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<東京怪談ノベル(シングル)>


居心地のいい場所で知ること

「よーす!」
 扉が開く音と同時に響いた声は明るく大きい。務めてそうしているのか本来の性格なのか、それを訊くのは野暮というものであろう。
 本人、声の主である所の伍宮・春華(いつみや・はるか)にも良くはわかっていないのだ。自己というものを正確に把握するにはこの天狗は未だに幼すぎた。無論天狗としてはの話ではあるが。
 いつものように咥え煙草で報告書を眺めていた草間は、その声に書類から目を上げる。見知った顔にも破顔はしない。ただ軽く――どこか面倒くさそうに、頷いたのみだ。
「なんだお前か?」
「なんだはねーだろなんだは。それよりなんだよ誰もいねえの?」
「見ての通り出払ってる」
 珍しい事もあるものだ。確かに客はいない事の方が遥かに多いが、この事務所には誰かしらいることが多い。そうでなくとも建前は草間の妹である所の零が居るのが普通である。無論事務所のいざりになっている草間は論外として。
「ちえー、つまんねえ」
 来客用のソファーに転げるように飛び込んだ春華は、猫の仔のようにうだうだとその上で丸くなる。来客に(ある意味では絶対に客とは呼べないが)慣れきっている草間は咎め立てもしない。さっさと報告書に視線を戻した。
 巨大な猫はソファーの上でごろごろ転がりながらうだうだとしている。
 流石にふとした瞬間に視界に映るその存在に草間は徐々に気を取られ出した。
「そういえば……おい」
「なんだ!?」
 嬉しげに春華がソファーから顔を上げる。猫と言うよりは大型犬かも知れない。そんなどうでもいいことを思いつつ草間はふと気にかかったことを問い掛ける。
「毎日飽きもせずよくここに顔を出してるが……お前学校の友達と遊んだりはしないのか?」
 途端に大型犬はしゅうんと萎れる。
「迷惑か?」
「…………いや」
 少しの逡巡の後に草間は否定する。実際のところ迷惑でないはずなどないが、それは何も春華に限ったことでもない。
 草間の微妙な嘘を真に受けたのかは分からないが、春華はぱふんとソファーに頭を戻すと『まあ……』と先の問いに答えを返す。
「するけどよ。でもここにも来てえし」
「そうか」
「うん」
 それ以上草間は何も問わなかった。
 探偵の仕事は個人の粗探し。だからこそ問う必要のない時に他人の胸の内を暴くような真似はしない。
 気遣いなのか単に無関心なのかは微妙な所だが、実質それは春華にはありがたかった。
 嘗てに、もう本当に嘗てとなってしまった事象に思いを馳せた春華には。



 生まれた時代はもう遠い。
 当時春華は鬼と呼ばれる存在だった。無論それは種族を示す名ではない。
 世相が春華のような人外の存在を『鬼』と一括りにしていたのだ。
 人と同じような姿をとりつつも、人には使えぬ力ゆえに異端視される。
 己が『何』であるかも未だはきとはしない幼い天狗にとってはそれは理解の外の感覚だった。
 人ではないことは直ぐに理解した。追われるからだ。
 現代とはわけが違う。不思議まで科学の範疇へと落とし込み理屈を解明しようとする世相ではなく、人は未だその知識に於いて幼く拙く、不思議を不思議として据えた。
 その不思議を使いこなす術者も多く居た。
 だからこそ隠すことは出来ず、人里に混じっても直ぐに見つけ出されてしまった。
 人里に住む事は諦めて山に住み山に生きた。
 大杉の伊達男や、松の老人と語らう事も楽しかったが出来るのは語らう事のみで誰にも触れて貰えずまた口を使っての言葉が返されることもなく。
 寂しさに耐え兼ねて人里に降りてはくだらない悪戯を繰り返した。

『俺を覚えてくれよ』

 当たり前だが悪戯をして好かれることはない。
 そしてまたただ人に使えぬ術を行使し、そして悪戯――利ではなく不利を――していくものに対して向けられるのは単に好かれないというだけの感情ではなかった。
 それは恐怖でさえあっただろう。

『……ホントは、嫌って欲しくなんかねえけど』

 寂しかったから。
 ただ寂しかったから。

 封印の憂き目を見てもそれを怨む気持ちはなかった。多分どこかで分かっていた。
 途切れた記憶は、それでも封印の岩というしこりを人に残す事ができたのだという、寂しい満足感が最後だった。



「なあ、俺迷惑かやっぱり?」
 ややあってからポツリと言い出した春華に、草間は咥えていた煙草を揉み消しながら答える。
「迷惑かってな。暇つぶしに事務所に溜まられれば迷惑に決まってるがそれは何もお前さん一人の事じゃないしな」
 苦笑混じりの声は暖かい。
 春華は笑んだ。
「草間とか俺の正体知っても全然態度かわんねえもんな。……だから居心地いんだよ、ここは」
 学校の友人と遊ぶのも勿論楽しい。
 目覚めたこの現代は居心地のいい闇に支配されては居なかった、それどころか夜の闇さえ打ち払われていたが、得るものも多かった。
 気付かれずに人に混じりこめる自分。
 そして気付いて尚態度の変わらない人達。
 悪戯を繰り返していた頃には求めても得られなかった『関わることのできる』自分だ。
 そんなものは知らなかった。



「だから居心地いいんだよな。学校もだけどさ」
 知らなかったこと知りたかったことを教えてくれる。
 この場所が好きだった。