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私の時を取らないで
●はじまり
「あの……」
その日時計屋を訪れたのは、ヒヨリとあまりかわらないくらいの年齢の少女だった。とても可愛らしい外見をしていて、しかもどこかで見た事がある。
「どうかした?」
きょとんと首を傾げながらも、ヒヨリは少女をどこかで見た事あるなぁ、と頭のてっぺんから足の先まで眺める。
「…どうしたんですか?」
店の中から梁守圭吾が出てくると、その少女は瞳に大粒の涙をためて見上げた。
「私、海野いるか、って言います。…私、何故か時間が戻っちゃってるんです!」
叫んだ瞬間、瞳から涙がこぼれ落ちた。
中に入って話を聞くと、10日程前から起きるたびに年齢が若返ってきていた、という事だ。
最初のうちは全然変化に気が付かなかった。しかし、5日もすれば身長も体重も減り、顔もどこか幼くなってきて、今ではとうとう8歳くらいの外見になってしまった、という事だった。
海野いるか、と言えば今では押しも押されもしないトップアイドルである。
「10日前に変わった事はなかったですか?」
「えっと……あ、時計を買いました。これです」
見せてくれたのは腕時計。
「おかしいね」
呟いたのはヒヨリ。この街に入ると時計は全て姿を消していた。なのにこの時計はここに存在している。それだけで何かおかしいものを感じられる。
「この時計はどこで?」
「確か、その日テレビ局に販売に来た人から買いました。可愛くて安かったんで、マネージャーさんにはとめられたんですけど、どうしても欲しくて」
悪戯っ子のように舌をペロッとだして肩をすくめる。
「何かこれに問題がありそうですね」
「……誰か何か感じる?」
ヒヨリはいつものように時計屋を訪れている面々を見回した。
●本文
「ヒヨリちゃんいますかー?」
シックな秋物の服に身を包み、髪のサイドを三つ編みにしてそれをひねり、後ろでバレッタでとめ、よし一層お嬢様な雰囲気を醸し出して、白里焔寿は2匹の猫を連れて『時計屋』を訪れた。
理由はヒヨリを買い物に誘おうと思った為。
店内を覗くと誰もいなく、奥から談笑が聞こえ遠慮がちに覗いてみると、天薙撫子の姿があった。
「あ、焔寿ちゃんいらっしゃい☆」
すぐにヒヨリが気が付いて手を振る。
「いらっしゃいませ。どうぞ、中に入って下さい」
圭吾に微笑まれ、焔寿は微かに頬を赤くしつつブーツを脱いだ。
「こんにちは、白里さん。お茶菓子持ってきてあるんです、一緒に食べませんか?」
言って撫子は焔寿の席をあけるように身体をずらす。
よく見ると、九尾桐伯の姿もあり、軽く拱手をすると同じように笑顔で返して来た。
「…ちょっと圭吾さんいる?」
そこに現れたのはシュライン・エマ。
「どうかしましたか?」
呼ばれて店の方へと出た圭吾の目に、虎皮の褌一丁姿の鬼頭郡司の姿が飛び込んできた。
「えっと、この方は?」
訊ねるとシュラインは自分もわからない、と言ったように肩をすくめて首を左右にふった。
「そこでウロウロしてたの。何か着せてあげられる物ない? この姿じゃまずいでしょ」
「何をいうんだ! これは俺の一族じゃ正式な格好だぞ! 莫迦にすんない」
憤慨した様子で怒る郡司に、まぁまぁ、と圭吾が奥の部屋へ入るようにすすめる。
年の頃は15歳くらい。中学生か高校生のようだ。
金色の髪に緑の瞳。がっしとした小麦色の肌を持つ少年。
「お名前は?」
「俺か? 俺は鬼頭郡司って言うんだ。なんか上手そうな匂いしてんな」
ずかずかと奥に上がり込むと、テーブルの上に置かれていたお菓子を嬉しそうに頬張る。
その姿があまりにも自然で、皆笑みを浮かべるだけで不快にはならなかった。
「あちー、ヒヨリなんか飲み物くれ」
「いらっしゃいませー」
「……すっげ棒読みだな」
顔を出した真名神慶悟にヒヨリが言うと、慶悟は苦い顔をする。しかしヒヨリの顔がそのまま悪戯が成功した時の子供のような顔になったのを見て、目を細めた。
「これだけの人が揃うと、また何か事件が起きそうな感じよね♪」
「あははは、イヤだなヒヨリちゃん…縁起でもない」
たまには平和な日はないのだろうか、と乾いた笑いを浮かべるシュライン。
「なんだ? 事件ってなんだ??」
麦茶を飲みつつ郡司が好奇心旺盛に顔を出す。
「いーからあんたは何か服着てきなさい」
「うっす」
「きゃあっ」
圭吾に差し出された服にその場で着替えようとして焔寿が短い悲鳴をあげて顔を隠す。
まぁ元々褌一丁で裸同然だったのだが。
「鬼頭さん、この奥にも部屋があるみたいですから、そちらで着替えた方がいいですよ」
にっこりと桐伯に言われて郡司は「別に俺はこの格好でも…」と言いつつ部屋の中に入っていった。
「? どなたか店の外に立ってませんか?」
気配を感じ撫子が言うと「見てくる」とヒヨリがパタパタ店の外へと出て行った。
店の外に出ると、ヒヨリと同じ位の可愛らしい少女が立っていた。
「あの……」
ヒヨリの顔を見て遠慮がちに声をかける。
「どうかした?」
きょとんとなって訊ねると、少女の大きな黒い瞳にみるみる涙がたまっていく。
「…どうかしたしたか?」
不審に思った圭吾が店から顔を出す。
「私、海野いるか、って言います。…私、何故か時間が戻っちゃってるんです!」
叫んだ瞬間、瞳から涙がこぼれ落ちた。
「……!?」
店の中に入り、海野いるかだ、と紹介された瞬間、真名神慶悟は我が目を疑った。
その姿は8歳くらいの少女。
「…あ、初めまして……とお久しぶりです……かな」
困ったような顔でいるかは集まっている面々を見つめた。
「お久しぶりですね。その姿、どうかしたんですか?」
ここで面識があるのは桐伯と慶悟。以前仕事であっていた。
「何があった?」
ずいっと迫るように慶悟が身を前に乗り出す。
「なんでも、時間が退行しているらしいんです。時が戻っている、と」
「時が戻る……」
圭吾の言葉に撫子は今まで体験したその手の類の事件を思い浮かべる。
「10日くらい前からだと思います。なんだか若返り始めて……最初は全然気が付かなかったんです。でも数日もすると体重も身長も目に見えてかわって。お仕事になんとか休みを入れて貰って……ラジオの仕事だけやってたんですけど、声も……」
今では外見相応の声になっている。これではラジオの仕事も出来ないだろう。
「幸い、そろそろ遅い夏休みをとろう、って事になっていたので、仕事は録画ばっかりだったのでスケジュールもなんとか出来たんですが…そんなに長い間休んでる訳にもいかないし…そしたら、人づてに『時間』の事ならここに行ってみれば? という事になって」
「ここに来たわけなんですね」
いるかを労るような瞳で焔寿はそっとアイスティーをテーブルの上に置いた。
「久しぶりに逢った姿はこれとはな…だが、安心しろ」
ポン、と慶悟の手が頭の上に乗る。いるかは慶悟を見上げると、更に瞳に涙をにじませた。
(歌が聴けなくなるのは何より忍びない)
声に出す事はなかったが、慶悟は心の中で呟いた。
「しっかし時が戻るなんてすげー事が起きるんだな、ここは」
半ば感心したような声の郡司に、シュラインがねめつける。
「10日前に変わった事はなかったですか?」
圭吾のやんわりとした問いかけに、いるかは考えを巡らせるように目をパチパチさせた後、思い出した用に「あ」と小さく声をあげてから話始めた。
「えっと……あ、時計を買いました。これです」
見せてくれたのは腕時計。
「おかしいね」
呟いたのはヒヨリ。この街に入ると時計は全て姿を消していた。なのにこの時計はここに存在している。それだけで何かおかしいものを感じられる。
「この時計はどこで?」
「確か、その日テレビ局に販売に来た人から買いました。可愛くて安かったんで、マネージャーさんにはとめられたんですけど、どうしても欲しくて」
「どうしても欲しくなった、って言う点がひっかかりますね」
いるかがテーブルの上に置いた腕時計を眺めつつ桐伯が言う。
「その売りに来た人の特徴とかってわかる?」
(まさか草間興信所の方にも同じような依頼が来てないでしょうね……)
心配しつつ訊ねると、いるかはその時の事を思い出すように上目遣いにどこか遠くを見つめた。
「確かサラリーマン風のスーツでした。濃紺のスーツに銀縁の眼鏡をかけて。名刺を切らしていた、って言っていたので名刺はもらってないです。いつも来る出入りの業者さんじゃない事は確かだったと思います。なんでも急用で来られなくなったから、かわりに来た、とか……」
言いながらいるかはメモ用紙に男性の顔を描いていく。それはすごくうまい、という訳ではなかったが、特徴をよくとらえた似顔絵だった。
「なぁ、そのテレビ局って場所は俺達でも入れるのか?」
「はい。一応入り口で確認とかされますけど、見学とかも大丈夫なんで」
「その男性がいらっしゃった時、何かお話はなされましたか?」
撫子の問いに再びいるかは遠くを見つめた。
「えっと確か……天気の話と、年齢の話を……。後2年すると成人式だな、って話とかしてました。アイドルっていくつまで通るのかな、って」
その時の事を思い出したのか、いるかは笑う。
「とりあえず、これ以上進行させないことが一番ですね」
撫子がたちあがってなにやらはじめる。
「刻遅れの結界か。俺も手伝おう」
撫子と慶悟が二人でいるかの周りに『刻遅れ』の結界を施していく。
その間に焔寿はテーブルに置かれていた時計を手にとった。
「まさか針が逆に回ってる、って事はないですよね……」
見てみるが、見た目は普通の時計だった。
更に焔寿は力をこめる。
その横でシュラインも時計に意識をこらし、異音が聞こえないかどうか耳をすませていた。
「これは……」
「何かありましたか?」
桐伯の声に焔寿は小さく頷いた。
「この時計、どこかにつながってます……極細い糸みたいなもので……」
「糸……」
『妖斬鋼糸』で多重に結界を張り巡らせた撫子が、焔寿の言葉に時計を見つめた。
「……これでこの中にいる間は霊的干渉から逃れる事が出来る。少し不自由だが我慢してくれ」
「はい」
慶悟に言われているかは重く頷いた。
「へー、ここがテレビ局、ってヤツかぁ〜」
感心したようにきょろきょろ眺める郡司に、シュラインは肩をすくめた。
シュラインはテレビ局の人に聞き込みの為にやってきた。郡司は何か調べたいものがあるらしいが、それはシュラインにはわからなかった。
「話はマネージャーさんを通してあるけど、あまり勝手な行動はしないでね。迷惑がかかるから」
「おう! わかってる」
本当にわかってるのかしら…と不安を抱きつつ、シュラインは聞き込みを始めた。
最初は連絡をしておいたマネージャー。
「初めまして」
無駄に汗を拭きながらマネージャーはロビーのような場所におかれたイスをすすめる。
それにシュラインは腰をおろし、一人でふらふらと歩いていく郡司の姿をハラハラと見つめつつ、視線をマネージャーに戻した。
「時計を買った時の状況を教えたもらいたいんですが」
「えっとですね……あの日はスタジオからあがって、控え室に帰る途中、サラリーマン風の男性がこの少し向こうの通路で大きなアタッシュケースを広げてました」
マネージャーは当時の事を思い出しながら語る。
その男性はいつも売りに来る人とは違っていたので不審に思って訊ねると、今日は急用で来られないからかわりにきた、とその男は言った。
年齢は30代くらい。眼鏡をかけて人の良さそうな顔をしているが、口元が笑っていなかった。
なにかおかしい、と感じた為、いるかには絶対買うな、と言ったのだが、その中の一つの時計がどうしても気に入った様子で、とめるのも聞かずに買ってしまった、という事だった。
その後その男の話を他の人にしたが、今日は時計等を売りに来た人はいなかった、言われた。
いるかには数度その時計を外すように言ったが、無駄だったらしい。
「他の人があっていない……まるでいるかちゃんだけに売りに来たみたいね……」
「ええ……」
ちょうどそこにシュラインの携帯が鳴った。
「はい、もしもし……」
興信所のツテで時計屋や時計好事家など、詳しい人たちに時計の写真を送っていた。
「あ、そうですか…はい、ありがとうございました」
なにか詳しい事がわからないかと思ったが、誰もその時計についてわかる人がいなかった。逆にまったく見た事がない時計で、調べてみたいから現物を見せてほしい、と言われてしまった。
数人はどうせ安いどこかその辺の時計だろう、という事で片付けられた。
「もしいるかちゃんだけを狙った物なら、どこかでその男性に見覚えとかないですか?」
「いえ、全く……」
「そうですか」
シュラインは立ち上がり、他に男性を見かけた人がいないかどうか捜しに行った。
「……テレビ局っていうのは面白いとこだな。へんてこな格好したヤツがいっぱいいるしなぁ」
お登りさん丸出しできょろきょろしている郡司の目に、観葉植物が飛び込んできた。
それはちょうどシュラインが高木から訊いた、男性がアタッシュケースを広げていた場所で。
「ちょうどいいや。ちょっと訊きたい事があんだけど……」
言って郡司は植物に話し始めた。
傍を通る人は何をやっているのか? という顔をしていたが、演技の練習でもしているのか、はたまたおかしいのか、勝手にその姿を納得してそのまま去っていく。
「なんかいるかって子がここで時計を買ったらしいんだけど、何かしらねえか?」
それに植物が他の人には聞こえない声で応える。
【あの、ヤミのモノ】
「闇?」
【それ、キケン、オシえた、けど。キこえなかった】
「そっか……。んでソイツがどこに行ったかしらねぇか?」
【ヤミ、カエった。そのアト、ワカらない】
「わかんねぇか……」
【でも】
「でも?」
【イト、ノびてる。トケイから、ずっと、サキへ】
そういえば時計屋で誰かがそんな事言っていたな、と郡司は思い出した。
「ありがとな」
植物にお礼を言って郡司はその場を後にした。
慶悟も別に動いていた。
蛇の道は蛇。裏家業を生業としている慶悟には、そういった関係の知り合いも多い。
勿論草間やアトラスでなどあわないような、汚い仕事をしている人物も多数いる。
「この間テレビ局で時計売りつけてたヤツ知らないか?」
その中の一人をつかまえて訪ねると、男は左右は首をふったが、ふと思い出したかのように慶悟を見た。
「そういやこの前、テレビ局に何かを売りに行くって言う男が、路地裏で気を失ってた、って話聞いたぞ」
「その気を失ってたヤツ、わかるか?」
「ああ、確かそろそろ違うラジオ局に行くところだろ……ほら、あそこに丁度歩いてるわ」
くいっと顎でしゃくり、男がしめした先には、アタッシュケースを持った男が足早に歩いていた。
「さんきゅっ。次に何かにとりつかれたら半額に負けておいてやるよ」
「タダにしろぃ、気前よく!」
「こっちも生活がかかってるんでな!」
言い捨てて男の苦笑いを背後に感じつつ、アタッシュケースを持った男性へと近づいた。
「こんちは」
近づいて慶悟が声をかけると、男は驚愕の眼差しで振り返り、慶悟の服装を見てホッと胸をなで下ろした。
「な、なんの用ですか?」
怯えた口調をなんとか平静をたもって話をしているようだった。
「この間この裏の路地で寝ていたのはあんたか?」
「……」
ぎゅっとアタッシュケースを抱きしめ、警戒の眼差しで慶悟を見つめる。
足は少しずつ後ろに下がり、今にも逃げ出しそうだ。
「まってくれ、俺はその時のヤツの仲間じゃないし、本人じゃない。ただその時の事を教えて貰いたいだけだ」
「……その時の事?」
男は警戒心を全く解いていないような顔で慶悟を見、いつでも走り出せる体勢で問い返す。
「そうだ。気を失う前に誰かにあわなかったか? もしあったとしたらソイツの特徴とかわからないか?」
「あ、あったよ。長身の男だった。眼鏡かけたインテリ風で。でもどこか冷たい印象のある男で……ってこんな事聞いてどうするんだ?」
完全に怯えきっている男性に、慶悟はいるかの事を抜きにして自分の仕事、依頼の話を簡潔に説明する。
その男性から売られた時計のせいで困っている人がいる。その依頼を受けた為、その時計を売った人物をさがしている、といった事。
そこまで話をしてようやく信用しはじめたようだったが、慶悟のホスト風な格好のせいで、いまいち納得はしていないようだった。
男にその時の状況を詳しく聞いた。
その日、テレビ局に行く為に歩いていると、後ろから声をかけられた、という。
振り返り、2、3話をしていると、何故か急に眠くなり、そのまま眠ってしまい気が付いたら路地裏に寝かされ、アタッシュケースが消えていたという事だった。
実際アタッシュケースは落とし物として交番に届けられており、中身も無事だった。
しかしその男とあってから1時間くらいの間、ずっと路地裏に倒れていたせいか、サイフやらなんやらは抜き取られ、大きな被害を被った。
「それは災難だったな……」
「災難なんてもんじゃありませんよ……。あ、私はそろそろ行きますね。それでは」
口早に言い捨て、男は駆け足で去っていった。
「……どっちにしろ、大した情報は得られなかったか……。しかしなんの為にいるかを狙ったんだ……」
慶悟は釈然としない思いを抱えたまま、時計屋の方へと足を向けた。
「はい、はい、そうですか……ありがとうございます」
丁寧に礼を言って桐伯は受話器を置いた。
電話の相手は店の常連客で、テレビ局内部の事に詳しく、時計のコレクターでもあった。
その相手に電話をして色々聞いて貰ったのだが、詳しい話は得られなかった。
ただ、その日に時計が来た事を知っている者がおらず、購入したのはいるかのみらしい、という話だった。
「インターネットの方も何も検索ひっかかりませんね……」
時計屋においてあったパソコンで時計についてネット検索をはじめた焔寿は、くるっとイスを回して残っている人たちの方を見た。
「いるかさん」
「はい」
「その人との会話で、何か思い出した事とかありませんか?」
撫子に問われて、いるかは少し考えるように俯いたが、小さく左右に首をふった。
「見た事もない人で……時計見ませんか? って言われた事くらいしか……。後はちょっとした世間話をして……」
それはいつも来ている人とする会話となんらかわりはなく、記憶の糸にひっかかる重大なものはなかった。
「そうですか……?」
不意に結界に圧力を感じて撫子は立ち上がる。
「いるかさんとの糸が断ち切られたせいでしょうか……何か力を感じます」
言って撫子が御神刀を握った時、シュライン、郡司、そして慶悟が戻ってきた。
「どうかしたの?」
ただごとではない撫子の表情に、シュラインは眉宇を寄せ、何かを感じた慶悟を郡司はさっと身構えた。
「なんか臭うぞ」
野生の勘、なのか。郡司は鼻をぴくぴくさせて顔をしかめる。
焔寿も2匹の猫を床の上におろすと、ぎゅっと手を握りしめてその押し寄せられる力の方を凝視した。
力を身に感じる事はできないが、その類い希なる空間把握能力を持つ桐伯は、やはり気配を感じ、鋼糸を取り出し手に巻き付ける。
唯一全く霊感関係の能力の無いシュライン。しかしその耳にが異音をとらえていた。
空間がねじ曲がるような音。それは普通の耳では聞き取る事の出来ない音。
瞬間。
部屋の中で何かが弾けた。
目がくらっとなり、ようやく室内を見渡せるようになった時、その男は立っていた。
「おやおや……」
困りましたね、と他人事のように呟き、男性はそこに集まっている面々の顔を見回し、シュラインの顔を見てふと視線をとめ、微かに笑った。
「そちらのお嬢さんは、以前お会いした事がありましたね」
言われてシュラインは首を傾げる。
(お嬢さん、ね……)
心の中で皮肉たっぷりに笑い、思考を巡らせる。目の前の男と会った事はない。
「ああ、そういえばこの格好ではわかりませんね」
男の姿が一変した。サラリーマン風の姿から、トレンチコートを着、無精髭をはやし、顔に疵がある男性へと────。
「!?」
その姿を知っているのはシュラインだけだった。かなり前の事件で逃げられた謎の男。
その時は女子高生の『現実』を買っていた……。
「全くそろいも揃ってやっかいな人たちが集まってますね」
ため息をつきつつ、皆の後ろに守られるようにして座っているいるかの姿を見る。
「もう少しで全ての時間を戴く事が出来たのに……おしいですね」
「なんでこんな事をした!?」
呟いた男に慶悟の鋭い声が飛ぶ。
「何でこんな事……簡単に言うと仕事ですよ。あなた方が今、こうして彼女を守っているのと同じように、私は私の仕事をしているだけです」
人をくったような笑みを返し、腕はめられた時計を見つめた。
「おやおやここはおかしな空間だ。誰が作ったものでしょうね……」
笑うように細められた瞳の奥に、不穏な光を浮かべて圭吾をちらりと見た。
「あなたが何者かは知りませんが、いるかさんから奪った時間を返して頂けますか?」
両手を身体の前に出し、その手に橋のように糸をかけ、桐伯が冷静な声音で告げる。
「返して下さらないなら、力ずく、という手段もあります」
御神刀を構えた撫子の凛とした声。
「何だかよくわかんねぇけど、面白そうじゃねぇか!」
「これ以上いるかさんに危害を加えさせません!」
郡司と焔寿も一歩前に出る。
慶悟も式神を放ち、いつでもとびかかれるようにしていた。
「あ、あの! お願いします、元に戻して下さい!!」
立ち上がっているかが叫ぶ。
「ふむ……」
その叫びに男は顎を摘んで考え込むようなそぶりをする。
「元に戻さないなら力ずくでいくぜ!」
瞬間、郡司の姿がかわった。
外見年齢15歳から、24歳程度の姿になり、その上頭部からは角がはえていた。
しかしそんな変貌にすでに気にする者はここにはいない。
ばりばりとその身体から放出される電気。
「まったく……雷神の……。まぁいいでしょう、ここで抵抗する事はできますが、無駄に力を使うのはよくない。それにいざこざを起こすと後々面倒になりそうな方達がいますしね……」
あの仕事は向こうで代替えして……と一人呟き、にこりと笑った。
「このまま普通に戻すのじゃつまらないですね……。そうだ、この中で一番彼女を強く思う者が、彼女に呪いを解くキスが出来たら、全て元に戻してあげましょう」
「何莫迦な事いってんのよ! 普通に元に戻しなさい」
「そ、そうです! き、キス……なんてそんな……」
シュラインに続いて強く言おうとした焔寿の口が小さくなり、真っ赤になる。
「もう無理です。そう魔法をかけました。せいぜい頑張ってください」
「まて!」
消えそうになった男を追って慶悟の式神が消え、桐伯の糸が男の足を絡め取った。
それを撫子がスパッと御神刀で斬りつけた瞬間、それは二つの枝へとかわった。
その枝は床に転がると、撫子と桐伯の前で止まる。
胸のポケットにおさまるくらいの小さな枝。それを二人は持ち上げると、ハンカチにくるんでしまった。
その行動はまるで当たり前のようで、誰もそのことについて触れず、そして本人達にはおかしな事をしている、と言った気は全くなかった。
「さて、誰がキスをするか、って事よね」
「……ヒヨリちゃん、何を持ってるの?」
焔寿に問われてヒヨリはモップを両手に持った姿で胸をはる。
「近づいてきたらこれでぶん殴ってやろうかと思ったのよ!」
ヒヨリの言葉に皆笑みが浮かぶ。
「なんで笑うのよ! あたしは本気なのに……」
いじけたヒヨリを余所に、皆視線を合わせてそらす。
「キスってなんだ?」
15歳の少年に戻った郡司がケロッとした顔で訊ねる。
「キスって言うのは、相手の身体に唇を触れさせる事です」
にっこりと当たり障りのない説明をする桐伯。
「へぇ〜、それでなんでこんなに悩んでるんだ?」
一番彼女を思っている人物。これがキーワードで。
皆いるかの事を信用しているのは当然の事で。でもそれが『おもっている』にあてはまるかどうか、というのも謎である。
「『思い』をどう解釈するかが問題よね」
顎を軽くつまんでシュラインはいるかを見る。
いるかはどうしたらいいかわからない、と言った顔で俯いている。
「俺がしてやろうか? みんなやりにくいみたいだしな……?」
言い出した郡司の肩を慶悟がガシッと掴む。
「おまえがやるのか?」
「……」
きょとんと問われるが、その返答は慶悟の口から出ない。
結局、誰がするのか、という事が決まらぬまま夕暮れを迎えた。
「あ、あの……もういいですよ。これ以上皆さんにご迷惑をおかけするわけにはいきませんし……」
泣きそうな、でも涙を堪えるような瞳で笑う。
「……圭吾さん、ここでの適任者、もうわかってるんじゃないですか?」
桐伯に言われて、今まで黙ってみていた圭吾が首を傾げる。
「ヒヨリ」
「は〜い」
圭吾に呼ばれてヒヨリがいるかの傍による。
「どういう事ですか?」
焔寿がヒヨリと見ると、撫子は「ああ」と息をもらす。
「?」
小首を傾げた焔寿に撫子が説明をする。
「ヒヨリさんは元は人形。人形は人妖。全ての思いを持ち、そして全ての思いを持たない」
「皆さん、ヒヨリの身体に触れてください」
にっこりと圭吾いい、その言葉に従って皆ヒヨリの身体に触れる。
圭吾の言葉が聞こえたのか、わかったのか、焔寿の猫2匹もそっとヒヨリの足に触れた。
「んじゃいくよー☆」
ヒヨリのあくまで脳天気な声。
いるかはいくら女の子にでもキスされる、とわかった瞬間、ぎゅっと目をつむった。
その頬に柔らかいものがあたる。
頬にキスをされたのだ、と気付くのに少し間があった。
瞬間、いるかの身体が光を放ち、その光は大きくなる。
「きゃああああああ」
光が消えた瞬間。元々小柄ではあるが、いるかが今まで着ていた服は小さい。
某アニメのように破ける事はなかったが、ぴちぴちであるのにはかわりない。
とっさにさりげない仕草で桐伯がいるかにコートをかぶせる。慶悟の手にもジャケットが持たれていたが、一瞬の差だった。
「あ〜! おまえ見たコトある!」
叫んだ郡司はテレビをバシバシたたく。
「こん中から出て来られたのか! 良かったな♪」
屈託無く笑う郡司に、いるかは笑みを向けた。
「奥の部屋に腹話術用の人形の着替えがあります、それを着て下さい。ヒヨリ、案内して差し上げてください」
「は〜い☆ いこ、いるかちゃん★ 女の子チームは一緒においでよ♪」
ヒヨリに言われて女性群が皆消える。
それを見送って、男性陣はホッと息をついてソファに倒れ込んだ。
と言っても倒れ込んだのは慶悟だけであるが。
「こんなに気を遣った仕事は久しぶりだよ……」
ぐいっとシャツの襟を大きくあけて風をいれる。
「キス、すれば良かったですか?」
「うっせ」
桐伯に茶化すように言われて、慶悟は顔をしかめた。
「しっかし地主基(ワスキ)っておっかねぇとこだな」
まだテレビの中に人が入ってるな、とペチペチテレビをたたきながら郡司が呟いた。
●終わり
「結局あの男の方はなんだったんでしょうね……」
膝の上に2匹の猫をのせて、それをあやしながら焔寿が言う。
それに郡司がテーブルの上のクッキーを頬張りながら、ついでの事にように喋る。
「テレビ局ってとこの植物が、闇の者、って言ってたな」
「なんでいるかさんの時間を奪っていたのか、というのもわからず終いでしたしね」
「謎の人物のまま、ですか……」
撫子の言葉を継ぐように、桐伯は眉宇を潜めた。
「私が前にあった時は、女子高生の『現実』を買っていたの。あの時も逃げられて……」
膝の上に組んだ手に、シュラインはぎゅっと力を入れる。
「どっちにしろまた逢いそうな気がするな」
つけられたままになっていたテレビに、いるかの録画された放送が流れていた。
当の本人は礼を言い、心配する家族の元へと帰っていった。
テレビを横目に、慶悟は男を見失った、と式神から報告を受けていた。
「今度こんなことしたら許さないんだから!」
モップを握りしめるヒヨリの姿に、再び笑いが浮かんだ。
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
【0086/シュライン・エマ/女/26/翻訳家&幽霊作家+時々草間興信所でバイト】
【0328/天薙・撫子/女/18/大学生/巫女/あまなぎ・なでしこ】
【0332/九尾・桐伯/男/27/バーテンダー/きゅうび・とうはく】
【0389/真名神・慶悟/男/20/陰陽師/まながみ・けいご】
【1305/白里・焔寿/女/17/天翼の神子/しらさと・えんじゅ】
【1838/鬼頭・郡司/男/15/高校生/きとう・ぐんじ】
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■ ライター通信 ■
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初めまして&こんにちは、夜来聖です。
今回は私の依頼にご参加下さりまして、誠にありがとうございます。
郡司君は初めまして★ ですね。イメージ狂ってないといいですが……。
久しぶりの界境線でした。
前回含みを持たせたまま終わってますが、今回はまた違う話で。
書き始めた時に思った量より大幅に増えました。
書いていて楽しかったでしょうか(笑)
それでは、みなさんにまたお会いできることを楽しみにしています。
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