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東京怪談・草間興信所「その怨、侮るべからず」
■オープニング■
『東風吹かば 臭ひおこせよ 梅の花 主なしとて 春をわするな』
安藤と名乗った男の風体は少々奇妙だった。
草間はその姿を上から下まで観察しつつ、そう結論付けた。
中年、いや初老と言うべきか、中肉中背の取り立てて特徴のない男だ。無論顔立ちや身体つきに、の話だが。
「家族の体調が悪い」
どっかりとソファーに身を沈ませ、安藤は言った。
曰く、ある日突然妻がそして娘が高熱を発し寝込んだ。医者に行っても単なる過労や知恵熱だろうと言う事で原因はわからない。その言の通りに熱は直ぐに下がったという。
「だが、だ」
安藤は渋面で言い募った。
直ぐに下がるが、また直ぐに上がる。
いたちごっこのように倒れては治りまた倒れる。医者も首を捻っているという。
「どう考えてもおかしい。何とかしてくれたまえ」
おかしい、ねえ?
草間は心中で胡散臭げに男を見やった。
「それで、それは何時からです?」
草間の問いかけに、男は頷いて答えた。
「先週からだ」
現在は月曜日。先週からというのなら早くてもまだ七日目である。ほお、と草間はわざとらしく声を上げる。
「それでどう考えてもというのは早計に過ぎませんか? 何か、心当たりでも?」
カッと男の頬が紅潮する。男は即座に席を立った。
「兎に角依頼はした! 後は貴様等の仕事だろう!」
言い捨てて男は去って行く。草間はその後姿を見送りつつふむと沈思した。
男の風体は少々奇妙だった。
ラフなジャケットにスラックスという、休日のお父さんな姿だったがそれがどうにも浮いている。着慣れていない、と言うべきか。
「……面白くないな、素性も何処まで本物か知れたもんじゃない」
草間は呟き、しかし幾人かに連絡を取るべく受話器を手にとった。
■本編■
活気があるのかないのか。
草間興信所という場所は実に微妙だ。誰もいないことも多いが誰かしらいることも多い。単に人口密度を活気に換算するのであれば活気があるということになるのだろうが、その内の『まともな依頼人』の数からすればきっぱり活気がない。奈辺に『まとも』の基準を置くかでまた変わって来る事柄ではあるのだが。
まあつまり流動的で主観的な話である。
そしてまともの定義を、依頼量を払ってくれそうなという場所に置いた時のまともな依頼人が去った後に草間が電話をかけたその青年は、興信所に顔を出すなり眉を顰めた。
「怪しいなそのおっさん」
「怪しい事は分かりきっているがな」
やれやれと肩を竦める草間に、香坂・蓮(こうさか・れん)は露骨に嫌な顔をする。
「態度からして怪しすぎる。本物の家族なのかそれは?」
「ん?」
「家族に対する労わりの一つも感じられん」
「労わりがないならこんな所にまで足を運ぶと思うか?」
草間はどこかからかうように蓮を見やった。
草間興信所。その主の意思とは裏腹に世間一般では『怪奇専門』等と言うレッテルを貼られている興信所である。
はっきり言うがこんな所に足を踏み入れるには一定以上の覚悟が必要だ。興信所という場所自体、そうおいそれと近寄りたいものではない上に、ここは『怪奇専門』とまで言われている。この事務所に足を踏み入れること自体、それ相応以上の覚悟が必要となるのである。
ふむと蓮は沈思した。言われてみればその通りである。
「何気なく出入りしているから忘れるな。ここが真っ当でない場所だという事を」
「……おい」
低く唸った草間に薄い笑みを返してから、蓮は草間に無造作に手を伸ばした。
「なんだ?」
「家族が、と言い出したからには住所くらいはわかっているんだろう。兎に角行ってみようかと思ってな」
さらりと言った蓮に、草間は憮然とした態度を崩さない。
「真っ当でない仕事だぞ?」
「何気なく出入りしているうちに忘れていたな、そんなことは」
その真っ当でない場所に何気なく当たり前のように出入りしている。
自分の意志で。
蓮は暗にそう示している。
草間は軽く肩を竦め、安藤の残していった住所を蓮に教えてやった。
住所は住宅街のマンションの一室を示していた。分譲ではなく賃貸マンション。高級と呼べなくもないが、まあ夫婦共稼ぎでなら一般的に賄える。ランク付けをするなら中の上といった所だろうか。
教えられた部屋の前でばったりと顔を合わせた真名神・慶悟(まながみ・けいご)と共に、蓮はその一室を訪ねた。
出迎えたのは赤い頬をした中年女性。ほっそりとした肢体に仕立てのいい服を着けている。一見して良家の奥様という印象である。やはり安藤の情報どおり具合が良くないのだろう。動作は緩慢で気だるげである。
「わざわざ申し訳ありません」
「いや……」
恐縮した風を装いながらも蓮は内心眉を顰めずに這いられなかった。慶悟も同様である。
この婦人にもどこかおどおどとした怯えたような風情がある。そして身に纏う雰囲気も、この『中の上』ランクのマンションとは微妙にそぐわない。
作った上品さや格式にはどうしても安物の香りが漂うものだ。それは何も上品さや品格に限ったことではないが。見た事のように体験した事のように嘘を語っても、現実を知るものの前にその嘘は滑稽なほど無意味だ。見栄は所詮見栄でしかない。
この婦人の場合は逆だった。身についた雰囲気が余りにも上等すぎるのだ。
「娘は起き上がれません、申し訳ありませんお話は私が窺いますので、どうぞ遠慮なさらずに中へ」
「いや、話は結構。まずこの部屋を少し調べさせてもらって構わないか?」
慶悟の声に一瞬婦人の顔が強張ったのは恐らく錯覚ではない。
そのことを蓮が確信したのはマンションの内へと招じ入れられた、その後の事だった。
リビングは広く上品に設えられていた。そんなものはインテリアコーディネーター任せでどうとでもなる事である、問題はそこではなかった。
「随分と……」
慶悟もまた唸る。
そう、随分と総てが、
「……新しいな」
蓮の声に、婦人はビクッと身を竦ませる。
普通のカジュアルな服がそぐわない安藤の容姿、その居丈高な態度に、そして婦人のこの不釣合いな上品さ。
そして使い込まれた観のない、真新しい生活感の無い家具。
つまり――
「……ここは自宅ではないな?」
慶悟に眼光鋭く見据えられ、婦人はフローリングの床にへなへなとくず折れた。
「申し訳、ありません……」
嗚咽を洩らしながら消え入りそうな声でそういう婦人に、蓮と慶悟は顔を見合わせた。慶悟の携帯の着信音が鳴ったのはその時だった。
安藤義時。
大手商社の常務取締役にして、社内最大派閥の中核人物。
それが草間興信所に依頼を行った『安藤』の、正確な身分であり立場だった。
それぞれが持ち寄った情報は一点を示していた。
『安藤に怨まれる覚えがあり、それに対して自覚的である』
そして、
『その上で居直っていながら、状況に切羽詰っている』
その二つだ。
新聞記者である佐久間・啓(さくま・けい)の調査ファイル。ケーナズ・ルクセンブルク(けーなず・るくせんぶるく)の伝手での情報はその方向までもを明らかにした。
企業には闘争がある。
純然たる社内に於けるパワーゲーム。
そしてそこには勝者と敗者が存在するのだ。
行き成り会社に大挙して押しかけてきた派手な一行に、安藤は目をむいた。
人目を気にしてだろう、人払いをした上に個人の執務室に鍵までかけてから、安藤はその毛色の変った一行に対峙した。
「よお?」
唯一直接安藤と面識のある啓が、にまりと笑ってデスクに座った安藤を見下ろす。
「……何かね」
この期に及んで平静さをまだ保っているのは天晴れと言うべきだろう。啓は勢い良く己の調査ファイルをデスクに叩きつける。
「ネタはしっかりあがってんぜ? キリキリ吐いて貰おうじゃねえか? え?」
「最初から脅してどうするのよ」
呆れたように啓をシュライン・エマ(しゅらいん・えま)が引き止める。だが、なにも舌鋒に容赦が無いのは啓に限ったことでもない。
「あんたは純粋に怨まれてる。何某かの術を使われたわけじゃない純粋にただ、幾重にも怨まれている。いいか、素人さんが、何かに頼るでもなく実際に対象に影響を及ぼすほどの恨みだ」
静かに、慶悟は言った。不快さがひしひしと伝わってくる声で。
実際に慶悟は不快だった。そもそも慶悟は金銭にも社会的な立場にもあまり執着はしていない。執着していないからこそ執着するものは理解できない。寧ろただ不愉快だ。
ケーナズは逆に立場があるものとして言葉を吐く。
「キミがどうなろうと知ったことではないがね。恨むなら本人を恨めとも言ってやりたいところだが、対象ははっきりと妻子に向いている。向いている上でまだ自分の立場が大切かね?」
うんうんと冴木・紫(さえき・ゆかり)もまた頷いた。
「家族と自分の秘密天秤にかけて、どっちでも大事と思う方を取りゃいいわ。どっちもなんてのはいくら何でも我が侭でしょ。我が侭なんてのは可愛い女がやってこそ許されるモンであって、オヤジがやったって断然許されやしないんだから」
「脱線させるなあんたは」
慶悟に引き留められても紫は冷ややかな態度を崩さない。マンションの件がよほど腹に据えかねているようだ。
蓮もまた、冷たい目線で安藤を見つめている。
「黙ってないでなんとか言ったらどうだ?」
総員が口と視線で安藤を責めていた。
常務取締役。
その立場を得るためそして守るためこの男はいくつもの戦いに挑み、敗者を踏み躙ってきた。
その敗者の恨みが、核を持って安藤の家族を襲っている。
支社の閑職へと飛ばされた一人の男が自ら断った命。肉体から離れ、強まったそのただの意識を核として。
霊でさえない。細かな幾重もの恨みにただ核がある、それだけなのだ。
安藤はその自殺した男の霊の仕業だと思い込んでいたようだが事はそう単純ではなかった。
シンプルで、だからこそどうしようもないただの、怨。
安藤は居直った目で、静かに言った。
「ならばどうすれば良かったのかね?」
と。
そこに争いがある。
そして勝利があり敗北がある。
それは善悪の問題ではなく、そして優劣の問題でもない。
原因と結果。
原因がある限り結果が出ることはなくならずそして結果がまた原因となり世の中は連綿と続き続ける。
「まあ、いいでしょう」
シュラインはにっこりと笑ってそう言った。
それに面食らったのは安藤ただ一人。
「あなたが勝った。その結果としてのつけが奥さん達に回ってるのよ。だったらそのうち、そうね近い将来事件は解決するわ」
「どう言うことだ!?」
怒鳴る安藤に、一同は顔を見合わせた。
ケーナズが喉の置くからクックと笑いを漏らす。
「何故我々がこんな大人数で君を訪ねてきたのだと思うね?」
「自分で言うのもなんだけどー、こう、単品ならまー真名神と佐久間さんは置いといて私達はまともだけどねー」
抜けぬけと言ってのけた紫の後ろ頭を軽く小突き、慶悟もまた鼻せせら笑った。
「まあこんな集団が個人的にあんたを訪ねて来たのは印象的だろうな」
実に胡散臭い集団が。
安藤の顔に動揺が走る。
それは些細な不審。だが、不審なのだ。社内で築き上げてきた地位を揺るがすには十分な。いや、相手によっては十分に揺るがす理由に足るというべきか。
「お前の言った言葉をそのまま返そう。お前に俺たちは『妻子を何とかしろ』と依頼された。その手段として『ならばどうすれば良かったのかね?』とな」
蓮が冷ややかに言い放った。
それもまた一つの結果。
『東風吹かば 臭ひおこせよ 梅の花 主なしとて 春をわするな』
敗者の唄。
それは一つの結果の生み出した唄。
その恨みは行き場を限定せず、無差別に人を襲ったとも言われる。彼を追い落とした権力者のみならず、その権力者が掌中に納めた都にまでも。
行き場の無い、怨が。
「答えなどない、か」
ケーナズは一人ごちる。聞きとがめた蓮と啓が顔を見合わせた。
「なんだ?」
「どーした?」
いや、とケーナズは苦笑した。
「明確な答えだけを求めれた日は遠くなったと思ってね」
幼い日には多分信じていられたのだろう、そんなことを。
沈黙が下りた。
それは純粋さを失ったからではなく、恐らく、
「無知ではなくなったから、か」
蓮がそう、言った。
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
【1021 / 冴木・紫 / 女 / 21 / フリーライター】
【1481 / ケーナズ・ルクセンブルク / 男 / 25 / 製薬会社研究員(諜報員)】
【0389 / 真名神・慶悟 / 男 / 20 / 陰陽師】
【0086 / シュライン・エマ / 女 / 26 / 翻訳家&幽霊作家+時々草間興信所でバイト】
【1643 / 佐久間・啓 / 男 / 32 / スポーツ新聞記者】
【1532 / 香坂・蓮 / 男 / 24 / ヴァイオリニスト(兼、便利屋)】
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■ ライター通信 ■
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はじめまして、里子です。今回は参加ありがとうございます。
世の中善悪で割り切れることばかりじゃないですよね。ってのが今回のお話で。
全国誌では悪役でばっしばし叩かれている政治家の方も地元では大人気だったりしますし。
結局どうすれば良かったのか?
そこに答えはなかったりするんですねーというお話。
今回はありがとうございました。また機会がありましたら宜しくおねがいたします。
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