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黄昏は呟く―現―
●序
いつもの帰り道。田中・美穂(たなか みほ)は隣でただ黙々とあるく新田・治(にった おさむ)を横目でちらりと見た。
(付き合って既に一ヶ月経つのに、未だに優しくしてくれない。告白したのは私からだし、仕方なく付き合ってくれてるのかもしれないけど……いつも冷たい)
「……まだ、やってるの?あのゲーム」
美穂は治の好みそうな話を振った。これならば、会話をしてくれるかもしれないと思いながら。
「ゲーム?」
やっと、治が美穂を見た。美穂は小さく笑いながら口を開く。
「パソコンのゲームをやってるんだって言ってたじゃない。はまってるって」
「ああ、『現無世』?……あれはもう、やめたんだ」
「やめた……?」
美穂は不思議そうに治を見つめる。あんなにも、はまっているのだと楽しそうに話していたのに。この話をする時は、比較的楽しそうに話してくれていたのに。美穂が不思議に思っていると、治はそっと美穂の手を握ってきた。美穂が驚いて治を見ると、治は静かに笑っていた。
(おかしいわ……おかしい!)
手ぐらい繋いだ事はある。だが、それはいつも美穂が一方的に繋ぎ、治は眉を顰めつつもそれを離さず、尚且つ頬を赤くしているというものだ。治が恥ずかしがりやだと、美穂はいつも苦笑していたものだ。それなのに。
「……あなた、誰?」
美穂は小さく呟いた。自分に優しくしてくれる、治に聞こえぬように。
「……つまり、本当にその新田さんが本人であるかを確認して欲しいと?」
そう言って、草間は溜息をついた。これはおかしいと判断し、美穂は草間興信所に足を踏み入れた。怪現象を解決してくれるとの噂を聞きつけて、だ。
「お願いします。……何だかおかしくて。本当の治とは思えなくて」
草間は溜息をもう一度つき、頷いた。何処かで聞いた事のあるゲームだ、と思いながら。
●現状
パソコンの電源は入れた?ブックマークはちゃんと辿った?……オーケー、上出来だ。ほら、ちゃんとIDとパスワードを入れて……うん、オーケーオーケー!それじゃあ、始めようか?
草間興信所に、四人の男女が集まっていた。真中に美穂が座っている。
「つまりは、乗っ取られているって言う事?」
一つに纏め上げられた黒髪の奥にある切れ長の青い目を不思議そうに光らせながら、シュライン・エマ(しゅらいん えま)は言った。
「乗っ取られる?一体誰に?」
茶色の髪の奥にある青の目を怪訝そうにさせながら、御影・涼(みかげ りょう)は言った。
「キョウ君、ですか?ですが、どうも名前が違うゲームのようですが」
黒髪の奥にある緑の目を皮肉そうに光らせ、露樹・故(つゆき ゆえ)は言った。シュラインは「そうだけど」と呟く。
「現夢世(げんむせ)の事であろう?しかし、漢字が違うだけのようじゃが」
網代笠から覗く銀の目を光らせ、護堂・霜月(ごどう そうげつ)は言った。
「その『キョウ』というのは何者なんだ?」
涼が尋ねると、三人は互いに目配せをする。
「以前、『現夢世』という名前が同じゲームをやっていて、目覚めなくなったと言う依頼がありましてね。その黒幕が『キョウ』君という中々こまっしゃくれた奴でしてね」
顔色一つ変えず、故は言った。限りなく、冷たい。
「何だか、穏やかな関係じゃないみたいだな」
涼が苦笑して言うと、故の肩の方から「んしょ」という高い声が響く。
「そーなのです!まえにゆえにーちゃはだいじだいじなひとをきずつけられて、ごりっぷくなのでーす!」
黒の髪に、赤の目。……だが、一番気になるのはその小柄な……否、小さすぎる大きさだった。体長およそ10センチの、露樹・八重(つゆき やえ)である。
「可愛い……飴、食べる?」
ずっと緊張した面持ちだった美穂が、八重を見てふと表情を和らげた。ポケットから小さな飴を取り出し、八重に渡した。八重は「わーい」と言いながら受け取り、口に含む。
「結局、キョウっていうのは使われていない誰かのPCみたいなんだけどね。……どうも、釈然としない存在なの」
小さく溜息をつき、シュラインは言う。
「ともかく、その新田殿をここに連れてくるのが得策かのう?」
霜月が言うと、故は「いえ」と言いながら皆の方を向く。
「新田君の家に行く方がいいかもしれません。恐らく、彼の部屋にパソコンがあるでしょうしね」
「新田は、今家にいるのか?」
涼が美穂に尋ねると、美穂は首を振って口を開く。
「今の時間なら、バイトだと思います。街角で、ティッシュを配っている筈です」
「てっしゅ、ですな。では、私が新田殿を連れて参りましょう」
こっくりと頷きながら、霜月が言う。
「俺も一緒に言っていいか?」
涼が尋ねると、霜月はにっこりと笑って頷く。
「じゃあ、俺達は先に新田君の家で待っていましょう。先に、部屋を色々調べたいですしね」
故がうっすらと笑いながら言った。八重は口に飴を含んだまま「はーい」と答える。
「美穂ちゃん、いい?」
シュラインが美穂に確認すると、美穂は快く頷く。
「じゃあ、あとで治君の家で会いましょうね」
シュラインが言うと、皆が頷いた。何かしらの予感を携えながら。
●無益
始めたら、真っ直ぐに何処に行く?何処だっていいさ。そういうゲームなんだから。スタート地点に立って、さあ何処に行こう。……おや、いいの?そこで。そこを選んでもいいの?……本当に?
治の家人は、一行の中に美穂の姿を見つけて快く部屋に通してくれた。
「あらあらあの子ったら。美穂ちゃんやお友達さんが来ると言うのに、バイトなんかに行っちゃって」
母親が「もう」と言いながら呟く。
「いえ、約束していたわけじゃないんです。だから、その」
顔がだんだん紅潮してくる美穂に、母親は微笑む。
「いいのよ。あの子に美穂ちゃんは勿体無いんだから、少しくらい困らせてやればいいの」
(いいお母さんね)
シュラインは小さく微笑む。家族に問題があるようには見えない。
「美穂ちゃんのお陰であの子も丸くなったんだしね」
母親はそう言って笑った。
「あの、それって何時位からですか?」
シュラインがふと気付いて尋ねる。
「え?」
「ええと、丸くなったと言う時期は、何時位からですか?」
「そうねぇ。……一週間前くらいかしら?今までだったら言わないような事を言ってきたしね」
「何を、ですか?」
故が慎重に聞くと、母親は苦笑する。
「いつも有難う、だって。びっくりしちゃったわ」
皆の視線がぶつかる。
(もしかしたら、それは……)
だが、誰も口には出さない。今は母親が目の前にいる。容易に口にしていい事ではない。母親は飲み物を置き、にこにこと笑いながら部屋を後にした。美穂は口をそっと開く。
「一週間前……丁度、時期が重なる……」
「みほしゃん、だいじょーぶですかー?かお、あおいでーす」
八重が心配そうに美穂を見上げる。美穂はそっと笑う。
「有難う……」
「ねぇ、このパソコン……動いていない?」
シュラインの言葉に、皆の視線がパソコンに集中する。ココココ、という起動音が、部屋中に響く。
「……おや、これは」
故がマウスを動かすと、暗かった画面が一転して明るくなる。画面は、見覚えがあった。空間に存在するPCである『HARU』と、画面に表示される現在位置。位置は今『チェンジ』。
「なかなか意味深ですね」
故は皮肉を含んだ笑みを浮かべる。シュラインは画面をじっと見て、ふと気付く。
「ねぇ、露樹さん。この画面、見覚えない?」
画面に表示されている『GENMUSE』という表記。そして何よりも見覚えのある雰囲気。
「見覚えが無い訳無いですよ。……これは現夢世ですね。サーバーが異なっているようですけれど」
「ああ、サーバーが違うから『夢』でなくて『無』なのかしら?」
「ことばだけだったら、どっちでもいっしょなのでーす。あたしには、おなじみみえるですよ?しゅらいんしゃん」
「そうよねぇ。……言葉だけなら、一緒だわ」
シュラインはじっと画面を見つめる。
「ねぇ、この場所にいるから『チェンジ』が発動しているのよね?ここから動いたらいいんじゃないかしら?」
「ですが、今本人がいないのに動かしてしまうのはちょっと」
万が一、そのまま戻れなくなったら。それだけは避けなければならない。
「まてばいいでーす。ほら、きたみたいでーす」
窓から下を覗き込みながら八重が言った。故とシュラインは顔を見合わせる。
(もしかしたら、今新田君の中にいるのが……)
バタン、とドアが開く音が響いた。新田と、霜月と涼がやって来た事を、家中に告げるかのように。
●世界
引き返せないよ。戻れないよ。既に起こってしまった事でしょ?一つ前に戻る、だなんて出来ないよ。……どうしたの?やめるの?そう……全てを踏み躙って……!
治の部屋に、全員が集合した。治は虚ろな目でぼんやりとしているが。
「何か、目が虚ろなんだけど……」
シュラインが覗き込むと、霜月はちょっと照れたように頭を掻く。
「いや、催眠術をかけましたもので」
「照れる所じゃないと思うんですが……」
故が思わず突っ込む。
「あれー?ごどーしゃん、ふくちがうでーす」
八重が尋ねると、霜月はこっくりと頷く。
「袈裟姿では目立ちますからのぅ。似合いますかな?」
普段着を着て、カツラを被っている霜月がくるりと回転した。八重はきゃっきゃっと喜びながら「にあうでーす」と言って手を叩く。霜月は「こほん」と咳払いを一つしてから皆に向き直った。
「催眠深度を深くして、本人かどうか確かめようと思ったのじゃが」
「ちょ、ちょっと待ってくれ」
慌てて涼が霜月を止める。
「催眠意識までいくと、表の意識の反応を見れないから、なるべくなら……」
「そうね。……心音や呼吸音の相違も確かめたいし」
涼の言葉にシュラインも同意する。霜月は暫く考え、「そうじゃな」と言って治に向かう。霜月は人差し指を治に向け「終了!」と叫んだ。途端に、治の目に光が戻る。
「……あれ?ここ……あ!あの時のヒップホッパー!」
(……何があったの?ヒップホッパーって!)
シュラインは思わず心の中で突っ込む。霜月と治の間に一体何があったのか、気になってしまう。霜月は驚く治に向かって「いえー」と答えた。
「ちょっと尋ねたい事がありましてな。来て貰ったのじゃよ」
「来て貰った……って、俺の部屋なんだけど」
治は不満そうにむっとしながら言う。シュラインは「まあまあ」と言いながら嗜める。
「あのね、治君。ゲームの事なんだけど」
「ゲーム?」
首を傾げる治に、シュラインは無言でパソコンを見る。治は「ああ」と言って頷く。
「ずっとつけているから?」
「それもありますし、何よりやっているゲームについて聞きたいんですよ」
故が言うと、治は眉をぴくりと動かす。涼はそっと美穂に近付き、何かを耳打ちする。涼の言葉に、美穂はそっと頷いた。何かしら頼みごとをしたらしい。
シュラインは治に向かって口を開いた。
「あのゲーム、どうしてつけっ放しにしているのから聞いていいかしら?」
「……ただ、何かイベントがあった時に気になるから」
「おや、別につけっ放しにしておかなくてもいいではないですかな?一旦終了してせーぶをしておけば、続きからできるのじゃし」
霜月がちらりと治を見ながら言う。
「しかも、イベントは『チェンジ』ですね。……おや、よく見るとこれは実行中になっているようですが……?」
パソコンの画面を見ながら、故はそう言った。治の顔が憎悪に歪む。美穂はその顔を見て目を見開き、そっと震えながら髪を耳にかけた。
(キョウ君……?)
シュラインはそっと耳を澄ました。以前に聞いた、キョウの呼吸音や心音と比べる為に。だが、以前聞いたキョウのそれとは違うように思えた。そしてふと気付く。それは仕方の無い事だと。治の中にいるかもしれない『キョウ』は治のPCである『キョウ』であって、以前に会った『キョウ』とは別人である可能性があるのだから。
「変わりたい……?」
涼が不意にぽつりと呟いた。それに呼応したように、皆が涼に注目する。
「変わりたい、ですか。もしかして……」
故はそう言って、冷たい目で治を見る。皮肉めいた笑みを含みながら。
「変わったんじゃないんですか?」
治は勢い良く立ち上がってパソコンに詰め寄る。パソコンの近くに立っていた故を押しのけ、マウスを動かして『チェンジ』のイベントを終わらせようとした。が、それは小さな存在によって阻まれた。ずっとパソコンの陰に潜んでいた、八重だ。マウスを動かそうとする治の手を押さえつけ「めっ」と言う。
「にったしゃん、めっ!ちゃんと、ゆえにーちゃたちのおはなしきくでーす」
「煩い!どけ!」
治は八重を払いのけようとした。途端、背後からもの凄い殺気が突き刺さる。
「このまま生きていたかったら、八重に対して乱暴をしない事ですよ?」
治の首筋には、トランプのカード。治はちっと舌打ちする。
「……違う……」
ぽつり、と美穂が呟く。
「美穂殿?」
様子の変わった美穂に、霜月が尋ねる。美穂は顔一杯歪ませ、じっと治を見つめる。
「治は、そんな乱暴な事はしないわ」
「美穂?俺は……」
優しく手を伸ばす治の手を、ぴしゃりと美穂は跳ね除ける。
「治は言い訳しないわ!言葉じゃなくて、態度が先で!……表立って優しくしないけど、優しくて……」
「美穂、落ち着け!……相手は新田じゃないかもしれないが、新田なんだ!」
言葉としてはおかしいものの、涼は美穂を落ち着かせるために叫んだ。美穂はいやいやというように頭を振る。
「美穂……」
治は半ば放心状態になる。意識が全て美穂の方に集中しているのだ。
(今だわ)
シュラインは今がその時と判断した。意識が全て美穂の方に向いている、この瞬間が。
「……HARU?」
ぽつり、とシュラインが問い掛けた。その声に反応して治が振り返った。そしてすぐに治ははっとした。今のは、決して反応してはならなかったのだ。シュラインと故、八重の三名は顔を見合わせる。
「やっぱり、そうなのね?あなた、治君じゃないのね?HARUなのね?」
「HARU?……もしかして」
「PCの名前なんじゃな?」
涼と霜月が言うと、三人は頷く。
「煩い!俺は治だ、治なんだ!」
HARUが叫ぶ。自らの証明をするかのように。その存在を誇示するかのように。
「『チェンジ』のイベントをしているから、今はそうなのかもしれませんね。でもしょせん『HARU』である事に変わりは無い」
故が冷たく言い放つ。
「違う!」
「違わないだろう?実際、美穂はお前を新田ではないと思っているのだから」
涼が美穂をちらりと見て言い放つ。
「違う!……俺は、治なんだ!」
「ならば、どうして先程反応したのじゃ?自らの名を呼ばれたからであろう?」
霜月がパソコンの画面を見てから言い放つ。
「違う!……そ、そうだ。俺がつけた名前を呼ばれたから、つい」
「つい、というわりには、びっくりしてたでーす」
故が頬を膨らませながら言い放つ。
「違う!だ、だから。俺はただ……!」
「望まれたから?」
シュラインがぽつりと呟いた。HARUははっとして動きを止める。
「『チェンジ』のイベントで、何かしら治君は行動を起こしたんじゃないかしら?そうでなければ、向こうからの干渉はできないはずだもの」
「そうじゃな。新田殿は自らを変えたいと思ったのかも知れぬな」
霜月が納得して頷く。
「変わりたいのは、きっとHARUも新田も同じだったんじゃないか?だから、利害の一致とも言えるかもしれない」
涼は先程流れ込んできた感情を思い起こしながら頷く。
「ですが、きっと新田君はこういう変わり方は望んでなかったと思いますよ?」
故はちらりと美穂を見て言った。美穂はただただ泣いている。
「みほしゃん、みほしゃん!」
八重はそう言って美穂をパソコンの方に呼び寄せた。ここにいる治がHARUなのならば、今パソコンの中にいるHARUは治なのかもしれない。美穂は八重に呼ばれた意図を知り、パソコンに近付く。
「美穂、美穂!」
治はそれを阻もうと美穂に近付こうとする。が、それはシュライン達によって阻まれる。
「君が新田君だと言い張るならば、別に気にする事ではないでしょう?」
故はそう言い、にっこりと笑った。皮肉を含む、冷たい笑みで。
●現
終わってしまったね。いや、終わらせてしまったんだよ?君が、他の誰でもない、君自身が。満足かい?満足でない筈がないよね?……簡単だったでしょう?終わらせるのは。終わらされた方は堪ったもんじゃないけどね。
美穂はパソコンに向かい、そっと呟く。
「治……」
画面の中のHARUは、動かない。動くように指示がされてないから。
「治、治!」
美穂は叫ぶ。
「無駄だよ、美穂!治が望んだんだ。変わりたいって。美穂を困らせてばかりの、自分ではどうしたらいいのか分からないという自分を、変えたいって!」
HARUは叫ぶ。皆の目がHARUに集中した。漸く、自らが治でないと認めたHARUに。
「変わりたいって言ったんだ、あいつ!丁度ゲームで『チェンジ』に来たからって、自分を変えたいって言ったんだよ!だから、変わってやったんだ!……他でもない、もう一人の治であるこの僕が!だから、僕は治でもあるんだ!あいつがなれなかった、治という存在に!」
あははは、と壊れたようにHARUは笑った。
「でも、あなたは治君じゃないわ」
シュラインが呟く。
「変わりたい、というのは自身に対してでしょう?」
故が冷たく言う。
「強制的に変わった、に近いんじゃないかのう?」
霜月がちらりとHARUを見て言う。
「感情に流され、その感情を利用したんだな」
涼が溜息混じりに言う。
「よくないでーす。かわりたいのいみが、ちがうでーす」
八重が頬を膨らませながら抗議する。
「僕なら美穂を哀しませないし、僕なら美穂に優しく出来るし、僕なら美穂にいつでも笑いかける!」
HARUは救いを求めるかのように美穂に向かって叫ぶ。美穂は暫くHARUを見つめ、それから頭を振った。
「嬉しいけど、あなたは治じゃないから。治は恥ずかしがってるけど、本当は優しいの。照れながらも手は離さないし、結局私の話を聞いてくれるの」
美穂はパソコンに向かう。
「だから、帰ってきて……治!」
叫ぶ美穂に、HARUは「はは……」と小さく笑った。口の端を歪め、目から涙を流しながら。
「美穂も、僕を拒むのか……!」
HARUはそう言った瞬間、その場に倒れこんだ。パソコンはココココ、と起動し始める。画面が動き、『チェンジ』のイベントがクリアされた事を告げた。倒れこんだ治の体は、やがてそっと目が開いた。
「……治……?」
美穂がそっと尋ねると、治は顔を真っ赤にしてから、ふいと向こうを向いた。美穂は微笑む。
「治、だね」
「……俺、謝らない」
「うん」
「絶対、謝らないからな!」
「うん」
治は顔を赤くしたまま、美穂の手をぎゅっと握った。両手で包み込むように。視線はそれたままだが。
「だけど……有難う」
「うん!」
何もかもが収まった、と皆が感じたその瞬間だった。パチパチという音がパソコンから響いた。全身を黒に包み、黒髪に黒の虚ろな目をした少年が画面にいた。そしてその隣には同じく全身を黒に包みながらも髪と目が赤い少年が立っていた。顔は、治に似ている。
『良かったね。イベントクリアして。楽しかった?』
「キョウ君……!」
故は眉間に皺を寄せて呟く。キョウは微笑んだまま皆を見渡す。
『これ、HARUね。……仲間をわざわざ増やしてくれて、有難う』
キョウはにっこりと笑う。目は冷たい光を放ちながら。
「あなたがHARU君をキョウにしたんでしょう?」
シュラインが言うと、キョウはくすくすと笑いながら指を振った。
『違うよ。まだ完全にはキョウ化してなかったし。……だから、有難う』
「キョウ化してなかったじゃと?しかし……」
霜月がパソコンの中のキョウに向かって睨みつけると、キョウはパンパンと手を叩く。
『HARUを拒絶したでしょ?』
「そうか……!完全にキョウ化していなかったのは、美穂がいたからか!」
涼は納得して唸った。PCが暴走してしまう『キョウ化』。だが、HARUはまだ美穂という存在に固執していた。暴走を食い止めるかのように。だが、美穂はHARUの存在を拒絶してしまった。暴走を止める存在は、もういないのだ。
「ひどいでーす!きょうしゃん、おいたしたらめっです!」
八重がパソコン画面に向かって指差す。キョウは一瞬きょとんとした後、笑い始めた。心の奥底から楽しそうに。
『さて、本当にオイタをしたのは誰なのかなぁ?』
キョウはそれだけ言うと、画面から消えた。HARUも、同時に。パソコンはいつの間にか電源まで落ちていた。
「強制終了までしたようですね」
ご丁寧に、と呟きながら故は舌打ちした。
「でも、治君はちゃんと戻ってきたわ」
シュラインは皆に向かって言う。それは、確かな事実なのだから。
「誰一人として、怪我もする事なく」
涼が続けた。何となく不満そうな一同を、励ますかのように。
「それにしても、中々姑息な事を言って消えおったのう」
霜月が溜息をつきながら言った。
「そーでーす!おいた、めっなのでーす!」
八重は小さな手を何度も上下させながら言った。その様子はどう見ても、可愛らしい。
「……皆さん、有難うございました」
話が一旦落ち着いた所を見計らい、美穂が頭を下げた。隣で、治も一緒に。
「俺、変わらなくていいのかな?」
ぽつりと治は呟いた。変わりたかった自分、変わってしまった自分。だが、結局はそのような自分は果たして本当の自分なのだと胸を張って言えるのかどうか、分からなくなってしまったのだ。皆は微笑み、口を開く。ほぼ同時に。
「ちょっとずつ、変わればいいんじゃない?」
とシュライン。
「無理に変わるのは無理です」
と故。
「変わりたいのなら、まずは思えばいい」
と涼。
「変装ならば教えますぞ」
と霜月。
「だいじょーぶでーす」
と八重。そして……。
「今のままで、充分よ」
美穂はそう言って、治に抱きついた。治は頬を赤く染め、ただただ美穂に優しい目を向けるのだった。
●付
存在するのは何の為?生きているのは何の為?思いは何処に向かって行くの?
出ない答えをひたすら待ち続けるのも、限界がある。いつまでたっても出ない答えは、本当に答えとして存在しているのかどうかすら怪しい。
それでも待つのは性なのか。それともただの惰性なのか。
いずれにしても、ただ待つというのはどうにも不安で、恐ろしい。ただ待つのでは時間は空虚にしか思えない。
ならば、どうしたらいいのかなど決まっている。動けばいいのだ。自らの体で、自らの意志で。それをするだけの体も、意志も。自分には備わっているのだから。
『怖い』
口は動いたか?気持ちは動いたか?それすらも分からぬ。ただ確かなのは、その言葉は今存在したと言う事だ。
何とも儚い、刹那の時に。
<現にて変化を見出しながら・了>
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【 0086 / シュライン・エマ / 女 / 26 / 翻訳家&幽霊作家+時々草間興信所でバイト 】
【 0604 / 露樹・故 / 男 / 819 / マジシャン 】
【 1009 / 露樹・八重 / 女 / 910 / 時計屋主人兼マスコット 】
【 1069 / 護堂・霜月 / 男 / 999 / 真言宗僧侶 】
【 1831 / 御影・涼 / 男 / 19 / 大学生 】
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■ ライター通信 ■
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お待たせしました、コニチハ。霜月玲守です。この度は「黄昏は呟く―現―」に参加していただき、本当に有難うございました。如何だったでしょうか?相変わらずの分かりにくいオープニングでしたが、皆様のプレイングを見て安心しました。いつも感心しながら読んでおります。
シュライン・エマさん、いつも参加してくださって有難うございます。今回プレイングに「玉砕」とありましたが、そんな事は全然無いですよ?不意をついての呼びかけは一番の有効手段でしたから。
今回、少ないながらも個別の文章となっております。本当に少なくて申し訳ないですが……。そして、今回は「現」です。前もって言っておりましたように、これは「夢」と対になっている二部構成となっております。影響はするものの、一つ一つが成り立っているお話となっておりますので、続けて参加しなければならないと言う訳ではないです。も、勿論続けて参加してくださると凄く嬉しいです(ぼそ)
ご意見ご感想等、心よりお待ちしております。それではまたお会いできるその時迄。
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