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<東京怪談・PCゲームノベル>


殺虫衝動『影の擬態』


■ゆめ■


 頭痛いアタマいたい頭痛い頭痛い腹立つ嫌だもう嫌だ頭いたい誰か頭痛い嫌だ嫌だこんな頭痛いこんなもの書きたくないこんな頭痛いムシだ頭いたい首痛い頭痛い腕痛い頭痛い嫌だこんな嫌だこんな論文頭痛いからだ痛いああああたまいやだおれあたまいたはね翅が頭痛い翅が痛い脚あああ脚痛いいいいいらいらするああああ


 あの日から、藤井百合枝は不愉快で哀しい夢を見る。
 暗がりで見つめた炎のように、その夢は瞼の裏に焼きついてしまう。
 近頃物騒な事件が立て続けに起きている東京で、自分がその渦中に飛び込んでしまうとは思いもしていなかった。しかも、自分の妹などは、自分よりも深い淵に嵌まり込んでしまっている。それを考えると、泣いてしまいたいくらいに不安なのだ。泣かないのは意地だった。そして、たまらず週末会いに行ってみたとき、意外と妹は元気そうにしていたからだった。妹はいつまでも妹のままだが、子供のままではないはずだ。彼女は彼女なりに解決策を見出そうとしている。心を覗くまでもない心は、肉親だけが持っていた。
 不安と安堵が入り混じる、今の百合枝の精神状態を鑑みれば、不愉快な夢を見るのも無理はない。
 最近の百合枝の夢には、きまって蝿と蟻と百足と蜘蛛、要するにあまり見ていて微笑ましくない虫ばかりが登場した。
 ぶんぶん唸る蝿が、眼の色をぐるぐると変えながら頭を掻き毟っている。唸り声は囁きに聞こえた。あの日に聞いた苛立ちだ。
 大学生の妹を持ち、「ムシを見た」という書き込みのひとつのホストがその妹の通う大学のものだということを知ったせいか、蝿が「論文」という単語を囁いていたのが気にかかっている。
 ――夢の中に出てこられてもねえ。……いや、実際に私の前に出てきてくれたとしても……私に、何が出来る? 何をしてほしい?
 気がかりな夢から目覚めても、その霞がかった疑問は晴れなかった。


■たいら■

「お電話有り難うございます。ジェイドネットサポートセンター、藤井です」
『あのー、すみません、昨日から何かパソコンがおかしいんすけどー』
「はい、どのような状態になりますか?」
『なんかー、5分おきくらいに再起動するんすよ』
「ああ、気の毒に」
 Blasterだ。
『はい?』
「あ、……失礼致しました」
 どうも仕事が手につかない。
 百合枝は、1ヶ月前なら考えられなかった、ちょっとしたミスを犯すようになってきていた。今のように本音がぽろりと零れ落ちてしまうというものがほとんどだった。仕事中にも色々と考えてしまうのだ。
 ウイルス対策や駆除方法などの解説は、本来プロバイダの仕事ではないのだが――この悪質なウイルスは今、世界中で猛威を奮っている。電器屋でも駆除ツールを配布しているほどなのだ。百合枝のプロバイダでも説明サービスをしている。
 その客との通話を終えてから、ふと、百合枝は我に返った。
 自分はなぜ、この会話をいちいち気に留めておいているのだろう。また、虫の知らせというものか。先月もあった。そしてその予感は的中し、自分はムシを見てしまったのだ。
 今の会話がもたらした知らせは何だったのだろう。
 Blasterに気をつけろ? いやいや、自分はすでにセキュリティホールを埋めたはず。
 では、何だ?
 ウイルスそのものか?
 馬鹿げている。
 百合枝は軽くかぶりを振った。
 明日・明後日は連休だ。悠々自適に過ごすつもりだったが、先月のように返上だ。この霞にけりをつけにいこう。



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132:匿名:03/05/11 01:12
  平からメール来たんだが。

133:匿名:03/05/11 01:26
  どんな


134:132:03/05/11 01:30

  
  >差出人:平
  >件名:待っている

  >○○君へ。
  >興味を持ってくれて嬉しい。本日21時、鳩見公園で会おう。

  こういうのだ。

132:匿名:03/05/11 01:38
  おれのとこにも来た〜

132:匿名:03/05/11 01:45
  で、行くの?

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 先月から毎日欠かさず足を運ぶようになったゴーストネットOFFの掲示板、ムシ関連スレッドでは、新たな動きが見られ始めていた。
 『平』という存在が現れたのだ。
 平と名乗る人物からのメールは、ムシ関連スレッドを出入りしている一部の人間に届いているらしい。
 しかし気がかりなのは、そのメールを受け取り、平に会いに行くと書き込んでいたものが、その後ぱったりと書き込みをしていないことだ。表面上は匿名性の高い掲示板だが、ネットの知識を持っている人間ならば比較的簡単に書き込み先のホストを知ることができる。百合枝はホストを探って、いやな事実に辿りついてしまった。平に会いに行ったと思われる者は、本当にそれ以降書き込みをしていないのだ。悪戯だったのか、それとも本当に書き込みが出来ない状態になってしまったのかはさすがに判断できないが。
 たびたび平のメールアドレスは掲示板上に晒されていた。ころころアドレスを変えているようだったし、疑わしい都市伝説の域を出ないものであった。百合枝は試しにそのアドレスにメールを送ってみたのだが、今のところ返信はない。
 平の調査は行き詰まった。別の筋を辿れば、ひょっとするとフラグが立つことがあるかもしれない――
 百合枝は、妹が通う大学へと足を運んだ。
 2000人近い生徒数を誇る大学だ。手がかりが掴めるかどうか不安だったが、百合枝は学生というものを甘く見ていた。


■はえ■

 百合枝が拍子抜けしてしまうほど、簡単に手がかりは見つかった。
 だがそれは、いちばん百合枝が望んでいなかった結果にも結びつきそうだった。学生たちの間に広がる噂は、百合枝の妹が所属するゼミから始まっていたのである。

 春の終わりに、ひとりの学生が行方不明になったそうだ。
 そして現在に至るまで消息は掴めていない。
 その学生は長屋という真面目で大人しい青年だったらしい。だが、この大学のゼミの研究室で大暴れをした後、行方をくらませたそうだ。彼を知る者は、卒論や就職難に対するストレスで頭がイカれたのだろうと嘯いていた。なんでも彼は、書きたくもないテーマの論文が進まないことに苛立っていたらしい。
 当たり前だ。卒論は、自分に合った、自分にでも書けそうなものを取り上げるべきなのだ。他人に薦められたテーマで書けるほど生易しいものではない。
『ムシを見た』、
 長屋が某BBSにそういった書きこみを残して消えたことを知る者はいないようだった。

 そうして今、百合枝は妹のゼミの研究室にいる。
 長屋の行方を追っていることを告げると、常駐しているらしい教授は比較的すんなりと百合枝を研究室の中に入れた。
「んんん?」
 教授は分厚い眼鏡を直しながら、百合枝の顔を覗きこむ。
「うちの生徒によく似てますなあ。ああ、こう言ったって誰のことかわからんか、ははは」
「いえ、何となく見当はつきますよ」
「んんん?!」
「気にしないで下さい」
 いちいち説明して、妹に自分がここに来たことをぺらぺら喋られると面倒だ。というより、妹はどんな顔をして、どんな思いに駆られるだろうか。気恥ずかしくもあったし、百合枝は意味深な微笑を浮かべて、数台のパソコンの前に立った。
「長屋が使っていたのは、そのVAIOです」
「……そうみたいですね」
「んんん?!」
 百合枝はそれどころか、このパソコンが『参号機』と呼ばれ、WINユーザーに親しまれていることまで見抜いていた。『初号機』は調子が悪く、『弐号機』はMACなのだ。
 長屋の炎の燃え殻は、パソコンにまだこびりついていた。
 だが、少し古すぎる。長屋が最後に使ってから、すでにもう何人もの人間が使ってしまっている。百合枝の妹まで手を触れているのだ。様々な色と形と強さの炎に炙られて、古い思いは消えかけていた。
 百合枝は翠の目を細め、じっと『参号機』を見つめた。

『オカルト系のサイトだね。長屋ってこういうの見るやつだったんだ』
『ああ、結構怪談とかホラーとか好きなやつだったよ。論文は全然関係ないテーマでやってたけど』
 ちがう。

『次に消えるのは、私かい?』
 ……ちがう。心配だけれど。

『ムシ』
 ん。

『大学にまでムシ来た』
『たすけて』
『頭痛い』
『たすけて』
 長屋。

『いいな、あいつ』
 ん。
『たまにしか来ないけど』
 これは、随分昔の心だ。
『あいつ、笑うと――』
 長屋の目がそっと見つめているのは……
『結構かわいいんだな』
 翠の目だ。
『でも、名前、何だっけ。藤井? あー、藤田だったっけ……?』
 藤井、だよ。


『うう、頭痛い』
『うう、うう、うううううう』
『頭痛いアタマいたい頭痛い頭痛い腹立つ嫌だもう嫌だ頭いたい誰か頭痛い嫌だ嫌だこんな頭痛いこんなもの書きたくないこんな頭痛いムシだ頭いたい首痛い頭痛い腕痛い頭痛い嫌だこんな嫌だこんな論文頭痛いからだ痛いああああたまいやだおれあたまいたはね翅が頭痛い翅が痛い脚あああ脚痛いいいいいらいらするああああ』
 ――!


「そう、もしかして、あんたは……」
 何故蝿があの夜に港前公園に来ていたのか、わかった気がした。少しだけ微笑ましく思って、百合枝は苦笑いをする。
「すみません、パソコン、使ってもいいですか」
「どうぞ。長屋のデータはほとんど消えてますがね」
 百合枝は椅子を引いて座った。教授の忠告は意味を為さない。長屋の書きかけの論文が読みたくてパソコンを使うわけではないのだ。ゴーストネットOFFの近況を確かめるためである。


■しらみ■


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255:匿名:03/05/13 16:15
  平からメール来たー。

  >差出人:平
  >件名:待っている

  >○○(俺のHN)君へ。
  >ムシに興味があるようだな。
  >いい仲間になれそうだ。本日19時、伏海神社裏で会おう。

256:匿名:03/05/13 16:30
  伏海神社はヤバイぞ
  昨日死体出てる

257:匿名:03/05/1 16:45
  で、255は行くの?

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 百合枝はパソコンの電源を落とすと、教授に礼を言って、すぐに大学を出た。
 伏海神社へは、この大学から徒歩で15分ほどだ。現在時刻は18:50。
 慌てるあまり、携えていた竹刀ケースをあやうく忘れるところだった。


 東京も少し西なり東なり北なりへ足を運べば、自然も出てくる。
 伏海神社は、ちょっとした丘の上にある小さな神社だった。境内には人影もなく、空気は静けさを帯びていた。昨日の晩に、拝殿の裏から無残な変死体が出たという噂は真実だ。百合枝は霊刀を竹刀ケースから取り出すと、賽銭箱に小銭を入れたい気持ち(そして鈴を鳴らして柏手を打ち、加護をおねだりしたい気持ち)を抑え、息を殺して陰に隠れた。もう、とうに19時を過ぎている。
 つんと鼻をつく異臭に、百合枝は顔をしかめた。

 葉が飛び、血を飛ばして、百合枝の前にどうと巨大な虱が倒れてきた。
 虱の身体はびくびくと痙攣していた。
 何が起きたのかさっぱり理解できず、硬直する百合枝の前に――
 ぶぅん、と耳障りな羽音を纏い、
 蝿が姿を現した。
「あ!」
 思わず声を上げた百合枝の瞳と、蝿の赤と青の眼は合った。
 蝿はわしゃわしゃと頭を掻き毟ったあと、百合枝から眼を背け、血みどろの虱に向かって突進した。
 あの口吻が突き出され、虱の頭部をぐさりと砕いた。硫黄のもののような異臭が生じ、虱の頭部と胸部が溶け出した。
 蝿という生物は、ものをただ舐めているのではない。
 ものを溶かしながら舐めているのだ。
 びちゃびちゃと虱を舐めとった蝿の身体が、わずかに膨張した。虱が動かなくなると、蝿の大きな眼はぎょろりと百合枝を見つめた。
 百合枝は霊刀を鞘から抜き放つ――
『ち……が』
 蝿が、翅音のようなことばを発した。
『……た……い………ィ…ら、……み……て』

 ぶぅぅん、

 蝿は虱をすっかり食べつくし、百合枝には何の危害も加えないまま飛び去った。
 百合枝は本日二度目の拍子抜けを味わって、空を見上げながら霊刀をケースにしまいこんだ。
 すべてが悪い夢のような出来事だったが、草むらには確かに血の染みと、格闘の痕が残っている。あの焦げた臭いもまた健在だ。
「まったく、何が起きてるんだか――この日本、どうなっちゃうんだろうねえ」
 また、夢を見ることになりそうだ。


■やめろ■


  差出人:平
  件名:警告

  蝿の彼から話は聞いている。
  これ以上我々の活動を詮索するな。
  我々がすべてを破壊し、
  圧し潰し、
  喰らいつくすのはまだ先だが、
  我々がきみだけを終わりにすることは
  すぐにでも出来ることなのだ。


「冗談じゃないよ、本当に」
 百合枝はモニタの前で頬杖をつき、密かに待ち望んでいた平からの返信に毒づいた。
 自分はどうやら脅されているらしい。映画の主人公ばりの立場だ。要するにこれ以上調べるなら命はないぞと言ってきているわけである。だが、わざわざ言ってきてくれる分まだ親切だと言うべきか。
「冗談じゃないんだよ、本当に」
 あの、蝿の苛立った狂った眼。
 妹の翠の瞳。
 悪い夢。
 悪臭と血。
 すべてにけりをつけるまで、百合枝は平に毒づき続けるのだ。




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   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)
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【1873/藤井・百合枝/女/25/派遣社員】

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               ライター通信
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 モロクっちです。『殺虫衝動・影の擬態』をお届けします。大変お待たせしました。
 百合枝様、早速の第2話へのご参加、有り難うございます!
 今回はかなり毛色の違った第2話となっております。将は影も形もありません……と言いたいところですが、ちょっとだけ『ウラガ』が出てきているんですね。探してみてください。長屋の運命はすでに決まってしまっていますが、動機に少し付け足しをしました。ますます彼が可愛そうに……(汗)
 近日、シリーズ完結編の『殺虫衝動・コドク』の受注が始まります。よろしければ、こちらもよろしくお願いします。

 それでは、この辺で!