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<東京怪談・PCゲームノベル>


その男、タトゥーあり

 蛇である。
 不吉、という言葉を形にしたような、黒く、禍々しく、それでいて、どこか蠱惑的な蛇のすがたを、それはしていた。

「クサマタケヒコさんだね」
 おかしなイントネーションで、男は声をかけてきた。
 草間武彦は野暮用を終えて、事務所に戻ろうと、暮れていく渋谷の裏通りを歩いているところだった。ふりかえると男がひとり、立っている。
 背の高い男だ。黒いマオカラーのシャツの上に、やはり黒いジャケットを羽織った黒ずくめ。対照的に肌は青白い。やせぎすなので、黄昏の街を背景にゆらりと立ったそのシルエットは幽鬼じみている。
「そうだが……あんたは?」
 男はうっすらと笑った。
 艶々とした黒い髪をオールバックになでつけ、細面に、切れ長の目と高い鼻梁をそなえた男は……陰気ではあったが、非常に端正な顔立ちをしていると言えた。およそ男の美醜などに関心のない草間でさえ、妙にきれいな顔をした野郎だ、と思ったほどである。
「わたしはあなたのファンでね」
 だがその美貌は、危険なうつくしさだった。とぎすまされた刃の艶。
「よかったら、握手をしてもらえないだろうか」
 草間は、相手が右手に(そして右手だけに)白い手袋をしていることに気づいた。そして、おもむろに男がそれをはずすと……。
「…………」
 息を呑む。その手の甲には――蛇がいた。
 かッと牙をむいた、蛇の鎌首が、男の皮膚には彫りこまれている。その胴体は袖の中に消えているので、おそらく右腕にわたって、蛇の全身が彫られているものと想像された。
 草間の脳内で、“怪奇探偵”としての彼の勘が、危険信号を告げていた。だが、それでもなぜか……魅入られたように、草間は手を差し出してしまったのである。



 乱暴にドアが開くなり、事務所の主は文字どおり転がり込んできた。
「草間さん!?」
 零があわてて駆け寄る。
「畜生……やられた」
 草間は真っ青だった。見れば、脂汗を額に浮かべ、がくがくと震えてさえいる。
「ど、どうしたんですか!」
 答えるかわりに、シャツの右腕をまくった。
「!」
 零の目が見開かれる。
 草間の腕に――その肌の上に、一匹の蛇がまきついていたのだ。むろん、彼の腕に、もともとそんな刺青などなかったことを、零はよく知っている。黒い蛇は、頭を二の腕あたりに位置させ、獲物にむかって這い進む格好をとっていた。
「『二十四時間』だと抜かしやがった……二十四時間後には……コイツが俺の心臓に……くそっ!」
 苦しげな喘ぎの下で、草間は語った。
「草間さん、ひどい熱です!」
「……雇われの殺し屋だろう……たぶん、以前の依頼で……報復……まさか、こんな方法で…………」
 そのまま、草間武彦は意識を失う。
 あとはただ――蛇のタトゥーが、零を嘲笑うかのように、そこにあるばかりだった。

■呪殺の刺青

「ど、どうしたの……!?」
 ただ事ではないのは、一目でわかる。
 ソファーに寝かされた草間はひどく顔色が悪い。
 賈花霞と蒼月支倉の兄妹にとって、草間興信所の扉を開けることは、いつも、未知なる冒険への出発に他ならなかった。
 危険な目に遭うことも少なくなかったが、そこはそれ、この兄妹は決して、見たとおりの、ただの高校生と小学生ではないのだ。そうして幾多の冒険行を経験してきたわけだが、それらを振り返ってみれば、草間武彦はいつも、興信所の奥のデスクで微笑み、または仏頂面で、または困り果てた顔で、兄妹を送りだし、迎えてくれていたのである。
 しかし、今日は違うのだ――。
「そんな、殺し屋だなんて……」
 零が語った事情を聞いた支倉は、呆然とつぶやいた。
「ひどいよ! 草間さんは悪いひとじゃないよ! わかった、絶対、花霞が犯人見つけてあげるから……だから、それまで耐えててね!」
「でも、二十四時間ってことは……ぐずぐずしている暇はこれっぽっちもないけど……」
「スグ探しにいこう!」
「ダメだよ花霞。相手がどこにいるのかも、どんなヤツかもわからないんだ。闇雲に探して時間をロスするよりは情報を集めつつ探す方がいいと思う」
「わたくしも同感ですわ」
 突然、割り込んで声に支倉は息を飲んだ。
 和服の少女が、いつのまにか、かれらに並んで立っていたのである。支倉たちが入ってきた時、興信所には草間と零以外には誰もいなかったし、その後、新たに入ってきた人物がいなかったはずなのだが。
 少女はていねいにおじぎをしてみせた。さらさらと黒髪がこぼれる。彼女が、榊船亜真知という名だということを、支倉は知っている。花霞はぱっと顔を輝かせた。
「一緒に犯人探してくれるの!?」
「ええ。いつもお世話になっている草間さんの一大事ですもの」
 亜真知は零に近付き、肩に手を添えた。
「大丈夫ですわ、零さん。草間さんはわたくしが必ず」
「ありがとうございます……」
「さて、と。まずは」
 亜真知は、草間のかたわらにかがみこんだ。とりあえず、濡れタオルを額に乗せることくらいしか、零に出来ることはなかったようだ。眠っている草間は呼吸からして苦しそうである。
「草間さまをこのままにしておくのも、お気の毒ですわね。失礼いたします」
 手際よく、亜真知は草間のシャツをはだけさせた。花霞が小さく、「きゃ」と声をあげた。
「どうするんです?」
「呪詛の進行を止めたいと思います。刺青を止めるには――」
 亜真知のたおやかな指が、草間の肌の上をなぞる――と、そこに、ぼおっと青白い光が灯った。
「刺青をもって制します」
 指がなぞった後に、青黒い紋様が浮かび上がっていた。その形は――
「な、なめくじですか?」
「『三すくみ』です。『蛇』は『なめくじ』を嫌うが道理。時間稼ぎにはなりますでしょ」
「なるほど。でもこれって――」
「あ、もちろん、後で消しますわ。応急処置です」
 亜真知の術は効果があったと見え、しばらくすると草間の様子がだいぶ落ち着きはじめた。
「呪術が今も進行中ということは、草間さんと術者のあいだに、いまだなんらかの繋がりがあるということです。わたくし、それを追跡してみたいと思います」
「僕はもうすこし情報を集めたい。呪いについての知識とかもないし……」
「ねえ、哥々。八島さんに電話してみようよ。何か教えてくれるかもしれないよ!」
「うん、そうだな」
「では、そちらはおまかせしますね」
 そう言って、亜真知と支倉は微笑み合った。むろん花霞もである。
 皆が、草間のために闘う覚悟であることが、その微笑みの下で確認された瞬間だった。

 兄妹と、亜真知が興信所にやってくるすこし前のことである。
 今、草間が寝かされているソファーにはひとりの、いや一匹の先客がいた。藤田エリゴネである。
 巡回ルートのひとつである興信所のソファーでのんびりと午睡を楽しんでいた灰色猫の平和を破ったのは、他ならぬ草間武彦である。
 ドアを開けて転がり込んできた草間を見て、びくりと半身を起こしたエリゴネが、一瞬で事態の深刻さを察知した。
 零が草間を必死に助け起こし、ソファーに運ぶのへ、ぱっと飛び降りて場所を開ける。しばらく、青い目で零が草間の手当てをしたり、助けをもとめて誰かに電話をしたりしているのを眺めていた後、エリゴネは、音もなく、興信所のドアのすきまから(きちんと閉められていなかった)するりと抜け出していったのである。
 そして、ビルの裏口から建物の狭間、塀の上、フェンスの破れ目などを抜け、路地から路地へと、『猫の道』を辿っていく。そのうちにいつのまにか、エリゴネのまわりには他の、この街に暮らす猫たちのすがたが無数に付き従っていた。
 なぁう、と、一声。
 すぐに、幾つかの声が返ってくる。
 それにまた一鳴き。何度かそういうやりとりをして、猫たちは解散する。
 エリゴネの瞳が不思議な宝石の光をたたえていた。
 ちょうどその頃、興信所では支倉、花霞の兄妹、亜真知らが行動を開始していたところであり、エリゴネも、人脈の広い草間のこと、誰かが動き出すことはわかってはいた。
 だが。
 人には人の、猫には猫の流儀がある。
(『刺青』なんだ――)
 苦しい息の下から、草間がそう語ったとき、エリゴネは耳をピンと立ててその単語に反応した。服という人工物でではなく、皮膚そのものを装飾品にする――刺青は、彼女が人間たちの文化の中で、もっとも興味を持っているもののひとつだった。その刺青を、こともあろうに、呪いの媒介として、武器として使用するとは!
 彼女はひそやかに憤りをおぼえていたのである。
 人間が、品種や毛並みは別として、猫の固体を見分けにくいように、猫が人間の顔を見分けることも難しい。だが『刺青』、ないし片手だけの手袋、などという目立つ特徴であれば話は別だ。そして、わずかな隙間にも入り込み、気配を消して忍ぶことのできる猫の目から、逃れられるものなど、そうそうおりはしないのだ――。

■包囲網

「はい、『調伏二係』――」
 八島真は、受話器の向こうから聞こえてくる少女の声に、黒眼鏡の上の片眉をはね上げ、困惑の意を示した。もっとも、電話の相手にそれが見えるはずもない。
「えっと、あなたは……ああ、先日の。いえいえこちらこそ。これは草間興信所さんの電話ですね。どうなさいました。えっ、何ですって」
 彼は、公式にはその存在の知られていない特殊機関の職員である。一般の回線からはつながることさえないという電話を、草間興信所からかけることができたのは、草間武彦の『怪奇探偵』としての名声ゆえに他ならない。本人にとっては不本意なことだったろうが、今回ばかりは、背に腹はかえられない状況なのだ。
「そうですね――たぶん、遠隔攻撃型の呪術を施されたのだろうと思いますが、それだけ異常な状態で安定するには、術者もあまり離れるわけにはいきません。術への集中へも必要でしょうし、都内のどこかにひそんでいることは間違いないでしょう。えっ、いや……申し訳ないのですが……こちらもたてこんでいまして……ええ、すいません、できるだけのことは。……あっ、でも、待ってください」
 和製マン・イン・ブラックは、切りかけた電話を、もういちど耳もとに戻しながら、手元の手帳の頁をめくった。電話の相手に関するメモをすばやく見つけだすと、指先で記述をたどる。
  賈花霞(ジア・ホアシア)
  ××小学校二年生。クロガネ財閥会長の養女。
 財閥、という文字のところで、指が止まった。
 思わず、八島は事務所を見回す。国の機関ではあったが、残念ながら国の予算は無限ではない。いやむしろ、公にはその存在を明らかにはできない関係上、自由に使える予算も限られているのだ。
 できるだけつながっておくのはやぶさかではない。
 そんな大人の思考を、電話の相手、花霞はおそらく理解しなかっただろう。

「協力してくれるって!」
「そっか。よかったな」
 妹に応えながら、支倉は興信所のパソコンの前に坐り、キーを叩いた。
「後で、呪いの解き方も教えてもらおう。相手がみつかったら、とっちめるのは簡単だけど、それで呪いが解けるとも限らないからね」
「うん。『タトゥーの男』を見かけたっていう情報、あった?」
「いや、なかなか見つからない……おっ、八島さんがメールをくれたぞ……それらしい男のデータがあったって」
「本当!?」
「写真までは手に入らなかったみたいだけど……『蛇遣いの王(ワン)』って呼ばれている殺し屋らしい。……殺し屋だったら、確実に相手をしとめたって、見届けないといけないわけだしね。そんなに遠くに逃げたりしていないと思う」
「亜真知ちゃんが見つけてくれるかな」
「そうだね……」

 榊船亜真知にとって――ひとりの人間を探し出すことは、必ずしもそう難しいことではない。というより、原理的には亜真知にはこの次元上での不可能なことなどそうそうないのだったが、ただいかんせん、彼女の存在と力は強大過ぎるのである。
 人間が、蟻の群れを上から眺めるのは、蟻と同じ目線に立つよりは幅広く物事が見えているわけだが、かといって、群集の中の一匹のアリを特定することが、容易になるとは言えないように、この東京には、渋谷だけでも途方もない人数の人間がおり、それぞれが多様な感情と力の波動を発して活動している。
 草間から伸びる呪術の痕跡をたどることは、複雑にからみあう糸をよりわけるような、骨の折れる作業であった。
 その作業にパワーを割いているため……興信所のはるか上空に浮遊する亜真知の姿はなかば透けている。
(たいぶ、絞れてきました)
 予想どおり、ここからそう遠くない場所にある区画と、興信所とのあいだに呪術的なリンクがみとめられた。これが、術者が『蛇』を遠隔操作している呪力の痕跡なのだ。
『支倉さん、花霞さん』
 そのとき、下界では、支倉が携帯で亜真知からの連絡を受け取っていた。亜真知は携帯をかけたわけではなく、その電波網を介して『直接、話しかけた』だけなのだが、そんなことはこのさいどうでもいい。
『だいたい、見当がつきました。移動していただけますか? 包囲網を狭めていきましょう』
 兄妹が興信所を飛び出す。
 亜真知は、ふたりの力の波動を追跡した。だいぶ近い。おそらくあの建物で間違いないだろうが……。
(あら?)
 彼女は目的の地点に不思議な反応があるのに気づいた。
『支倉さん、花霞さん、気をつけてください。ちょっとおかしいんです。そのあたり、どういうわけか妙に――』
「きゃあああ!」
 花霞の悲鳴が、彼女の意識に飛び込んでくる。
『花霞さんっ!?』
「きゃあああ、可愛い〜!!」
『え――?』
 黄色い悲鳴だった。
「何だ……?」
 支倉は立ち尽くした。
 亜真知の指示どおりに、ふたりは、渋谷の雑踏を抜け、裏通りへと足を運んだ。渋谷とはいえ、このあたりまでくるとめっきり人通りがない。それは裏通りにひっそりと立つ、廃ビルのようである。朽ちかけた看板に、雀荘だのビリヤードなどといった文字がかすかに残っている。
 それはともかく――。
「可愛いねえ、哥々」
「なんで……こんなに……猫がたくさん……?」
 そう。
 その建物は、文字通り、猫に包囲されていた。

■蛇狩り

 黒革の表皮が破れて、スプリングの飛び出たソファーに、身体を伸ばしているさまは、まさに、蛇を思わせる。
 独特の香りのする、あやしい煙が、テーブルの上の香炉から立ち上り、部屋に充満していた。まるで阿片窟でおぼれるもののように、男はうつろな目で空を見つめている。かすかにその薄い唇が動き、小声でなにか呪文のようなものを唱えているのを、近くにいるものなら気がついたかもしれない。
 ギイイイ……、と、ドアが軋みながら、開いた。
 うろんな目つきでドアに目を遣る。誰も入るな、と、命じておいたはずなのだが――。
 男の返事を待たずに、ドアが開いた隙間からするりと、入ってきたのは、果たして一匹の猫であった。
(猫、だと――?)
 バカな。誰も入るな、誰も通すなと命じておいたのだ。男は苛々と立ち上がると、足下にまとわりつく猫を邪魔そうに除けながら、、部屋の外へ顔を出し――そして、立ち尽くした。
 そこは、放棄された、かつてはプールバーだったらしい空間である。置き去りにされたビリヤード台の上には厚く埃がつもり……そのまた上には、男の部下たちが、数十名、全員、目を回して伸びていた。
「こ、これは……」
「残念だったな」
 聞き覚えのある声だ。
「クサマ、タケヒコ――!」
 目の前に立っている人物の姿を見て、男は驚愕の声をあげた。
「そんな……おまえは『蛇』の……」
「オレがあんなものにやられるわけないだろう」
「おのれ!」
 男は、手の甲を草間に向けて、奇妙な構えをとった。男の手の甲に、さきほどまではなかった蛇の刺青が浮かび上がってきた。
「――バーカ」
 草間武彦は、にやりと笑った。
「『蛇』を戻したな」
 おそらく……今頃、草間の身体からそれは消え失せているはずだ。なぜなら、『蛇』は今、ここにいるのだから。
「!」
 一瞬で、草間武彦の姿は、ひとりの少年に変わっている。
「草間さんのお礼だ!」
 鉄拳が男の顔面をしたたかに打つ!
「畜生、幻術か!」
 よろめき、鼻から血を流しながら、男は支倉を、そして、その背後の、物陰からあらわれた花霞と亜真知とをにらみつけた。ここまでの労力をふいにされた、男の怒りは、手の甲の蛇がカッと牙をむいたことで表現されている。
「もう一丁!」
 支倉の第二撃。だが、今度は男も備えができていた。支倉の手首をがっしりと掴み、受け止めたのである。にやり、と、勝ち誇った笑みを、男を浮かべた。
「『蛇に呑まれて死ぬがいい』」
 花霞は、男の刺青の『蛇』が生きたもののように蠢き、肌から肌へ、兄の腕へと這い移ってゆくのを見た。
「ア、アイテテテッ!」
 焼け付くような痛みが、支倉の腕に走る
「哥々ッ!」
 花霞が動くより早く。
「ぎゃっ」
 男が声をあげた。――『蛇』は……猫の爪を突き立てられて苦しんでいた。うごめきながら、男の肌の上を、袖口の中へとひきこもる。
「ニャア!」
 灰色猫は毛を逆立て、今度は男の顔面を掻きむしった。
 男は悲鳴をあげながら、逃げようとする。
「逃がさないからねッ!」
 ひゅん――、と、風が唸る。
 花霞の動きとともに発生したカマイタチが、男の足の腱を切り裂いた。もんどりうって倒れる男。
 傷付いた蛇は、力なく這いずることしかできなかった。
「勝負あった、というところですか」
 無数の足音がなだれこんでくる。
「そこまでにしてくださいよ。このあいだの化物とは訳が違います。殺してしまうと、一応、殺人罪が成立してしまいますからねえ」
 八島真だった。その背後には、まるで彼のコピーのような、黒服黒眼鏡の男たちが大勢、立ち並んでいた。
「彼の身柄は『調伏二係』でお預かりしましょう――」
「八島さん!」
「やってやりましたよ!」
「まだ力が余っているとでもいった感じですね」
 八島は片眉をはねあげて言った。
「ものはついでです。男を雇った組織について、お教えしますよ」
 亜真知は、息をついた。
 これで少なくとも、草間武彦の、当面の命の危機は去ったのだ。
 ふと、彼女は足下に寄ってきていた猫に目をとめ、そっと抱き上げた。
「ありがとう。あなたも、草間さんのために、闘ってくださったんですね」
「にゃあ」
 灰色のやわらかい毛をなでる。
「え。刺青を……? そう……」
 にっこりと微笑む。
 彼女だけが、エリゴネの真意を理解した。
 愛すべき芸術作品を、悪事に利用することが、エリゴネには許せないことだったのだ。これを見過ごしては――と、エリゴネは、友人である彫師の男の顔を思い出していた――彼にも顔向けができないではないか。

■人を呪わば

「しくじったようです」
 男は、ぽつり、と言った。
 あまりに普通の物言いだったので、相対しているもう一人の男はとっさに意味が掴めなかったようだ。
「何だと。どういうことだ」
「わたしの『蛇』を授けた男が、その術を破られたのです」
「……貴様、何を言っているのかわかっているのか、王(ワン)。おまえに、うちの組はいったいいくら払ったと――」
 暗い部屋である。一人の男はソファーに腰掛けていて、なにかの胴着のようなものをまとっている。彼は、自分の手の甲を眺めた。そこに彫りこまれているものは――蛇の刺青。今、そこからゆっくりと血がにじみだし、流れ出していた。
「ええ、不測の事態です。しかし、並大抵の術者では、わたしの『蛇』を退けることなど……」
 男は、はっとした表情で、耳をすませた。
 奇妙な物音を、聞いた気がしたからである。
「何……?」
 ――猫だ。
「にゃあん」
 一匹の猫が、いつのまにか、かれらのあいだにちょこんと坐って、男たちを見上げていたのである。
「何だ、どこから入ってきやがった?」
 奥のデスクに坐っていた男が立ち上がって、猫を追い出そうと動きだした。それを待っていたように――
「ぎゃッ」
 猫が男にとびかかって爪をたてる。
 それが合図ででもあったかのように、だん、とドアを蹴り開けて、かれらがなだれこんでくる。
 蒼月支倉の、手の中に狐火が灯った。もう一方の手に握られた、中国風の武器の刃が、青白い炎を反射してぎらりと光った。それが花霞の本体である『手蘭』だと、男たちには知るよしもなかった。
 しずしずと亜真知が進みでた。
「報復など――」
 静かに口を開いただけだったが、少女から発せられる気配に、周囲のものは圧倒された。
「割の合わないものだと、教えてさしあげます」
 にっこりと笑った。
 その笑みに、本能的に、男たちは、かれらの計画がまったく瓦解したのを悟ったのだった。


「八島さん――?」
 3人と1匹を興信所まで送りとどけるために、八島が走らせている車中でのことである。ふいに笑いをもらした八島に、助手席の亜真知が不思議そうな目を向けた。
「いえ、すみません。草間さんのことを考えていたんです。なんだか――うらやましい方ですよね」
「草間さんがですか?」
「ええ。草間さんのために、こんなに必死になって奔走してくれる方たちがいる。……猫まで、です(ここで、後部座席の花霞の腕の中にいたエリゴネがぴくりと反応した)。それに、間接的にとはいえ、宮内庁まで動かすことになってしまった」
 八島は苦笑のようなものを浮かべたらしかった。だが、黒眼鏡のせいで、相変わらず、今ひとつはっきりした表情がわからない。
 亜真知は、微笑でもって応えた。
「この街に……必要なお方だということですわ」
「あ、すいません。八島さん、その角で、一度、停めていただけませんか?」
 ふいに、支倉が言った。
「ええ、構いませんが」
「ケーキでも買っていきませんか。興信所で、お茶にしましょう」
「よろしいですわね」
「わーい、花霞ねえ、ショートケーキがいい!」
「八島さんもご一緒して下さいますでしょ?」
「えっ、わたしですか。わたしは――」
「にゃあん」
 前方に、草間興信所の建物が見えてきていた。

(了)

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【1493/藤田・エリゴネ/女/73歳/無職】
【1593/榊船・亜真知/女/999歳/超高位次元生命体:アマチ・・・神さま!?】
【1651/賈・花霞/女/600/小学生】
【1653/蒼月・支倉/男/15/高校生兼プロバスケットボール選手】

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■         ライター通信          ■
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ご参加ありがとうございます、リッキー2号です。
お待たせいたしました。『その男、タトゥーあり』をお送りいたします。
こちらは便宜上「白組」と呼ばせていただいたグループです。
たいへんストレートでライトな仕上がりになりました。

>藤田エリゴネさま
というわけで、爪で大活躍!のエリゴネさんでした。――猫の包囲網……かわいい……かも……。

>榊船亜真知さま
仰々しい『蛇遣い』どもですが、亜真知さまには大した敵ではなかったかも? 黒幕たちがいったいどんな目に遭わされたことやら(恐)。

>賈花霞さま
そんなにからめないつもりだったのですが、花霞さんがお電話してくださったおかげで、八島さんも出番がありました。なんかよこしまなことを企んでましたが、仲良くしてあげてくださいね。

>蒼月支倉さま
なにげなく、こちらでは唯一の男性メンバーなので、がっつり、闘っていただきました。草間さんの幻を使う作戦、大成功です。

ところで、ゲームノベルでは「パラレル分割」をしているのですが、これってなかなか具合が微妙ですね……。
PC掲示板等でもあとあと難しいことになりそうですし、パラレルにせずに、多人数にご参加いただける方法を考えねば……。

それでは、また機会がありましたら、ご一緒できれば嬉しいです。
ありがとうございました。