ましょう」
みなもの声に頷いて、五人は男の追跡に向かった。
◆ 追跡 ◆
慶悟はまったく迷う様子もなく、道を駆けて行く。その後ろを追って走る四人。
そして――店を出てから追うこと十分弱。道のすぐ先に、目的の男の姿が見えた。
だが、もう少しで追いつくというその時に、こちらに気付かれてしまった。
男は慌てた様子で走り出す。その足の速さは異常とも言えるほどで、普通に走っていたのではとても追いつけそうにない。
と、その時。
みなもが待ったくの別方向に走り出した。
「みなもさん!?」
他の三人もみなもの行動に戸惑いの表情を浮かべたが、かといって立ち止まれる状況でもない。
みなもはみなもで何か考えがあるんだろうと納得しておくことにして、男を追いかける。
――直後。
サァッと、水が流れた。水は重力に逆らい宙を行き、まるで生き物のように男を追う。
「うわあっ!?」
ざっぱんと頭から水を被って、男は声をあげた。驚いた拍子にか、男の足が止まる。
男はすぐさま走り出そうとしたが、数秒でも男に追いつくには充分な時間だ。
「さて・・・話を聞かせてもらおうか?」
手早く男を取り囲んでのち、最初にそう言ったのはレイベルだった。
◆ その正体は ◆
五人に囲まれて、その男は少しかわいそうなくらいに萎縮していた。
「どうしてこんなことをしたのかしら?」
男はきょときょとと視線を宙にさまよわせていたが、すぐに諦めがついたようで大きな溜息をついた。がっくりと肩を落として、ぽつりぽつりと話し出す。
「なんというか、お腹が空いてたんだけど・・・・・・・」
「だからと言って、食い逃げなどして良いわけがないだろう」
普通の食い逃げとは多少事情は違うが、店で食事をして代金を払わなければ立派な食い逃げだ。レイベルの怒ったような物言いに、男はビクっと体を引いた。
「ううう・・・だって、最近は誰もお供えしてくれないし。最初はちゃんとお金を払おうとしたんだよ」
「あら、ではどうしてやめてしまったんですか?」
みなもの率直な問いに、男はまたも大きな溜息をついて、懐からごそごそと巾着袋を取り出した。
「・・・・・・・・・・」
巾着袋から出てきたのは、ずいぶんと昔のお金――入っていた金額は十一円と五十銭。
出てきた硬貨を見て、慶悟は苦笑した。
「確かに・・・この金額じゃあちょっと足りないな」
実際にはちょっとどころじゃない気もするが。
「そういえば・・・『お供え』と言っていましたが、貴方はどこから来たんですか?」
ふと気付いたように弧月が口を開いた。
「あっち」
男が指差した先には、細い道が続いていた。
「良かったらそこまで案内してもらえないかしら?」
「ああ、構わないよ」
エマの申し出に、男はあっさりと頷いた。もう逃げることは諦めてるらしい。
男に案内されて到着したのは、細い路地の行き止まりにぽつんと建っている小さな社。
「昔は毎日誰かしらがお供えもんくれたから、ハラペコになるってことはなかったんだけどさあ」
「・・・・・・・あんた、お稲荷さんだったのか」
呆れたような慶悟の問いに、男はにこりと頷いた。小さな煙と共に、男の姿が変化する。
「最初葉っぱのお金使ったらなんかおかしな顔されちゃって」
キツネは、前足で頭を掻きながら誤魔化すように笑った。
「・・・・・・・・・・・・」
五人はそんなキツネに、顔を見合わせて苦笑した。
多分・・・キツネは昔のデザインそのままのお金を使おうとしたのだろう・・・・・。
「わかったわ」
しばしの沈黙ののち、エマがそう切り出した。
「出来るだけお供え物を置くようにするから、食い逃げはもうしちゃダメよ?」
途端、ぱっとキツネの表情が明るくなる。
「え、ホント? やったーいっ! ぢゃあねえ、ぢゃあねえ、オレ、稲荷寿司がいい〜っ」
現金なお稲荷さんに、五人は再度苦笑を浮かべたのだった。
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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整理番号|PC名 |性別|年齢|職業
0086|シュライン・エマ|女 |26|翻訳家&幽霊作家+時々草間興信所でバイト
1252|海原みなも |女 |13|中学生
0389|真名神慶悟 |男 |20|陰陽師
1582|柚品弧月 |男 |22|大学生
0606|レイベル・ラブ |女 | 395|ストリートドクター
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■ ライター通信 ■
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こんにちわ、日向 葵です。
はじめましてのレイベルさん、弧月さん。いつもお世話になっております、エマさん、みなもさん、慶悟さん。
今回は依頼を受けていただきありがとうございました。
いつもながらのほのぼのお呑気話ですが、少しでも楽しんで頂ければ幸いです。
昔、学校までの通学路の普通の住宅街の中にいきなりポンっと鳥居と社があったのをふと思い出しまして・・・こんなお話になりました。
お供え物もなし、山と違って木の実や獲物を捕まえるのも難しい。そんな環境の中で、このお狐さまは今度もたくましく(?)生きていくことでしょう(笑)
それでは、次にお会いする機会がありましたら、その時はまたよろしくお願いします。
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