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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


夕さり二人

 蝉の鳴き声が、いつの間にかひぐらしに変わっていた。
 遠くから、音あわせをしている太鼓の音が聞こえる。
 日はほのやかに紅く染まり始めていた。
 夕立が通り過ぎた為か、気温は幾分か涼しかった。
 正に、縁日日和な夕方だ。
 沙倉唯為は細い目をさらに細めて、目の前に立ちはだかる障子をにらんだ。
「どうせ暇人よろしく悠長に昼寝でもしているんだろう」
 浪々と告げる。
 と、障子の向こうでかすかに影が動いた。
「人を三歳児か何かとでもおもっているのか」
 淡々として、感情の揺らぎを感じさせないゆるりとした声が障子の向こうから返される。
「五歳児ぐらいには成長したらしいな。反抗期か」
 のどをふるわせる笑いの衝動を、なんとか押さえつけながら唯為は障子を開けた。
 部屋の中にいた白銀の髪の主は、横目で唯為をにらんだだけで、顔は畳の上に置いたぼろぼろの冊子から外さない。
 何を真剣に、とのぞき込もうとすると、さっと濃紺の浴衣の袖が冊子を覆う。
 が、唯為の瞳はその冊子に書かれていた一文を読みとっていた。
「『菊慈童』か」
 能の演目の一つを言葉にし、唇の端をかすかに持ち上げる。
 途端、銀の髪の青年は目を細めて唯為をみた。
「何がおかしい」
 先ほどよりやや嫌の強い、感情を滅多に出さない彼にしてみれば、ずいぶん露骨に詮索を厭う声で答える。
「いや、朔羅の次の演目に『菊慈童』を依頼するとは、なかなか能楽協会も粋な選択をするとおもってな」
 深山の菊の中に生きる永遠の美少年。
 妖しさと清らかさと、不老性と官能性。
 ――千年の賀を君に捧ぐ。
 そう結ばれる舞だ。おそらく、その予習をしていたのだろう。
「新祇園能楽堂のこけら落としか。いつだったかな?」
「唯為には関係ない」
 吐き捨てるように言うと、古びた冊子をさりげなくたもとに押し込んで顔を背ける。
 と、白銀の髪に夕日が反射し、鮮やかな薄紅に変化する。
「つまらないからかいをしたくて、ここに来たのか」
 だったら帰れ、といいかけた十桐朔羅の言葉の合間を縫って、唯為は言葉を発した。
「縁日に、いかないか?」
「縁日?」
 唐突な提案に、朔羅が目を見開く。
 常にない子供っぽい表情に、唯為は思わず手を口にあてた。
 そうしなければ、吹き出してしまいそうだったからだ。
 万年無表情と言われ、落ち着いている、悟っていると、あちらこちらから言われているが、素などこんなものだ。
「誰がそんな余裕があるか。そんな浮かれ騒ぎ、唯為一人で行けばいい」
 浴衣の裾を直しながら立ち上がると、朔羅は音もなく唯為に歩みより、隣をすり抜け廊下にでた。
「それ邯鄲乃枕の夢……樂しむ事百年。慈童が枕はいにしえの。思ひ寝なれば目も合はず」
 菊慈童の一文を軽々と唯為がそらんじる。
 朔羅はそれを無視して廊下の奥へ進もうとして、はたと足を止め。たもとに手をやった。
 そして間髪を入れず振り返る。
 はらり、と古書独特の乾いた紙がめくれる音がする。
「このっ!」
 いつのまにと想うより早く、手を唯為に伸ばした。が、唯為は舞人特有の隙のない流麗な動きで朔羅の手を交わし、自分の手を……手にもたれた菊慈童の台本を、頭上に掲げて見せた。
「返せ、それは原本だぞ」
 手を伸ばすが、さすがに身長差だけはどうにもならない。
「さて、どうするかな?」
 朔羅をからかうように、頭上でかすめ取った能楽の台本をひらめかせる。
「縁日につきあうのならば、返してもかまわんが」
「――――っ! この悪党!」

 からり、と下駄がなる。
 宵が深まった為か、境内はぼおっとした光につつまれていた。
 モーターのうなるような音。
 笑いさざめく人の声。
 時折聞こえる太鼓と子供の歓声。
 肉の焼けるにおい、カラメルが焦げるにおい。
 風がそよぐたびに鳴る風鈴。
 どこかで爆竹が鳴る音がして、朔羅は肩をすくめる。
 こんなに多くの人も、こんな屋台の明るさも、なじみがない。 
 機械から白い雲のような綿菓子が作られているのをみていたかと想えば、少女がつく水ヨーヨーをみている。
 かとおもえば、鮮やかな色をしたニッキ水が並ぶ屋台をみており、ついで、店先で揺れる風鈴をみている。
 普段は冷たくあしらってくるというのに、よほど縁日が珍しいのか、唯為が指を指して屋台を説明するたびに、いちいち真剣にうなづいたりしている。
 リンゴあめの珊瑚のような紅い玉をみていたかと想うと、ふと、朔羅が足をとめていた。
「おい、離れるとはぐれるぞ」
 人波に流されかけた唯為が二歩ほどもどって、朔羅の浴衣の袂にふれる。
 と、ああ、とも、うん、ともつかない不明瞭な声が変えるが、朔羅は一向に動こうとしない。
 何にそんなに興味が引かれているのか、と視線の先を追う。
 きらりと、あざやかなライトに揺れる水面がみえた。
 次に羽衣のように鮮やかで透き通った、金魚のひれ。
 そういえば、先ほどから金魚すくいの屋台の前でだけ足が遅くなっていた。
 射的で唯為がピンクのクマのぬいぐるみを打ち落とした時も、くじ引きでとっとと一等を当てたときも、対して反応をみせていなかったというのに。
 やったことないのか、と聞こうとしてやめた。
 聞くまでもないからだ。
「まるで子供だな」
 のどを鳴らして笑うと、朔羅が下駄の先で唯為の革靴を蹴る。
「悪いか」
「いや、まあ、金魚すくいをさけたとあっては「テキ屋泣かせの唯為ちゃん」の異名が泣くからな」
「だれが「テキ屋泣かせ」だ」
 夜闇と同じ黒の瞳で、唯為の月の銀色をした瞳をにらむ。
 が、反論しても無駄と悟ったのか、好奇心が先にたったのか。
 金魚すくいの屋台の前にさっさと座る。
「2回で500円ね」
 屋台番の親父にいわれるまま、朔羅は財布から硬貨を一枚とりだし、紙とプラスチックでできたすくい網と椀を受け取る。
「あ、そっちじゃないぞ。もっと浮いてきたのを狙え」
 真剣に水面を見つめる朔羅。だが、やはり金魚すくいの初心者か、いきなりすくい網をつっこんで、水底にいた紅い金魚をさらおうとして、これ以上ない大穴をあけて見せた。
「浮いてきたのをねらえ。あと水につけるのが早すぎる。それじゃ紙が破れるぞ」
 さすがはテキ屋泣かせを自称するだけある、唯為がいうコツはもっともな事だったが、金魚すくい初心者の朔羅には、なぜそうしなければならないのかがわからない。
 だからか、ぶぜんとしては網を無意味に水中につっこんでは取り逃がす。
 一枚の硬貨が二枚に、二枚の硬貨が三枚に、三枚が……。
 もはや朔羅の意地である。
「唯為はだまってろ」
 いつもより粗雑な言葉遣いで言い捨て、肘で隣にしゃがむ唯為の脇腹をつく。
「そういう前に、だまされたとおもってやってみろ。ねらった金魚が水面にあがってくるのを待て、ひれが水面にふれて波紋を作ったら、すぐにすくい網を横にスライドさせて、はじくようにとってみろ」
 脇腹をついてきた朔羅の肘をとり、手首に指先を伸ばし、角度を固定してやる。
 ちりん、と金魚の屋台の上に飾られていた風鈴が鳴った。
 刹那、紅い金魚が風鈴の音に導かれたように水面にあがってきた。
 ――今だ。
 唯為がおもった瞬間、朔羅の手がひらめいた。
 水がはねる。
 水滴がライトにきらめき、跳ね上がった勢いのまま朔羅と唯為の顔にかかる。
「わ」
 短い朔羅の声があがる。
 目をあける。
 黒塗りの椀のなかに、一匹の金魚がゆるやかに身をくねらせながら泳いでいた。
「取れた」
 短く言う。
 だが、その短い言葉に反して、朔羅の声はどこか弾んでいた。

「ずいぶんと高い金魚だな」
 からかう唯為の声を背中でききながしながら、朔羅は境内から降りる坂道を、どこか軽い足取りで歩いていた。
 太鼓の音と、下駄のからからと鳴る音が合わさっている。
 水のなかで金魚がおおらかに泳いでいる。
 まるで子供だ。
 金魚すくいの屋台を凝視していた朔羅にかけた言葉を、もう一度心の中で繰り返す。
 なぜだろう。
 何がうれしいのかわからないが、笑みがこぼれる。
 まだ縁日が終わる時間に早い為か、人通りが多い表道をさけた為か、裏の石畳の坂はひっそりと静かで、先ほどとはまるで異世界である。
 時折境内の森から、猫が飛び出してきては、ちらりと風変わりな二人をみては逃げていく。
 道ばたには、すすきが穂をつけはじめていた。
 秋が近いな、と想いつつ歩いていると、不意に朔羅が小さい声を上げ立ち止まった。
「どうした」
 唯為の問いかけに、朔羅は視線を落とす事で答える。
 下駄の鼻緒が切れている。
「まいったな……」
「気に入りばかりをはいているからだ」
 石畳に膝をついて下駄を拾い上げる。
 見事に真ん中の止め紐が切れていた。これでは歩けない。
「仕方ないな」
「唯為、何を」
 朔羅にすべてを言わせなかった。
 自分の白い麻のシャツの裾に歯を当てるが早いか、引き裂いた。
「いいから黙って、俺の肩に両手を置いて体勢を固定しておけ」
「だが」
 とまどったような言葉。朔羅は唯為が「自分の気に入ったモノ」しか身に付けないのを知っていた。そしてそれが決して安い品でない事も。
 だがそれが何だというのだろう。
 モノより、何より、大切な事がある。
「こんな事でおまえの足に傷でも付いたら、協会やファンの奴らに刺客を送られる」
 冗談めかせていう。と、あきれた様なため息が頭上からふりそそぎ、ついで、ひざまずいている唯為の両肩にそっと朔羅の両手が触れた。
 ――想っていたより、軽い。
 そのことに驚いたのを悟られないように、素早く裂いた小切れを穴に通して鼻緒を固定する。
「ほら」
 壊れ物をさわるように朔羅の右足をとり、ガラスの靴を履かせる従者のように慎重に下駄をその足に据える。
「……とう」
「ん?」
 立ち上がり、朔羅をみると、かすかに唇がうごいていた。
「ありがとう」
 照れくさいのか、頬がかすかに紅い。
 だが、言われた方だって照れくさいに決まってる。
「阿呆」
 言って肩をすくめる。
「その金魚は俺によこせ。また鼻緒を切られてせっかくの「高価な金魚」を地面におっことされてはかなわんからな」
 手を伸ばす、と、すぐにその手が叩かれた。
「誰が渡すか」
「はっ」
 空気を吐き出す。
 訳もなく、衝動的に笑いがこぼれた。
 横をすりぬけ、先に進む朔羅の横顔もまた、笑ってるように見えた。
(たまには、こんな日があってもいい)
 ぼんやりと秋の月を見上げながら、唯為は笑い続けた。
 水の中の金魚が、二人をからかうかのように、いつまでもひらひらと水の中で踊っていた。