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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


風を討て


 バラバラバラバラとやかましい音を立てて飛ぶ黒い機械を見上げ、海原みそのは漆黒の目を細める。見上げても、その瞳が直接『空飛ぶ乗り物』を捉えることはない。だが、風という流れを裂くそのものの大きさ、そのものの内部を巡る燃料の存在を『見る』ことは出来るのだ。小首を傾げるみそのを見て、みたまが――彼女の母親が微笑んだ。
「あれはヒューイ・コブラ……じゃなくて、ヘリコプターよ」
「ああ……皆さんがよく、『へり』と略している乗り物ですね」
「そう。援護してくれるつもりなのかもしれないけど――」
 みたまは顔を曇らせると、無線機を取り出した。
「アルファ・チーム! 帰還して。娘の話だと、連中は風を味方につけているから。私たちは大丈夫。先に駐屯地で祝杯を上げていて」
『了解!』
『幸運を!』
 みそのの目には、はっきりと『映った』。
 ヘリのパイロットたちが自分たちを見下ろし、親指を立てたのを。
 3機の黒いヘリは島の上空から去っていった。その黒い姿が見えなくなるまで――ずっと遠い、安全な流れに乗ってしまうまで、みそのは微動だにせずに見送っていた。
 みたまはすぐにでも出発し、さっさと問題を片付けてしまいたい気持ちでいた。だがじっとヘリを見送る娘の背中には微笑むしかない。そして、娘の気が済むまで待っていたのだった。


 アルファ・チームはAH−1Gヒューイ・コブラ3機で構成されていたが、ブラボー・チームは海原みたまを指揮官とする歩兵20名から成っていた。アルファ・チームが哨戒に出て、駐屯地に戻ることが出来たのは奇蹟だった。
 南太平洋の小島<ニュー・カルコサ>は今や、難攻不落の要塞と化しているといっても過言ではない。始めは、やり方がいささか過激な環境団体が島の自然を守るために立て篭もり、島に近づく者たちに牙を剥いている程度であった。少なくとも、周囲の認識はその程度のレベルであったというわけだ。
 事態が地球規模で深刻なものであることが発覚したのは、みそのの力によるところが大きい。あとは――大きな組織が、目をつけた。みたまは雇われ、事件の真相を『見た』娘とともに<ニュー・カルコサ>に乗り込むこととなったのだ。
 まったく、コブラが隣の島(とは言っても、数10キロ離れているのだが)の駐屯地に戻ったのは奇蹟である。すでに空は水の上に落とされた油のように澱んだ虹色に染まり、流れは捻じ曲がって、みそのの感覚を狂わさんばかりの力を帯び始めていた。
「何十人雇ったところで金の無駄だね。木星をベレッタで破壊しようとしてるようなもんだよ」
 みたまは『開く空』を見上げ、顔をしかめて吐き捨てた。
 だが、そう毒づく彼女は、けして匙を投げているわけではないのだ。夫から授かった特別な銃は、迷彩服にはそぐわぬマスケット銃だった。
 みそのは空から母に目を移す。
 母が抱く銃に、愛しさと安らぎを感じた。母にすり寄ると、みそのはみたまが握る銃に頬を当てた。
「お母様、恐れてはいらっしゃらないのですね」
「何を言うの? 私が何を怖がる必要が?」
 みたまはみそのの髪を撫でて、苦笑いを浮かべていた。銃の引鉄からは指を離していたが、銃にすり寄る娘にはさすがにひやひやさせられる。かと言って、邪険にも出来ない。
「みそのと、あの人がくれたこの銃がそばに居るのに、何を怖がることがあるの」
「お母様は、とてもお強い方ですね」
「みそのもね。頼りにしているよ」
 ふたりは顔を見合わせて、ふうっと微笑みあった。
 血は繋がっていないはずのふたりだったが、その柔らかで神秘的な笑みは、とてもよく似通っていた。
 だが、それも束の間。
 みそのの目が、ツと動いた。

  タルブシ・アドゥラ・ウル・バァクル!
  現れ給へ、ヨグ=ソトース! 現れ出で給へ!

 空は開き、虹色の神が散らばった。


『吾は、門なりせば』
『すべての魂魄を抱え』
『周期巡るその刻に』
『すべての魂魄を解放せしものなればなり』


 みたまは耳を塞ぎたくなった。小島の森に身を潜め、固唾を飲んで空を見上げた兵たちの、魂が砕ける悲鳴を聞いたからである。みたまはそのとき、さっと目を伏せていた。空を見上げていながらにして、空を見ていなかったみそのだけが、見上げる者の中で唯一、魂をこの世に留め置くことが出来たのである。
「お母様、あの方々の目的はまだ満たされておりませんわ」
「あんなものを呼んでおいて、まだ足りないっていうのかい?!」
「あの神は、『門』に過ぎません。まだ間に合うのです」
 『環境団体』が呼ぼうとしているものは、風であり、空そのものである。
 みそのは仕えている神から聞いた。間違いない。<ニュー・カルコサ>に住まう人々は、凍える腐れた風を信じている。
「空を見上げることなく、お進み下さい!」
 みそのの言葉は狂戦士を生む唄であったか。
 みたまは古びた銃を手に、空を見上げることなく、密林の中を走り始めた。


『望みは知識か、秘密か、我が球霊か、さもなくば解放か』
「おお、『門』よ! 我らが望みはまさしく解放に御座います!」
『では、鎖されし者の名を告げよ』
「おお、『門』よ! 我らが神に御名は御座いませぬ!」
『――彼の者、吾を通過せしその刻に、頭を垂れ祈るべし。されども、彼の者の名を口にすることなかれ』
「仰せの通りに!」
『窮極の風の吹き荒び、渦の悲観の溜息、彼の星に響き渡る咆哮に耳を傾けよ』

『彼の者は現れる』


 虹色の門にかけられた手には、骨がない。
 門の周囲をちらちらと飛んでいた熱帯の蝶が、たちまち腐り果てて風にさらわれた。
 鼻が曲がりそうな悪臭が門の向こう側から吹きこんでくる――
 みたまが見たのは、儀式の間に集う人間たちの恍惚とした表情と、狂気にとり憑かれた祈り、ぎしゃぎしゃとやかましく鳴き喚きながら飛び回る、蜂と人間の死体のような有翼の生物であった。
「そこまでだよ、あんたたち」
 みたまの宣戦布告は、異形の生物の喚き声と、狂人たちの祈祷にかき消されていた。
「こんな臭いカミサマが、こっちに来られちゃ迷惑なの!」
 だからこそ、『水』はその場に唐突に現れたのだ。


 ――そういうことでしたか。わたくしが、あの道具に魅せられていたのには、ちゃんと理由があったのですね。
 みそのの眼前で繰り広げられているのは、阿鼻叫喚の地獄絵図に他ならない。
 みたまが手にした古びた銃は、熱ではなく湿気を帯び、暗い光を発しながら咆哮する。
 みそのは『銃』がどういった道具であるのかは最近知ったが、仕組みはついぞ理解できていないのだ。それでも、みたまが使っている銃が特別なものであることはわかっていた。
 銃口から飛び出しているのは弾丸ではない。
 形を変える水である。みそのが普段意識することもなくなってしまったほど、愛しているもの。
 引鉄を引けば、弾丸の中に封じられていた水の精の落とし子が目覚めた。みたまがつけた照準に従い、環境団体と門を守る風のものに組みつくと、一瞬で八つ裂きにし、渇いた風の中に放り込む。
 みそのはその光景を見ていた。銃が風を滅ぼしているのだ、と認識していた。
 落とし子の大きさはそれほどのものでもなかったが、単なる信者と神子との力の差は歴然たるもの。神子が髭じみた触手の束を震わせて怒号すると、風の使者たちが儚く無残に破裂した。みたまの手にあった銃は、その咆哮に殺されたかのようなタイミングで砕けた。
 みたまの頬が破片でわずかに傷ついたが、彼女は傷口から流れた血を慣れた調子で拭い、肩に提げていたウージーを構えた。みたまの紅蓮の瞳は、束の間母のものになった。みそのは頷く――

「神子様、風は、もうおりませんよ」
 みそのの言葉と微笑みに、水の精の落とし子が振り向いた。
 虹の門は、閉じようとしていた。この神が門で在るのは、旧い呪いが復活するまでの僅かな間。骨の無い手は祈祷が途絶えたために力を失い、また水の気配を悟って、ずるずると物憂げに門の向こう側へと戻っていった。
『刻は満ちた』
 虹が囁く。
『忌まわしき神が目覚める』
 そして、呪いは蘇った。
 門が閉じると、形を変え続ける神子の身体は、ぐらりと傾いた。物質ではないもので構成されたその身体は、どろりと流れて海へと消えていく。
 つかれた、ねむい――
 神子はみそのの脳裏に、気だるい愚痴を残していった。


 みそののもの思いを破ったのは、エンジンの音だった。
「あ! こらっ、逃げるんじゃない!」
 音速の戦闘機が<ニュー・カルコサ>上空をかすめ、風の信者たちも我に返った。正気の沙汰とは思えない悲鳴を上げると、環境団体は見事な早さの逃げ足を海原親子に見せつけた。みたまは威嚇のつもりでウージーの引鉄を引いたが、銃声で立ち止まる者はひとりもいない。
「あんたたちとはよーく話をつけなきゃならないんだから! ちょっと、待ちな!」
 烈火の如き勢いで、みたまが走り出す。
 その背と、たてがみのように跳ねる金髪とを、みそのは微笑みながら見送った。
「……あ」
 みたまが居た藪の中に、落ちているものがある。
 みそのはそれを拾い上げ、またも微笑んだ。
 特別な銃の骸である。
 これは、いい『お土産』になる。いつものお土産は話だけだが、今回は物も渡すことが出来そうだ。だが――
「御方様、今しばらくお待ち下さいませ。お母様のお仕事は、まだ終わっていないご様子です。わたくしのこの日の勤めは、お母様のお手伝い。わたくしの勤めもまだ、終わってはおりませんの――」
 密林の隙間から見える、神子が帰った海を見つめて、みそのは微笑みながら囁いた。
 仕事が終わるのは、みたまが「ご苦労様」と言って微笑み、みそのを抱き締めるそのときだ。

 銃声はまだ、途絶えていない。


<了>