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古の記憶 〜蓬莱山の仙人〜
時は千三百年程遡る、遠い遠い記憶。俺が思い出せる一番古い、記憶。
どうやって、この世に生まれてきたかは知らねぇ。覚えちゃ、いねぇ。けど、気づいた時には蓬莱山にいた。
蓬莱山――。
伝説の神仙の楽園。現在で言う富士山というところだ。
俺はそこで気ままに生きていた。ずっと一人でいたし、別に淋しいと思ったコトもなかった。ただ、目的もする事もなく、安穏と時が移り変わるのを眺めていた。
そうやって、いつものように過ごしていたある日、変化が生まれた。
「ほぅ、珍しい‥‥はぐれ雷鬼か」
変な爺さんだった。妙にすっとぼけていて、突然俺を見るなり声をかけてきた。俺が何か言おうとするよりも早く、その爺さんは頭を掴みやがった。
「おぃっ、爺さんっ! 何しやがるんだよ!」
「ふぉっふぉっふぉっ。生きのいいガキじゃの」
俺は力一杯に暴れたんだが、全然歯がたたねぇ。この時まで、どんなヤツにも負けたコトなんてなかった。まして、こんな老いぼれジジイに、と思ったんだが、これっぽっちも力が出ねぇ。
「さてさて。今日はいいものを拾ったのぅ」
「ちょっ、どこ連れて行きやがるんだよっ!」
そのまま、ずるずると爺さんに引き摺られてしまった。幾ら聞いても爺さんは変な笑い声を上げるだけで、少し怖くなっちまった。それと、ぽつりと呟いた爺さんの言葉に、俺は顔を青ざめてしまった。
「‥‥ふむ。持ち帰った時の皆の喜ぶ顔が目に浮かぶようじゃわぃ」
もしかして、食うのかっ? 食うのかっ!? この広い世の中、何でも食うヤツがいる事は知ってたが、俺の身に降りかかるとは。
それとも、別の意味で喰うのかっ? 喰うのかっ!?
俺はもう、生きた心地がぜんぜんっ、しやしなかった。
まぁ、これは後で爺さんに聞いた話なんだが、その時に力を封印されていたらしい。そうでもなきゃ、この俺がジジイに頭掴まれて引き摺られる訳がねぇ。
そうやって、ジジイに連れられたところは、天上界。
花仙や緑仙らがいる、今まで見たこともねぇボケボケした世界だった。もしかすると、今でいう老人ホームかもしれねぇ。
「おや、その子供はどうされたのかね?」
「たまたま蓬莱山に行ったらのぅ、珍しくて、ついつい、拾ってきてしまったわぃ」
「ほほぅ‥‥ふむ、確かにこれは珍しいもの。いい拾いものをしたな」
どうやら、俺は希少価値がある食べ物らしい、と、その時思ったんだが、単に独りでいる雷鬼が珍しかっただけのようだ。
こうやって、広いが質素な家に着くと、俺は身体を洗うようにと、と、ジジイに言われた。
「それって‥‥野菜を洗うのとかと同じ事かよっ!」
「はぁ? 何を言っておる」
とうとう食われるんだ、と思ったんだが、俺が勘違いしてたらしい。
「その汚い身なりをまず、何とかするんじゃ。汚れたままで儂の家をうろつかれたら、掃除が大変じゃ」
ま、俺はいつも虎縞の腰布一つだけだったし、身体を洗う事なんて、気の向くままだったからな。確かに、その時の俺は小汚かったと思う。
何だかよくわからねぇうちに、身体を洗わされ、用意された服に着替えると、ジジイは目を細めて喜んでいるようだった。
「俺をどーしようっていうんだよっ?」
「別に。ただ、おまえはここで暮らす事になるんじゃ。‥‥そういや、名は何と言う?」
「名前なんて‥‥ねぇよ」
「じゃぁ、おまえは『蓬莱(はらみ)』じゃ。それでよかろう?」
単に蓬莱山で見つけたから、蓬莱らしい。だが、初めて名を貰った事で、何だか嬉しい気分になれた。
蓬莱。
小さく、自分で言ってみた。
何だかこそばゆくって、変な感じだったが、もう一度言ってみると、しっくりとしたような気がした。
蓬莱。
それが、俺にジジイが名づけた名だった。
そして、その日から俺はジジイと暮らす事となった。
ジジイは緑仙で、郡司皇史って役職だった。いつも他の仙人からは、その役職の名で呼ばれ、本当の名はわからなかった。最後まで教えてくれなかった。
俺はいつもジジイと呼んでいたし、ジジイも別に嫌がらなかったので、それが定着していた。
毎日家事や洗濯を押し付けられ、他にも勉強させられる毎日。けれど、俺は生来の暴れ気性で周囲から浮いてたし、悪戯ばっか起こして、ガミガミと叱られていた。
つまんねぇ、毎日。‥‥だが、俺はジジイのコトは嫌いじゃなかった。
「こらっ! また悪さをしおって‥‥今度という今度は許さんぞーっ!」
この時はジジイが大切にしていた書物に、裸の女の絵を描いた時だったと思う。あれは傑作の出来だったんだが、ジジイは真っ赤になって怒ってたなぁ。
一昼夜逃げ回ってもしつこく追いかけやがる。先に俺の方がへばっちまって、掴まってしまった。
あの時は凄かったな――今までの仕置きの中で、一番凄かったと思う。今、思い出しても‥‥ブルブルッ、記憶の中には封印したも方がいいものもあるぜ。
俺もジジイも料理は全然駄目でなぁ‥‥お互いに下手な料理を作って、文句ばっかり言ってた。俺は食いたい盛りだし、ジジイは何だかんだと言っても大飯食らいだから、不味い料理を食ってた。それでも、たまには美味い飯が食いたくて、隣の婆さんのところで食わせてもらったぜ。
婆さんは料理うまくて、中でも桃饅頭は最高だったぜ♪ ‥‥時々、「新製品開発じゃっ☆」とかと言って、味見という名の毒見をさせられたけどな‥‥。普通に作ればうめぇのに、なぁ。
そうやって年月は過ぎていった。幼かった俺も、生長していった。
そして、ある日。俺は思い切ってジジイに尋ねた。
「なぁ‥‥どうして俺を拾って‥‥育ててくれたんだ?」
いつものように何か調べものをしていたジジイは、呼んでいた書から目を上げて答えた。
「どうしたんじゃ? 突然今頃になって‥‥」
そうだ。聞こうと思えばいつでもできた。だけど‥‥この楽しい生活が崩れていくような気がして、怖かった。
ただ、きっかけは昼間、自分にかけられた言葉。
「どうして、ここに雷鬼がおるのだ?」
ジジイの使いの帰り道。すれ違った、若い武士の男が俺を見て、言った。他んとこから、たまたま天上界に訪れる用事があったらしい。じゃなきゃ、この天上界に俺以外の若い男なんて、いやしねぇ。
その男はまるで汚いものを見るような目つきだった。
悔しかったが、俺は何も言う事も、殴りかかる事もできなかった。事実、俺自身さえも、理由なんて知らなかったんだから。
「いいから、答えてくれよ」
真面目な顔をして、俺は言った。
ジジイはやれやれ、といった表情で書を机の上に戻す。
「初めおうた時に言ったじゃろ? 珍しいと」
「それだけなのかよ!」
「はぐれ雷鬼‥‥それがおうた時の蓬莱じゃった。雷鬼は群れて行動するものじゃ。滅多に一人でいる事はない。はぐれた者は‥‥親を失ったか、見捨てられたかのどっちかじゃ」
「だから‥‥可哀想だからって、俺を‥‥」
「初めはそう、思うた。じゃがのぅ‥‥我ら仙人に子供はできん。おまえを育てるうちに自分の息子のように思えてきたんじゃ」
ジジイはそこで一息ついた。
「蓬莱は‥‥儂の大事な家族じゃよ」
その言葉だけが、聞きたかったのかもしれない。
俺は、「ありがとよ」と、短く言うと、自分の寝室へと向かった。
こうやって、いつまでも楽しく、家族と共に過ごせ続けるのだろう、と思っていた。
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