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<東京怪談ノベル(シングル)>


Anniversary.


 退社時刻を知らせるチャイムが鳴ると同時に、藤井百合枝は使っていたパソコンをシャットダウンし、きちんと電源が切れるのを確認するより早く身の回りのものをまとめ、タイムカードに打刻するために席を立つ。
「お疲れさまでしたー」
「お先に」
 ぺこりと会釈してくる年下の新人マネージャーに挨拶をし、百合枝はさっさと会社を後にした。



 帰りがけ、自宅近くの駅ビルに入っているスーパー(スーパースーパーと言うのだろうか、かなり大きめの店である)に寄ることにする。
 輸入食材なども豊富に揃うので、気に入っている店だ。
 普段はほとんど自炊はしないし、雑誌などに紹介された店の料理を食べ歩くのが趣味なので、買い物はしない。
 けれど、色とりどりの食材を見ているのは、それだけでも楽しいなと感じるのだ。
(身体に悪そうだなとも思うけどさ)
 買い物カゴをぶら下げ、百合枝は店内をブラブラ歩いた。
 目的地は、製菓用品売場。
 なぜならば、今日は最愛の妹の誕生日だからである。手作りケーキで驚かせてやろう、というわけだ。
 可愛らしい妹の姿を思い浮かべ、百合枝は、
(……あ。そういやあの子、こないだ差し入れた炊き込みご飯、ボロクソにけなしやがったな……)
 半眼で小さく舌打ちをした。
 可愛いのは、黙っているときの見た目だけ。自分のことを『俺』と称する、勝ち気な妹なのである。
 ――かけがえのない姉妹だから、大切に思ってはいるけれど。
(えーと……ケーキの材料ってなんだったっけ)
 棚を見上げながら、百合枝はその昔やった調理実習を思い出した。
 まずは小麦粉。
(薄力粉と中力粉と強力粉?……よくわからないけど、これでいいか。いちばん良さそうな気がするし)
 カゴに放り込んだのは、強力粉である。
 続いて砂糖は、角砂糖を選択。目に付いたデコレーション用のチョコレートなどを手当たり次第放り込み、きちんとロウソクやケーキの焼き型、出来上がったものを入れる箱も購入する。
 別の売場をまわって卵と牛乳、生クリーム、バターも忘れない。
 非常に満足し、百合枝は会計を済ませた。
 なんだか、素敵なケーキが完成しそうな予感がする。



 帰宅し、百合枝はさっそくエプロンをつけてキッチンに立った。
 買ってきた材料を所狭しとならべ、左手には「初心者でも安心!ラクチンお菓子づくり」なる本を持っている。 
(とりあえず、オーソドックスなやつでいいよね)
 キュッと唇を引き結び、百合枝は美味しそうなデコレーションケーキの写真の載ったページを開いた。
 その横に書かれた手順通り、材料を混ぜ合わせていく。
 一応、自分が料理が得意ではないということを認識しているので、なかなか慎重な手つきである。
 ――が、それも序盤だけのこと。
 だんだん計量が面倒になり、目分量で材料をぶち込んでいく。
(あの子、そんなに甘過ぎない方が好きだったから、砂糖は少しでいいのかな)
 と、角砂糖を1コ。バターナイフで無理やりすくい取った食パン用のマーガリン――つまりバターはたっぷりと。
 そんなこんなで悪戦苦闘を繰り返しながら、1時間後。
 スポンジケーキが完成した。

「…………………」

 焦げている。
 ほんのちょっと、表面だけが全体的に黒いだけだ。中身は大丈夫。
 心の中で自分を励まして、百合枝は別に泡立てておいた生クリームのボウルを引き寄せた。
 なぜか緑青色のそれを、焦げを隠すように手早く塗り、一応は完成する。
「できた!」
 さっさと箱にしまい、可愛らしくリボンをかけてから、百合枝は妹に電話をしようと携帯を取り出した。
 ――と。

 ガタガタガタガタッ。

 ケーキをしまった箱が、激しく振動した。
 地震ではない。箱そのものがひとりでに動いているのだ。
 ぎょっとした百合枝が凝視すると、今度は、

 ボグッ!ボグッ!

 と、中から箱を叩くかのような怪音までもが聞こえてくるではないか。
 ひきつり笑いを浮かべながら、百合枝が箱の横っ腹を強打すると、

 ブメギャー〜…

 という鳴き声がして、ケーキは大人しくなった。
(……さて、どうしようかしら……)
 一瞬、逡巡した百合枝だったが、すぐに気を取り直してコールする。
「もしもし、葛?今からそっち行くけど、家にいるよね?」
 肯定の答えが返ってくると、百合枝はすぐにケーキを持って、妹のアパートに向かった。
 さて、百合枝の手作りケーキ(らしきもの)のお味はいかがなものなのか……。

(ま、誕生祝いなんて、要は気持ちでしょ?)

 ◆END――答えは神のみぞ知る◆