コミュニティトップへ
高峰心霊学研究所トップへ 最新レポート クリエーター別で見る 商品別一覧 ゲームノベル・ゲームコミックを見る 前のページへ

<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


帰る想い、帰る場所




 海原家にとって、母親が家にいるのは稀なことだった。
 だから今は特別。
 弾ける時間と、穏やかな気持ちがある日。



「お母さん、本当に大丈夫?」
 みなもは不安気に言う。その手に握られている野菜は、先ほど母――みたまが八百屋の気のいい店主から値切って買ったものだ。
 そういう意味では、みたまは良い主婦と言える。
(お母さん、頑張ってるもんね……)
 実際、みたまは母や主婦として努力していた。普段は家にいない分、家に帰って来た時は、みなもから家事を引き継ぎ、掃除洗濯料理をこなす。
「大丈夫よ。まぁ見てなさいって」
 みたまはみなもから野菜を受け取ると、余裕の微笑を見せた。
 でも――みなもはみたまの傍を離れる気にならない。不安なのだ。
(お母さんは確かに頑張ってるんだけど……)
 悲しいことに、結果がついてこない。
 そんなみなもの心配をよそに、みたまは包丁を握り締めた。
「いくわよ!」
 まな板の上のキャベツが、千切りにされていく。
 そのスピードは凄まじく――まさに神業。
 だが、スピードが速いだけでなく、みたまの力は相当なものだ。
 千切りにされたキャベツの一部が、衝撃で飛び散っていく。
「お、お母さん、もう少し力を抜いて……」
「大丈夫よ、だいじょーぶ」
 みたまは笑顔で答え、包丁を置いた。
「ほら、出来た」
 そこには、細かく千切りにされたキャベツ……――と、うっすらヒビの入ったまな板。
 ――みなもは心の中で苦笑した。
(こんなこと出来るのは、お母さんしかいないだろうなぁ)
 ふと思ったこの言葉に、みなもはハッとした。
 苦笑するのをやめ、考える。
 目の前にいる金色の髪をした女性は、自分の母親であるということ。
(そう)
 ――確かにこの人はあたしのお母さんなんだ。




「みなもはゆっくりくつろいでいていいのに」
 掃除機をかけながら、みたまは言う。
「ううん。いいの」
(何だか掃除っていうより、全力疾走を見ているみたい)
 みなもは、みたまを眺めている。時に微笑み、時に苦笑しながら。
(お母さん、かぁ)
 今みなもがみたまの家事を眺めているのは、先ほどのように『不安だから』ということもあるけれど、もう一つ別の感情が強く働くからだ。
 ――不安とはまったく別の感情、それは『安心』。
 今この時に対して、今この場所に対して。
 ――ここに自分がいること。ここにお母さんがいること。
(お母さんはまた出かけてしまう)
 ――だからこそ見ていたい。なるべくお母さんの傍にいて、何気ない会話を繰り返したい。
(あたしの居場所)
 確かな居場所。受け止めてくれる人。
 ――嬉しいから、胸が苦しくなる。
 みなもは柔和な表情で、みたまを見つめていた。



 みたまは時折掃除機を止め、みなもを振り返る。
(そんなに心配なのかしら)
 自分の手元を見て、首を傾げる。
(下手じゃないわよねぇ?)
 みたまが掃除機をかけたり畳を雑巾で拭いたりしたあとの部屋はピカピカだ。塵ひとつない。
 ただ、たまーに花瓶等を割ってしまうこともあるけれど。
(でもそれくらい、誰にでもあるわよね?)
 部屋が綺麗になっているのだから、小さな事故くらいどうってことない。
(なのにどうしてかしら)
 背中にみなもの視線を感じる。
 振り返る。
 みなもが微笑む。
 不安気な目ではなく、嬉しそうに。
(……そうか)
 ――この子は、喜んでいるのかもしれない。
 今、この場所でこうしていること。
 みたまが喜んでいるように。
(私と同じなのね)
 あらためてみなも眺める。
 みたまを見ているみなも。
 その表情は微笑――けれどどこか――脆さがある。
(ただ喜んでいるだけじゃない)
 ――この子は、喜んでいる反面、常に恐れてもいる。
 居場所を見失うこと。
(私以上に、揺れやすい)
 みなもの純粋さ。
 ――みなもが、みたまの背中に抱きついてきた。弱く――身体をみたまに預けている。
 みなもの心をも任せるように――みたまにも、その思いは伝わってくる。



 ――お母さん。
 みなもは心の中で確認する。
(家事があんまり上手くなくっても、あたしのお母さんなんだよね)
 例えあたしが人魚であろうと人間であろうと変わらない。
(あたしが人魚になったときだって、お母さんはあたしを拒んだりしなかった)
 あまりにも普通に接してくるものだから、あたしが不安になったくらい。
 お母さんは、いつだってあたしを受け止めてくれる。
 ――そしてここが、あたしの居場所なんだ。
(忘れたくない)
 あたしにとって、一番大切なこと。
(見失いたくない)
 心から願う。



「みなも」
 みたまが声にだす。その声は柔らかく、みなもが大事な存在であることを証明している。
(お母さんはあたしの気持ちを汲んでくれている)
 みなもにも、みたまの心は伝わっている。
「掃除も終わったから、一息いれようか」
 みなもは、こくりと頷いた。
「あたしがお茶淹れるね」
「あら、みなもは座ってなさい。私が淹れるから」
 せっかく自分が家にいるのだから――というみたまの優しさだったのだが、みなもはみたまが使ったあとの戦場のような台所を思い出して、首を左右に振った。
「ううん。あたしが淹れるよ」



 にぎやかな会話と柔らかな気持ち。
 帰る場所はここにあるから。




 終。