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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


プリンとケーキと缶ジュース
 私はうまいスープで生きているのであって、立派な言葉で生きているのではないとは、モリエールなる人物の言葉であるが、古来より人と食とは切っても切り離せない関係にあった。それは時に人の絆を深め、時に争いの種にすらなりうる代物であるが、人が生きるために食料を摂取せねばならぬという一点だけは絶対の真理である。
 さて、草間興信所なる場所にて事件が起きたのは、夏も終わりを迎えようとしている――にもかかわらず蒸し暑い9月の出来事だった。
 たまたま草間興信所を訪れていた橘神・剣豪(きしん・けんごう)は、空腹であったのかこの興信所の冷蔵庫をそうっと開く。彼はこの冷蔵庫の中に、さまざまな人々が置いていったお土産などが詰まっていることを知っていたのだ。
「をを……スゲー……!」
 きらきらと目を輝かせるポメラニアンが甘い匂いを発する『何か』が詰まった白いケースにきらりと視線を向けた。
 だが彼は知っていた。
「誰かのとかだったら、食ったら駄目なんだよな。うん」
 この冷蔵庫には、確かにお土産などが詰まっている。だがそうでないものも詰まっているのだ。すなわち、いずれ食べようと考えている物を、とりあえずこの冷蔵庫に一時的に保存している――という状態のものだ。そしてそういった物を冷蔵庫に保管する場合には、もれなく名前を書くことが義務付けられていた。
 ぐるりと、ケースを回して剣豪は名前が書かれていないかを点検する。黒いマジックでなにやらいろいろと書かれているようだが、きっとこれは名前ではないだろう。なにしろ名前にしては長すぎる。
 だが、念には念をいれておこう――と剣豪は事務所に向かって声を上げた。
「なー、ココにあるの食ってもいいんだよなっ! いいったらいいんだよな!」
「名前書いてないならいーんじゃないのー」
 返って来た暢気な声は、彼の天敵たる村上・涼(むらかみ・りょう)のものだ。
 先ほどから難しい顔をして、なにやら文字が沢山書いてある雑誌を読んでいたのを剣豪は思い出す。あまり何度も話しかけたりすると怒られるのだ。
 だが確認はした。これは――この甘い匂いのするモノは食べてもいいものらしい。
 そして中のプリン二つを全て食べてしまった剣豪は、この数時間後に地獄を見ることとなる。


「……死ぬ? つーか死にたいのねそーねそーに違いないわよね!」
 草間興信所応接用ソファの一つに陣取っていた涼は、テーブルにだん、と足を乗せかねない剣幕で、正面に座る人物を糾弾している。否――人物と描写するにはいささか御幣があるかもしれない。何故なら今そこにちょこんと『お座り』しているのは、オレンジ色のポメラニアンなのだから。ちなみに涼がつい先ほどまで真剣な顔をして見ていた就職情報誌は既にゴミ箱の中である。
 悲劇は、剣豪がプリン二つを食してすっかり満足した頃――約数時間後に訪れた。
 さて、では何故剣豪が涼に糾弾されているのか?
 答えは呆れるほどに簡単である。
「なんたってせっかく私が行列に参加してまで買ってきたプリンを! 一日限定50個のプリンを! よりにもよって全部食べるんですものねこの犬! 犬犬犬!」
「お前が名前書かなかったのが悪いんだろ! あそこの冷蔵庫に入れとくならちゃんと名前書いとかないと食べられても文句いえねーって誰かが言ってたの知ってるぞ俺だって!」
「名前なら書いてあるでしょーがココに! しかもこんなでっかく!」
 涼はプリンが入っていたらしい白い空き箱をぐりぐりと剣豪に押し付ける。なるほど涼の言う通り、その箱には涼の名前がでかでかと書かれていた。だが、書かれているのはそれだけはない。


『触るな危険!』
『食べたらトゲバットでメッタ打ち』
『食べた奴に災いあれ』


 などとおどろおどろしい文句が並ぶ。涼のこのプリンへの執着ぶりが伺えるというものだろう。だが剣豪は怯まない。
「ひらがなで書いとけよな名前とかは!」
「名前だけならまだしも、ここまでおどろおどろしくイロイロ書いてるのにどうして食おうって気になんのよ犬!」
「う……確かになんか嫌な予感は……したぞ」
「なら食うな!」
「これ誰のだって聞いたら振り向きもしないで『知らない』って言ったんお前だろ!」
「く……まさか名前書いてあるのにそんなん聞いてくるなんて思わないでしょーが普通!」
 つまり、どちらが悪いという単純な問題ではないらしい。とうとうバットまで持ち出し、含み笑いなどをしつつ素振りを開始した涼に、剣豪がおそるおそる問いかける。
「……何で素振りしてんだよ……しかもスゲー気合入ってるだろ?」
「気にしないで。私のプリン食ったケモノをちょっと粛清しようと思ってるだけだから」
「…………」
 このままでは剣豪の命が危うい。よしんば命が助かったにしても、かなり悲惨な結末を迎えることは目に見えている。
 そして、剣豪の飼い主は涼との和解作を考案するに至る。
 それは、『必要経費を全額剣豪が出資し、涼の望む甘味処ツアーを開催すること。そしてそのツアーの内容は当然の如く涼がセレクトする』というものだ。
「ほらご覧なさいやっぱり正義は常に勝つのよ! 村上涼圧勝! 神様ありがとー!」
 放っておけば『勝訴』などと書いた紙を両手に持って走りかねない勢いである。対する剣豪はソファの上で悔しげな上目遣い。
 だが、剣豪にとって主人は絶対だった。
 彼の主人は滅多に『命令』することはない。いつでも剣豪の自由にさせてくれる。だからこそ剣豪にとってはその命令は絶対だった。それに逆らう自分の姿など想像できないくらいに。
 そして、やはり書いてある名前が漢字であるために読めなかったとはいえ、多少の罪悪感はあったのだ。
 やわらかに肉球をぐぐっと握り締め、剣豪はきっと決意の眼差しで涼を見上げた。
 主人の命令ならば、完璧にやりとげねばならない。
「……ヨーシ勝負だ悪魔! 決戦は今週の日曜日だかんな! それまでにドコ行くのか計画しとけよちゃんと!!」
「目にモノ見せてやるわよケモノ!!」
 果たして何が勝負なのか、そしていかにして勝敗を決めるのか周囲にも、そしておそらく本人たちにも分からないままに、とりあえず――日曜日に再び決戦が行われることが決まったようだった。


 互いに準備すべきことは山のようにあった。
 涼はといえば、その手の雑誌やらを買い込むだけに飽き足らず、知人友人から情報を集めまくり周辺で美味しいと評判の店をセレクトする。
 そして剣豪はといえば、それまでおつかいやら手伝いやらの度に貰っていたお金を貯めていたブタの貯金箱の底蓋を開けること。
 そして――日曜日。
 駅の改札口で待ち合わせた二人は、早速一件目へと向かった。涼は情報収集した成果をびっしりとレポート用紙にまとめたものを、そして剣豪は貯金箱の中にあったお金でずっしりと重い財布を手に――。
 一件目に訪れた店は、駅から徒歩五分ほど。小さな坂を上りきった右手にある。店先に小さなテラス席が一つ。流石にまだ暑いこともあり、二人はテラス席ではなく店内に足を踏み入れる。
 ガラスケースの中に並べられたケーキの数々に、剣豪は目を輝かせた。生クリームの上に並べられた果物の数々、あるいはタルトタイプのもの。さまざまな種類のそれらは、見ているだけでも楽しい。
 そして、店員に案内されて席につき、メニューを開いたその時に、再び悲劇は起こった。
「あー私このケーキセット。飲み物ついてる奴で――犬は?」
 もはや犬もしくはケモノとしか呼べないのかもしれない。
 おそるおそるメニューから顔を上げる剣豪。目だけをメニューの上からひょこりと覗かせ、それでも彼は注文する。小さな声で。
「俺も同じヤツ……」
「…………」
 食べ物を前にした剣豪にしては珍しい様子に、涼の眉がぴくりと跳ね上がる。店員が立ち去るのを見計らって涼は僅かに身を乗り出した。
「……なによ?」
「なにって……ナニがだよ」
 そっぽを向いて口笛など吹いてみせる剣豪だが、かえってわざとらしい。
「何じゃないわよ。あっからさまに怪しいじゃないのソレ」
「む……」
「――で?」
 剣豪は少し悲しげな顔をすると、無言で何かを差し出した。それは彼が持ってきた財布であり、ずっしりと重い。だがこの場合問題にするのは重さではない。
 それを手にした途端、嫌な予感が涼の脳裏をかすめる。
「……小銭ばっかじゃないのよ……」
「さては馬鹿にしてんな! それだって結構スゲー金額なんだぞ」
「二件は無理ね――まあこんなモンだと思ってたけど。とりあえずココは奢りでしょ?」
「おう。まかせとけ!!」
「威張ってんじゃないわよ犬」
「……畜生……」
 テーブルに突っ伏しながら剣豪は悔しげに呻く。
 はぁ、と涼は溜息をついた。おそらくどこかでオチはつくとは思っていたが、これは流石に予想外だった。
 だがまあ、とりあえず一件は奢りな訳である。ここは前々から来たいと思っていた場所であることは確かだし――と、とりあえず今は、目の前に並べられる色とりどりのケーキに意識を集中することにしよう。


「ふっ――不甲斐ない」
「うわすっげムカつく……」
 再び駅前。ベンチに座った剣豪の言葉はどこか弱々しい。そういえば、と剣豪は思う――主人は出掛けに『おこづかい』をくれようとしていたのだ。自分は主人に負担をかけるのが嫌で、大丈夫だと家を出てしまったけれど。
 少し古びた自動販売機で、涼は冷たい紅茶を立て続けに二つ買った。剣豪はベンチに座り、うだるような暑さ故か、あるいは別の理由故か、どこか納得いかない様子でだらりと背をベンチに預け、遥か空を仰ぎ見ている。
 その額に、冷たい感触。
 涼が紅茶の缶を、剣豪の額の上に置いたのだ。もっともそれでは落ちてしまうので、まだ缶から手は離してはいなかったが。
「オレが金持ちになったら今度こそ……腹がはちきれるくらいにケーキ奢ってやるからな……そーすればオレの勝ちだ……!」
 つまりその理論で行けば、当分は涼が勝ち続けるということになるのだが。
「まー、期待しないで待っとくわ。とりあえず」
 当初の予定とはだいぶ違ってはいるものの、とりあえず一食分は剣豪の奢りである。まあこんなものだろう――と涼はそれなりに満足していた。剣豪に食べられたプリンの代わりくらいになったことは間違いない。
 そろそろ日差しが高くなってきた。今日もきっと暑い一日になるだろう。
「さーて、んじゃなんか甘いモンでも買って帰ろっか」
 何故かきらーん、と目を輝かせる涼。
「おう。もー疲れたしな」
 だが、その後某有名デパート地下食品街にて、一日限定50個のプリンを購入するために数時間並ぶことになるとは、この時点で剣豪が予測できるはずもなかった。