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<東京怪談ノベル(シングル)>


使命




 知識は一つの森のようです。
 一度入り込むと出口がわからないどころか入り口さえわからなくなり――それなのにさらに奥へと進みたくなるのです。
 ですからラクスは、毎日図書館に身を置き、己の知識を深めることに熱中しておりました。




 図書館の東側、窓の傍の椅子にラクスは腰掛けていた。
 広げている本は、一般常識を纏めたもの。
 一冊の本は一つの世界を持ち、棚に並んでいる。ここは幾千もの世界を眺めることの出来る、世界の中央でもあり世界の果てとも言えた。
 ラクスは読んでいた本を閉じ、別の本を手に取った。
 本の表紙は水のように冷たく、岩を手にしたように重かった。ラクスはそれを自分の胸元へ持っていくと、開いた。
 耳にかけていた髪が頬の傍を通り、紫に近い赤が視界に入ってくる。ラクスは髪を再び耳にかけた。
 ――「優美な葡萄」とラクスを見ていた誰かが呟いた。ラクスの耳には届かないくらいの小さな声で、その言葉は舞い消えた。
「ラクス」
 ――今度はラクスの耳にも届く声だった。
「ラクス、来なさい。長老議会からの呼び出しだ」




 なぜ自分が長老議会に呼ばれたのか、ラクスにはわからなかった。
 長老議会というのは、とても重要な会議である。それ故、位の高い者しか出席できない。
(ラクスはまだ――)
 ラクスは一族の中ではかなり若い方だ。
 とは言え、学習意欲の高いラクスの知識量は、一族の中でも相当のものだった――が、ラクス自身は自分の有能さにさほど気付いてはいない。さらに知識を高めたいと思っている。
 ――扉を開ける。石で出来たそれはラクスの爪を冷やした。
「来たね」
 長老が声をかけた。
「ここへ来て、座りなさい」
 ラクスは小さく頷くと、椅子へ腰掛けた。椅子は煌めく石で出来ていて、場の厳粛な雰囲気を高めている。
 そっと辺りを見渡す。ラクスのように呼ばれたのであろう人が数人いるのがわかった。
(一体何の用件で――)
 重苦しい空気の中、長老が話を切り出した。
「三大図書館を始め数箇所の図書館から、禁忌に属する“本”が紛失していることが判明した」
 ――場がざわめく。
 ラクスの顔も青ざめた。禁忌に属する本がなくなるということがどんなことか、容易に理解できたからだ。
「君達を呼んだ理由はもうわかっただろう。その本を探し出して欲しいのだ」
 断る訳がない。ラクスや他数人はすぐに承知した。
「ラクスには極東日本を担当してもらう」
 ――長老はラクス以外の数人にも、それぞれ指示した。
 旅立つ予定は明日。それまでに支度をする。帰ってきてはいけないという決まりはなかったため、旅支度はスムーズに進んだ。
 最後にラクスは図書館に並ぶ本を眺め、一時の別れを告げた。
 ラクスは知らなかったのだ。
 ――これからラクスが向かう場所には、彼女が苦手とする男性が多くいることを。




 一夜明けた昼、ラクスは交差点付近で立ち尽くしていた。
 ――転送陣で送ってもらった先は東京。
 目の前を通る、幾人もの男性。
 ――ラクスは眩暈を覚えた。
 怖い。
 この人ごみ――しかも男性がいる――中を通るなんて。
(無理です……)
 後ずさる――が、後ろにも男性はいる。
 と、ラクスに誰かがぶつかった。
「す、すみませ……」
 ラクスは謝ろうと相手を見――小さな悲鳴を上げた。
 ぶつかった相手が男性だったからだ。
(ど、どうしよう……)
 瞳が潤む。怒鳴られるだろうか。
 だが男性は気にする様子もなく、立ち去っていく。
 ラクスは安心したように息を吐いた。
(この中で暮らしていくなんて)
 頭の中に広がる不安。
 生活自体は大丈夫、気にすることはない。
 周りに自分の存在を当然と思わせること――ラクスの能力が解決してくれる。
 顔と胸が女性で、身体はライオン、鷲の翼を持つアンドロスフィンクスのラクスを疑う人間はいない。
 あとはラクスの心次第なのだ。人ごみや男性に慣れなければいけない。
 そうしなければ、本を探す以前に、この交差点を歩くことすら出来ないのだ。
 ――進まなくては。
(男性は怖くない、男性は怖くない、男性は怖くありません)
 呪文のように繰り返し、歩く。
 男性は怖くない、男性は怖くない、男性は――。
 ――男性にぶつかる。
「きゃあ!」
 ――気がつけば、ラクスは走って逃げていた。
(不安です……)




 図書館へ足を運び、聞き込みを行う。
 ラクスの能力のお陰で、相手は質問に対し素直に答えてくれる。が、“本”に関する情報は見つからない。
(やっぱり簡単には見つからないものですね)
 仕方ないことだけれど、“本”を探すことは大変なのだ。
 軽いため息が出る。
 ――身体が重い。
 他を探す。いくつもいくつも。人の群れに恐れを抱きながら、歩く。
 胸に圧迫感を感じ、身体が震え、声も小さくなりながら、訊いて周る。
 ――肌にあたる光が弱くなっていく。日が暮れてきているのだ。
 それにつれ、人は減るどころかますます増え、ラクスの恐怖は強くなる。
 ――知らない世界へ接することの孤独感もあった。人の波を遠くから眺める。
 何度目かのため息をつく。疲れているせいか、呼吸音が大きい。走り回って呼吸が乱れたような音だ。
 ――まだ、探さなくては。
 そう思うのに、身体は言う事をきかない。心が悲鳴をあげているような、精神的疲労が大きい。反射的に、涙が出てきそうだった。
 ぐらりと視界は揺れ、身体は地に倒れた。
(身体が熱い……)
 極度の緊張が身体を縛りつけていた。朦朧とした意識の中で、乱れた息が残る。
 ラクスは疲れきっていた。