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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


幻想世界の正体を調査せよ

【0】

「シュライン、知ってるか?」
 シュライン・エマ(しゅらいん・えま)はキッチンの流しで貯まりに貯まった洗い物を片付けに掛かっていた。──一体この興信所の何処に、これ程大量の食器が在ったのだろう? ──零ちゃんが半日居ないとこれなんだから、とシュラインはシャツの袖を捲り、背中に流れる黒髪を一つに纏めながら内心で呟いた。
 その彼女の背中に、応接間の草間・武彦から前置き無し、誰の所為で喧しい程大量の水や洗剤と格闘しているのか分からない彼女の都合お構い無しの声が飛んだ。
 ちょっと待ってよ、と肩越しに応じたシュラインの目に、来客を前に話し込んでいる草間の背中が見える。
 依頼かしら? と手早く流しを片付け、指先の水分を切りつつシュラインは来客に視線を遣った。
──まあ、なんて背の高い……。
 それが、来客に対するシュラインの第一印象だった。

 草間は当惑気味の視線を目の前の来客から背後のシュラインに移した。
「結城レイさんねぇ……、……ちょっと記憶にないわね」
 白皙の美貌に映える、透徹した青い瞳を思案に曇らせながらシュラインは呟き、草間の手にしている一枚の書類を覗き込んだ。
 そして、視線をちらりと目の前のやたらと背の高い青年へ向ける。彼は田沼・亮一(たぬま・りょういち)と云い、金色の瞳が印象的な、穏やかそうな雰囲気の青年だが、ともかく背が高い。高すぎて目立つ。それで、草間と同業の探偵だと云うのだ。
 彼は、つい今しがた自分の事務所で扱っている一枚の調査依頼書を手にやって来て、この依頼人に心当たりはないか、と訊ねたのだ。

依頼者御名前:結城・レイ
年齢:21
住所:東京
連絡先:080-××××-××××
依頼内容:某映像作家の思念体による幻想世界からの救出
担当者:篠原

「この番号には掛けてみたんですか?」
 亮一は頷き、溜息のような返事を返した。
「勿論、でも、不在でした。……この手紙を残して行った奴にも連絡が付きませんし」
 亮一がもう一枚、提示した手紙にはこう書かれてある。

──「亮一さんが留守と聞いてたので立ち寄ったんですが、勝明の姿が見えません。そこへ、この依頼書が置いてありました。厭な予感がしたので依頼者に連絡を取った所、自分は仲介をしただけで直接の依頼人は別に居るから、そっちへ行ってくれと云われたのでこれから向かいます。亮一さんも、もし俺達より先に戻っていたら探して下さい」

 担当者の所に記されているのが亮一の同居人らしいのだが、彼はまだ中学生で、しかも霊的な感覚が強く普段から気が立っている事が多い繊細な子だ。それに、「某映像作家の思念体による幻想世界からの救出」とは何とも胡散臭い内容である。自らの留守中にその少年が妙な事に巻き込まれでもしたら事だと、亮一はすぐに行動を開始したらしい。
「この手紙の主は?」
「ああ、俺も勝明も面識のある青年です。今日は仕事で遅くなる予定だと云っていたので、もしかしたら勝明の様子を見に寄って呉れたのかもしれませんが」
「……その彼が連絡を取れたということは、出鱈目な番号じゃないって事よね。……住所が漠然としすぎてるのが怪しいけど」
 その時だ。「草間さん、ちょっとお願いが」と一人の少女が息せき切って草間興信所の応接室に飛び込んで来たのは。

------<オープニング>--------------------------------------

「女優さんだったんですか」
 草間武彦は、依頼者から渡された資料を覗き込みながら呟いた。
「御存じなくても無理はないと思います。女優と云っても、舞台が主でメディアなんかにはそんなに出てませんでしたから」
 依頼者は、敢えて感情を押し殺そうとするように端正な顔を、殊更表情を変えず淡々と話した。
 陵・修一(みささぎ・しゅういち)という、都内の企業に務める30少し前の青年だ。依頼内容は、殺人事件の容疑者の調査である。
 陵は学生の頃に母親を亡くし、元々が母子家庭だっただけに、以来5歳年下の妹だけが彼の唯一の家族となった。母親が元々、旧家の実家を飛び出して東京で孤独な人生を送っていただけに他に身寄りもなく、親戚はその存在すら知れなかった。
 その妹が、1ヶ月程前、轢逃げに逢い死亡した。
 その妹の資料として渡された物の中には、写真だけでなくミュージカルや芝居を扱った雑誌等もあり、その中に陵・千鶴子(みささぎ・ちづこ)という名の女優の記事が載っていた。千鶴子が、修一の妹である。修一も中々端正な顔だが、妹はその面影を残しつつ更に目を見張るような美人だ。舞台方面では、美貌と知的な気品で有名で、ファンも多かったらしい。
「他殺の疑いが強いらしいです。僕が云うのも何ですが、気立ての良い娘でした。でも一応芸能人ですから、心当たりはいくらでもあります。千鶴子に役を取られた別の女優に虐められたと云って泣いていた事もあったし、ストーカーまがいのファンが『結婚させろ』なんて電話をかけて来たこともあります」
 但し、既に事件は迷宮入りしかけている。事故車は乗り捨てられていた物が都内で発見されたものの、元々が盗難車だった。車内には元の持ち主以外に特定の人間を割り出せる証拠は無く、その持ち主には事件当日も何人もの証言者が居るアリバイがあるばかりか、被害者の女優との関係性は全くなかった。舞台などに興味はなく、名前すら知らなかったのである。
「そんな理由で、彼にも証拠がありません。でも、僕は、彼、だろうと思います、……妹を殺したのは」
 彼とはストーカーの類のファン等ではなく、陵も何度か顔を見たことのある千鶴子の近しい知り合いだ。警察も一度は取り調べたが、証拠もなく、他にも容疑者は山と居たので結局彼は疑いを逃れた。
「警察の捜査で証拠があげられないなら、……すみません、馬鹿げた振る舞いなのは分かっています、でも、察して貰えないでしょうか、霊的な物に頼ってでも妹の命を奪った償いをさせたいと思う、遺族の気持を」
 霊的な方面からの捜査か。で、何故俺の所へ来る。
 と草間は絶える事のない悩みに頭を抱えかけたが、しかしたった一人の肉親を失った青年の心中は察して余り有る。どうせ調査するのは俺じゃない。お引き受けしましょう、と答えた。

 その数日後の事だ。草間興信所のアルバイトの内、芸能方面には強そうな少女がやや急いだ様子で入って来たのは。
 草間がいい所へ来た、と云うのと同時に、彼女は驚くべき事を口にした。
 何でも、恋人だった女優を失って廃人同様になり、自らの幻覚に捕われて音楽の世界へ閉じ込められてしまった映像作家の救出を、仲間と共に行っている最中だと云うのだが、その女優というのが陵千鶴子の事だったのだ。
 少女が草間を尋ねた理由は、その救出作戦中に浮上した問題として、死んだ女優や映像作家の周辺の人間関係を知る必要に迫られたから、ということだった。
 そこで草間が出して来た陵の調査依頼書を見た彼女は、既に自分がその幻想世界で見て来た情報を提供して行く代わりに、本件の結果が出たらすぐに教えてくれるように云い置いてまた慌ただしく出て行った。
 後に残され、少女の置いて行った情報に目を通していた草間は顔色を変えた。
 今現在、その幻想世界に映像作家の救出に向かっている面々の中には草間興信所お馴染みの仲間の名前も含まれていたからだ。
「おい、」
 草間は所内に居合わせた連中を呼び付けた。
「一刻を争う調査だ、お前らだけでもいいから急いで行ってくれないか」

---------------------------------------------------

【1】

 それにしても非常に不味いのは──。
「陵氏の予想が的中しているとすれば、柾氏どころか中に居る連中も非常に危険な状態じゃないのか?」
 草間は修一から聞いた話をまとめたレポートを手に低く呟く。
 「水谷・和馬(みずたに・かずま)」。
 修一が妹を殺した犯人だと思う、と予想を付けた人間だ。
 
 兄公認の千鶴子の恋人は柾・晴冶(まさき・はるや)と云う若手映像作家──そう、草間興信所お馴染みの面々が救出に向かっていると云う、恋人を亡くした事で精神を病み、「幻想交響曲」の世界に取り込まれてしまった青年の事なのだが、水谷は柾の学生時代からの友人で、現在は映像会社でアシスタント・ディレクターを務めていると云う。
 新進の若手として注目を集めていた柾と違い、運良く芸能界に潜り込んで何とか活動はしているものの才能は今一つぱっとせず、うだつの上がらない人間の典型のようだ。
 然し、人間嫌いで偏屈とも噂される柾は殆ど他人との関わり合いを持とうとせず、恋人の千鶴子を除けば行動を共にする人間と云えば古くからの友人である水谷位のものだったらしい。実は、アマチュア時代の柾と千鶴子を最初に引き合わせたのも水谷本人だという事だ。
 学生時代から映像を撮り続けていた柾の才能を見込んで、当時から彼をサポートしていた水谷は、積極的に外へ出ようとしない柾を自分のツテのある劇団へ引っ張って行った。そこで、柾は千鶴子に一目惚れしたのである。頑固で自分の殻に閉じ籠った青年だった柾は、裏返してみれば非常に純真な、少年のような精神の持ち主でもあった。気軽に告白など出来よう筈もないが、一度恋に落ちれば真摯だった。
 千鶴子も当時は裏方等を手伝いながら端役を貰っているに過ぎない駆け出しで、吃驚するような美人の割りに大人しく内向的な娘だった。何度か顔を見た事のある、少し神経質そうだが端正な美青年のアマチュア映像作家から、彼が一体どうした勇気を出したものか純粋で真摯な告白を受ければ悪い気はしなかっただろう。そして、言葉を交わす内に二人は相思相愛の恋人同士になっていた訳だ。
 その後柾はアマチュア向けのコンクール等を経て、また水谷がプロモーション会社に売り込んだフィルムが認められてコマーシャルを手掛けたりする内に新進の若手として頭角を現して行った。
 同時に千鶴子を主演に起用した短編が成功し、千鶴子も段々と舞台方面で認められるようになる。
 その頃から修一は、柾か千鶴子が何か成功した折に「内祝い」と称して陵宅でささやかに執り行なって居たパーティ等で、柾や彼の友人、水谷とも顔を合わせるようになったのだが。
 柾に関しては、少々神経質ではあっても大事な独りきりの妹が訳の分からないそこいらの青年や遊び慣れた業界人と付き合うよりは余程良い、と好感を持ってもいたそうだが、柾の友人と称していつもくっついて来る、うだつの上がらない、その割りにやたらと愛想は良く口先の上手い水谷に関しては今一つ心証が悪かったようだ。
 それとなく注意した事はあるが、元が気の良い千鶴子に「修ちゃん、過保護ね、晴冶さんの大事な友達なんだからそんな事云わないで」と云われれば黙っているしかなかろう。
 だから、千鶴子の轢逃げに他殺の疑いが強いと聞いた時修一はぴんと来た、と云う。
 然し、警察が一度は取り調べ、容疑を免れた相手に勘だけで適当な云い掛りを付ける訳にも行かない。そこで、草間を頼って来たのだ。

「でも、それだと妙じゃないですか。柾さんを連れ戻して欲しいと依頼したのは他ならぬ水谷氏ですよ」
 亮一には何か別な考えがあるらしい。
「だけどこの件に関して云うなら、やっぱり一番怪しいのは水谷氏じゃない? 舞さんが云ってた事も気になるわ。水谷氏、女優の誰だかに御執心だったって」
 その線は、今、舞──先程駆け込んで来て、また慌ただしく出て行った芸能方面には強い少女──が知人に当たっている。裏付けが取れ次第連絡が入る筈だ。
「例えば、陵さんが云ってた、千鶴子さんを妬んで虐めてたという女優だったら。その女性に唆されて、或いは彼女の為に千鶴子さんを手に掛けた、という線も考えられるわ。依頼の件はまだ何とも云えないけど、例えば何か別の思惑があって、救出という名目で利用するつもり、とか。大体、彼等、」
 彼等、と云ってシュラインは「幻想世界参加者名簿」をぱん、と指先で弾いた。
「彼等だって、水谷氏の話しか聞いてないのよね。だったら、どうとでも先入観を与える事は可能じゃない?」
「……、」
 ともかく──、今必要なのは情報だ。水谷が本当に千鶴子殺害の犯人であれば、早めに手を打たなければ幻想世界に居る面々の精神さえ危ないが、それにしても確固たる証拠がなければ早まるのも危険だ。

【2A】

 本業である翻訳業の傍ら、ゴーストライターや各方面のインタビューからリライトまでをこなすシュラインの顔は広い。が、水谷の想い人や交友関係と云った芸能方面は舞の情報を待ち、その間に別方面を聞き込むほうが効率は良い。シュラインは、ツテのある警察方面の人物に連絡を取った。

 時間的な制限から、遠方まで足を伸ばす事はできない。自然、二人は草間興信所に留まったままシュラインが主に電話での聞き込みを、亮一がコンピュータネットワークを駆使しての情報収集を担当する事になった。

──……お、エマさんか。今日は何の用かな。
 草間興信所を通して、霊的な方面から秘密裏に操作協力をして以来面識のある警視庁の人間だ。お互い持ちつ持たれつ。シュラインから電話があった以上、何らかの情報を引き出す気であるのはとっくに分かっているのだろう。
「察しが良いわね。それなら悪いけど、時間がないから単刀直入に云うわ。先月、舞台女優の轢逃げがあったでしょう。既に継続入りしかけてるんですって?」
──はいはい、陵千鶴子ね。あのキレイな。
「容疑者が無数に居るものの物的証拠が無くて特定できないそうね。その辺りの事情を教えて欲しいの」
──……ふーん、……。
 相手の男は、受話口の向こうでやや意味深長な相槌を打った。
──……実はね、その内お宅あたりが絡んで来るんじゃないかと思ってたよ。
「どういう事?」
 肩に携帯電話を挟みつつ、テーブルの上には白紙、片手にはペンを構えてメモを取る体制を整えていたシュラインの眉がぴくりと動く。
──どうもこうも。何せ、完全犯罪と云うよりは不可思議な事件だからね、この件。
「何がどう不可思議ですって?」
──……この件調べてるって事は、事故車が盗難車で、元の持ち主以外の人間の跡が見つからなかった、って位は知ってるだろ?
「ええ」
 云いつつ、素早くペンを走らせる。
──これが、完全に指紋を拭ってるとか、そんなレベルじゃないんだな。全く、無い訳よ。他人が入ったり、触ったりした跡が。
「え……?」
 その、右手が止まる。
──警察の鑑識技術を舐めんなよ、例えどんな僅かなものでも、例えば皮膚のひとかけらでも残ってればDNAで割り出しが可能なんだぜ。……それが、完っ璧にゼロ。大体、盗まれた時の状態からして、ちゃんと鍵も掛かってたし、キーが差さってた訳でもない。発見されてから確認しても、キー部も壊れてない、バッテリーをいじった形跡もない。……幽霊が動かしでもしたみたいだな、って冗談半分で云ってたんだよ。……まさか本当にエマさんから電話があるとはね。
 参ったよ、と明るい声が受話器越しに聞こえた。

「……、」
 警視庁の彼から聞いた情報を纏めていたシュラインは、携帯電話の着信音に顔を上げた。発信元は公衆電話。
「もしもし?」
 舞だった。
「どうだった? 水谷氏のお相手、分かった?」
 分かったも何も、と電話線の向こうから溜息が聞こえて来る。
「──……陵千鶴子……、……え? どういう事? 彼、親友の恋人に片思いしてたって事?」
 メモに書いた、彼女の予想による人物相関図を、新しく引いた一本の赤い線が破綻させた。
「……、」
 どうなってるのよ、とばかり、やたらとその矢印だけを何度もなぞっていたシュラインに彼女は、亮一に伝言があるから代わって欲しい、と云った。
 
【2B】

 ……それにしても、と亮一は眼鏡を片手に、常備しているノートパソコンを起動させながら溜息を吐いた。
 ──一体、何処をどうすれば「あの子」がここに名前を連ねる事になってしまったものか。……この依頼内容を見る限り依頼主にとっては適役かも知れないが、彼の精神にはどれ程負担が架かっている事か。
「……こういう状況になった上は、俺に出来る事で手助けする必要があるな」
 起動画面が切り替わった。亮一は眼鏡を掛け、片手をトラックパッドに置く。

 時間的な制限から、遠方まで足を伸ばす事はできない。自然、二人は草間興信所に留まったままシュラインが主に電話での聞き込みを、亮一がコンピュータネットワークを駆使しての情報収集を担当する事になった。

 亮一は今、一先ずはノーマルな方法でヘクトール・ベルリオーズ作曲の「幻想交響曲」についての情報を集めている。何故、この曲だったのか。或いは、何故、この曲でなければならなかったのか。
 水谷は確かに怪しいが、然し一端容疑を免れる完全犯罪が成立している以上、千鶴子を殺すだけが目的ならばそこで完結しても良かった筈だ。
 わざわざ柾を救出しようとする原因は? また、柾が取り込まれてしまった原因は?
「……、」
 
───────────────────────────
幻想交響曲 Phantastische Symphonie Op.14
作曲:Hector BERLIOZ (1803-1869)
作曲年:1830

「病的な感受性と、はげしい想像力を持った若い芸術家が、恋の悩みから絶望して阿片自殺を計る。しかし服用量が少なすぎて死に至らず、奇怪な一連の幻夢を見る。その中に恋する女性は、一つの旋律として表れる──」

1. 夢 Reveries:ラルゴの序章が若い芸術家の胸に去来する夢想、憧れ、焦りや不安を表し、アレグロの主部にはヴァイオリンとフルートが優美な旋律──恋人の姿を表す固定楽想──を奏でる。

2. 舞踏会 Un bal:華やかな舞踏会で芸術家は恋人の姿を目にする。ワルツのリズムの中に現れた固定楽想が、軽やかに踊る恋人の姿を表す。

3. 田園の風景 Scene aux champs:夏の夕べ、芸術家は野辺に佇み、牧童二人の笛の掛け合いを聴く。田園の静けさを表す主題の中に、恋人の姿が現れる。結びにまたイングリッシュホルンが問い掛けの調べを吹くが、最早それに答えるのは遠雷のみ。

4. 死刑台への行進 Marche au supplice:幻想の中で芸術家は恋人を殺し、断頭台へ引かれて行く。最後の一刻にもなお恋人の姿を思うが、激しいトゥッティがギロチンの刃となって振り降ろされる。また近年になってこの楽章の77小説目から冒頭への反復記号が存在していた事が解明され、演奏に反映される事が多い。慣れない耳には非常に不自然に感じるが、それもまたベルリオーズならではの手法と云えよう。

5. 魔女の夜の宴 Sange d'une nait de subbat:芸術家は自分の葬式に集まった魔女や妖怪の中に恋人の姿を見るが、最早彼女はすっかり気品を失くし、卑しい身振りで踊る。鐘が打ち鳴らされた後には「怒りの日」の旋律が響き、魔女達が狂乱の踊りを始める。
───────────────────────────
 
 概要をざっと纏めた亮一は眼鏡を外して目頭を押さえた。……全く、主人公が若き芸術家、恋人が女優という所迄まるで仕組んだかのように当て嵌まるではないか。
「……」
 ──だとすれば、何て切ない事だろう。
 柾を、その幻想世界の「主人公」とするならば、楽章を通して起こる「一連の出来事」の主人公も柾……ならば、恋人、千鶴子を手にかけたのも柾、という結論が推測出来はしないか。
 然し、まだ引っ掛かりはいくらでもある。
 恐らく、後の批評家がこの楽曲についてあらゆる角度からの解釈をしているだろう。それを徹底的に洗い、何か別の見方が出来ないか探る。同時に、シュライン、彼女から頼まれた「あるデータ」も入手しなければ。

「勝明、お前はそっちの方を検索してくれるか──」
 
 つい、傍らに向かって声を掛けてしまった亮一は返事の無いのに視線をそちらへ向け、──1人苦笑した。
 そうだ、今は──、勝明、いつもコンピュータを使用した情報収集を行っている時に傍らで手伝いをして呉れる彼は居ないのだ。分かってはいたが、つい、いつもの癖が出た。
 仕方ない。自分1人でやるしか。
「──、……」
 勝明を助ける為にも。

「……!」
 予想通り、音楽理論的な専門家の見地から、素人の意見に至るありとあらゆる解釈を洗っていた亮一はとある一文に目を留めた。
 それと同時だった。シュラインが、亮一に声を掛けたのは。
「……、」
 顔を上げた亮一にシュラインは、マイクを塞いで手にした携帯電話を指し、「舞さんが、勝明君から田沼さんに伝言だそうよ」と告げた。
 亮一は短く礼を述べてそれを受け取り、その間、シュラインに「例のデータが見つかったから」と自身のノートパソコンを差し出した。

【3】

「──……、」
 亮一と二人で草間興信所を出たシュラインは往来で手を挙げ、タクシーを呼び止めた。
 行き先を告げ、できるだけ急いで、と付け加える。
 今から水谷を取り押さえるべく、柾の自宅に向かう所なのだ。何しろ、時間がない。お互いに限界まで情報を収集した、と判断した時点でシュラインと亮一は、情報交換と意見の総括は車中で、と早速興信所を後にしたのだ。

「それにしても、……千鶴子さんだったとはね。水谷氏御執心の女優さんが。屹度その所為だったんだわ、陵さんが水谷氏に悪い印象を持っていたのは」
 舞は同時に、参考までに、と幻想世界内で、千鶴子だけでなく、彼女をストーキングしていたファン、──同じく幻想世界内に居る高校生の何でも屋の許へ、半狂乱で千鶴子を殺した犯人を探してくれと依頼に来て、数日前自らの信号不注意による交通事故で計らずも後追いを果たしたらしい──その残留思念を感じた事も伝えた。
 あくまで、幻想世界の1ピースとして。幻想世界は、最早コンピュータ制御の体感型映像装置の出力結果に留まらず、また、柾の幻覚のみに在らず、そうした第三者の思念までが複雑に絡み合って構築されている事が明らかになりつつあった。
「独占欲の裏返しだったんでしょうか、──事故を起こした方法は詳しくは知れませんが、恐らくは怨念に近いものに拠って。そして、常から、──才能もあり、自らの恋する千鶴子さんを恋人にしていた柾さんへの嫉妬から、意図的に柾氏をその世界に放り込んだ」
 
 亮一は、幻想交響曲のストーリー性を知った当初、柾が犯人では、と疑った。然し、後に某情報サイトにて次のような解釈を読んだのである。

──固定観念。この中の主人公は、恋人の固定観念に捕われている。然も、主人公である筈の彼は、楽曲中、甚だ受け身なのだ。一見、舞踏会や田園へ赴いたり、死刑に遭ったりと様々な経験をしているようであるが、実際には彼はそれらの行動を自発的に行っている訳ではない。それらの事件は、ただぼんやりと恋人を思っている彼にただ降り注ぐ「悪夢」なのだ。彼は、その「悪夢」を傍観しているに過ぎない。

 これだ。もしも犯人が、幻想交響曲のこの特性を利用したとすれば、音楽の世界に柾を放り込む事で「自分が恋人の千鶴子を殺した」と思い込ませ、精神的に追い詰める事が可能だろう。そこへ、電話で同居人からの伝言を聞いた。

──俺が最初に見た海岸で……あの場所に流れていた意識が柾さん自身の物なら。あの時、一瞬通った「音」が教えてくれた事が一つある。柾さんには、忘れたい、けど忘れちゃいけない事がある、と云う事。……此処に来る前に、こうなる前の様子を聞いたけど……千鶴子さんが『居ない事』、死んでしまった事をただ無かった事にしたいのなら、そのまま事実を忘れるだけで良かった筈。それなのに、映し出されたこの世界に閉じこもった理由……それを、確かめて欲しい。

 柾は、既に千鶴子を殺したのは自分だと思い込んでいるのでは無いだろうか。元々、千鶴子はまだ生きているつもりらしい言動をしていたという柾だ。確かに、一部精神の均衡は崩壊していたに違い無い。そうではない、自分が殺したのではない事を、思い出す切っ掛けが掴めずに居る。

「彼女の話じゃ、その世界の中に本当の千鶴子さんの思念体が現れたそうね。恐らくは、彼にも予想外だったんでしょう。柾さんを救出──基、千鶴子さんと同じ世界から放り出して欲しいが為に、皆に依頼を。……凄い矛盾だけど、恋に狂って相手を殺してしまった程破綻した精神状態でなら、納得できなくもないわ」
「然し勝明達が、幻想世界の正体自体を疑い出した。……どんな行動に出るか分かりませんね。……慎重に行動しなければ、水谷氏の前では」
「……、」
 黙り込み、黙々と窓の外の景色を眺めていた二人だったが──。
「何故──……こんな事になってしまったの……?」
 亮一は驚いて声のした方向を振り返る。その視線は悪戯っぽく笑みを浮かべたシュラインのウィンクとぶつかる。
「今のは……、」
「田沼さんの入手してくれたデータが役に立ちそうだわ」
 彼女はそう云いながら、バッグの中から常に持ち歩いているICレコーダーを取り出した。本来はインタビュー等の録音用だが、今日は別な意味で活躍しそうだ。
 シュラインの今の言葉は、陵千鶴子の声そのもので呟かれた。亮一がシュラインに頼まれて検索したデータは、千鶴子の音声だったのだ。運良く、女性向けのファッション系サイトでインタビューの映像が音声付きでストリーミングされていたのを見つけ出した。
「凄いですね、似てる、なんてものじゃない。そのままだ」
 亮一が前へ向き直りながら感心した声で呟く。
「……、」
 シュラインは、聴音とヴォイスコントロールに優れ、特異な才能とも云える声帯模写能力を持つ。水谷を追い詰めても、証拠が無ければ警察には話を通せない。一手段として、シュラインは千鶴子の声で水谷を問い詰め、その反応を録音するつもりでいた。
「どの辺まで行けば良いんですか」
 運転手が訊ねる。自宅周辺まで来たらしい。亮一はノートパソコンのモニタの地図と周囲を見比べ、そこを左に曲がった信号の手前で、と指示し、システムを閉じた。
 
 二人がタクシーを降り、駆け込んだ高級アパートメントの入口には一台のロードバイクが乗り捨ててあった。

【4】

「……、いい度胸ね、この後に及んで無視を決め込むつもりかしら」
 無礼講宜しくインターホンを立続けに鳴らしながら、シュラインは麗しい眉を吊り上げて笑みを浮かべた。
「……、エマさん」
 その傍らで亮一がドアノブに手を掛け、手首を捻った。ガチャリ、と音を立ててそれは回る。
「……あ、」
「鍵が開いてます」
「……、」
 慣れた様子で、見事に物音一つ立てず亮一が開けたドアから二人は中を窺う。
 まあ、と声を上げかけたシュラインは慌てて口許を押さえた。玄関には夥しい量の靴が散乱して居り、その先には清潔そうなフローリングの廊下が続いていたが、明らかに土足で上がり込んだと見える足跡が1人分、点々と続いて居たのだ。
「何が起きてるの?」
 取り敢えず中に入る事にした。この状況で、散乱した来客の物らしい靴と土足の足跡を同時に見てしまっては靴をどうするべきか悩む所だが、シュラインはハイヒールを履いていたし、探偵である亮一も足音の問題から脱いで置いた方がいい、と判断したらしい。二人は黙ったままそっと靴を脱ぎ、壁に寄って足跡を辿りながら廊下を進んだ。
 足跡の途切れた部屋の前まで来て、二人は目配せを交わす。
「……、」
「……」
 シュラインは壁際に身を寄せ、亮一が一気にドアを押し開けて飛び込む。彼が手で送ったサインを受け、シュラインも敏捷な身のこなしで室内に駆け込んだ。
「な……何!? ちょっと、あんた達何!?」
「……、」
 そこで二人が目にした光景は、恐らくは足跡の主である土足の少女──鬱陶しそうな目許を完全に隠す厚い前髪をした──が物騒にもバタフライナイフを片手にコンピュータの前に陣取り、ナイフの先はやや離れた所に居る、ぱっと見た印象の薄い青年に向けている図、だった。
 その向こうには、何やら医療器具の脳波測定器のような物に収まった一人の青年を始め、そのコンピュータに章魚足状に繋がれたヘッドホンを装着して意識を失ったように床に崩れ落ちている複数人の姿が在る。──勿論、シュラインが思わず名前を呼んでしまった、草間興信所お馴染みの人間や、亮一の同居人の姿も。
 亮一は少女に駆け寄ると、有無を云わさずその手のナイフを叩き落とし、床に落ちたそれをシュライン向けて蹴り飛ばした。シュラインは、ぱし、と滑って来たナイフを受け止めて拾い上げ、青年を気遣おうとしてふと気付く。──彼……。
 少女は亮一が取り押さえている。彼女は腕に掛かった力から、長身の亮一を前に抵抗しても意味無し、と諦めたか大人しい。
「……何よ、あんた達。磔也にでも頼まれた?」
「……あなたは?」
「──結城レイ」
 え、この娘が? と亮一が一瞬混乱した時、シュラインが声を上げた。
「田沼さん、違うわ、そいつが水谷よ、」
 ……云われる迄も無く突如沸き起こった不穏な気配に青年を振り返った亮一はレイを離して身構えた。
「……、水谷、」
 陵からの資料に見た、うだつの上がらなさそうな青年。──その彼は今、別人のように目をぎらぎらと光らせ、どす黒い影のような気配を背後に揺らめかせている。
「……、」

【5】

 ──聞いてない、と亮一の傍らで呆然とレイが呟いた。
「聞いてないわよ、あんたが異能者だったなんて」
「異能者?」
 亮一は視線は水谷に向けたまま眉を歪めた。
「……違うな、あれは」
 自らの意思で制御している能力じゃない。負の感情──悪意、怨念、嫉妬、殺意。
 既に、その影を形造る感情は水谷の物だけに留まらない。弱く、悪しき心は同調し合い、群れる。
「……そうか、お前は、千鶴子さんを呪い殺したんだな」
 亮一の声は低く、一言一言を突き刺すような強い物に替わっていた。
 あ、この人が田沼さんね──と、ちら、と彼を見上げたレイは肩を竦めた。……ああ怖。透き通った金色の瞳は、怒りを湛えて爛々と輝いている。今の亮一に、常からの温厚な気配は微塵も感じられない。
 ……、ま、相手があの化物じゃ仕方ないか……。レイはそろそろと後ずさった。
「呪いの反動だ。……そんな禍々しい感情を意図的に他人に向ければ、……それが、一人の女性を呪い殺す程に強い物なら、その呪いが自分へ跳ね返って来るのは必至だと云うのに。……、」
 ──愚かな、哀れな人間だ。と亮一は思った。
 水谷だけに留まらない。恐らくは、彼の感情に同調し群れている、千鶴子をストーキングしていたという男の残留思念も含め。
 ……だが、例え誰だろうと勝明や涼には手出しはさせない。横目で、床に崩れ落ちた彼等と自分の距離を計りながら後ずさる。
「……邪魔な人間ばかりだ。……どいつもこいつも、晴冶も、そいつらも、お前達も皆……。……ZERO、お前もな」
「悪かったわね」
 ──亮一の「能力」を知っているのかどうだか、レイがさり気なく「範囲内」にちゃっかりと収まっているのも見えたが、まあ、それはどうでも良い。
「……、」
 シュラインはバッグに片手を差し入れ、レコーダーのスイッチを入れた。
 どす黒い影は一層その濃度を増して蜃気楼のように燃えている。来るぞ、と亮一が意識を一点に集中させかけた時だ。

「──……何故、私を殺したの、水谷さん」

 え、とレイが呟く。だが声こそ上げ無かったものの、水谷の驚愕は云い表しようもない程だ。今にも亮一へ向けて飛びかかろうとしていた影が空気を抜かれた風船のように気配を弱め、シュラインを振り返った水谷の顔が引き攣った。
 瞳孔が畏縮し、見開かれた目にはシュラインが、彼女の姿ではなく、陵千鶴子、自ら想い詰める余り、その目がもう柾に向く事のないようにと願う余りに禍々しい感情に拠って、手に掛けた女性として映っている。口唇からは震えた奥歯の噛み合う音と、千鶴子、と掠れた吐息のような声が洩れる。

「晴冶さんをどうする気なの? ──……私は知っているわ、私を殺したのは水谷さんだって」

 千鶴子、……嘘だ、千鶴子がここに居る訳はない、

「警察や晴冶さんは騙せても、私は騙せないわ。……何より、」

 来るな……、千鶴子、やめてくれ、

「水谷さん自身の心に嘘は吐けない、」

「……! 危ない!」
 エマさん、下がって! と亮一は叫ぶと同時に「能力」を解放した。──それに拠り、亮一を中心として直径2メートルの範囲内は外からの霊的干渉を完全に遮断する事が出来る。精神と分離している「彼達」の肉体と、ちゃっかり寄り添っているレイは何とか、──然しその範囲はシュラインに及ばない。
 シュラインにはそんな能力は無いながらもむざむざそれに取り込まれるほど鈍くはない。同時に、開け放していたドアから廊下へ飛び出し、壁に身を寄せて伏せた。

 轟──、と身体中の神経全体を震わせるような振動数の音が通り過ぎた。特殊な聴覚を持つ故にそうした対象に敏感なシュラインは耳を塞ぎ、目を堅く閉じる。
「……、」
 轟音が遠雷のように遠ざかったのを察知したシュラインはそっと目を開け、ふらりと立ち上がって部屋を覗く。
「──……、彼は?」
「……、」
 亮一には咄嗟の事で判断し兼ねた。水谷を取り巻いていた黒い影は一気に膨張した後、亮一の「能力」に遮断された事に拠ってか、次の瞬間には何の気配も残さず消えてしまったのだ。
 後にはただ、倒れた水谷の身体だけが取り残されていた。──何の意識もないような。即ち、──今この室内に肉体だけで存在する、柾や、「彼達」と同じように。
「……、」
 嵐のような音が響く。──コンピュータの、ヘッドホンを接続したアダプタが抜け掛かり、スピーカーから幽かに音が洩れている。
「──! 聴いちゃ駄目!」
 レイが慌てたように駆け寄り、乱暴にアダプタを元通り、押し込んだ。そして耳を済ませ、室内が再び無音になったのを確認するとほっとしたように息を吐く。
 ──そして画面へ視線をやったレイは前髪の上から目許を片手で覆った。
「……あーあ……、」
 どうしよう、と呟き、このバカ、と軽く(土足+金具の仕込まれた靴底で)人形のような水谷の身体を蹴って転がす。
「どうしたの、何が?」
 シュラインはやめてあげなさい、可哀想に、と形だけ儀礼的にレイを窘めてから訊ねた。
「……入っちゃった……」
「……何が?」
 亮一は「彼等」の肉体の安全を確かめてから、自らも一緒にコンピュータのモニタを覗き込んだ。
「……水谷の、精神。……入っちゃった……。幻想世界の中に」
 ……あの、怨念ごと。諦めたような笑みを口許に浮かべ、レイは両手を上げた。

【6】

「私は本当に何も知らなかったのよ。一週間位前、このバカが依頼に来たの」

『僕の親友が恋人を亡くして精神を病んでしまい、体感型映像出力装置の使用に拠って弱った心が音楽の世界に取り込まれてしまった。その幻想世界へ行って、彼を連れ戻して呉れる人間を何人か紹介して欲しい』と。

「だってそれだけで充分怪奇じゃない。だから、特に疑いもせず彼達に声を掛けて──、……あ、勝明君の事はごめんなさいね、本当はあんたに頼むつもりだったのよ、でも留守だし、何か『見えて』そうな子が居たし」
 レイは軽く手を合わせて亮一にぺこりと頭を下げた。
「でも、段々それだけじゃない事が分かった。……で、遺伝子上だけは一応私の弟でどうしようもないバカが居るんだけど、コイツが……まあ、あんまり口では云えないような事やってる訳。水谷の奴、私に柾氏の救出を依頼して置きながら、そいつには柾氏を暗殺を同時に依頼してたのよ。……一応、何とか収拾は付けたけど。もう、何考えてるか分かんないじゃない、もしかしたら彼等の身体の方が危ないかも、と思って、取り敢えずは水谷を牽制しに来た所。で、あんた達が割り込んで来た訳」
 まあ、そのお陰で彼等の肉体自体の安全は保証されるけど、とレイは再び動かなくなった水谷の頭を爪先で蹴飛ばし、シュラインはこら、と窘める。
「……でも〜、……どうなのかしらー、怨念ごと幻想世界の方に行っちゃったから……それも危ないかなー、なんて……」
 えへ、と乾いた笑みを向けて窺った亮一の顔は、勿論笑ってはいない。

【7】

「……、」
 亮一は室内のコンピュータに自分のノートパソコンを接続し、中身を調べている。
 シュラインはバッグからICレコーダーを取り出した。そして、彼女が千鶴子の声を「模写」して水谷を追い詰めた部分からを再生してみる。

──……何故、私を殺したの、水谷さん
──……千鶴子……、
──……晴冶さんをどうする気なの? ……私は知っているわ、私を殺したのは水谷さんだって
──……千鶴子、……嘘だ、千鶴子がここに居る訳はない、
──……警察や晴冶さんは騙せても、私は騙せないわ。……何より
──……来るな……、千鶴子、やめてくれ、
──水谷さん自身の心に嘘は吐けない
──……危ない──……

「……、」
 それ、どうするつもり? とレイが訊ねた。
「水谷が千鶴子さん殺害の犯人なら、やっぱり裁かれるべきよ。もし、呪いだとかで直接手は下してなくても。そうだとすれば、警察に提出する証拠になるかもしれないと思ったのだけど……、」
 役には立たないかもね、とシュラインは床に転がっている水谷の「抜け殻」を一瞥した。
「ちょっと、いいですか」
 亮一がシュラインを呼ぶ。シュラインは亮一の示すノートパソコンを覗き込んだ。おまけ(レイ)付きで。
「見て下さい、これが、水谷が柾氏を陥れる為に、幻想交響曲を利用して『捏造』した物語です」
 亮一がノートパソコンにコピーし、映像編集用ソフトで場面毎に区切って映し出した映像。
 ──まず、第一楽章「夢」。ここでは柾が千鶴子の生前に撮影した、白いドレスを纏った千鶴子、「恋人の幻想」と試し撮りの風景の画像を組み合わせて、主人公──つまりは、「幻想交響曲物語」の受け手を誘い込むようになっている。才能等無い人間が適当に組み合わせた映像、お世辞にも良く出来ているとは云い難い。そして第二楽章「舞踏会」、これはもうこじつけとしか云えないだろうが、「鹿鳴館」という題名の、柾が初めて千鶴子を主演に器用した短編映画のフィルムを使っている。その映像は途中から歪みを生じ、最後の方には何が何だか分からない極彩色が流れるのみだ。第三楽章「田園の風景」で、千鶴子の映像が赤く染まる。もうこの辺りになると、適当にどこかから持って来た風景写真が時たまフラッシュバックのように点滅するだけだが、柾のような人間にとっては充分に幻覚へ取り込まれてしまう切っ掛けとなるだろう。

「そして舞台は死刑場を経て魔物の棲む世界へ……」
 この程度の映像でも、音楽と連動したものであれば、恋人を失って気力を失っている柾には充分堪える筈だ。千鶴子を、自分が殺したと思い込み、魔女達に取り囲まれて行く自分の姿を、柾は延々夢に見続けていた物だろう。
 ──或いは、千鶴子を自分が殺した、という事を「無かった事に」したかったのは水谷の方かもしれない。
 だが、こうした残酷なやり方で恋敵の柾に復讐を果たしたかに思えた水谷に誤算が生じた。本人もそれと気付かずに、柾の「悪夢」にまで介入し始めていた「怨念」が、幻想世界を実際に築き始めてしまった。それだけなら未だしも、恐らくは、そうすることで思念体が割り込む事が可能になった幻想世界に、死して尚柾を想う千鶴子が現れたのだ。
 柾を絶望させる為に水谷の作り出した「虚像」ではなく、本物の千鶴子の「意思」。彼女は、何とか柾を正気に帰らせようとしたに違い無い。──それに気付いた水谷の再び燃え上がった嫉妬は如何なるものか。
 彼は、狂人だった。恋した相手を呪い殺す程思い詰めた時点で、既にその精神は破綻していた。矛盾だろうが何だろうが、実質としては罪にならないような手段を考じ、ともかく「本物の」千鶴子と柾を引き離そうとしたのだろう、レイの許へ、柾を幻想世界から「救出」、基い放り出してくれるよう依頼した。
 然し不安があったものか、反対に柾を「暗殺」し得る人物も有事の際の備えに用意して置いた。……それが、色々な行き違いで水谷の意思通りに動きはしなかった、というのがあらましだ。

「……ところで、彼等はどうなるの?」
 シュラインがモニタ──草原の中にいる柾と彼等、一見穏やかな風景に見えるが、その背後には今し方「入り込んだ」怨念が忍び寄っている──と、「彼等」の肉体を見比べつつ呟いた。
「……ともかく、この情報を伝える方法を考えるわ。でも後は自力で脱出して貰わないと……。だって、分かったでしょう、この世界はもう柾氏の幻覚だけでできてる訳じゃないのよ。音楽はただの入口。出口は、中の怨霊だとか何だとかをどうにかしなきゃ現れないのよ」
 ……一応、中に一瞬とは云え顔を出した経験を持つレイはこめかみを押さえた。……間違っても感謝等しないが、磔也が引き揚げてくれなければ、死ぬ所だった。
「……信じるしか、ないのね」
 シュラインは仲間達を見詰めながら、祈るような気持で呟く。
「……」
 亮一は、少しでもこの情報が役に立ってくれればいいが、と願うばかりだ。

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【0086 / シュライン・エマ / 女 / 26 / 翻訳家&幽霊作家+時々草間興信所でバイト】
【0931 / 田沼・亮一 / 男 / 24 / 探偵】

NPC
【1889 / 結城・レイ / 女 / 21 / 自称メッセンジャー】
【水谷・和馬(みずたに・かずま)】
・今回の依頼人。アマチュア時代から柾と共に創作活動をしていたディレクターの卵。
【柾・晴冶(まさき・はるや)】
・新進の若手として注目を集めていた映像作家。千鶴子の恋人。現在、精神が音楽の世界に取り込まれている。肉体は藻抜けの殻。傍目には多分廃人に見える。
【陵・千鶴子(みささぎ・ちづこ)】
・生前は、古典的な女優然とした気品のある美貌を持つ舞台女優だった。一月程前に轢逃げに遭い死亡。正木の元恋人。彼女の思念が柾を黄泉に引き摺り込む為、彼の精神を閉じ込めている。
【陵・修一(みささぎ・しゅういち)】
・陵千鶴子の5つ違いの兄。千鶴子殺害の犯人に見当を付けており、草間興信所に依頼に行った。

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■         ライター通信          ■
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シュライン・エマ様、田沼亮一様、今回は御協力有り難うございました。
最初から上限を2人、と決めていた為、プレイングによっては苦労するだろうな、と思っていたのですがライターも驚いた事に、お二人の意見を合わせると丁度核心を突く調査結果が出ました。
鋭い着眼点に脱帽します。
本ノベルは微妙な所で終わってしまいましたが、お二人の尽力の結果今後の幻想世界にとって大きな鍵となります。
また、お暇があれば「幻想交響曲」にも目を通して頂ければ倖いです。

x_c.