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***『Dream Theater』***
あの時、あたしは『魔狼』になった夢を見た。
あたしは『魔狼』になりきっていたらしく、それが自分の夢だと自覚できなかったが、
ふと目が覚めてみれば紛れもなくあたしはあたしであって『魔狼』ではない。
『魔狼』になった夢をあたしが見ていたのか、
あたしになった夢を『魔狼』が見ているのか、
きっとあたしと『魔狼』の間には区別があっても、
絶対的な違いと呼べるものではないのかもしれない。
***『彼女が見る夢』***
其処には見知らぬ匂いが満ちていた。
誰も訪れることの無いモノトーンの空間。
そして理由は分からないけど、無性に人恋しく、焦燥感に打ちひしがれながら、何かを、誰かを待つ――そんなあたし。
この、胸を切なくして止まない寂寥感は久しい。
遠い記憶に在るものだ。あまり思い出したくない過去。
あたし――少し意識が混濁しているの?
覚醒を促すように頭を振ふると、視界に広がったのは見慣れぬ景色。網膜へと鮮明に浮かび上がった其処は――、
(…何処?)
と、困惑し、小さく紡ぐ凪砂。すると、
『――何時までなのだろうか?』
ほぼ同時に、酷く近くからそんな声が聞こえた。
(――!?)
『我は…我は、一体何時まで、此処に居らねばならぬのだ?』
嘆きだろうか、憤りだろうか、声は鬱屈し――そして絶望にも似た寂しさをも含んでいる様子だった。
あたしはハッとして、声の主を探そうと首を振った。だけど薄暗く、飾り一つ無い小さな部屋には、不思議なことに誰も居なかった。
『黄昏の日―、その日こそ我が解放されるのか?…だが我はそれまで待てない――』
クゥーン、とまるで犬が鼻を鳴らすような響き。
(―…っ?)
そのとき凪砂は初めて、聴こえる言葉の全てが、自分の口から零れる声だと気が付いた。
(これって…)
そういえば、目線が普段よりも随分と低い――間違いなく四本の足で立っている感触なのに。
(――って、四本足ですってっ!?)
『…………』
あたしは尻尾を振るとトコトコと、光のまったく射さない暗がりの部屋を歩き回る。随分と目が良い―と言うか今のあたしは高度な暗視能力を備えているらしい。そう、まるで獣化した時みたいにはっきりと。
(そうか―これって、今のあたし…フェンリルの「影」なんだわ…多分)
確信は静寂の時間と共に徐々に深まり、しかし、これはどういうことなのだろう? 確かあたしは修行の最終段階で、――っ!?
『我を戒める封め、忌々しい、口惜しい、訪れる者さえ居れば――しかし、この部屋の存在すら知られることは無い、これほど手酷い仕打ちがあろうか?』
(そうか、そうなのね…、この部屋、確かあの時の古城の――)
壁に巧妙な細工、描かれたルーン文字、今となって思えば、あれこそが「影」を封じていた枷だったのだろう。
(あたしが…訪れる前の、「影」の記憶なの?)
無限と想える時間を只独りで過ごし、決して何者も近づけない闇を友にする「影」。時折怨嗟とも嘆きとも付かない、オオオ…という、声とも形容し難い呻きを上げる「影」。
「影」と為っているあたしの瞳には涙は無かったが、何故か昔、あたしが体験したはずの悲しみを共感できた。「影」が抱く嘆きと恨みは、幼いあの日、唐突にあたしの前から消え去ってしまった両親への、言い知れぬ悲しみの憤り、それに少しだけ似ている。そんな気がする。
強大な力を持つ「魔狼」は、このとき只の――寂しげに慟哭する子犬のように感じた。
そう…貴方も、あたしみたいにずっと一人だったのね?
一人は寂しい――、
一人は怖い――、
――あたしも分かるわ。
あの時抱いた想いは、今でも胸の内側に存在するから。
******
あの時、我は『娘』になった夢を見た。
我は『娘』になりきっていたらしく、それが我の夢だと自覚できなかったが、
ふと目が覚めてみれば我は我であって『娘』ではない。
『娘』になった夢を我が見ていたのか、
我になった夢を『娘』が見ているのか、
きっと我と『娘』の間には区別があっても、
絶対的な違いと呼べるものではないのかもしれない、
***『狼の見る夢』***
其処は暗く影の濃い場所だった。
豪奢な造りであるに関らず、
壮麗な装飾に関らず、
陰気な影が漂う理由は――部屋、というよりも屋敷全体を覆っている、得体の知れない空気の為か。
それは酷く馴染み深く、故に我は厭な気分になる。
前のめりに顔を埋めるように座り、すすり―…啼く?
『っ…どうして…?』
弱々しい女の、違う――コレは少女の声か。
『ぐすっ、どうして…死んじゃったの?』
(…誰が死んだと?…我は死んでなどおらぬぞ…失礼な)
と、口にするも…変だ。我の言葉が周囲に響かぬ。これは一体…?
そんな風に不思議に浸る『魔狼』だったが、ふと自らの頬に前触れもなく雫が流れ落ちたのを知ると愕然となった。
(コレは――我が流しているのか!?)
それは確か涙と云う、我の最も嫌う水滴。
『うっく…ひっく、おかあさん、おとうさん…』
(ええぃ――何を、父と母なぞ知ったことかっ!大体…これはどういうことぞ?)
よくよく見れば、我が手、我が足、我が身体。細く小さく頼りなくと三拍子そろった脆弱さではないか。しかも二本足?――コレも我の忌み嫌っているもの。おまけに頬には、身動きするたびにサラサラと、擽るように掛かる鬱陶しい違和感。少女の髪。
『………うぇ?』
ふと、少女の声が動揺に震えた。恐怖だろうか…表情が強張るのを感じた。怯えの色を宿していると直ぐに分かる。膝に埋めていた顔をふっと上げると、おそるおそる立ち上がって、ふらふら頼りなさ気に扉の方へと歩いて行った。
涙の次は、怯えか? 順序が逆であろうに…と、呆れながらも、一応少女(どうやらコレが『今の』我らしい)の挙動を怪訝に思い、耳を澄ませて見た。
否――少女が扉の前で、静かに耳を澄ませたのか。
『――…い…さん?』
扉の微かな隙間から、そっと幼い眼差しが覗く。其処は大きな洋風の居間、室内にはずらりと、普段はあまり寄り付きもしない親類たちの姿があった。そう、殆どが見知らぬ顔の赤の他人、彼ら、彼女らは何故か悲しんでいる様子すら無い。
その誰かが紡いだ言葉、「い…さん?」と、小さく、ぼんやりと反芻する少女。可愛らしい黒瞳が不思議そうに揺れた。
少女は一人残されていた。
―――巨額の財産。
―――雨柳の名。
それらに蟻の様に集る人々の欲望。ある種、醜い大人たちの正体。子供ゆえにこそ敏感に感じ取ることが出来るそれは、しかし同時に多大な恐怖を一身に受けることであり。
ゆらゆらと、
少女の意識が戻りかけたのか…。
あのとき、不安で仕方の無かったあたしを助けてくれたのは――『叔父さん』だけだった。――と、少女ではない、成人した女性の呟き、ふと我は聴いた。
(叔父さん?――それは、それは…その男は…)
我が、彼女のイメージを掴み取ろうとすれば、不意に視界が揺れる。
再び、ゆらゆらと、
小波のごとく左右に揺られる意識。
―――、
「影」の見る夢は唐突に終わる。
***『The end of a dream』***
またしても混濁する意識――。
凪砂は再度、頭を振って覚醒を促した。
『ここは…あたし、戻れ…た?』
確認の呟きは小さく。
『ふん、残念だが、まだ夢の中に居るようだ』
と、直ぐ近くから頭に響くような、少し嘲りを含んだ声音。
『――えっ!?』
凪砂は声がした方向へ身体ごと向き直る。
周囲は暗闇に覆われていた。確かに――身体に感じる感覚もリアルからはかけ離れている。
『あ、貴方は、フェンリル…の「影」?』
数歩進めば手が届きそうな距離に、文字通り影のような魔狼の姿を認めて、思わず言わずもがなの問いを放つ。「影」は案の定――、
『左様、「影」という言葉の表現が正しいかどうかは、我にもハッキリとは分からぬがな…』
と、これも高慢な物言いで肯定してくれた。
『やっぱり…、それにしても随分と高飛車な物言いですね?』
今まではあまり気に欠けなかったが、面と向かって対話してみれば少し見下されているように感じ、控えめな凪砂でもやはり良い気がしない。
『娘よ、我を何年生きておると?――遡れば神話の時代より…まあ、少なくとも二十そこそこの小娘などには想像のつかぬ時代から、生を全うしておるのだ。それでなくとも泣き虫の御前ごときに…』
『そ、それは…そうでしょうけど。って、ちょっと待ってくださいっ! な、泣き虫って何ですかっ!?――あたしは、貴方の前で泣いたことなんて…、大体――貴方だって人のこと言えないでしょう? そんな偉そうに言ったって、ずっと独りきりで、泣きそうになっていたじゃないですかっ』
と、此処で二人とも、折りしもつい先ほどに体感した、あの夢へと考えが至ったのだが。
未だにお互いに夢を見ている?
ある予感、凪砂と魔狼の「影」は、自然どちらともなくお互いの顔をマジマジと見つめた。
そして――、
『あたし、貴方の夢を見ました。例のお城の例の部屋。あたしが死に掛けたあの場所で、貴方がずっと孤独のうちにあったことを。誰かが封を解いて解き放ってくれることを待ち望んでいた貴方が居ました。あたしには「あの子」…泣いているようにも見えました』
『………「あの子」だと? 我は、泣きそうになどっ…まあ良い…。成るほど――どうやら御前とは、予想以上に波長が合うらしい。直接の原因は、近頃、御前が頻繁に行っているシュギョウとやらなのだろうが。それにしても…我も見たぞ、最も近き血縁を失いし幼き少女、即ち、過去の御前が泣く姿を。――あの夢、あの部屋で感じた寂寥感や恐れ…酷く不愉快だった』
容赦のない言葉。凪砂は「はぅ〜」と気の抜けたような吐息を零す。
と、魔狼に近づいていき、今は何故か恐れを感じない「影」へと手を伸ばす。
『――ムッ?』
一瞬厭そうな眼差しで凪砂を見上げる魔狼の「影」。しかしそれだけだった。あとには自然と、頭を覆う細い掌の感触を受け入れ。
『そう多分―…修行の影響なのでしょうね? お互いの夢が見られたのは…。分かっているだろうけれど、あたし、貴方を制御する方法ばかり考えていたわ。発作みたいに獣化するときの恐怖感は嫌だったし、特に枷と鎖を付けてからは、変異のときの痛みに耐えられなかった。だから…同化して貴方を押さえ込み、元の、昔のままの「あたし」として生きたかったの』
『ねぇ―…あたし達、少しだけ似ていません? お互いに独りぼっちで、確かにあたしは今幸せだけど、だからといって寂しい気持ちは消えていないの。ずっと昔から此処にある…貴方も孤独は嫌だったのでしょう?』
凪砂は呟きながら、そっと自分の胸に片手を当てて。
恐らく、「影」この子(呼び方、魔狼は嫌がるけど)と「ひとつ」に成れれば「力」を制御できるようになるのでしょうね。けれど、今はまだそれをする必要はないのではなかろうか。なにより、戦ってどちらか一方が…なんていうのは間違っている気がする。「影」のココロの一端に触れて、それがやっと理解できたのだ。
『あたし、貴方を無理やり押さえつけるのを止めにします。だから、だから――貴方も、あたしを強引に取り込もうとするのを…』
『――…ふむ、止めても良い。その程度ならば妥協してもな…。我も晴れて封から解かれたのだ、どの道「首輪」も邪魔をしておる。良かろう、ここは御前の提案に乗ろう』
(それに不思議と波長も合う娘。仮に別の人間を探してとり憑いたとて、此処まで我が意を汲める存在は滅多にいない、確かにいまはコレでも良いかもしれぬ…こちらも少々性急過ぎた…)
それとも知らず情でも芽生えたか?
『力――これの制御の仕方は、今の時点では互いの苦にならないように、その場に応じて二人で妥協しましょう。…大丈夫、きっと、必ず、お互いに納得のいく解決案がある筈だからっ!』
それをゆっくりと、二人で見つけていきましょうよ。
お互いに時間はまだ、十分過ぎるほどにあるのだから。
「影」は「じっ」、と自分を見下ろす凪砂を眺めていたが、不意に鼻を鳴らすと、そのまま前足で顔を掻いた。
承諾の意らしい――。
『気長にやるか…娘、いや凪砂よ?』
差し出された娘の手をぺロリ、一舐めして呟いたのだった。
***『END』***
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